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角田光代<特別寄稿>「私の速度、私のゴール」

posted2020/02/20 18:00

 
角田光代「私の速度、私のゴール」<Number Web> photograph by Shota Matsumoto

text by

角田光代

角田光代Mitsuyo Kakuta

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photograph by

Shota Matsumoto

ひとことで「走る」と言っても、そのゴールは人それぞれだ。

1秒を削り出し記録を追い求める人がいれば、健康のために走る人もいるだろう。

はたまた友人との憩いの時間として、ランニングを楽しむ人もいるかもしれない。

ゴールは違っても、それぞれの走りにそれぞれの正解があるはずだ。

直木賞作家の角田光代さんが綴る、そんな「走ること」への想いとは――。

 ランニングをはじめたのが40歳と遅く、もともと運動も苦手なので、速く走ろうと思ったことは一度もない。フルマラソンのタイムを前回より縮めよう、などと目標をたててしまったら、縮まらない時点で私は挫折した気分になり、二度と走らないだろう。タイムのことは、だから一度も考えたことがない。

 ともあれ走りきること。ゴールまでたどり着くこと。それが毎回、フルマラソンを走るときの私の目標だ。

 けれども走り終えるたびに思う。こんなことは続けられない、いつか体力的につらくなる。さて、いつやめようか。何歳になったらやめようか。フルを何回完走したらやめようか。

 タイムをまったく気にしないとはいえ、年齢を重ねるごとにどんどん遅くなり、もう二度と、5年前の、10年前のタイムでは走れないのだろうなあと実感する。それでますます、やめどきのことを考えるようになった。

 ところが50歳を過ぎて、不思議なことに、「いつやめようか」という問いがかたちを変えはじめた。いつまで走ることができるだろう。そう思っている自分に気がついて、思わず笑ってしまう。いったい私は何歳まで走る気でいるんだろう。だれにも頼まれていないのに。目標もないのに。何も目指していないのに。

 いつまで走ることができるだろう――そう思うとき、42.195kmより遥かに遠い道が、自分の前にすーっと開いていくような気がして、ああ、私は私で、目指しているものがあるんだなと知る。自己新記録でも年齢への挑戦でもない。私だけのゴールが、その道の先にある。

 成功や幸福といったものの定義が人によって違うように、ゴールも人によって異なる。どんな速度、どんなペース配分ならそこにたどり着けるのかも、ゴールによって異なるのだろう。

角田光代Mitsuyo Kakuta

1967年3月8日、神奈川県生まれ。'90年『幸福な遊戯』で作家デビュー。2005年に『対岸の彼女』で直木賞受賞、'07年に『八日目の蟬』で中央公論文芸賞を受賞。ランニングだけでなくスポーツジム等でも汗を流す意外(?)なスポーツ好き。近著に『希望という名のアナログ日記』。