大ちゃんにデートに誘われちゃった!
 キラッキラしたものを空気中に撒き散らしながら言う姉に、よかったねとだけ答えると『テツくんにもメールしよー!』と言うが早いか打ち始める。送信前に見せられた画面はハート乱舞で実際と同等に浮かれており、デートという表現もそのままだ。一応仮にも好きな人相手にそれは、と言うより先に送信ボタンが押されてしまった。そういうことをするから黒子くんはイマイチさつきの好き好き大好き、テツくんの彼女です! 攻撃を微妙に真に受けず流しているフシがあるのでは、と思ったが、さつきの本命がどちらなのか私にも微妙に判断がついていないので放っておくことにした。聞けば誠凛メンバーに初めて会ったときもテツくんの彼女ですをやったらしく、もしもその場に黒子くんとちょっといい雰囲気の女子とかいたらどうする気なんだろう……軽く修羅場じゃないか……。誠凛の女子高生監督さんは遠目にも可愛くてスタイルもいいので気になる。私が男子で部員だったらあんな監督ちょっと憧れちゃうけどなー、黒子くんはそういうのは無いんだろうか。

「……大ちゃんね、バッシュ買いたいから、付き合ってくれって」
「……そっか」
「テツくんの、おかげ」
「……そうだね」

 桐皇は、負けた。
 大ちゃんが負けた。黒子くんのいる誠凛にだ。中学で主義の違いから決別した元相棒に負けるって、因縁めいててドラマチックだなあ。試合中は楽しそうだったし、さつきの帰ってきた時間を考えると試合が終わってほとんどすぐに誘ったんだろう。バッシュを買いたい、か。……昔から何かがあると新しいバスケ用品を欲しがる癖は、変わっていなかったらしい。箱のままのバッシュいくつか残ってなかったっけ、と半分は独り言のつもりで言うと、三つか四つかなあとさつきが答えた。それで新しいの買いに行くのか、足はワンペアしかないぞ。まあいいか。こういうのはテンションだからね。

「でも、黒子くんだけの力じゃないよ」
「……え?」
「大ちゃんにとって、負けてすぐ声をかけられる相手がずっと居てくれた、っていうのは重要だったと思うよ」
「…………名前」
「よく頑張ったね、さつき。頑張って、よかったね」

 リビングのソファを背にして座るさつきを、ソファの上から撫でる。お風呂上りをそのまま捕まったので、まだしっとりと濡れたような手で桃色の髪を梳く。
 大ちゃんがバスケに真剣に向き合うのをやめても、練習に参加しなくなっても、全ての相手にナメた態度を取って試合を弄ぶようになっても。辛抱強く傍にい続けて声をかけ続けて、引き戻そうとし続けたさつき。実際に負かしてくれた黒子くんの存在はそりゃあ大きいだろう。けれどずっと、ずっと声をかけ続けて絶対に見捨てなかったさつきの力だってすごく大きいはずだ。
 向かい合ったさつきの顔が、大きな瞳が、じわりと涙を滲ませて――笑った。

「うん……ありがと、名前……」
「うん。じゃあ私部屋に戻るわ」
「今!? このムードで!?」
「化粧水つけたいし髪乾かしたいし。さつきも明日出かけるなら早めにお風呂入りなね」
「名前ってたまに唐突にドライだよね……」

 しかし大ちゃんとお出かけのさつきは服が髪が香水がどうこう言い出さないので楽っちゃ楽だ。この気安さは本命と思うべきか、対象外と思うべきか。夜中と早朝にチェックしてーと起こされる可能性が無いのでありがたい。……もしかして私的には黒子くんより大ちゃんとくっついてくれた方が楽なのか。よし頑張れ大ちゃん。

「あ、ねえ、名前!」
「ん?」
「名前は明日、行かないの?」
「行かないよ。どうせお昼おごってもらうんでしょ? 二人で楽しんでおいで」

 様子をうかがうようなさつきに、疑惑を抱かせないようハッキリ断ってリビングを出る。仮に誘われていたとしてもお断りするけど、誘われるってことはまず無いだろう。大ちゃんは負けて、バッシュを選びにさつきを誘った。それはつまり、もう大丈夫ってことだ。バスケに向き合う気になったってことだ。そして多分、そうなった大ちゃんにとって、私は用済みだ。言葉が悪いけど実質そんなもんだろう。ここしばらく妙に私にひっついているような行動があったけど、あれはつまり逃避の一環だと知っている。大ちゃんは多分、言葉にして考えるよりもずっと深い意識の底で、認識しているんだろう。私が心からバスケに興味を持っていないことを。解ってはいないかもしれないけれど、知っている。
 思えば昔から、大ちゃんが私に求めるのは理解とか立ち直りとか支えじゃなくて、その場しのぎの一時的な避難場所だ。自覚は多分、ないんだろうけど。

