詐欺の現場を見た。
 鮮やかなまでの弁舌で両親に謝罪、事実をほとんど含まない説明、細かい点まで注釈を入れながらもさりげなく煙に巻き、挟まれた雑談のはずがいつのまにか本題とすり替わっている話題、そこに潜められた更なる信頼を得るためのキーワード。霧崎第一の名前は年頃の娘を預ける相手として充分な価値を発揮し、ついでに名前の成績の話にまで上った。少し前に数学を見せていただいたんですが、落ち着いて解きさえすれば充分通用する範囲だと思いますよ。家庭教師か。すっかり『娘の頼れるお友達』の称号を得た花宮が惜しまれつつ玄関を出るのを、見送る形で一緒に出た名前はそんなことを考えた。私、今、詐欺の現場を見ました……。ついでにその詐欺に引っかかったのは実の両親です……。某つぶやきコミュニケーションサービスに投稿したくなったがお口チャック。ネット上といえども口が軽いのは良くない、巡り巡ったら不味いことになりそうなことは余計にだ。

「花宮さんすごいっすね……」
「俺じゃなくて実際には桃井さんへの信頼だと思うよ。娘を信用しているから、俺の話も聞いてくれたんだと思う。いいご両親だね」
「あ、ハイ……」

 聞こえる可能性のある立ち位置ではそのキャラ付けで行くらしい。猫の被り具合に年季と気合が入っている。ホントすごいなと名前は感心しながら、お借りしていてすみませんでしたと上着を差し出した。それに躊躇無く腕を通す様子を見て、何故だか少し気恥ずかしくなる。そういえば散々泣いて愚痴って宥められて飲まされ食べさせられ、かと思えば寝オチして、こうして家まで送られて両親へのフォローまで貰ったのだ。どこの子供だ。というか子供だってここまで手はかからない。

「……いや本当に……つくづく、本気で、お手数おかけしました……!」
「あはは、どうしたの急に」
「いえ、あの、思い返したらものすごく恥ずかしくなりまして……っ、申し訳ありませんでした……!」
「謝らなくていいよ、俺がしたくてしたことだから。桃井さんも、よく頑張ったね」

 下げた頭を撫でた手が、そのままぐっと後頭部を押して顔を上げさせる。作り物だと解りきっている声や笑顔に、それでもどきっとする瞬間があるなんて、知られたら馬鹿な女だと笑われるだろうか。……笑われるだろうなぁ。迷う隙もなく、そう思う。だけどきっと、迷惑だとは思わないでくれるだろう、とも思う。もっとも、面白がられはするだろうが。

「――名前!!」

 きぃん、と冬の夜空に響く声。うわっと思った瞬間、目の前に居る人が愉しそうに口元を歪めて笑った。それに対しても同じように、違う意味合いで、うわあと思う。何もわからない、何もわからないが厄介ごとの気配。

「名前っ!」

 どおんと突進されるのは予想がついていたので受身も取れた。オイてめえ名前いきなり居なくなったと思ったら説明もなしにメール一通で済ませやがってふざけんな、とぶちぶち言いながらその後ろを歩いてきていた青峰が、花宮を見て立ち止まった。
 名前捜索に律儀に付き合っていたらしい何人かも、道を塞がれる形で立ち止まる。花宮真。誰かが呟いたフルネームに、本人は至極やわらかく微笑んだ。何も知らない人間からすれば穏やかで無害そうな微笑は、高校バスケに携わり無冠の五将、ひいては悪童を知る人間にとっては不吉以外の何でもない。そしてこの場には直接試合をした上に負傷者を出された誠凛の選手と、その試合を見ていた人間しかいなかった。

「花宮真……、どうして」
「あれぇ、すごいメンバーだなぁ。名前、バスケ部じゃないって言ってたけど、この人達は知り合い?」
「え! あ、はい、中学の時の部活で」
「じゃあ帝光中出身なんだ。これだけキセキの世代が揃うと、なんていうか圧巻だね」

