女子高生コンクリート詰め殺人事件
テーマ: 昭和時代古田順子さん(ふるた・じゅんこ)さん
(1971年1月18日-1989年1月4日)
埼玉県立八潮南高等学校の学生
女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者。
在学当時の友人の話ではアイドルに憧れていたとの事であり、成績はトップクラスだったという。
人柄も大変よく、たくさんの同級生の女子からも慕われているほどで、彼女の葬式では、TV放映されているにもかかわらず、同級生はわき目も振らずに号泣し、弔辞を読んだ同級生も声を詰まらせての涙ながらのものだった。
家電量販店への就職が内定しており、高校卒業後はそこに就職する予定だった。
1988年11月25日を最後に行方不明となっていたがドラム缶にコンクリ詰めにされて遺棄された順子さんの遺体は、3月29日まで発見されることはありませんでした。
本事件の主犯格や共犯者の供述によって下記の項目の事実が明らかとなり、江東区若洲の埋立地(現在の若洲海浜公園の敷地)でドラム缶にコンクリート詰めにされた遺体として発見された。
発見当初は元の顔がわからないほど原形をとどめていなかったが、司法解剖と指紋鑑定の結果、行方不明になっていた本人のものと一致した。 享年17歳。
また、1989年1月8日に元号が「昭和」から「平成」になったが、「平成」を迎えることなく短い生涯を閉じることとなった。
主犯格は、高校中退後にアルバイトを転々とした後に宮野・湊・渡邉(それぞれ少年A・C・D)とともにヤクザの使い走りとなる
中学時代の知り合いである宮野・小倉(神作)・渡邉(それぞれ少年A(後に横山に改姓)・B(後に神作に改姓)・D)と共に暴力団の下部組織「極青会」を結成する。
極青会での役職は書記であるが名目上の役職でしかなく、先述の三人同様、単なるパシリぐらいにしか扱われていない。
昭和63年11月25日午後8時半頃、女子高生は週2回のプラスチック工場でのアルバイトから、自転車に乗って帰宅する途中でした。
そこに少年C湊伸治が乗ったオートバイが突き当たり、女子高生は悲鳴を上げながら自転車もろとも側溝に落ちました。
女子高生がなんとか立ち上がると、オートバイに乗った少年A横山 裕史が来て「大丈夫ですか?」と声をかけます。
「あいつは札付きの悪だ」「この辺は危ないから、僕が送っていってあげるよ」と、少年A横山 裕史(旧姓は宮野)はゆっくりとバイクを走らせて、少女は自転車を押しながら従いました。
しかしこれは少年A横山 裕史と少年C湊伸治の芝居でした。
途中で少年A横山 裕史は豹変。
女子高生を大きな倉庫に連れ込もうとすると、彼女は叫び声を上げて抵抗しました。
「さっきの奴は俺の仲間だ。
組織がお前を狙っている。
俺の力で命だけは助けるように幹部に頼んでやる。
その代わり、今から俺とホテルに行くんだ」少年A横山 裕史はそう言って少女を脅すと、呼び止めたタクシーに2人で乗り込みました。
ラブホテルに連れ込むと、少年A横山 裕史は柔道で鍛え上げられた力で、少女を強姦。
それまで異性体験もなかった少女は、これですっかり無力感に陥ってしまいます。
少年C湊伸治の部屋に監禁され強姦の日々が続くその後、皆のたまり場になっている少年C湊伸治の部屋に、女子高生は連れ込まれました。
少年B小倉譲と少年D渡邊泰史が加わり、4人でかわるがわる強姦。
少女の着衣をはぎ取り、AがBら3人やE・Fにも裸になれと命じ、これを受けてA・B両名以外の4人は着衣を脱ぎ捨て、E・F・Dの順に少女を強姦した。その際、Aは剃刀を持ち出して少女の陰毛を剃り、更にその陰部にマッチの軸木を挿入して火をつけるなどの凌辱に及び、少女が熱がるのを見て仲間らで面白がるなどした。
