◆
走り、走り、走る。ふと気づけば懐かしい格好をした姉に手を引かれて息を切らしながら走っていた。服に纏わりついた大量の汗が煩わしい。
視界に映る景色は、今は無き懐かしき故郷であったが感傷に浸って見渡す時間はなかった。背後から迫る何か怖いものから逃げることに必死で、立ち止まることを考えることもできない。強い不安と恐怖に押し潰される中、強く握ってくれる姉の手だけが唯一の希望に感じられる。
姉に置いてかれまいと小さな歩幅で走るうちに呼吸は乱れ足がもたつき、ついには大地に転がった。姉に促されすぐに立ち上がろうとするも足が動かない。見かねた姉が私を抱き上げようとするが、既に怖いものがすぐそこまで来ていたことに気づいた。
後ろから迫ってきた怖いものとは、よく見るとかつて存在した帝国の紋章が描かれた騎士であった。騎士の剣は血で濡れており、鎧や兜にも返り血の跡がある。剣を持ち上げる騎士の微笑がとても、とても恐ろしい。
その騎士が剣を振り下ろすよりも先に、姉が拳を騎士の兜に叩き込んだ。よろめく騎士の姿に希望を感じたのも束の間、怒号と共に姉の背中が騎士に切り裂かれる。
剣に付着した血と血走った騎士の目が逃げられないということを私に伝え、その恐ろしい現実から庇うように姉が抱きしめてくる。騎士が大きく剣を振りかぶり、姉が微笑と共に強く抱きしめる。
そんな守られるだけの少女にできることは「神様、どうか──」と祈ることだけだった。このまま騎士の剣が振り下ろされれば、優しい姉は命を落としその後に自分も殺されるだろう。
しかし心にもう恐怖はなかった。なぜなら私は見るからだ。大地から影が膨らみ闇が吹き上がるのを。そして私は知っている。
◆
ジリリリリリリリリ
あらかじめ決めた時刻に音が鳴り響く魔導具によって夢から覚めた彼女、魔導国で最もメジャーである宗教の教祖、アンデッドである魔導王を崇拝するナザリック教の神官長ネム・エモットは重い瞼を擦りながら起床した。
夢を見た。
あの日から何度も見た夢だ。
ベッドから起きて風呂場に向かう。最近魔導国で新たに開発された〝しゃわー〟なる魔導具で身を清めたあと、杖を持ったローブ姿のアンデッド、この国の王であり神を司った像と祭壇へと感謝と祈りを捧げる。祭壇の向こう側には魔導王が住むナザリック地下大墳墓があり、日々の感謝と祈りが魔導王へと届くことを願う。
「──日々の幸せと平和な日常に、私たちの恩義と忠誠をもって返します。アインズ・ウール・ゴウン様万歳」
日課の祈りを終え、簡単な朝食を準備しながら身支度を整え、温めたパンとシチューを急いで胃に流し込む。まだ時間に余裕はあるが、十分なゆとりをもって行きたいからだ。背中に骸骨を模したデザインがされた黒と紫が基調の神官服に着替え、姿見で失礼のない格好か充分に確認してから玄関の扉を開ける。玄関先で馬車と共に待っていたのはゴブリン・メイジ──ダイノであった。
かつて姉が魔導王から貰った角笛で呼び出され忠誠を示したゴブリン軍団の一人であり、今ではかなり減ってしまったが未だ私たち姉妹に忠誠を誓い身辺を守ってくれている家族だ。ゴブリン軍団の中でも珍しい女性であり、私にとってはもう一人の姉であり母のような間柄であった。
くねったような木の杖を持ち奇妙な装飾品で全身を飾っているその姿は昔と変わらないが、かつて同じだった二人の背丈の開きと、彼女の顔に刻まれた皺が時間の経過を感じさせる。召喚されてから20年も経っていないが、ゴブリンという種として彼女は既に老人であった。
「おはよう、ダイノ」
「おはよう、ネム。朝ご飯はちゃんと食ったかい?」
「ちゃんと食べてるってば、これでも人々の模範とされる立派な聖職者なんだから、いつまでも子供扱いしないでよね」
ダイノの心配をあしらって答える。二十歳を超えた今でも子供扱いされることには言いたいことが多々あるが、彼女にとって私はいつまでも目を離したくない子供なのだろう。一人暮らしを始めてからダイノの心配性は輪にかけて大きくなった。
