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「未来」は時代遅れ 始まりは“当たり前”を疑うことから 編集者・若林恵

昨年末、惜しまれながらも休刊となった『WIRED』(コンデナスト・ジャパン発行)は、ビジネス、インターネット、ジャーナリズム、カルチャーなど横断的に扱い、他誌とは一線を画す独自の編集方針によって、とりわけ社会の変化に敏感な層やメディア関係者をも魅了した雑誌でした。

「未来がどうなるのか」を掲げ、最先端のテクノロジーやサイエンス、スタートアップの動向を紹介する一方、「死」「言葉」「アイデンティティー」などを特集。テクノロジーという領域にとどまらず、思想・哲学・ポップカルチャーなどのさまざまな世界への扉を開くきっかけを与えてきた『WIRED』。

この雑誌の根幹を担い、6年にわたり日本版編集長を務めたのが、編集者の若林恵さん(1995年第一文学部卒業)です。常に社会の“最前線”を提示し続けてきた若林さん。しかしその彼が、この間の思索の軌跡を集成した初の著書につけたのは、『さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010-2017』(岩波書店)というタイトルでした。

いったい彼は、どんな視点で「今」を、そして「未来」を見つめているのでしょうか。「未来は時代遅れ」「SNSは前哨戦」「世の中に中指を立てろ」と言う彼の思考の断片を、一緒にのぞきにいきましょう。

若林さんは、6年にわたり『WIRED』日本版の編集長として、最先端テクノロジーを通して世界を見てきました。そんな若林さんの初の著書に『さよなら未来』という名前がつけられたのはとても印象的でした。なぜこのようなタイトルをつけたのでしょうか?

若林
『WIRED』の仕事をやり始めてしばらくたって、まず気付いたのは「科学技術によって輝く未来」っていうコンセプトって、とってもアメリカ的なものだし、20世紀的なものなんだな、ってことでして、それってある特殊な時代の特殊な文化背景の産物なんだと思うようになったんですよね。
若林恵著『さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010-2017』(岩波書店)
直線で流れる時間軸の上にイノベーションによる進化が起きて、それによって人類が輝かしい未来へと到達するというそういう考え方って、なんとなくそれがずっと当たり前のものとしてあるように思えるんですが、実際のところ、近代以前はそうではなかったわけですし、この先ずっとその考えが永続するものでもないと思うんですよね。

っていうか、すでに、そこで言われてた「未来」っていう考え方が、すでに時代遅れになってる感じがするんですよ。

「未来」は時代遅れ、ですか…。

若林
うん。なんかもう今更「空飛ぶクルマ」とか言われても大してワクワクしないじゃないですか(笑)。で、最近気付いたんですけど、この間一般化した「サスティナビリティ(※持続可能性)」って考え方があるじゃないですか。

その言葉自体、ずっとさして好きでもなかったんですが、その考えの中にあるのは、やっぱりさっき言ったような「右肩上がりの直線の先にある未来」の否定なんですよね。何かがサスティナブルであるといったときの時間の取り方って、直線というよりは、どっちかというと「円」じゃないですか。

土に還るように“ゼロへと戻ること”だったり、“リスタートすること”がイメージされるわけなので、そこでは、もうすでに、直線の先にゴールがあるような「未来」っていうものが失効し始めているんですよね。

たしかに持続可能なモデルには、“循環”というイメージがありますね。

若林
これまでだって「いつか輝かしい未来が来る」と言われていたはずなのに、結局そんな未来、来ないじゃないですか。「未来」というコンセプトは、特殊な時代の特殊な発想だったんです。

だから、まずはそこから脱却しないと、本当の意味で「これから」のことを考えるのは難しいんじゃないかな、と思ったりしまして。その思いの表れとして『さよなら未来』ってタイトルをつけてみたんですけどね。

ただ、テクノロジーの世界に限って言えば、これまでさまざまなイノベーションが生まれ、われわれの生活をより便利なものへと変えていきました。

若林
確かにテクノロジーは生活をより便利にはしてくれたし、これからも便利にしてはくれるんだと思うんですけど。でも、テクノロジーの面白さやその本質的な価値って、たぶんそこじゃないんですよね。