交替で女子高生を見張り、監禁します。
昼夜を問わず女子高生をレイプし、女子高生が気を失うと水を頭に浴びせて気を取り戻させ、更にレイプをする、といったことを繰り返していました。
女子高生が監禁された少年C湊伸治の部屋には、十数人にも及ぶ少年たちが出入りし、強姦や性的陵辱を続けました。
単に殴るなどの暴行や強姦をするだけではなく。不良仲間の家に監禁し、暴走族仲間十数人で輪姦、左記を知る関係者は100人に及ぶ。
◆陰毛を剃り、陰部にロケット花火の軸木を挿入して発射させる。
◆全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせ、自慰行為を強要される。
◆性器や肛門に鉄棒、ビンなどを挿入される。
◆性器や肛門に入れたビンに釘を打ち肛門内、性器内で割られた。
◆両鼓膜が激しく傷ついており、最後のほうはほとんど音が聞こえていなかった。
◆小指の生爪を剥がされた。
◆度重なる暴行に耐えかねて、「もう殺して」と哀願することもあった。
◆左乳首はペンチのようなもので潰された。
◆顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てられた。
◆衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲まされた。
◆鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出てた。
◆素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打。
◆1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打。
◆揮発性の高いジッポオイルなどを太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける。
◆固まった血で鼻が詰まり、口呼吸しかできなかった。
◆最初は手で火を消そうとするしぐさをしたものの、 やがてほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横臥したままになった。
◆あまりの地獄に、脳が自ら活動を停止する「自死」という状態だった。
◆臨死状態の被害者をこんなの仮病とばかりに容赦ない殴打を浴びせた挙句に、ダンベルを1メートル以上の高さから腹部に向けて落とす。
◆再現動画や映画と違って逮捕された四人以外からも殴打を受けており、死後も殴られている。
◆実際に被害者が亡くなったとわかったのは上記の後であり、証拠隠滅としてコンクリート詰めにして放置。
◆遺体の乳房には数本の裁縫針が入っていた。
◆監禁中の被害者の様子が撮影された家庭用ビデオテープが被害者がコンクリート詰めにされたドラム缶の中から発見された。
◆監禁された部屋に被害者の遺品となった下着が残っていた。
◆腸壁にも傷があった。
◆歯茎にまともに付いている歯は一本もなかった。
◆あまりのストレスに生前頭髪が抜け落ちていた。
◆遺体の性器には、オロナミンCの瓶が2本突き刺さっていた。
◆性器と肛門、顔面は完全に破壊され原型をとどめていなかった。
◆腕や足は、重度の火傷で体液が漏れ出していた。
◆解剖してみると、シンナーを、吸わされて、脳が萎縮して小さくなっていた。
◆顔にマジックペンでいたずら書きする。
◆真冬のベランダに全裸または半裸で出し放置する。
◆手足にライター用のオイルをかけ火をつける。
◆顔に溶けたろうそくのろうを垂らす。
まぶたの上に短くなったろうそくを立てる。
◆尿を飲ませたり、ゴキブリを食べさせるなど、凌辱と虐待を繰り返しました。
もう、むちゃくちゃですわ!
