サカナクションライブレポート
2008年5月19日 (月)
サカナクションが2nd ALBUM TOUR 2008「NIGHT FISHING IS GOOD」の東京公演@渋谷クワトロをワンマンで行うということ。そしてこの公演がSOLD OUTという結果を残したこと。これは、彼らが歩んできた軌跡を全て包括し、ある意味一つの到達点になるべくライブを演出するであろうと。それを記憶と記録に残さずにどうする? と半ば興奮気味に心からそう思ってしまった勢いで、今回密着ライブレポートという形で彼らのリハーサル現場からお邪魔させて頂き、取材を試みることになった。
当日、渋谷クワトロに向かう。まだ誰もいない階段。エレベーターを使いクワトロのフロアに足を踏み入れる。14時を回っていたと思う。既に彼らはライブさながらのリハを行っていた。いや“さながら”ではない。“本気”であった。フロアに数人のスタッフがいる状態で、彼らは“本気”でリハーサル、いや、リハーサルの枠を飛び越えたライブを演奏していたのだ。ここまでやるのか? と。とにかく驚愕した。ストイックすぎるほどの演奏。まるで自分がライブを独り占めしているかのような感覚。さらに、“ここまで本気にやってしまって本番まで体力は持つのか?”という不安も頭によぎる。しかしそんな不安はなんのその。淡々と、かつアグレッシブにリハをこなす彼ら。合計約2時間以上を超える間、息つく暇もないほど続いたリハが終わったあとのメンバーの顔といったら爽快極まりなかった。
フロアでぼけーっとしていると、キーボードの岡崎さんがコチラに歩み寄る。“熱いんですよ”の一言。いや当たり前でしょうと思う俺。でもその一言も、辛いという感情ではない、今から来るべくライブに向けての意思表明のようなものを感じた。さらに、“お客さんがいないのにこれだけ熱いんだったら、私たちもそうだけど、お客さんはどうなっちゃうのかな…”という気配りさえも出てくる。ギターの岩寺くんも開口一番に“ステージ上が熱いんですよ~”と一言。そりゃ当たり前でしょうとまた思う俺。だってあんだけすごいリハ演ってたんだから。と。でも岩寺くんも何故か清々しいのだ。顔が。恐るべし。何が? 緊張感というものが伝わってこない。初めての東京のワンマンでSOLD OUTなのに。強心臓? いやそういうことでもない。わからないが、彼らの間に漂う人となり、それと、メンバー同士の緩やかな繋がり。その素朴さがサカナクションであり、故にひとつの共同体として成り立っているのだろうという確信さえ、感じた。
リハも終わりメンバーは楽屋へ。そこで一郎くんと会う。“楽しみでしかたないんですよ。緊張? それがまったくないんですよ。”と言う彼。もうなんなんだろうかと。サカナクションを引っ張り続ける一郎くんでさえも緊張しないと言うのだ。さらに、楽屋に漂う雰囲気もこれから戦場に向かうというよりも、メンバー全員で旅に出るという雰囲気。あまりこういう楽屋の雰囲気は感じたことがない。この朴訥としたヴァイブレーションの中に何かが潜んでいるのだろう。その何かはわかっている。その何かは何なのかはライブが始まればわかるであろう。それは音楽に対する姿勢、そして、メンバー間で繋ぎとめられている信頼関係。それはライブを重ねることにより、レコーディングを重ねることによって得た強靭なもの。誰にも出来ないもの。それを内に秘め、爆発させる前の静かなる情熱が彼らの個々にあった。それを感じ取ることが出来て、これからはじまるライブへの興奮度は一気に上がっていった…。
18時、クワトロのライブ会場の扉が開いた。早速フロアの中心でオーディエンスが入ってくるのを待つ。ひたすら待つ。続々と来るサカナのファンたち。SEが流れる。深海を深く泳ぐかのような感覚にさせられる水音が静かに流れる。しかしまあ、オーディエンスの色が実に様々だ。サカナクションというバンドが単なるロックバンドではないということをお客さんが既に証明している。ロックのライブでこぶしを握り締めて爆発するティーンネイジャーもいれば、ライブ慣れしていないであろう、ヘッドフォンリスナーもいる。男女比も結構均等で。年齢層も幅広い。こうであろうと想像はしていたが、予想以上のオーディエンスのバラエティーさにちょっと吃驚…。