新しいテクノロジーが出てくると何が起きるかっていうと、それまでは当たり前だと思っていたことが、必ずしも未来永劫当たり前であり続けるわけじゃないことがわかるっていうことだったりするんですよ。それによってあらためて、「問い」が生まれるというか。

わかりやすい例でいうとAIの登場と、その一般化が始まるに連れて、結局「人って何なんだ?」とか、「人はなぜ働くのか?」なんて問いが、リアルな問題として出てくるんですよね。で、その問いに従って、もう一度人間ってのはこういうもんだとか、社会とはこういうもんだとか、っていうことをいちいち定義し直さないといけなくなるんですよね。

テクノロジーっていうものは、恐らくそうやって次の時代の人間や社会を形作っていくものなんだと思うんです。

「テクノロジーが人間を形作る」とは?

若林
20世紀に活躍したメディア批評家のマーシャル・マクルーハンという人は、「“We shape our tools and, thereafter, our tools shape us.”(人は道具を形作り、そののちに、道具は私たちを形作る」(『メディア論―人間の拡張の諸相』みすず書房)と言うわけなんですが、テクノロジーというものが、僕らが生きている現状に対する一種の批判となって、その批判を修正していく中で、僕ら自身が、その新しいテクノロジーに適応していく、みたいなことが起きるってことなんだと、僕は理解してるんです。
マーシャル・マクルーハン著『メディア論―人間の拡張の諸相』(みすず書房)
だから、僕らは、まず、今新しく出てきているテクノロジーが、今まであった現状、今まで僕らを規定していた「当たり前」に対して、どのような批判を投げ掛けているのかを、考えた方がいいと思うんですね。それをせずにやみくもにテクノロジーを導入しても、結局それまであった問題や課題が、その新しいテクノロジーの使い道の中で温存されちゃうような気もするんですよね。

けれども、特に日本の企業はテクノロジーへの信仰があまりに強すぎて、テクノロジーを更新すれば自動的に、それまであった問題は解決されると信じ過ぎちゃってるように見えるんですよね。本来的にイノベーションとかって言われるものは、現状を疑う視点がなければ生まれ出てこないものだと思うんですけど、ただ技術をどんどん上書きしていくような日本のテクノロジーの在り方には、そもそも、その感じがないんですよね。
SNSによって「世界が変わる」 本当の意味とは?

例えば、若林さんが「世界を変えた」と思うテクノロジーにはどのようなものがあるのでしょうか?

若林
自分はほとんどやらないんですけど、SNSひとつとっても、やっぱり影響は大きいと思いますよ。でも、そのポテンシャルが本格的に花開くとすれば、それはむしろこれからなんじゃないかって気もするんですよね。これまではまだなんとなく試運転の段階だったように思えなくもないです。

FacebookやTwitter、Instagramなどの普及だけではなく?

若林
「いいね!」をたくさん獲得する、フォロワーが何人いる、あるいはインフルエンサーのような個人が台頭してくるといった話は、いわばこれから起きる本格的な変革の、前哨戦に過ぎないかもしれません。

それが表層的なコミュニケーション・インフラであるところから、行政や、例えば銀行といった、より社会の根幹に関わるインフラのなかに導入されていくようなことが、恐らく今後、かなり大胆に行われていくように思うんです。

行政、医療、金融、そういった社会制度上の核心の部分がデジタル化していくと、世の中は随分と変わっていくように思いますし、すでに現状において目に見えてる問題に対処しようと思ったら、デジタル化しないと対応できないといったことになるようにも思うんです。

具体的には、どのような変化が引き起こされるのでしょうか?

若林
いわゆる「フィンテック(※ITを利用した金融サービス)」って、僕はずっと甘く見てたんですが(笑)、海外を見てみると、まず銀行が大きく姿を変えていってたりするんですね。ドイツでは「N26」というデジタルバンクが2013年の設立からわずか5年で急成長を遂げていたり、エストニアでも「LHV」という銀行がやはり伸びています。

彼らは「ニュー・ジェネレーション・バンク」なんて呼ばれていたりするんですが、基本店舗は持たず、あらゆるサービスがアプリ上で完結するというもので、個人や個人事業主にとって圧倒的に使い勝手のいいものになってるそうなんですね。

