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発掘ニュース

No.085

2015.12.11

スポーツ

『リンゴ事件』?!伝説の早慶戦フィルムが!

先週に続いて“スポーツの歴史”を語る映像をご紹介します!
前回の最後にご覧いただいた、こちらの映像…

「W」が描かれた応援旗、そう!早稲田大学の観客席です。ではこちらは…

フェンスに掲げられた「K・E・I・O」の文字、1塁側に詰めかけた慶応義塾大学の応援団。もうお分かりですね!早慶戦の映像です。グラウンドやユニホームを見ても分かる通り野球の試合。ではいつの??

冒頭にこんな画面が…昭和8年10月22日。

今から82年前!先週のラグビー日本代表の映像の更に1年前、東京六大学野球が絶大な人気を誇っていた頃の映像です。それだけでも貴重なのですが、この日の試合は数ある早慶戦のなかでも特別な意味を持った一戦でした。

知る人ぞ知る『リンゴ事件』が起きた試合なのです!

『リンゴ事件』とは、グラウンドに投げ込まれた1個のリンゴが、数万の大観衆を騒ぎに巻き込んだ事件です。

―――その日、白熱した大接戦を繰り広げていた早稲田と慶応の両チーム。
8回を終わって8-7と早稲田が1点をリードしていました。

緊迫した9回の表。慶応の水原茂選手(のちにプロ野球・巨人に入団し選手・監督として活躍)が3塁の守備についた時、突然、早稲田の応援スタンドから食べかけのリンゴが投げ込まれました。

リンゴを水原選手がひろってスタンドに投げ返すと応援席は騒然となりました。試合は続行されたのですが、9回の裏、慶応が逆転して幕となったらさあ大変!球場は大混乱に!

球場だけでなく、その夜の銀座でも両校の学生たちが衝突して大騒動になったといいます。

以降、東京六大学野球の早慶戦だけは、一塁側が早稲田、三塁側が慶応と、応援席もチームのベンチも固定されるようになったといわれています。(普通は先攻が3塁側、後攻が1塁側です。)

冒頭の写真を見ると一塁側が慶応、三塁側が早稲田となっていて、固定される前の貴重な映像であることが分かります。

この事件を取り上げたNHKの番組がありました!
『スポットライト』というユニークな歴史番組です。教科書などでは語られない出来事にスポットを当て、フランキー堺さんや赤塚不二夫さんなど個性的な皆さんが代々司会をつとめました。残念ながら、その回の映像は残っていませんが、台本が保存されていました!

1972(昭和47)年放送、タイトルは「折れた指揮棒」。指揮棒とは応援団のシンボルでもある大切なもので、リンゴ事件の騒動の中で何者かに奪われてしまいました。その行方を探るとともに『リンゴ事件』の真相に迫るというのが、この番組でした。

台本には、スタジオ出演した水原茂さんのコメントも!司会のフランキー堺さんの質問に答えて当時を振り返っています。

さて、今回発掘されたフィルムに戻りましょう。残された映像をよく見てみると…
応援席の騒動やリンゴが投げ入れられた場面は残っていませんが、こちら!

当時始まったばかりの「人文字」(マモレという文字が浮かび上がっていますね!)が記録されていたり…

この日の試合である証拠ともなるスコアボードが映っています。小さくて見えませんが、拡大してみると…

見えました!東京六大学野球連盟に確認した、当時の公式スコアはこちら。

確かに昭和8年10月22日、『リンゴ事件』の試合の映像でした!

フィルムを提供してくださった笹山俊彦さんは、早稲田大学応援部のOBで、学生スポーツの古い映像や史料を集めるのが趣味。

この映像については…
「発掘したフィルムが、日本野球史上に残るあの『リンゴ事件』の試合の映像だったとは!とても驚いています。映像は編集されていて、とても短いですが、初めて中身を見たときは早慶戦にかける両校の学生たちのものすごい熱気を感じました。

この試合を最後に“早稲田は一塁側”“慶応は三塁側”と固定されることになるわけですから、そう思って見返してみるととても感慨深いです。」

フィルムに残されたスポーツの歴史。テレビも無かった時代の空気が映像で味わえるって素晴らしい!そう思える発掘でした。

笹山さん、本当にありがとうございました!

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