 冬の夜という理由だけではなくひんやりと下がった気温の中、にこにこ笑い続けている花宮に対し、名前も引きつった笑顔しか返せない。白々しすぎて逆に怖いといった心の声は隠れてもいなかったが、黙ってろと彼の雰囲気が言っている。うかつなことは口に出せない。肩に回されたままの腕がぎゅっと力を込めたのを感じて隣を見ると、双子の姉は警戒心も顕に花宮を見つめていた。

「白々しい」
「……緑間くん?」
「知っていて近付いたのだろう」

 そこは完全同意ですけれどもーそして初対面時から桃井さつきの妹ですって言ってあるからまあ外れてはいませんけれどもー……っていうか居たんですねもしかして私を探してどうこうじゃなくて普通に同窓会続行だったのだろうか恥ずかしい。あとなんですか超ギスギスしてませんか気のせいでしょうか、いやあの試合じゃギスギスするのもわかるけど直接対決したのは黒子くんくらいじゃない……? ぐるぐる考えていた名前だったが、疲れが先立った。楽しそうな花宮には申し訳ない気もするが、いかんせん時間も遅い。いくら男子といったってあまり遅い時間まで出歩いているのも良くない、何より、いくら本人が楽しそうとはいえ自分のために顰蹙を買わせるのも気が引ける。

「花宮さん」

 やや大きく出した声に、視線が集中した。一瞬だけ素の真顔になった花宮が、どうしたの、と柔らかく微笑む。その笑顔にやはり一瞬照れてしまいながらも、肩に絡むさつきの腕を解きながら、頭を下げた。

「今日は本当に、ありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして。俺も楽しかったから気にしないでね。話したこと、考えておいてくれると嬉しいな」
「は、……はい」

 考えておけって何を。という疑問も、たぶん口に出してはいけない。一度外したはずの腕が露骨に庇うように絡みついて、思わずさつきに視線を向けるのと同時にくっと笑う声がした。

「じゃあ、またね」
「お、送っていただいてありがとうございました……!」
「どういたしまして」

 とりあえずご機嫌なようでよかった、そして揉め事が起きないでよかった。何人か殺してそうな目で睨む大ちゃんにも聞かせるつもりでお礼を言ったのに、周囲からの殺気はむしろ増したような気がした。なんでだ。助けてもらったし送ってもらったよって説明も含んでたのになんでだ。
 背の高い男子ばかりの間をかいくぐって帰っていく背中を見送り、ほっと息を吐く。さつきは警戒してても人前では口には出さないし、大ちゃんは喧嘩っ早いけど今回はとりあえず流してくれたみたいだし、よかった……

「名前」

 ……後はこっちの問題だけかー。
 もう全員放置して寝たい気にはなりつつも、一応はこの時間まで連絡なしで消えていたのだし心配をかけたに違いない。一応仮にもおそらく多分は顔を合わせて少しくらいは話をするつもりで揃ってマジバに来たのだろうし、こっちとしては望んでもいない再会とはいえ無言で消えたことは事実だ。おそらくメインは同窓会の続行とさつきを送ってきたのだろうが、謝罪の必要がある。意外にも欠けていないメンバーに向き合い、まずは幼馴染と視線を合わせ『ごめんね』と口にしようとした名前は、ご、の字で一時中断せざるを得なくなった。先程からくっついている双子の姉に強く腕を引かれたためだ。

「名前」
「……、さつき?」
「なんであの人と居たの」
「……ちょっと、助けてもらって」
「なんで」
「なんでって」

 どうして助けてくれたのかって意味ならむしろ私の方が知りたい。と言うのが躊躇われるほど、今の彼女は殺気立っていた。思わず助けを求めて視線を彷徨わせ、目が合った幼馴染にゆるゆると首を振られる程度には。

「さつき、あの、心配かけたのは本当にごめんね」
「そんなこと言ってるんじゃないの!! 近付かないようにって言ったでしょ!?」
「……、」

 途端、なんともいえない気持ち悪さが針のように胸を刺す。花宮真、霧崎第一のキャプテン。バスケ業界でのあだ名は悪童。評判が決して良くないことは知っているし、試合を一度でも見ている者なら警戒するに違いない。バスケ部マネージャーのさつきが、双子の妹を心配するのは無理もない相手だ。それは名前にもよくわかった。花宮と話して接して、噂には一片の嘘もないことも知った名前には、本当によくわかった。警戒するのも心配するのも仕方のない話だとよくよく理解した。だって相手はあの男だ、気持ちはわかる。けれど。
 それだけ条件をそろえてなお、素直に頷けない気持ちがある。

