画像: ベルリンの壁の建設(1961)

2020.03.31

ライフ・ソーシャル

首都封鎖にはクーデタが必要?

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/現行法体系で首都封鎖はできないようだ。しかし、法を守って、人が死んだのでは、法のレゾンデートルが無い。となると、法体系の方を停止するクーデタとなる。/

暴走した戦中に対する反動で、戦後、日本は徹底的に政権を規制し、個人の自由を無制限というほどに保障、拡大してきた。しかし、災害や疫病は、我々が、社会として、国民として、団結せずには生きられないことを再認識させた。個人の勝手が、地域も、国家も、全滅させる。我々は運命共同体だ。

治療法がない疫病を前に、諸外国は、とりあえず感染拡大を防ぐべく、経済を犠牲にしてでも、都市封鎖、外出禁止を強行した。カネより命、ということだ。おそらく日本でも、同様の処置が遠からず必要になるだろう。ところが、特別措置法を発効しても、都市封鎖や外出禁止はできないのではないか、とも言われている。現行法体系、現憲法の下では、特措法をもってしても、それほどの権限を首相も首長も持ちえない、ということだ。

根本的なことを言えば、戦後の法体系は、机上の空論、理念の思弁で、現実的な制度設計に最初から失敗していたのだ。将来に起こりうる未知の事態をも想定して、いかようにも柔軟に対応できるいいかげんで曖昧な余地を、もっと多く残してべきだった。それが無い以上、首都封鎖は、法的には強行できない。

としても、国民の命を守るためにやらなければならないなら、やらなければなるまい。法を守って、人が死んだのでは、法のレゾンデートル(存在意義)が無い。となると、ギチギチの法体系、日本の憲法の方を停止しなければならない。つまり、クーデタ(政府転覆)による戒厳令(martial law、軍制)だ。

ただ、クーデタ、と言っても、じつは、いろいろある。ふつうは、政権内の主流批判派が暴力的に主流派を追い出して政権を独占することを意味する。しかし、ナポレオンが議会を停止して統領になった「ブリュメール18日のクーデタ」(1799)のように、政権主流派が、足をひっぱる守旧護憲派を暴力的に追放するものもある。今回、事実上の「クーデタ」が行われるとしても、問題なのは憲法のみで、人的な派閥排除を目的とするものではなく、暴力を用いるまでもない。与野党合同で臨時(二年時限程度)の「緊急救国政権」となるだろう。

むろん、じっくりと諸論調整して万人が納得できる政策の方がよいにきまっている。だが、時間に余裕が無い。遅延より拙速でも次々と対策を打ち出し、事態を処理していかなければならない。それゆえ、意見集約は、国会とは異なる方法を採らなければなるまい。しかし、日本は、一般国民にも戦前アレルギーの「護憲派」が根強く、また、この機に乗じて緊急新法を無視したり、混乱を起こしたりする輩も現れることが予想される。これらを「制圧」し、緊急新法の「実効性」を確保するために、警察機動隊や自衛隊も動員せざるをえまい。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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