 気付いてみればイブの朝、浮かれた様子のさつきを見送って『午前中だけ!』というなっちゃん経由で店長からのバイト緊急要請メールに応える。もしかしたらヘルプ頼むかもと前もって言われていたし、特に用事も無い。忙しいのはむしろラッキーだ。

「見っけ」
「はい?」

 少し、予想外なお客さんも居たけれど。

「え……っと、霧崎の、確か」
「瀬戸」
「瀬戸さん。いらっしゃいませ。ご注文はお決ま」
「これのセット」
「かしこまりました。こちらでお召し上が」
「持ち帰りで」
「少々お待ちください」

 長めの髪をオールバックにまとめた、霧崎第一レギュラーのひとりだ。背後を探してみても見知った顔はいなくて、一人かなと思う。と同時、『一人』と言われた。……私、声に出してないよね? バックに注文を通しつつ先にレジだけ済ませる。

「キミがね。全店共通のクーポンくれたから」
「はい」
「霧崎レギュラーはここ数日いろんな店舗のマジバ漬け」
「……毎度ありがとうございます?」

 疑問形になったのはどうにも会話の流れに不安を感じたためだ。
 クーポンがあるからマジバ漬け。そこだけ抜き出せば別におかしくないような気がするけれど、その先を聞くより早く注文が仕上がってしまう。袋に詰めたそれを差し出す前に取られて、『しばらく会わないだろうけど、またね』と残して去っていった。会話がとても早かったような、噛み合っていなかったような。微妙に腑に落ちない気分で残りの仕事を片付けて、忙しそうな様子に不安になるものの午後を少し過ぎたあたりで次の当番の子に代わる。

「桃井さん上がり? 俺とイルミネーション見に行かない?!」
「これからチキン係だって聞いたよ頑張ってねー」
「やだあああイブに幸せなカップルやファミリーのために肉を揚げ続けるお仕事いやだあああ! バックヤード見た!? あの追加量見た!?」
「サンタ仕様の調理帽はあの箱の中だってさ」
「さっきのお子さん連れに向けていた優しさの欠片でもいいから! 俺にも向けて!」
「田淵ィィてめぇ何遊んでんださっさとキッチン入れ! 桃井は残業希望なのか!」
「お先に失礼しまーす!」
「捨てられたああ!」

 こんな小芝居をする余裕があるなら大丈夫だろう。従業員用出入り口付近までドンと積まれた食材の量に恐ろしい気分になりながらタイムカードを打って出る。独特の油のにおいがする店内を抜けると、街中はクリスマスムード一色だった。
 ここんとこ落ち込んだり前後不明になったりで忘れてたけど、そうだよなあイブだよなあ……。冬休みに入ったおかげだろうか、それとも散々働いた直後だからだろうか。比較的落ち着いている自分がいる。もうしばらく家に帰りたくないけれど、このムードの街中を一人で過ごすっていうのもなかなかハードルが高い。
 誰かと、遊べたらいいのにな。そう思っても、誘えそうな相手は一人もいない。友達と呼べそうなバイト仲間達はそれぞれの予定を過ごしているか、背後の店舗の中で必死に働いているかのどちらかだ。

「……」

 店のガラスに背をもたれて、人ごみを眺める。肩越しの薄い壁には、店内のざわざわした空気が感じられた。
 ――しみじみと、ひとりだ。
 寂しいような、ほっとしているような。不思議な気がする。……今日はこれから予定はないし、クリスマスものの映画でも借りてケーキでも買って一人で鑑賞会でもしようかなあ。そんなことをしたら寂しくなってしまうだろうか。ぼんやり思いながら人混みを眺めて、それでも五分は経っていないころだろうか。声をかけられた。

「そこのかわええ彼女、お茶でもせえへん?」
「……何やってんですか先輩……」
「ナンパってどうやるんやろと思って」
「余裕ですね受験生」
「そう言いなや。図書館帰りやでー」

 ほれ、と見せられた鞄は確かに重そうで、中に参考書やら何やら入っているのだろう、角張っていた。名前こそ一人で何しとるん。そう言いながら、ごく自然に隣に立つ。

「私は、……予定が終わって、これからどうしようって思ってたんです」
「なんや、おんなじやん。で、どうする」
「どうするって……」
「折角イブやし。先輩が甘いモンでも奢ったるで?」