「……やっぱりやめた方がいいと思うんだけどねぇ」
それが何のことについてかは分かっている。無駄だと知っていてもこれが最後のチャンスだと分かっているから言わざるを得ないのだろう。口には出さずとも姉も反対していることは知っている。他のゴブリンさん達の反応からもそれが見て取れる。
「何を言われたって無駄だよダイノ、私たち姉妹の行動力と頑固さはあなた達が一番よく知ってるでしょ?」
そう答えた私に苦笑を浮かべてダイノが答える。私たち姉妹が一度やると決めたことを覆すことが不可能に近いことは、長年一緒に暮らして来たゴブリンさん達が身をもって知っているからだ。もしもゴウン様に言われたら考えを改めるかもしれないが、あの御方は引き止めていない。
やがて沈黙が馬車の中を支配する。外を見ると塗装された道と自然以外は何も見えない。御方の古い友人の意向により、自然をなるべく壊さないという政策がとられてからあの墳墓の周囲20キロには建物が何一つない、人の手が加わらない自然で溢れている。暫くすると馬車の速度が落ち始めたことから、もうすぐ目的地へと着くことがわかり外の景色へと意識を集中させる。
これが人間ネム・エモットの見る最後の景色なのだから。
◆
もはや顔なじみとなった美人のメイドに案内されて神の居住を歩く。天井でキラキラと輝くシャンデリアも、塵ひとつない白亜の床や美しいメイド達も、幻想のような世界に入り込む感動はあの頃からなに一つ衰えていない。
助けられたあの時から、いやンフィー義兄さんが紫色のポーションの開発に成功した時から、何かと理由をつけて招かれ何度も遊びに来てはいるが、それでもここの素晴らしさには未だ眼を見張る。
世界で最も豪華で品格のある通路を通り、慣れ親しんだ応接室の部屋で待つ。暫くすると初めてこの墳墓に来た時と同じような、光を吸い込む漆黒のローブで身を包んだ格好をしたゴウン様が入室してきた。あの時と違うことといえば、もう奇怪な仮面をつけず眼窩に赤い光を灯した骸骨の顔を晒していることだろうか。すぐに立ち上がり頭を下げる。するとゴウン様がまるで親戚の子供に声をかけるように話しかけてきた。
「おお、来たかネム。一ヶ月ぶりぐらいか? 元気にやっているようでなによりだ」
「おはようございますゴウン様。おかげさまで心身共に元気でやってますよ。ゴウン様もご元気のようでなによりです」
本来なら王とその国民が間に誰も置かず直接話すなど無礼千万極まりない行為ではあるのだが、幼少の頃から世話になっていることもありここナザリック地下大墳墓内に限り、昔と変わらない調子で話すことが許されていた。ゴウン様の後ろに立っている臣下のメイドの方々にも何も言われたことはない。そのままゴウン様の手に促されてソファーに座る。
「今日は南方から評判の菓子が贈られてきたんだ。ナザリックで作られた菓子を真似して作ったらしい。私は食べられないから遠慮なく食ってくれ。できれば味の感想も聞かせてくれるとありがたいな」
「いいんですか? では遠慮なく頂きますね!」
遠慮なくと言われたので遠慮なく食う。この方が口に出した言葉は変に考え込まずありのままを受け入れた方が、ゴウン様も喜ぶということは知っているからだ。
遠慮なく菓子を食べ進める。とても甘くて美味しいがやはりナザリックで作られるお菓子の方がより、いや比べ物にならないほど美味い。素直にそう思ったのでそのままの感想を述べる。
「確かに美味しいですけど、ナザリックのお菓子とは比べ物にはならないですね。なんていうか上品な味わいが全くないんだと思います。今日食べれるお菓子楽しみにしてたのにまさかこれで終わりじゃないですよね?!」
「ふふふ、安心しろ。ちゃんと
「すごーい! さすがゴウン様太っ腹ー!」