少年C湊伸治の親が少女の存在に気付く12月2日午後4時頃、少年たちが皆眠ってしまったので、女子高生は1階の居間に降りて110番をします。
大きな声で話すわけにはいかない。
また、自分の居場所もわかっていませんでした。
うまく伝えられないでいると、少年の誰かが降りてくる気配がして、女子高生は受話器を置いて外に飛び出ると駆け出しましたが、追ってきた少年に捕まってしまいます。
家に戻ると、電話が鳴り少年Aがその電話に出ました。
電話は警察からで、女性の声で助けを求める110番があったと告げられると「間違いじゃないですか」「ここには女の人などいませんから」と少年Aが応対し、警察は通話を終えました。
この時に、少年C湊伸治の母親は台所から居間に顔を出し、少女の存在を知ります。
夜になる前に少女を帰すようにと、母親は少年たちに促しましたが、その2日後、4日後にも、彼らは女子高生を帰すことはありませんでした。
少年C湊伸治の母親は、少女がまだ家にいることに気づいていました。
女子高生の持つアドレス帳を見た母親は、彼女の自宅に電話し、帰宅しない娘を心配する彼女の母親と話します。
しかし、「そちらの名前を教えてほしい」と言われて、少年C湊伸治の母親は受話器を置いてしまいました。
その後、少年C湊伸治の母親は「帰るように」と言って、女子高生を玄関から送り出します。
しかし、少年たちは、家の外で待ち伏せをしていて、女子高生を再び捕まえ、夜になるのを待って、外の電柱を伝って少年たちは少年C湊伸治の部屋に戻りました。
少年C湊伸治は「恥をかかせやがって」と、母親に1時間以上にもわたって暴力を振るいました。
それ以降、母親は暴力を恐れ、少女が帰宅したかどうかを確かめることはありませんでした。
少年C湊伸治の部屋では、逃げようとしたということで、女子高生にリンチが加えられました。
ストリップを強要された上、女子高生は脚にオイルを注がれて火を付けられました。
BやCが少女の顔などを拳で何度も殴りつけ、少女の顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」などと言って笑った。
その暴行の場にはAはいなかったが、翌日Cが「あんまり面白いからAにも見てもらおう」などと言い、自慢気にAにEの顔を見せた。
Aはその変わりように驚いたものの、これに触発されたように自らも少女を多数回殴打し、少女の太もも、手などに揮発性の油を注ぎライターで点火し、火が消えると更に同じような行為を繰り返して火傷を負わせた。
この頃、少女は度重なる暴行に耐えかねて「もう殺して」などと哀願することもあった。
少年C湊伸治の両親が休みで家にいる年末年始は、女子高生には水だけしか与えられず、しだいに衰弱していきます。
そして殺害へそして1989年の1月4日、賭け麻雀で大敗し、むしゃくしゃしていた主犯の少年は女子高生を虐待することで鬱憤を晴らそうと考えました。
普段よりも激しく2時間に渡って殴る、蹴る、腹部に1.7キロもある鉄球付きの鉄棒を落とすなどの暴行を加え、殺害。
供述によると、女子高生の苦しむ姿を面白がり、小泉今日子の『なんてったってアイドル』のテープをかけ、曲に合わせて殴るなど、正に「面白半分に」暴力をエスカレートさせていったようです。
その暴力の激しさは、刃物で刺すことはしていないにも関わらず、殴られた時の出血が天井まで飛び散るほど激しいものでした。
1月5日、女子高生が死んでいることを確認した少年たち。
遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固めることを少年A横山裕史が提案し、4人で協力してそれを実行。
江東区若洲の海浜公園の工事現場に遺棄しました。
発見された遺体は、以下のような状態で、犯人たちの暴行の凄惨さを物語っていました。
S45年4月30日生(現在は苗字を変えている)
事件当時18歳。主犯格。
生活を送っていましたが、高校の柔道部でいじめを
受けて挫折し、高校を退学。
暴力団の下部組織を設立し、窃盗や恐喝、婦女暴
行などの犯罪を繰り返すようになりました。
女子高生コンクリート詰め殺人事件で懲役20年の