「名前だってバスケ部っ、」
「さつき」

 しん、と空気が一瞬にして静まり返るのを、肌で感じた。さつきの話を聞き流したことは何度もあるし被せて話したこともあるけれど、こんなに真剣な空気の中でそれをしたのは初めてだったかもしれない、と他人事の冷静さで思う。思いながら、両肩にかけられている手を外した。

「……今日のことは全面的に私が悪いの。花宮さんは本当に、助けてくれただけ」
「……、」
「心配かけてごめんね。大ちゃんも、そっちの皆も、」
「っ名前のバカ!!!」

 鋭い叫び声が響いたと同時、バシンと玄関の扉がその重さに似合わない音を立てる。ちょっとさつき、こんな時間に大声出すんじゃないの! 母親の注意する声と、ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえた。再びバシンと家の奥で響いたのは、おそらくさつきの部屋のドアだろう。すぐ傍で叫ばれたため、耳の中ではキーンという音が反響している。
 ……どうしたもんか。持て余して振り返ると、幼馴染によって『とりあえず休め』と告げられた。

「でも、」
「ボクらのことは大丈夫ですから。桃井さんといてあげてください」
「……ありがとう、黒子くん。黒子くんも、こんな時間までごめんなさい」
「桃井さんが無事でよかったです」
「……そーゆーわけだし、今日はこれで解散しよーぜ。名前、後で説明しろよ」
「うん、大ちゃん」

 なあなあで解散の流れになったのは助かったけど、これご近所にはどんなふうに見えてんだろうか。大ちゃんがいるから平気か。それぞれにとりあえず謝罪とお礼を述べて、早々に家の中へ入る。とりあえず話をする予定はないけれどポーズとして姉の部屋をノックすると、予想通り『話したくない』と返ってきたので大人しく引っ込んで先にお風呂をいただいた。
 身体を洗って頭を洗って、湯船につかりながら今日あったことをぼんやりと思い返す。とりあえず、激動の一日だった。マジバの対面は思い返すと今でも泣きそうな気がしたが、『気がする』程度で済んでいること自体が奇跡のようなものだと理解もしている。そこまで自分を引っ張り上げてくれたのは、悪評高い花宮真だ。
 ……ただ話を聞いて、静かに宥めて、許してくれた。送ってアフターフォローまでしてくれて、あの人はどうしてこんなに、と考えた瞬間、居酒屋での言葉を思い出す。
 ――それ以上考えるのは、腹満たしてあったまって寝てからにしとけ。
 まるで現状を示唆したような言葉に、ふっと吹き出した。不思議な人だ。

(そうだな……寝てからにしとこう。さつきのことも、それからでいいや)

 今日は本当にいろいろなことがあったから、とりあえずもう眠ってしまおう。それからだって遅くはないはずだ。なっちゃんには次のシフトのときにでも詳しく説明すればいい。……話せそうなら、さつきのことも、それから私のことも話してみよう。そう思えたのは、今日その話を最後まで聞いてくれた人がいるからだ。聞いた上で、許す人が存在したという現実が、名前に僅かな勇気を与えた。一歩を踏み出す勇気。姉の影から脱却する決意。桃井さつきを知らない人間ばかりがいる中に作っていた居場所を、桃井さつきを知ってなお、居場所として存在してくれる人や場所を、探すための行動。
 拒絶されるかもしれない。傷付くかもしれない。実のお姉さんに対してなんてことを。そう昔から聞き続けた言葉を、また聞くことになるのかもしれない。――そうでないのかもしれない。許して、受け入れてくれるのかもしれない。その可能性が存在することを、今日、名前は確かに知ったから。

(……あ、花宮さんに連絡先とか聞くの忘れた)

 とりあえず今日は眠ってしまおう。そうして起きたら、明日の朝には生まれ変わったような気分になれるんじゃないかと思う。


next
===============
2014.08.06