 手を差し出され、これは誘いを受けるか受けないか、と聞かれていることを察する。思わず犬がそうするように手を乗せると、ふっと笑われたのち『違うやろ』と繋がれた。そのまま歩き出した、改めて見上げると長身に、やわらかく引っ張られて付いていく。手ぇ冷たいなぁ、独り言のようにそう呟いた先輩が、ごく自然に上着のポケットへ私の手ごと突っ込んだ。ダウンジャケットの内側は確かに暖かい。

「……人と手を繋いで歩くの、久しぶりです」
「せやなあ、ワシもや。たまには童心にかえるのもええなあ」
「……」

 童心、か。わかってるんだろうか、この人は。いつも全部見透かしているような笑みで、実際に色々と見透かしていて、意地悪なところがあって、そのくせ案外気遣い屋で、世話焼きで、優しく て。

「……」

 こういうのは、慣れてないんだってば、私は。友達もほとんどいないし男友達はゼロだし、彼氏だっていたことないし。だからさ、ただでさえ慣れてない相手にさ、こんな日にこんなことされたらさあ、大抵の女子は勘違いしますよ。と、忠告しておきたいのに言えない。言ったら自分が勘違いしていると告白していることになる。ちくしょう、それも計算の上か。計算の上であったらまだ言い訳がきくのに。先輩が振り返ってしまわないうちに、頬の赤みが引いてくれることを祈った。



「おいしい」
「やろ?」

 思わず出た声に、むしろ先輩が得意そうに口角を上げる。連れてこられたお店は白を基調としたシンプルながら可愛らしく、どこか洗練された雰囲気のお店で、平たく言うと洒落ている。先輩がこういう、女子の好きそうなお店を知ってるの、意外です。思ったまま言うと、桜井がやたら熱心に雑誌見てるから何かと思って覗き込んだらここのページやったと返ってきた。桜井くん……脅威の女子力……。大ちゃんだったら十中八九グラビアだ。

「てことは、桜井くんと来たんですか?」
「んー、んーまあ、んー」
「……デートとかで、来たとかですか?」
「いや。桜井含め、バスケ部何人かで」
「うわあ」
「流石に注目浴びたわ」
「ですよね」

 体格のいい男子生徒数人で、茶色いパンケーキとフルーツグラノーラが売りの可愛いお店。時期を考えるに部活帰りか試合後かだろう。ジャージ姿の男子高校生が無垢の木のテーブルへ詰め込まれている様子を想像して笑っていると、笑いすぎ、と額をこつんとされた。ノックをするみたいに触れた手が、そのまま頭の上に移動する。

「今吉先輩?」
「んー?」
「……」

 答える気がなさそうだ。別に嫌ではないので、そのまま頭を撫でられ続ける。そういえば前に慰めてくれていたときも頭やら顔やらをひたすらに撫でられて、意外と不器用な人なのかもしれないと感じた。何か言うのに困ってますって空気が滲み出ていて。
 ……今も、そうなのかな。私と先輩の体の延長線上からそっと皿を外すと、笑みをかたどっていた唇がふっと緩む。

「昨日なぁ、試合、負けたわ」
「……はい」
「見とった?」
「はい」
「そっか。生徒用の応援バス出てたもんな」

 桐皇は負けた。それは同時に、三年生の引退を意味している。
 ――結構サラッとして見えたけどね、でも、泣いたんだと思う。さつきの言葉に、そっかとしか返せなかった。昨日も応援席にいただけで、試合が終わってからも誰かに何か声をかけに行ったわけじゃない。多分、マネージャーでないということ、以前の問題で私はどこまでも部外者なのだろう。流されるまま、人の気分を害さないことだけ気をつけて、自分の下等さに気付かれないことだけを心がけて、この歳まで過ごしてきた。先輩達みたいに何かに必死になった経験もなく、何かに時間と熱意を注ぎ込んだこともなくて。
 何か、言えたら。力になれたらいいと思うのに、私の薄っぺらな人生では何も言えない。矮小な人間がいいことを言おうとしたって、風の音より価値がない。