刑となって服役し、2008年に出所しましたが、
2013年に振り込め詐欺で逮捕。
黙秘を貫いて不起訴処分になりました。
詐欺を行った組織では、首謀者ではなく下っ端の
役割を担っていたと言われています。
少年B小倉譲 事件当時17歳。
親は、三郷在日部落の名主。
このため母親は地元の在日相手に、事件後もス
ナックを経営していた。
被害者少女のお墓を破壊したキチガイ。
神作譲の母親(小倉悦子)が経営するスナックAC
Bアシベ)現在は営業停止
身長約180センチと大柄で、サブリーダー的な存
在。
少年A横山 裕史とは中学時代から先輩、後輩の間
柄でした。
懲役5年以上10年以下の判決を受けて服役し、
1999年に出所しました。
出所したら少しでも(遺族に)償いたいと泣きながら
言っていたが、これは彼の周囲の同情を買うため
の演技であり、実際は出所してもあまり償っておら
ず慰謝料として払うはずのお金をなんと高級住宅
やセルシオの購入に使っていた。
また、かつての不良仲間も口を揃えて
「あいつ、刑務所行っても、全然懲りてねえぞ。」と
呆れ返っていた。
少年犯罪者の更生に力を入れている人物の養子と
なり、苗字を変えましたが、2004年に再犯。
男性に「交際している女性を奪った」と言いがかりを
つけ、また「俺は人を殺したことがあるんだ」などと
脅して監禁し、暴行を加えました。
しかし、当の女性は元少年Bと交際はしておらず、
被害者の男性と面識がないと証言したことから、某
テレビ番組の中で犯罪精神学の専門家は元少年B
を「妄想性人格障害」と分析しました。
検察側は神作被告が、「裁判官の同情をかう方法
はよく知っている」
「アレはマジで楽しかったなあ。」
「サブリーダーとか言ってるが、オレこそ本当の主
犯なんだよ。」
などと脅迫したと主張したが、被告はこれを否認。
「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんで
すけど」と述べるなど、その姿に反省の色はなかっ
た。
再犯で服役していたがH20年12月に仮釈放され
た。
この事実から、再び女性をなぶり殺す危険性が高
い事が分かる。
少年C神作譲 湊伸治(旧姓小倉)の同級生。
事件当時17歳。
生への暴行に使用された鉄棒などの器具が部屋
に存在。
両親は女子高生の存在に気が付いていましたが、
暴力を恐れて踏み込まず、事件は最悪の結果とな
りました。懲役5年以上9年以下の判決を受けて服
役し、既に出所しています。
湊の家族も女子高生監禁に積極的に協力したの
で同罪 •父・湊靖人−共産党系の病院の事務長を
していたが事件後退職。
•母・湊ます子−靖人と同じ病院の看護師をしてい
たが湊靖人と同様退職。
この二匹は懲戒免職ではなく自主退職。
日本共産党の党員であったが、除名でなく自主的
に離党。
「共産党とは一切関係がありません」と発表。
この基地外一家は被害者は創価学会だから死ん
で当然という態度をとっていた(湊一家が自分を
正当化するための真っ赤な嘘、もちろん本当に創
価だとしてもそれで許されると思ってる湊一家の
精神はかなりおかしい)。
•兄・湊恒治−1972年1月21日生。
そして、「監禁という認識がなかった」「少女は帰る
気がなかった」等の湊の母親の自己弁護的記事
を 赤旗によって 1989年5月20日~27日まで
連載コラムでバックアップ。
神作譲(旧姓小倉)の同級生。
湊伸治は、出所後はムエタイ選手としてデビュー
し、綾瀬のタイ料理屋で試合していた。
当然の事ながら味方は少なく、入場するたびに彼
を快く思わない観客か、」と発表。
選手としてはそこそこの実力だったが、大した戦績
も上げられないまま引退した。
ちなみに観客に「コンクリ」というあだ名で呼ばれて
いた。
被害者の女子高生が監禁されていた家に家族と
住んでおり、女子高生は2階の部屋に監禁されて
いました。
少年D渡邊泰史 事件当時16歳。
四人の少年達の中では一番痩せていて、声が小
さく、右後頭部、中学教師の体罰を受け出来た10
円 玉程の白髪が、公判時にはこぶし大にまで広
がっていた。
