30歳で「ドリフ大爆笑」担当に 連続ボツで胃が痛み

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(2)

 1980年代のテレビは70年代後半から続く漫才ブームが華やかでした。当時、コントの世界では欽ちゃんこと萩本欽一さんが活躍し、ザ・ドリフターズがお笑い番組を席巻。ドリフは土曜夜の「8時だョ!全員集合」(TBS)と月1回の「ドリフ大爆笑」(フジテレビ)でお茶の間をにぎわせていました。

 「全員集合」と言えば、加藤茶さんがストリッパーの格好をして「ちょっとだけよ。あんたも好きねえ」と誘うギャグ。下品だとPTAに目を付けられましたが、子どもたちには人気でした。志村けんさんは「東村山音頭」が大ヒット。2人は「ヒゲダンス」でも話題になり、子どもたちのアイドルでした。

 「ドリフ大爆笑」のオープニングは「♪ド、ド、ドリフの大爆笑♪」。いかりや長介さんやメンバーが踊りながら歌っていたのを覚えている方も多いのではないでしょうか。

 この番組の「もしものコーナー」のコント台本を仲間とともに担当することになりました。デビューから3年目、30歳の私にとっては大役です。

 本番2カ月前から始まる週1回の打ち合わせ。これがつらかった。

 フジテレビにドリフのメンバーと放送作家が集まります。番組のコントは放送作家が作り、5人が演じます。私たちがこしらえたコントが一つ一つチェックされ、採用するかどうかが決まります。「つまんねーな」と、長さん(いかりやさんの愛称)の一言でボツになったコントも数知れずです。ああ胃が痛い。

 2年前に放送作家としてデビューした私は順調にキャリアを積んでいました。そこでドリフ。はたから見れば人もうらやむエリート街道。でも苦しみました。胃薬が必要なぐらいに。

 もしかしたら、故郷佐世保で暮らす父も母も「ドリフ」の台本を書いている私に「ようやっとるばい。自慢の息子ったい」と喜び、エンディングのロールに流れる「海老原靖芳」の名前を見て涙したかもしれません。「やー坊にもっとおまけするんだった」と近所の駄菓子屋さんに思わせたかもしれません。初恋の女性も「あの靖芳君の名前が出てる。お付き合いしとけばよかったわ」って悔やんだかもしれません(それはないか)。

 そういえば今もよく覚えているネタがあります。長さんが演じていました。どんなネタか。それは次回、お伝えします。
 ちょっとだけよ~。 (聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………
 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年06月18日時点のものです

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