繰り返しになってしまいますが、お世話になりましてありがとうございました。こちらお借りしていたタオルです、あとついでと言っては何ですが差し入れです。試合見てます、がんばってください。
タオルとポカリを差し出して頭を下げつつそんな意味のことを伝える。一瞬しらっとした色を隠さず見下ろした花宮さんが、ぱっと切り替えるような笑顔になって『嬉しいな、ありがとう。こんな素敵な人に応援してもらえるんだったら絶対勝たないと』と爽やかに言った。既にこういう癖というか病気というか、ともかく本心から言っているわけではないことはわかりきっているのに、慣れない言葉に頬を熱くしてしまう自分が憎い。二回目の対面ではあるけれど、花宮さんはわかりやすいようなわかりにくいような不思議な人だ。そういや赤司くんも意味わかんなかったな、頭がいい人って皆こうなのかな。ぼんやり思いつつ、客席から泉真館戦を見下ろしていた。わけ、ですが。
「…………」
そうか、そういやラフプレーの人達だった……。というかもしかしてすべての試合がこのレベルなんだろうか、大丈夫か、捕まらないか。私刑とか受けちゃわないか。審判もそろそろ疑えよ、客席でさえザワザワしてるぞ。笑っていいやら呆れていいやら判らず、困惑のまま試合を見下ろす。それにしても個々のレベルがこれだけ高い試合でこんなにラフプレーが挟まれるのも珍しい。私がバスケに対して情熱を抱いていないせいだろうか、自分の知人が出ていないためだろうか。前回よりずいぶん冷静に見られている自覚があった。
(……にしても、一周回って面白くなってきた)
小細工が綿密かつ頻繁すぎる。空気的にまさか笑ってしまえなくてプルプルしていると、たまに気遣わしげに『大丈夫ですか』と声をかけられる。大丈夫、大丈夫です。別の意味で大丈夫じゃないけど。客席まで含めて誰一人として歓声をあげない試合が終了する中、必死に頭を下げて顔を隠していると、ちょうど場所が良かったのだろう。泉真館の選手がとうとう声を荒げた。『そんな卑怯な真似して勝って嬉しいかよ!』もっともだ、いっそ何をしに来ているのか疑うレベルだ。でもそういう正論は言われ慣れてそうな気がする。
「すまないな、意味がわからない」
「ぶっふ!!」
やばい吹き出してしまった。
ペットボトルを掴んで咳き込んだふりをする。なんだこいつ、の視線が若干和らいだ……と思いたい。
「だから嬉しいに決まってんじゃん。頭ん中ババロアでも詰まってんじゃないっすかァ?」
「……ッッッ」
あれだけラフプレーを挟んで細かい邪魔もいっぱいして怪我人出して勝って挑発までするの! やだもうフルコース! ある意味面白い!
やばいな霧崎の試合を見ていると私の中のクズが刺激されるな、あんまり観ない方がいいかもしれない。ああでも正直これまでのどの試合より楽しんで観られました、ありがとうございました……いや怪我人出すのはよくないと思いますけども……。
しかしこれでウケるって私もしかして病んでるんだろうか。ツボが謎すぎる。大分まばらになった客席で、呼吸を落ち着かせようと一人深呼吸する。あー笑った、笑っちゃいけないシーンだったけど笑った。よかった私バスケ好きじゃなくて。好きじゃない割にいっぱい国内海外含めて試合観ててよかった。海外プロになるとラフプレーってあんまり珍しくないもんなあ、耐性ができてたのも多分ある……と思いたい。心底クズだなんて、まさかそんな。
「おい」
「っひ!!」
さて充分楽しんだしそろそろ帰るか……と思いつつ伸びをしていたところ、至近距離で声をかけられた。椅子から転げ落ちそうになったところを、伸ばしていた腕を取られて引き寄せられる。崩したバランスを取り戻して立つと、とりあえず助けてくれたのは試合前にも話した花宮さんで――その背後に、霧崎の選手達が立っていた。
なにこれ怖い。
長身の男子には慣れているけれどもそれに囲まれるのなんて慣れていないし、知人と初対面では全然違う。あと黒い、色的に黒い。
「なに呆けてんだ」
「え、……あ、すいません、今回も助けていただきまして」
「脅かしたのも花宮だけどねー」
「黙ってろ原」
「こっわ」
「ていうか何でついてきてんだテメェら、バス行ってろ」
「お邪魔ですってよー」
「殺す」
きゃー、などと無表情のままふざけたことを言っている、確か古橋さんとかだった気がする名前の選手と、目が合う。その背後で他の部員達は既に飽きたのかばらばらと喋ったり動いたりしている、……思ったより普通の男子高校生だ。
「面白かった?」
「え?」
「試合」
「あ、はい。勝利おめでとうございます」
「うん。面白そうだったから」
「はい?」
「超笑ってたよね」
「……!」
バレてた! そりゃそうか!