「……今吉先輩」
「ん?」
「……、お疲れ様でした」
「……うん」

 こんなことしか言えなくて、すみません。そう思うのに、手は相変わらず私の頭上に置かれている。

「すまんな」
「え、はい?」
「言わんどこうと思ったんやけど」
「……?」
「最後の試合で初戦敗退。で、な、名前がベンチにいなくて安心した部分もあるんや」
「なんでですか」
「単純にカッコ悪いやろ」
「そんなことないですよ、そんなこと言わないでくださいよ」
「うーん、それもわかるんやけど。まあなんちゅーか、男の子的に、な」
「……」

 そう言われてしまうとなんとも言えない。性別の壁は厚い。

「負けにかこつけて慰めてやーって迫ってみるのも、ちょっとカッコ悪いしなぁ」
「……はあ」
「でも、今日、やっちゃったなぁ」
「…………」

 もしかしてこの手は後悔とか申し訳なさとか、そんな感じなんだろうか。今も頭上で行ったりきたりしているてのひらの存在についてそう思う。一部の店員さんやたまたま視界に入ったらしいカップルや女の子二人連れのお客さんが、微笑ましいものを見るような笑顔でこっちを見ているけれど。
 今吉先輩は、もしかして今、ちょっとだけ、落ち込んでいる?

「やりたくは、なかったんやけど。でもなんか、やっちゃって、名前のこと困らせとる」
「……そこは否定はしませんけど」
「ふは」
「でも別に、嫌がってはないです」
「……」
「困りましたけど、それは今吉先輩のせいじゃなくて、なんというか、自分の人生経験の薄っぺらさのせいなので」
「……」
「だから弱ってもいいんです。カッコ悪いなって思っても、やってみていいんです。私は先輩のことカッコ悪いなんて思いませんから」
「…………」
「先輩が、すごく大ちゃんのこと助けてくれてたのは知ってます。大ちゃんだけじゃなくて桜井くんとか先輩達とか、チーム全体のこととか、マネージャーとか私のことまで、考えて気を使ってくれてたの、私でさえ知ってるんですよ。みんなだって絶対わかってます。……お疲れ様でした。先輩がいてくれて、本当によかったと思います」

 あれ、言ってから思ったけどこの台詞って卒業式っぽい。違う違うぞ、まだ卒業までは行ってないぞ。ていうかもしかして縁切り宣言みたいになってる? そ、そんなつもりじゃない! 焦って顔を上げると同時に、頭上に残っていた手が引っ込んでいく。思わず掴んで違うんですと声を上げかけて、

「……、」

 間抜けに口を開いたまま、硬直してしまった。

「……や、ごめ、名前、せめてなんか言ってや」
「赤くないですか先輩」
「そこ言うん!? あーもー見んで! ちょっと待って!」

 掴んでいた手がするっと抜けて、てのひら二つで顔が隠れる。俯いた顔から眼鏡が少しだけ離れる、それを直そうとしたはずみで赤い耳が見えた。今吉先輩が動揺している様子っていうのはなんだか新鮮だなとぼんやり見つめてしまう。照れてる、って解釈で、いいのだろうか。

「……なんか言ってや」
「先輩が慌ててるの新鮮です」
「それ!? あー、あーもー、仕方ないやん、名前はあんまりそういうこと言う子と違うし、あんまりなあ、そういうこと、言われるタイプでもないっちゅー自覚もあるし、なぁ」

 ぶちぶち言い訳みたいなことを連ね始めた先輩が、『微妙に外してるし違うってわかってんのになぁ』という言葉を最後にテーブルに俯いてしまう。
 男の子的に、というやつの延長なのだろうか、意味のわからない部分が多い。けども。

「今吉先輩」
「……はぁい」
「ここのパンケーキ美味しいです。半分どうですか」
「……もらうわ」
「連れてきてくれて、ありがとうございます」
「……あーもー、名前はホンマ、もー」

 とりあえず今は落ち込んではいないようなので、それでいいと思っておこう。
 あまり甘くないパンケーキを半分ずつ食べ終えると、帰り際に店員さんがクリスマスのカップル来店限定だという小さなプレゼントをそれぞれくれた。そういえばイブだった。ここ数日は散々だったけれど、これもクリスマスの奇跡の一環なのだろうか、稀に見る穏やかな一日だった。会えて嬉しかったので、次こういう機会があったら私が奢りますね。と言うと、今度は神妙な顔をして『言質とったで』と返ってきた。心配しなくても奢られ逃げなんてしないつもりだ。
 帰宅して、大ちゃんに途中ですっぽかされたというさつきに捕まることになるとは、まさか考えてもいなかった。


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2014.07.24
何が辛いってこの季節に冬の描写を考えなくてはいけないところです