さあ、19時を回り、サカナクションのライブの代名詞となったSEが流れる。メンバーがステージに上がる。オーディエンスのボルテージが上がる上がる。1曲目は意外にも「雨はきまぐれ」。『NIGHT FISHING』の中でもどちらというとアルバムの楽曲の架け橋的な存在である曲で始まる。一瞬の静けさから鳴り響き、優しくフロアを包み込むかのような岡崎さんのシンセサイザーが秀逸な楽曲が徐々に染み渡り、フロアに“サカナクションここにありき”を突きつけてくる。そして、息つく暇もなく「インナーワールド」になだれ込む。これは彼らのお得意の手法だ。ビートを切らせず、ボーカルの一郎くんは歌い踊る。ギターのカッティングと“描いた”とリフレインされるメロディーがフロアを包む。さらに『NIGHT FISHING』リリース時に第一弾大プッシュトラックとしてオーディエンスの認知度が一番高いであろう「サンプル」に早くも突入! ここで最初の大波がやってくる。まだ数分しか経っていない。でも彼らは既に荒波を乗り越えて勝ち続ける音とビートとヴァイブレーションを掴んだ。僕らオーディエンスもそうだ。続く「マレーシア32」で踊る一郎くんの姿はもうひとりディスコティック状態。オーディエンスを煽る煽る。すでに沸点状態。さらに「三日月サンセット」と「ワード」と。1stと2ndの1曲目を叩きつける。ここで正直思った。“頭っから出しすぎじゃないか?”と。でも。“そんな不安はいらぬものだった”と。ライブが終わればそう思うと思っているはずだ…。
ここで一郎くんのMCが入る。どこか既に極まっている。感が。昔から彼は、MCが苦手だった。どちらかというと。言葉で煽るタイプではない。言葉で伝える前に当たり前のように音楽で伝える男である。故に空回りすることもしばしば。それは今回のライブでもそこかしこで見えていた。でも、以前に比べ、ファミリー的なメンバーとの会話のやり取りで、苦手なMCさえもサカナクションならではのものになっていた現実。そこに人間味というものを感じてしまい、精密機械のようにアルバム収録曲を寸分の狂いなくライブで表現し、ライブならではのアレンジメントを施してしまう彼らだって、僕らと同じ人間だと。大袈裟だけどオーディエンス側から見るとそのMCによって彼らが僕らの視点と同じ位置に来てくれるような感じになるのだ。
ライブ中盤。「ティーンエイジ」~「哀愁トレイン」と、『NIGHT FISHING』の曲順通り。さらに「あめふら」~「GO TO THE FUTURE」~「フクロウ」と。こちらも1st『GO TO THE FUTURE』の曲順通りの演奏が続いたのだが。ある意味、この中盤での彼らのパフォーマンスが彼らのロック的側面を、バンドのポテンシャルが高いということを図らずも示していたと言っても過言ではない。とくに「あめふら」と「GO TO THE FUTURE」。打ち込みサウンドから解き放たれたメンバーの躍動感は凄まじかった。「あめふら」での草刈さんのベースはもうぐうの音も出ないほど。ドラムの江島くん、ギターの岩寺くんも、打ち込みの曲からの呪縛を解き放つかのように。泳ぎまくる。でもブレない。ビートや音の間の巧みはもうメンバー全員に染み付いているのだろう。さらに、「GO TO THE FUTURE」にいたっては、曲の中盤でジャジーなアレンジを挟み込んできた。これもどうにもとまらない。スイングするサカナクションなんて想像していなかった。本当に彼らは強い。強さを持っている。持っている強さの出し引きも知ってるんだと。そう思わずにいられなかった。
気づいたらもうライブは終盤。MCで興奮を押し殺すかのようなしぐさを見せる一郎くん。気持ちわかるよ。こんなにもたくさんのオーディエンスが泳いでいるんだから…。続く「フクロウ」~「新しい世界」~「夜の東側」はまさに夜の世界。サカナクションが山口一郎が孤独というものを解き放つ世界。音ともに解き放つ世界。それが新しい世界。その世界は未だ見ぬ桃源郷なのかもしれないが。泳ぎ続ける意味がある。意義があるからサカナクションは奏でる。夜を泳ぎ奏でる。音を操り、この場にいるオーディエンスの心の中のどこかに。頭の中のどこかに触れる。揺らす。起こす。何かを…。
“今度のツアーでは「NIGHT FISHING IS GOOD」をやりますよ。楽しみにしていてください”。前回、一郎くんにアルバム全曲解説をやったときに言われた言葉がこれだ。彼も様々なメディアで発言しているが、「NIGHT FISHING IS GOOD」こそが、『NIGHT FISHING』の全てを物語っているということ。そして、僕は真っ先にこの楽曲に惚れ込み。何度も何度もヘッドフォンでリピートして聴いていた。さらにこれはライブでは実現不可能だろうと踏んでいたが、それを度外視する彼の発言を受け。早くライブで体感したいと。それを待ち望んでいた。それが本編ラストの最後に叶った。願いは叶い、ありえないくらいの完成度で「NIGHT FISHING IS GOOD」は演奏された。メンバー全員のコーラスもばっちり。複雑に入り乱れるビート、メロディー、なにもかもが完璧。閉塞的な感覚から壮大な荒野を見渡す、何処までも続く大海原を突き抜けんかのような感覚。体中が痺れた。ココロもカラダも…。おもわず、ありがとう、とつぶやいた…。