全てを持つアンデッドの王と、何も持っていない人間の女。これほど共通点のない二人は珍しいだろう。
私にとっての御方は、命の恩人であり、住む国の王であり、信仰する神であり、信頼できるアンデッドであり、大好きな年上のおじさんである。
そんな御方と自分がこれまで交流を繋げていられる理由は、私の一つの特技が関係しているのであろう。
私が人間の身でありながら小さい頃から姉に忠誠を誓うゴブリン達に囲まれて過ごしたことでできた特技なのか、生まれ持ったタレントなのかは分からないが、相手の心の奥で思っていることを読むことに長けていた。
姉に忠誠を誓いながら、姉以外を信じないゴブリン達。そしてゴブリンを家族と受け入れながら、その忠誠ゆえにゴブリンの言うことを信じられない姉。そんな歪な彼らの関係を橋渡しする中、心の中で黙っている彼らの表情を見続けていたことによってできた特技だと私は思っている。
例えばゴウン様は、親しみを持って「アインズ様」と呼ぶよりも、「ゴウン様」と呼ばれる方が内心喜んでいると感じられる。なぜ喜んでいるのかは分からないが、どこか懐かしさを帯びた嬉しさを感じられる。
その後、結婚した姉とンフィー義兄さんの話やハムスケさんとデスナイトが別れた話、私の今の仕事であるナザリック教の報告などを行った。それらの近況報告や世間話も終わり、一息つく。気づけばいい時間が経っていた。しかし今日ナザリックに来た用件はまだ終わっていない。だが、ついにゴウン様がその件について切り出した。
「……さて、魔導国国民のナザリック教の布教率が過半数を超えたことを評価して、神官長ネム・エモットに望む褒賞を与える件についてだが……、私は別に構わないのだが、本当にいいんだな? 人間として生きることをやめることを意味するのだぞ」
「ええ、構いません。私が望んだことです」
およそ10年前、姉の推薦で入った魔導国の教育機関。そこで好成績を収めていた私は一般には公表されていない部分の研究結果も知ることができた。その時に学んだことが各地の宗教の歴史であり、そこで知った一つの事実というものが「一般に神官の使う魔法とは、信仰相手が存在しなくとも、たとえ信仰対象が作られたものであっても発動することができる」ことであり、神と魔法の因果関係についてであった。
神官の魔法に必要なのは信仰対象からの恩恵ではなく、その深い信仰心と、世界が持つ力を借りる道である。信仰心が強く純粋であるほど、神官が使う魔法は強くなることを知った。
その頃の魔導国の政策は、各地の信仰や神殿関係との直接的な衝突を避けるために、宗教の自由が認められ様々な宗教が乱立していた。
しかし、それゆえに様々な種族の間でアンデッドを労働力として使うことに抵抗感があり表には出さずともアンデッドを拒否する感情から、労働力として使うことを拒否する集団も多くありそれゆえに貧富の差が広がりつつあった。
そんなある日、姉に連れられて見に行った魔導国に住む多種多様な種族間の長達の会議を見学した時は思わず憤りを感じた。彼らは自分達からこの国に来た身でありながら、己を変えようとせず物事の全ての責任を魔導国に押し付けていたからだ。
宗教とはその種が持つ環境と生活から生まれる自分を肯定する手段であり、種を安定的に存続させるためのツールだというのが当時の私の持論であった。
例えば同じ種でも、同種を奴隷として扱うのが是か非か違うのは宗教が原因と考えられる。ある宗教では『造物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、その下に被造物の動物、その下に万物を創られた。人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食してもよい。奴隷は家畜と同格だから、人間のためすべてを捧げるのは当然』といった具合である。