定時制の工業高校へ進むが1週間で行かなくな
る。ファミコンが好き。
父親:幼少時に離婚。その後交通事故で死亡。
母親(当時44歳):元美容師。離婚後、生活保護を
受けながら時計部品の工場でパート勤務。
懲役5年以上7年以下の判決を受けて服役し、
1996年に仮出所しました。
女子高生の監視役でありましたが、強姦や暴行に
も加わり、女子高生が死亡した最期の暴力では鉄
球で殴るなどをしています。
2000年に放映されたニュース番組に少年D渡邊
泰史の母親が出演。
母親のコメントによると、出所後は母親とアパート
で暮らしており、ほとんど部屋から出ない引きこも
り生活を送っているそうです。
他、事件に関わった少年刑事裁判にはかけられま
せんでしたが、少年E中村高次と少年Fが少年院
送致となりました。
少年E中村高次
C湊伸治の友人で11月28日の輪姦にも加わったE
中村高次が、A横山裕史(旧姓は宮野)に誘われた
極青会に入らず別の暴走グループを作ろうかと冗
談で言っていたのが伝わり、なめているということ
で、C湊伸治の部屋まで連れてこられ、純子さんの
前で、A横山 裕史(旧姓は宮野)とB小倉にリンチを
され頭をハサミで丸刈りに刈られる。
その後、逃げ出したが1月6日に友人の家に隠れ
ているところを発見されイスや灰皿で頭をめった打
ちにされ、三週間以上入院するケガを負うが、そ
れでも許さず「僕は100万円でも許してもらえない
ので、川に飛び込みます」という遺書を書かせ近く
の荒川の放水路に連れだし、3人が口に入れた
クッキーを次々に川に投げ込み取ってこいと命
令。
「極青会」に入ることを断りに行ったF伊原真一。
前に来た2日ごろはD湊 伸治らと仲良さげしてた純
子さんが顔にあざを作りふとんに入っていた。
F伊原真一に、「わたしどうなるの」と聞く純子さ
ん。
「自分は下のもんだからそれはわからない」と答え
る。
E中村高次は地元のスナックでこの事件のことを
面白おかしく語り、無反省の様子。
少年F伊原真一
家庭裁判所での審判の結果、伊原 は半年間の少
年院送致になった。
北アルプスの麓、長野県穂高町に初等中等少年
院有明高原寮はある。
ここは、短期間で更生が可能とされる少年を収容
している。
鉄格子や鍵はなく、全国でも唯一の完全な開放施
設だ。
伊原は、ここで半年間を過ごすことになる。
1989年5月=入院
1989年秋=仮退院 は建築会社会社で正社員とし
てはたらきながら、現在は結婚し娘がいます。
40日間も被害者を監禁した理由について、取り調べの中で少年らは「警察に捕まるのが怖かったから」としか供述しておらず、捜査員から「怖いだけなのか」と聞かれると、少年の1人は「それ以外に理由があるんですか」と問い返したという。
事件のことは多くの人が知っていたが刑事裁判にかけられた犯人は上記4人(少年A、B、C、D)です。が、この他に2名が少年院送致、女子高生の強姦
に参加した人数は10名以上、女子高生が監禁さ
れていることを知っていた人はなんと100名を超え
ると言われています。
少年たちの残虐な暴力もですが、これだけ多くの人
数が監禁を知っていたにも関わらず、誰も女子高
生を救わなかった点においても社会に大きな衝撃
を与えました。
「関わりたくない」「誰かがきっと」当事者意識の欠
如この事件において、まず疑問に思うのが、上述の通り多くの人が関わっており、また女子高校生が監禁されていたのは東京都足立区の民家で、隣の家と近接していたのに、なぜ誰も警察に通報しなかったのか、ということです。
当時の報道番組を見ると、近所の人が「悲鳴が聞こえた」などとテレビ局のインタビューに回答しています。
1988年の事件発生から25年以上が経過し、犯人は全員とっくに出所、再犯で逮捕された者もいます。
主犯の4人のうち2人再犯。
主犯のうち、2人が在日。
こんな残忍なことをして少年だからと刑が減軽されとっとと出所です、にしても、これは酷い。
しかも出所しても全く反省もしません。
死刑はともかく、これほど酷いのは終身刑が最低だと思います。
何かがおかしいですよね。
少年の母親は、なぜ罪にもならないのか?