聞いたところによると、N26では、クレジットカードを作ることもできるのですが、例えばそのカードを紛失した場合、ユーザー自身の権限でクレジットカードを止めることができたりするというんですね。

インターネットが一般化し始めた当初から、これからは「企業」に変わって「個人」が社会を動かしていくことになる、なんてことは言われていたんですが、金融サービスが「個人化」していくことによって、その動きは本当に大きく加速していくんだと思うんですよね。で、その流れは、労働人口がどんどん流動化している状況や、企業がどんどん社員を正規雇用できなくなっている状況とも合致しているわけです。

ビジネスモデルも大きく変わっていきそうですね。

若林
まさにその通りなんです。企業よりも個人の権限をより優位に置くという意味では、EUにおいて今年の5月に施行された「一般データ保護規則(GDPR)」は、その表現として極めて重要なものだと、個人的には思ってます。

これまで企業、特にgoogleやFacebookなどの巨大IT企業は、個人のデータを好きなだけ吸い上げ、それを資源として巨万の富と築き上げてきたわけですが、GDPRという規則によって、企業は、あらゆるユーザーに対してデータ収集を行っていることを知らせ、どのようなデータを集めているのかを明示し、ユーザーの許諾を得ることが求められることになりました。
インターネットの普及で台頭したターゲット広告(※サイト閲覧履歴などに基づいてユーザーにとって最適な広告を配信するシステム)のビジネスモデルは、これによってかなり大きな足枷(あしかせ)をはめられることになっていくと思いますし、それに従って別のビジネスモデルの開発が必要になってくると思うんです。

こうした法整備も踏まえて、ここから先は、これまでとは違うやり方で、どうインターネット空間が運営されるべきなのか、いろんな議論が出てくることになると思うんですね。SNSも、本来は、それがマスメディアとは違う特質を持っていたから期待されていたわけですが、いつの間にか、マスメディアのビジネスモデルとマインドセットで運用されるようになっちゃってたんだと思うんです。なので、本来のソーシャルメディアの価値を、今一度見直そうといった議論も出てきてます。

SNSを起点にさまざまな情報がネット上でひもづくことで、現実も大きく変わっていくんですね。

若林
今後、ITが現在よりもさらに社会の深いところに入っていくことになると思いますし、そこにAIやロボティクスがどんどん普及していくことになると、一つ大きな問題として出てくるのは雇用っていう問題だと思うんです。すでにあちこちで「ベーシック・インカム」に関する議論なんかも出てきてますが、その前提としてあるのも、雇用の問題ですよね。

ITってそもそもあらゆることをいろんなレイヤーにおいて効率化していくのが得意なものなので、それが広まれば広まっただけ雇用を生まなくなるものじゃないですか。なので、どうするんだろうなあ、と漠然と気にしてはいたんですが、2016年のアメリカ大統領選挙でヒラリー・クリントンが、テクノロジーとイノベーションに関するアジェンダというのを発表していて、それが面白かったんですよね。

ヒラリーはITを今後のアメリカ経済の真ん中に置くとうたっていたんですが、それとセットで「スモールビジネス」の振興をうたってたんですね。で、その根拠として、ローカルなスモールビジネスがすでにアメリカの新規雇用の、確か60%くらいを生み出している、ということを言っていました。
スターバックスのようなグローバル企業って、そのビジネスモデルを維持しようと思ったら、もうどんどんサービスを効率化して、人を減らしていかざるを得なくなっているはずなんです。日本を見ても、大企業ですら、今までのような雇用はもはや支えられない。という中で、ヒラリーが提示したのは、スタバのようなグローバルチェーンを大きくしていくよりも、少なくとも雇用という観点においては、ローカルなインディペンデントなコーヒー屋さんを増やした方が良い、という話なんだと思うんです。で、実際もうニューヨークではすでに、インディペンデントなコーヒー屋さんのほうが、チェーン店の数より多いと言うんです。