「……つい笑っちゃいまして、すみません」
「別に、怒ってないよ。俺も怒られたり泣かれたりするより、楽しんでくれるほうが嬉しい」
「あ、そういう表現するとすごくいいシーンみたいに思えますね……」
実際はクズとクズの協奏曲だったけどな……。ごっついラフプレーとそれを観てなぜかウケる女という歪んだ状況だったけれども……。
花宮さんに支えられた姿勢のまま古橋さんと会話をしていると、額にびしっと一撃を食らった。地味に痛い。
「遅いんだよテメェ」
「え……な、何がですか」
「マジバのクーポン」
「……あ」
「ッチ」
そういえば試合前にそんな話しを少しだけしたような。
言うだけ言ってみたけどまさか真に受けられているというか、欲しがられるとは思わなかった。あんまりそういうの使う人にも見えないんだけどなー、タダ券もありますよって言ったからだろうか。タダ券つってもコーヒーとハンバーガー程度なのでこの状況だと差し出しづらいわ……出しますけれども……。
花宮さんに腕を離されて鞄をごそごそ探ると、うろちょろしつつ喋っていたはずの残りのメンバーがこっちを見てニヤニヤしていた。何だどうしたんだ、か、カモられたりしないよね進学校の生徒はそういうことしないよね……? 体格のいい男子がたむろってるってだけでも地味系女子には恐怖の対象なのでちょっと控えて欲しい……。
「つーか、さっきの試合で笑うってどういう神経してんだ」
「や、やってる側が言いますかそれ」
「前も思ったけどよ」
「……?」
差し出したクーポンの束に落ちていた視線が、そのまま私にスライドされる。訝しそうな、疑っているような――でも悪意は感じられない。ただただ、不可解なものを見るような目で。
「なんでそんな羨ましそうな顔してやがる」
「…………」
予想にないことを言われた。戸惑って古橋さんに視線を向けるものの、彼は先程から代わらない無表情でこちらを見返している。同じことを問いかけられているような気がして、ぺたりと自分の頬に触れた。
うらやましそう。羨ましそう? 私が? ラフプレーを? ……霧崎を?
「…………」
「自覚なしかよ。まーいい」
用が済んだと言わんばかりにふいっと顔をそらして、帰るぞとメンバー達に声をかける。支えてくれたままだったからすぐ傍にあった身体が離れる、それは決して不自然でないはずなのに、どうしてか。
「……おい」
どうしてか、ジャージの裾を掴んでいた。
「……え、っと、」
「あ?」
「……だ、大丈夫、なんですか? あんな試合の仕方して」
「あァ?」
「仕返しとか、されませんか? 夜とか、こう……大人数に囲まれて暴力とか」
花宮さんだけでなく、振り返った霧崎の人全員が変な顔をした。
「……モモイさんだっけー。桐皇の」
「は、はい」
「ズレてるとか変とかよく言われるっしょ」
「そ、そんなことはないです! むしろしっかり者で通ってます!」
「ふはっ、テメェの周りの人間はどれだけ見る目がねぇんだよ」
「心配したのにこの扱い……!」
思わず唸るように呟くと、先程一撃を食らった場所をぐいぐい指で押された。見た目だけなら可愛らしく映らないこともないだろうが、爪、爪痛い、刺さる痛い。えぐるようにグリグリしてるの絶対わざとだこの人。なんて人だ。見れば他の選手達は歩き出していて、古橋さんだけは花宮さんを待つ姿勢でそこに立っていた。花宮さんはそっちを見もせず、悪そうな笑顔で私の額をぐりぐりしている。
「テメェごときに心配されるまでもねーんだよ。相手は選んでる」
「そっすか……」
全部の試合で最低一人は負傷者出してるって聞いたけどそれ選んでるうちに入ってんのか……。
しかし試合を見るに、少なくとも頭が悪そうではないので(そもそも霧崎は超のつく進学校だ)私が思い浮かぶ程度のトラブルは織り込み済みではあるのだろう、確かに。いい加減痛いので指を掴んで額をガードすると、何が面白いのかまた『ふはっ』と笑われた。くそう、対面二度目の距離感じゃないぞこれ。
「……」
対面、二度目か。
それにしてはずいぶん気安いというか、リラックスして接している私がいる。