少年の母親は、女子高生コンクリート詰め事件の犯人の母親が被害者の墓を壊したんですよ!
被害者少女のお墓石を破壊したのは神作譲(元の名前は小倉譲)の母親小倉悦子というイカれた母親です。
小倉悦子が、裁判が終わってから、遺族に支払うといっていた賠償金を払わずに、自分の為にマンションを購入。 埼玉県八潮市中央4ー21ー12
小倉悦子は古田順子さんの
お墓を破壊。
最初の事件の直後、
「わたしの息子はこの女のせいで人生
を狂わされたんだ!」
と逆ギレを起し、 被害者少女のお墓を 破壊するという暴挙に出た為に、遺族 はやむなくお墓を移す。
犯行が行なわれた家の主人である共産 党員の父親は、取調べに対して 「知らなかった。」
(一説には、この父親も輪姦に加わっ たと言う話がある。)
同じく共産党員の母親は
「一度見かけて’あなた家に帰りなさ い。’と言ったんですけど、あの子は自 分の意思で家に残ったんです。
あの子タバコを吸っていて、感じ悪 かった。」 と虚言の供述をしている。
どうですかこの鬼畜っぷり。
その後、その母親の息子は出所後、しっかりと再犯して服役しました(現在は出所)。
つまり、無期懲役にしておけば、再犯もなかったし、同様の事件の再発防止になったのです。
こいつの性根は死んでも治らないでしょう。
海外の刑務所では、幼女の性犯罪と強姦殺人の殆どは、一か月以内にギャグの囚人に殺されるそうです。
ギャグは男らしくないとあかんと言う考えがあり幼女の性犯罪と強姦殺人は囚人の恥だと粛清されるのです。
刑務官も見てみないフリで容認しています。
ギャグのいない刑期の軽い刑務所でも性犯罪と強姦殺人は嫌われ酷い目に会うそうです。
海外の刑務所では、良く囚人どうし殺人があるので、粛清なんて当たり前なんですけどね。
この事件に飯島愛が関与していたと言われております。
飯島愛がホステス時代の親友の倉地明美さんから 飯島愛がコンクリート事件に関与していたことを暴露して話題となった。
主な倉地明美の証言:
▲飯島愛が綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件で人の命を奪ったのだから現在の状況は自業自得▲飯島愛が綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件関係者に脅されまくっている
▲倉地明美にも圧力がかかっているので有名なヤクザに守ってもらっている
▲飯島愛の綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件を深く探った者は殺されている
▲飯島愛が当時付き合っていた男性が、女子高生コンクリート殺人事件の犯人 の一人だった。
その男性と共に、被害者が監禁されている友人宅へ行き 被害者の顔に落書きをした。
(飯島愛本人は否定していますが)
その後、事件は発覚し、主犯の4人は逮捕。
飯島愛も事情聴取を受けた。
しかし、罪には問われなかった。
そして被害者の顔に落書きしたのは、石川あかね松戸市馬橋、歌舞伎町のソープランド勤務との情報あり(旧姓は萩尾)⇒飯島愛は無関係???