そうした流れでいうと、アメリカでは全労働人口の3割がすでにフリーランサーだなんていう話もあります。この流れはどんどん加速していって、10年後にはフリーランサーの割合は全体の5割を超えると見られていて、1980年代から2000年頃に生まれたミレニアル世代に限っていうと、今の時点で、すでに5割以上の人が何らかの形でフリーランサー的な仕事に関わったことがあると言うんですね。で、その傾向は日本でも、比率はどうあれ、同じだと思うんです。
そうやって考えてみると、日本の社会って、やっぱり「サラリーマン」っていうものに最適化された社会なんですね。企業が個々の会社員の税金や保険の面倒を全部見てくれて、金融機関も主要な取引相手が、何よりもまずは企業だったと。実際、個人事業主やスタートアップに対する扱いなんてひどいものなわけです。でも、企業が雇用を支えられなくなって、世の中にフリーランサーがどんどん増えていったとしたら、需要はむしろそっちに大きく動いていくわけですが、現状の仕組みでは、その事態に全く対応できないと思うんです。

一方の行政だって、フリーランサーが増えたら、今の徴税の仕組みではとても追い付かないような気もするんですよね。そういう意味で、そういう動態に合わせた新世代銀行のようなものは絶対に必要になってくるし、行政も人員を増やせない中で、どういった形で効率化を実現していくのか、ということは急務であるはずなんです。

ほとんどあらゆる行政サービスをデジタル化したエストニアの動向に注目が集まっているのには、そういう背景があるんですよね。エストニアでは、すでにオンライン経由でわずか20分で完了する確定申告のシステムが組まれているし、銀行や保険会社なども、それに対応するかたちアップデートが進んでるわけです。新しいフィンテック周辺のサービスも基本的には、こうした大きな流れに対応するものとして活発に展開されていて、彼らは、マイクロアントレプレナーという言い方でユーザーを定義してたりするんです。つまるところ、個人事業主です。

コンシューマー・ファイナンスという言葉は、日本語にすると「消費者金融」という名称になってしまうのですが、ここで言われている「コンシューマー」は、単に「消費主体」としての個人ということではなく、「ビジネス主体」としての個人ということなんです。

「今の価値観に中指を立てろ」 オルタナティブな思考が未来を変える

まさに、新たなテクノロジーが社会を変え、それに伴った問題が生まれようとしているんですね。しかし、日本ではまだ、そのような危機感はあまり語られません…。

若林
どうなんでしょうね。危機感はあるとは思うんですけど、これまでやってきたように国主導で産業促進して、それでもって雇用を増やして、みたいなやり方では通用しないってことを飲み込むことができてないって感じがしますね。非正規雇用の問題っていうのを、「なぜ企業はもっと人を雇わないのか」って問い詰めてたぶんもうどうしようもないんだと思うんですよ。

IT化していく社会って、これまでの大量生産・大量消費でやってきた社会とは全く違うもので、経済モデルも全然違うので、かつてのように企業が大量の人員を雇って、しかもその全員を一生食わしていくなんてことは、もはやできないように思うんです。その上、ITによってより多様な働き方が可能になったりもするので、選択的に非正規であることを望む人も増えていくと思うんです。企業のダウンサイジングによって雇用を解かれていく人は今後増えてくるでしょうし、同時に、一つのクライアントに自分の生活の全部を預けてしまうことに、より大きなリスクを感じる人も出てくるし、となっていくと、恐らく手だてとしては、そうした人たちが、個人として生きていくためのハードルをいかに低くできるのか、ということはとても重要だと思うんです。

この3月に北欧のフィンテック企業なんかをざっと視察して回ったんですが、会計アプリのなかにマイクロレンディング、つまり少額の融資を行える機能を入れようとか、そういう話が結構あって、要は、なりたくてなった人も、本当はなりたくなくて仕方なくそうなってしまった人も含めた個人事業主に対する一種のセーフティーネットのような役割を果たすものとして機能しようとしているように見えたんですね。

実際、フリーランサーってキャッシュフローが不安定で、アメリカでは60%あまりのフリーランサーが月に1回は、自分の貯金に手を付けているなんていう統計もあったりして、そういう人たちに対する融資を少額でこまめに行うことがサービスとして今後増えていくはずなんですが、こういうサービスができるようになるっていうのは、デジタルテクノロジーの恩恵なんですよね。
でも、そんなものをいちいち窓口でやってたら、借りる方もしんどいし、貸す方も対応できないわけですよ。こないだ、銀行窓口で自分のある口座から別の口座にちょっとしたお金を動かそうとしただけなのに、待ち時間を含めて1時間近い時間を取られて、あまりにイラついたので、若い行員に「この支店で、1日に何人対応できんの?」って聞いたら「せいぜい100人ですかね」って。

