2011年の公文書管理法施行を受け、厚労省は戦没者等援護関係資料を国立公文書館に順次移管している。軍人軍属死没者原簿、開拓団在籍名簿、引揚者在外事実調査票など延べ2千万人の記録で、今回発見された731部隊について1950年作成の公文書も、こうした移管文書の中に含まれていた。公文書のずさんな管理が「桜を見る会」問題で問われている今、歴史を検証可能にする仕組みが求められている。
発見された厚生省作成「関東軍防疫給水部」資料は、謎に包まれている特異な731部隊の戦後処理について、新たな光を当てるものだ。
731部隊は研究所を旧満州のハルビン近郊に置き、ペスト菌や炭疽(たんそ)菌、感染症などの生物兵器研究で人体実験をしたとされるが、部隊長で京都帝大医学部出身の石井四郎軍医中将や研究の中核を担った軍医、医学者らは戦犯訴追されなかった。占領期に米国は細菌戦研究のデータを米国側に渡せば戦犯訴追を免責し資金提供する取引をしたことが、機密開示された米側資料などで明らかになっている。
石井部隊長の敗戦前後の日記をジャーナリストの青木冨貴子さんが発掘しているほか、元731部隊員の戦後証言も複数あり、撤退の日付や部隊行動を詳述した今回の資料と付き合わせれば、戦後の隠ぺい工作の経緯や、中国やソ連の動きがさらに解明される可能性がある。
<林口支部 部隊長榊原少佐 戦斗後約八〇名を以て横道河子に到着し…ハルビンに後退した杏樹陸病に入り勤務した>
今回発見資料中の「関東軍防疫給水部行動経過概況図」に記載があり、敗戦後ソ連の命令で病院勤務したことが分かる。榊原少佐は中国で戦犯となり炭疽菌を使った人体実験で死亡させたと供述し、帰国後は国立鳥取診療所などに勤務した人物。抑留史の資料としても貴重だ。
731部隊本部の任務についてこの公文書は「細菌の研究と生産」を、部隊への防疫給水と別のものとして挙げ、<哈爾浜(ハルビン)本部は秘密部隊で外部との出入を極度に制限していた。本部直属として航空機五~七機を所持していた>などと記載している。
〈現在戦犯として刑期の判明している者 22名〉といった記載、大連支部の欄に細菌やペストといった記載があるほか、合同検討会を開いてこの資料が作成されたことが分かる。ただ、略語や参照すべきとされている文書がない部分もあり、元になった詳しい部隊関係者への聞き取り資料の存在がうかがえる。
資料を発見した西山勝夫滋賀医科大名誉教授は、これまでも731部隊など防疫給水部隊の「留守名簿」開示を国立公文書館に請求、軍医52人、技師49人など、終戦時の氏名や部隊構成を明らかにしてきた。西山名誉教授は「医学界や大学がなぜ731部隊の研究に関与し、戦後も731部隊を検証も自省もしようとしてこなかったのか。埋もれた資料はまだまだ存在する可能性がある」と話す。今回の資料は、近く「戦争と医学研究所」のホームページで公開する予定。
「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」は8日午後1時から、京都大法経第11教室(京都市左京区)で京大と731部隊についてシンポジウムを開き、西山名誉教授が発見された731部隊新資料についても報告する。無料。