関与に関わる事を書くと命を狙われる。
飯島愛は、綾瀬コンクリ-ト殺人の犯人に多少関与していて、ゆすられ1億円を取られた・・・
被害者女性の額に書かれたイニシャルが飯島の名前と一致したとか、、
彼女は、殺人という犯罪行為だけを否定して、噂の核である犯人との交際には全く言及していないんですよね。
大手芸能プロ関係者によれば彼女が最近、何者かに弱みを握られて1億円近い金をゆすられてたっていう別の噂があってさ。
その弱みっていうのがコンクリ事件のことじゃないかっていうんだ。
本当かどうか確かめようもないけど、彼女には大金を失った話があったからひょっとすると・・・」
昨年11月11日、飯島はブログで「想像を絶する金額」を事務所の経理担当に横領されたと書いた。
その額が1億円近いとあって、ゆすられた噂の額と一致していたわけだ。
横領事件自体は2年前の話だというが、これを書いた直後の翌日、飯島は突如、レギュラ―出演している番組「サンデ―・ジャポン」を休んだ。
2008.12.24 16:56 元タレントの飯島愛さん(36)が、都内の自宅マンションで死亡しているのが 見つかった。
警視庁で、自殺の可能性があるとみて調べている遺体状況エアコンや床暖房が付きっぱなしだったため、遺体は部分的に腐乱しており頭部の重みで圧迫された顔面は、歯が唇を突き破り、脇腹部分も腐敗し内臓の一部がはみ出すほど傷んでた。
昔はやんちゃだった飯島愛、女子高生コンクリート事件の関係者はかなりの人数とされていることからも噂が立つ理由となっています。
この綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件にも関東連合のメンバーが絡んでいたのではと噂されています。
飯島愛さんが付き合っていた男性が関東連合の関係者であったという説があり、その関係者からも綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件に関して脅されたという説があります。
関東連合から1億円もの金銭を脅し取られたとも言われており、これが本当ならば、心理的負担は大きいものと思います。
急に引退した飯島愛さんでしたが、08年に綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の主犯格が出所するということで、飯島愛さんが引退する1年以上前から出演依頼を断っていたという噂が出ました。
飯島愛さんの死因は、死亡推定日時から発見まで1週間も経過した“怪死”であったが、公式には肺炎と言われています。
しかしその死因にも様々な憶測があり薬物の摂取による自殺説、関東連合などの組織に始末されたなどです。
デヴィ夫人が〈どの様な人達とお付き合いがあったのか皆目わかりませんが、映像や写真を撮られ、所持していた人達にゆすられ、恐喝され、つきまとわれ、公表の恐怖にさらされながら、生きた心地もなく、暮らしていた様です〉とかたってる。
ASKAは、飯島が亡くなる数カ月前に彼女のマンションでMDMA(合成麻薬)を使って飯島とセックスをし、その様子をビデオに撮られていた。
飯島が亡くなったことでビデオの流出を怖れ、そこから重度の薬物依存が始まったというものだ。
『女子高生コンクリ詰め殺人事件』 は 「日本の犯罪史上においても稀にみる重大かつ凶悪な犯罪」 などと表現されていますが、日本のみならず海外でもそう認識されいまです。
(歴史上最も恐ろしい死トップ10)で、最悪の第1位に選ばれています。
そして、日本の凶悪犯罪議論で必ず上がる三大事件の一つである。
こんな化け物が野放しになり、結婚し、子供までいるんですよ!
実際には被害者は41日間という長期にわたって監禁され、その間ずっと、想像を絶する凄惨な性的・身体的・精神的暴力を受けていたのです。
古田順子さんが遺棄されていた、江東区若洲の現場には物流センターの建物が建ち、空き地だった当時とはすっかり様変わりました。
そしてこの事件で、3本の作品が映画化されている。
しかし作品の『コンクリート』制作発表から間もなく、ネット上の大型掲示板での上映反対運動が巻き起こる。
その抗議対象とされたのは、この作品を2004年5月29日から上映予定の劇場・銀座シネパトスだった。 同劇場には、度重なる無言電話や罵詈雑言、FAXによる抗議が殺到。そのため『コンクリート』の上映は中止に追い込まれてしまった。
だが、抗議者の大半は匿名で、もちろん試写会も観ていない人ばかり。
やがて渋谷にあるアップリンク・ファクトリーが作品を受け入れ、7日間だけではあるが『コンクリート』の公開が実現した。
その公開初日である7月3日、すでに出所していた事件の加害者が、監禁・暴行により再び逮捕されていたことが報道された......。
ご冥福を、心からお祈りいたします。