……あれかな、試合にウケてるの見られてたからかな。一人でこっちの試合に来てよかった、隣では桐皇バスケ部員が誠凛の試合を見ているはずだ。さすがに大ウケしているところを見られたら言い訳のしようもない。歓声から察することしかできていないが、次の試合は霧崎と誠凛になるだろう。
「次で、ウインターカップ出場校が決まりますね」
「まぁどうせウチが勝つがな」
「…… お」
「お?」
「……応援、してもいいですか」
整ってはいるものの特徴的な顔が、小ばかにしたように笑う。
スポーツマンシップの欠片もない感じは、ここまで駒を進めたのがいっそ不思議なほどだ。応援はおそらく必要としていないだろうし、マトモに考えて応援するべきチームでもない、けれども。
「好きにしろバァカ」
「……好きにしますもん」
「拗ねた顔してんじゃねぇよ」
掴んでいた手を容易く振り払われ、指の背でぺしんと額を叩かれる。このひと他人の額を攻撃しすぎじゃないのか、とは思ったものの、なんだか毒気を抜かれてしまって文句も出ない。
振り返りもせず離れていってしまった黒い背中の群れを見送りつつ、勝って欲しいな、と心から思った。勝ってくれたら、ウインターカップでまた会える。勝ち続けてくれたら試合で当たることもあるだろう。あ、いや、それはそれで桐皇としては困るのか……怪我人は出したくないなあ。
(でも、面白かったなー……)
「名前!!」
「っひゃ!!」
背中にどすっと飛びつかれて声が出る。なんだ今日は不意打ちを食らう日なのか。振り返ると怒った顔のさつきが私をじっと睨んでいて、咄嗟に文句も出ない。え、この状況で文句を言うべきは転びかけた私では? あ、いや、怒っちゃいけないのか……相手さつきだもんな……。
「さつき、どうしたの?」
「今、誰と話してたの」
「誰って、霧崎の……」
「ダメじゃん、あんな人達と関わったら!」
「…… なんで?」
「なんでって、霧崎の噂は知ってるでしょ!?」
「…………」
噂は知ってる。それが本当だってことも、今日の試合で知った。
――でも、噂以上のことだって、知ってる。まだ会ったのは二回だけだけど、本当に少ししか会話してないけど、でも。さつきよりは、私のほうが霧崎について知っている。
「……タオル」
「え?」
「タオル、貸してくれたの。……花宮さん」
「花宮さんって、主将の?」
「夏の、予選のときに、助けてくれたんだよ? 自販機前でじっとしてる、初対面の相手を、助けてくれたんだよ」
「そんなの何が狙いかわからないじゃないっ……! 先輩が怪我したの、忘れたの!?」
「…………」
あれ。
なんだこれ。
喉の奥から込み上げて、上顎を押し上げる何か良くない感情、良くない言葉を、歯を食いしばってそこに留める。私は今、何を言おうとした。さつきを大事にするって決めたじゃない、さつきを尊重するって決めたじゃない。さつきは間違ってないんだから、私はさつきに優しくしたい、その気持ちは、間違ってないはずだろう。今回のパターンは私を心配してくれてるんだから、こんなこと言うべきじゃない、思うべきじゃない。余計なお世話だとか、あのときの試合は誰が何をしたか覚えているのかとか、思うべきじゃないし言うべきじゃない。考えること自体が、私が、間違ってる。
舌を奥歯でぎゅっと噛んで、唇で笑みを作った。
「……タオル返しただけだよ。さつきが心配するようなこと、ないよ」
「本当?」
「本当。……ほら、皆待ってるよ。一緒に戻ろう」
変だな。胃が痛い。飲み込んだ言葉や感情が私の腹を腐らせる。変だ、な。これ、なくなったはずだったのに。
「……」
我ながら貼りついたような作り笑顔に手を触れる。そうしてふと、花宮さんの言った『羨ましそう』を思い出した。
――私はこれで、いいはずだ。さつきに嫉妬するならともかく、他人を羨むことなんかない。そうだろう。そう決めたはず。
振り返ってしまわないように気を使いながら、桐皇バスケ部員達と合流する。私の丈夫な笑い顔は、誰にも言及されなかった。
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2014.07.07
2014.07.07