わずか100人ばかりの対応能力では、新たな需要への対応は難しいですね。

若林
その行員には何の罪もないですが、素朴に「何だそれ。もっと効率化できるだろ」って思いますよね。だいたい営業時間が9時〜15時までというのも、よくわからないじゃないですか。定時で働いてる人は誰も行けないって、どういう設定なんだかよくわからんですよ。

で、こういう状況って、ユーザーからしてみると本当に腹立たしい状況ではあるんですが、ビジネスする側の視点から見れば、逆に大きなチャンスがそこにはあるってことでもあるとは思うんです。実際、大きな需要は、そこにあるわけですから。エストニアのLHVのような「ネクストジェネレーションバンク」って、「銀行には、むしろこれから大きなチャンスがある」って考えてリーマンショックの直後に設立されているんですよね。

テクノロジーの変化を見据え、これからの社会を論理的に考えている若林さんのお話にはとても説得力があります。ところで、若林さんはどんな学生時代を送られていたんでしょうか?

若林
単位のために授業には出てましたが、正直あまり大学にはなじめなかったですかね。早稲田まで出ても、レコード屋さんに行ったり、古本屋に行って、そのまま帰るって感じでしたね。大学は全然好きじゃなかったです。

(笑)。『WIRED』の独自の視点や、その根幹となる若林さんの反骨精神は、すでに大学時代から培われていたんですね。

若林
反骨ってほど、いいもんじゃないです。ただなじめなかっただけなんで。友だちもあんましできなかったし。でも、本屋やレコード屋でひとりで過ごすのはそんなに苦でもなくて、中学校時代にアメリカで日本人学校に通っていたんですが、結構遠くからスクールバスで通ってたんで、近所に学校の友だちもあまり住んでなくて、放課後も週末も、友だちと遊ぶというよりは、近所のレコード屋であれこれ長時間物色して過ごしてたんですよ。

“当たり前”を疑う視点も、もうその頃から?

若林
うーん。どうでしょうね。子どもの頃から癇癪(かんしゃく)持ちで、気に入らないことがあると泣きわめくということはやってたようで(苦笑)、なので気に入らないことがあると生理的に反応するっていう感じはあるのかもしれないです。自分では物事を信じやすい、わりと純朴な人間だと思ってはいるんですけどねえ(笑)。ただ、いろんなことに腹を立てたり、「クソだな、これ」と思ったりするのは大事なことだと思うので。「何かおかしくない?」って思うところから、自然と「他にありようはないのか?」って考えるようになったりはすると思うので。

「クソだ」と感じることが、新たな選択肢を探す原動力となる?

若林
恐らく今の世の中や、自分の人生が最高だなんて思っている人の方が少ないですよね? 「なんか違うなあ」っていう気持ちは大事だと思うんです。今の当たり前は、過去には当たり前じゃなかったかもしれないし、今後ずっと当たり前でなくてもいいわけなので。

学生のときなんて、「これはクソだな」ってひたすら世の中に中指を立ててるくらいがちょうどいいような気もするんですけどね。あんまし現状を全部追認しちゃったら、世の中変わっていかないですから。とはいえ、中指立てたからって、それですぐに世の中が変わるなんてことはなくて、大事なのは、何かを変えられるチャンスがいつかどこかで巡ってきたときに、何を実行できるかどうかってことだと思うんです。

社会に出ると、いつの間にか、自分が「こりゃクソだわ」って思ってたようなオトナになっちゃってたりするなんてことも往々にしてあると思うので、10年後、20年後、あるいはもっと先のそれまで、かつて自分が立ててた中指をちゃんと守っておけるのかっていうのが、本当の勝負どころかな、と思うんです。
プロフィール
若林恵(わかばやし・けい)
1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』(岩波書店・2018年4月刊行)。

黒鳥社
https://blkswn.tokyo/#blkswn

「さよなら未来」特設サイト
https://sayonaramirai.com/

取材・文:萩原 雄太
1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。
http://www.kamomemachine.com/
撮影:加藤 甫
編集:横田大(Camp)


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