これらは狩猟、牧畜、遊牧の民といった、動物を殺し食することを生業とする民族に見られ、農耕を生業とする民族には受け入れられなかった。
つまり、環境が違えば考え方は変わり、逆に言えば違う環境に住むのならば自然と考え方も変えなければいけないということだ。
そんな考えをしていた私にとって、目の前で行われた会議という名の遠回しな罵り合いは聞いていられないものだった。直接言っていなくても、私にとって彼らの言は魔導王への不平不満でしかなかったのだ。なぜ私の恩人が、何の非もないのに憎まれないといけないのか。自分を助けてくれた大好きな王が否定されるのを我慢できなかったのだ。
それからの行動は早かった。彼らが魔導国で不和を広げる理由はそれぞれの価値観や身に染みた常識の違いゆえだと仮定して何が出来るか考えた。魔導国の教育期間で学んだことを生かしアンデッドが支配する国という環境を受け入れるための理屈や理論に基づいた、アインズ・ウール・ゴウン魔導王を神として信仰する宗教を立ち上げることを提案し、任されてから早10年。
今やナザリック教は知らない者がいないほど広まり一つの宗教として根を下ろすことに成功したのだ。
魔導国の方針として信仰の自由を保障される中、他宗教の妨害や様々な策略にも負けずにナザリックの支援なしで広めた功績を称え、魔導王直々に恩賞を与えくださることになった。そして今日、その恩賞を貰うためにナザリック地下大墳墓まで来たのだ。
ゴウン様が空間に手を伸ばし、そこから一つのアイテムを取り出して机に置く。それは
魔導王に申し出た願いは一つ、それは「魔導王に
アンデッドを神と信仰する宗教の教祖がアンデッドへの転生を願わないことは様々な意見が出ているが、かつて魔導王に教えを請い独学でアンデッドへと成ったものの、生者への憎しみを抑えられない怪物となり退治されたフールーダ魔導師の事例を鑑みて、魔導王に相談をした上で危険度の少ないと思われる
「この〈昇天の羽〉を使用すれば、異形種として永遠の命を得ることができる。もちろん分かっているとは思うが、それは友と、家族と、人間と違う時を生きることを選ぶことを意味する。ネム・エモットよ、再度確認するが本当にその覚悟があっての上での申し出なんだな」
骸骨に灯る赤い目がこちらを射抜くようにじっと見つめてくる。果てしない時を過ごしたアンデッドならではの助言か、それとも魔導王自身の経験からか。
ネム・エモットは眼を閉じて人としての生を振り返っていく。しかし思い起こされたのは常にゴウン様に助けられ、見守られてきた日々であった。そしていつも皆の期待に応え楽しげに語りながらも、心の内で常に寂しがるアンデッドの姿であった。
かつて王国軍の手によってカルネ村に火矢が射られ、村全体が真っ向から王国と敵対することを決めた時。姉が「恩義を返す」と言ったのを覚えている。しかしその時疑問に思った。悠久の時を生きる、人とは違う時を過ごしているアンデッドにとってそれは「恩義を返された」ことになるのだろうか?
あの日命を救われてからずっと。支えられて何度も助けられた。そしてその度にこの御方に何を返せるのだろうかと考えてきた。しかしこれまで、アンデッドである魔導王に人間である私の人生で何かを返せたと胸を張って言うことはできなかった。
いつからか、あの御方は恩人であり、憧れであり、永遠の目標になった。そしてそれこそが目的となっていた。命の、人生の恩人にとって、ただの一人の人間として終わることは嫌だった。恩義を返した者として見られたかった。
そしてこれが私の答えだ。
「はい、覚悟の上です。これが私の
覇王の妹ってどんな将来になるんだろうか…からの妄想
意味はないけど古田さんには尊い犠牲になってもらいました
ネムのこれがタレントだとするなら名前は…〈感情理解〉?
タイトル考えるのが一番時間かかった…マジ思いつかん
感想、評価、共に励みになります。誤字脱字報告あれば直します。
読んでくれてありがとう!