アンコールが始まる。いきなりMCで一郎くんが、“メンバー紹介しようか?”と言い出し、予定になかったジャムセッションがはじまった。サカナクションがジャムセッションですよ。ありえない、と思ったが、かなりありえた。すごいぞ。全てのメンバーがソロパートをこなす。即興でここまでやれるなんてね。でも単なるテクニシャンではなくて。このジャムセッションで繰り広げられた彼らの空気感。何度も言ってしまうが。とても暖かいのだ。それが愛くるしい。そして、本当のアンコール。「アムスフィッシュ」。「NIGHT FISHING IS GOOD」とは違った、もっとフォーキーな。山口一郎が弾き語り、それをそのまま増幅させたかのような、シンガロング・ミュージック。サビ前の、“レディオヘッドの「Creep」か? くるりの「東京」か?”と勘ぐってしまうほどのギターの“ガシャ!”というカッティングノイズに魂打ち抜かれ思わずにやりとしてしまった俺がいて。最終的にはみんなで大合唱。でもこれもメンバーが煽るではなく。自然発生的に大合唱。もう、もう、大団円を迎えてしまうのか…。
一郎くんが感極まる。本当に感極まっている。本当に感極まる人と本当に感極まっていないのに感極まる人がいるの知っている? 演技。それは、アーティストはいくらでも演じれるパフォーマーだから。でも本当に、このときの一郎くんは感極まっていた。それだけにもう僕らも感極まらずにはいられないだろうよと…。で、またメンバーがはけてしまったが、二度目のアンコールが始まる。ライブの最後の定番曲。「白波トップウォーター」だ。たおやかなシンセとクリック音からはじまるイントロ、サビの秀逸さ。ブレイクから全ての音の粒、メンバーの全ての汗、魂、音、音、音! が最大限に弾け飛び。そして、またたおやかなシンセ。クリック音で終わる。激しさが穏やかさに変わって…。
はっきり言うと、もう満足しすぎてしまったのだ。ライブを観終わった後、とにかく満足しすぎてしまって、故に、“もっと! もっと!”というなんの根拠もない思いが込み上げてきた。もっと欲しい、と。もっと彼らは何かを成し遂げる。今すぐにでもやれる。だから早く突き進んでくれ。もう満足した、だから、“もっと! もっと!”という。なんとも幼稚かつ、わけのわからない感覚だが。ロックやポップミュージックに魂奪われ感動したときというのは、とにもかくにもやられた感が強く出る。どうしようもなく感動したり、どうしようもなく泣いてしまうこともあるが。新しいものに出逢ったときは、悔しい思いになる。まだロックは進化し続けるのか、と。ポップミュージックは終わらないんだ、と。それが悔しくて。何故か? だって誰かがこの不確かな世界を泳ぎ続ける術としての音楽に終止符を打ってくれれば、僕らは平穏無事に生きていけるのだから。不感症のままなあなあと生を全うできるのだから。ロックなんやらってものがあるから僕らはがむしゃらに、またははいつくばって生とやらにがんじがらめにさせられる。そいうこと。だから悔しい。だからこそもっと、という。そういう感じなのだ。やれるもんならやってみろ! と。なんとか生き抜く術を音で吐き出してくれ! と。いや、彼らならもっとやれるからやってくれ! と。そういう思いだ…。ライブ後の彼らと握手をして、その感情を剥き出しにしてしまった。“もっと! もっと!”と。したら、一郎くんは、“もう新しい曲作りもしてますから”とクールに俺をなだめた。当たり前です。その通りです。いいんです。こういうものはじらされたほうがいい。この夏、様々なフェスなどで彼らを見かけることがあるだろう。そこで、未だ見ぬサカナフリークが増殖していく様をまざまざと見せ付けられるだけで、僕は満足する。そうすることにする。
この密着レポートはもしかしたら、彼らの人間に密着したものではないのかもしれない。音にどれだけ近づけるか? という距離を縮めるために密着したものであるのかもしれない。でも結果的にメンバーへの密着は可能になったし、オーディエンスへの密着も可能になった。音を介して、書かれた密着レポート。そういう風に捕らえてもらえれば幸いである。それこそが、新しい音をクリエイトして、新しいシーンを切り拓いて行く彼らの本望ではないか? と思うのだ。どうだろうか? そう思ってくれれば僕は本望である。
(HMV保坂壮彦)
SET LIST |
|