さつきに連れられて体育館に行くと、今吉先輩がわざとらしく驚いた顔をしつつもやわらかく笑っていた。ずいぶん久しぶりに顔を合わせたような桜井くんが、少し泣きそうになりながらも笑ってくれた。マネージャーの女の子達によかったねと囁かれた。いつもぶっきらぼうな先輩が普段より少しだけ余分に優しかった。
 みんな、名前のこと心配してくれてたんだよ。さつきがそっと耳元で囁く。そうなのか。さつきが悲しむから、だけじゃなくて、私を心配してくれていたんだろうか。というちょっとした疑問は、翌日になって桜井くんに手作りクッキーやマカロンやチョコレートをどさどさ渡されてから溶けて消えた。いつも頼りにしてしまってスミマセン、居てくれるのが当たり前みたいに思ってましたスミマセン、でもやっぱり見てて欲しいんです傍にいて欲しいんです、が、頑張れるし、頑張りたいし、支えたいし支えられたいんです、スミマ、っセン、後半はほとんど泣き声のようになりながら言われるのに対し返事もできずぽかんとしていると、背後から先輩にホールドされ桜井くんもろとも青春してんじゃねーよと頭をぐりぐりやられてお菓子をちょっと奪われてジュースを渡された。桜井くんと顔を見合わせて、照れたような笑顔を向けられる。
 そうか、桐皇の人達は、私を仲間として認識してくれていたのか。
 今更ながらそう思って、手の中にある好意の形に視線を落とした。
 私は、受け入れられていたのか。さつきがいてくれたから、さつきが入り口になってくれて、でもさつきのおまけじゃなく桃井名前として。……もしかして、私の居場所はちゃんと在ったのか。
 顔を上げると、照れ笑いの桜井くんに腕を引かれて教室まで送られる。誕生日でもないのにプレゼントみたいな荷物を抱えて戻った私に、なに何かのお祝いでもあったの、いいことでもあったの、誕生日、私も何かあげようか。クラスメイト達に囁かれて笑い返しながら席に着く。積み上げられる好意が少しだけ増える。授業のチャイムに慌しく散っていく足音を聞きながら、お菓子やジュースやちょっとした文房具をしまいながら、授業用に取り出したペンをくるりと回した。
 ――大したことはしていない。少し、さつきに優しくしただけだ。本心からの範囲で、さつきを甘やかしてみただけだ。今まで思っていても口には出していなかった、可愛いや綺麗の言葉を声に出して、悪いなって気持ちも素直に外に出してみただけ。それほど大きな喧嘩をしているつもりはなかったのだけれど、外から見るとそうは見えなかったってことだろうか。……まぁさつき大ちゃん揃ってフルシカトなんて小学校の四年生くらいが最後だったと思うし、最近の私はキャラ作りもできていなかったから無理もないのかもしれない。

(……心配、してくれてたんだなぁ……)

 昨日の今吉先輩や、今朝の桜井くん。バスケ部の先輩、マネージャーの女の子達。
 私が嫌がりながら、苦しみながら、笑顔の下で悪意を育てながら。惰性で、それでも続けてきた努力が、何もできなくなった私を助けた。誰に対しても背中を向けることしかできなくなった私を、振り返らせた。
 小さく深呼吸して、ペンを回す。
 何を怖がってたんだろう、何を不安に思ってたんだろう。……私はちゃんと、出来てたんじゃないか。私の居場所は在ったんじゃないか。素直に向き合ってみるだけで、私の居場所はちゃんと在った、のか。
 少し、泣きそうになって目を閉じる。誕生日と勘違いして、ちょうど新品があるとクラスメイトがくれた可愛らしいメモ帳の表紙で青い鳥がこっちを見ていた。幸福の象徴となった物語。青い鳥を探しに旅に出て、どこにも見つからなくて、やっと捕まえたと思ってもすぐに色を変えてしまう。くたくたになって家へ帰ると、あれだけ探して捕まえられなかった青い鳥はそこにいた。幸福は日常の中にある、あまりにも有名な物語を思い出す。
 いつのまにか、好きになれなかった中学時代の同級生達の顔を思い浮かべていた。
 神様に愛されたような容姿と才能。さつきと同じ側の岸辺に立っている人達。――赤司くんは怖かった、緑間くんは面倒くさい人だけどすごいなとも思ってた。黄瀬くんは……綺麗だけど鬱陶しくて、紫原くんにはむかついてて、黒子くんはよく知らないけど面倒くささが先立ってあまり接していなかった。灰崎くんはちょっと怖かったけど助けてくれたこともあるので嫌いじゃない、大ちゃんは大ちゃんなので別カテゴリ。
 彼らも、素直に接すれば悪い人達じゃなかったのかもしれない。先入観から嫌っていた部分は大いにある、自覚している。そこまで考えて、紫原くんに結構ひどいことを言ったのを思い出した。私が上手くできなくなったきっかけ。ある意味、楽になった部分もある。

(……悪いこと、したかなー、やっぱり)

 本音百パーセントだったけど、言い方ってものがある。ちゃんと言えば普通に反省して改めてくれたかもしれない。とはいえ紫原くんにはやっぱり好かれていないので無理だろうなという気もするけど。でも、だからって同じ態度を取るべきだとは思わない。ホントのことなんだからいーじゃん、なんてのは気遣いできない言葉の効果も知らない子供の理屈だ。
 ……でも会う機会もないし謝る機会もないし、連絡先知らないし、さつきは知ってるかもしれないけど人に聞いてまで謝罪メールを送るべきかっていうと……そこまで気持ちがないのも本音な訳でして……いやでもここを頑張ってみるのが成長ってもんかなあ。努力は形にしないと努力じゃないよなあ。でもものすっごい罵倒メールが返ってきたらどうしよう、言い返してしまう可能性がある。性格よく知らないのにこんなこと言うのもなんだけど、あんまり好きじゃないから容赦せずに言い返してしまう可能性が。紫原くんは諦めて他のキセキに今まで態度悪くてごめんねって言ってみるべきかな、いや態度は悪くなかったか私の心の中だけの問題か。次に会ったとき少しだけ優しくしてみればいいのか……でもなぁ……今更って感じもやっぱりあるよねー……
 いつのまにかペンをぐるんぐるんしていたらしく、桃井さんスゲー三蓮コンボできるんだあと後ろの席の男子に声をかけられた。それができると受験失敗するって噂あったよねぇ。ふ、ギリギリだけど入学できましたあー。知ってる知ってる。こそこそ話して、数学教師に叱られる。頭を下げつつ椅子に座りなおすと、ルーズリーフに昨日塗り潰した文字列が視界に入ってきてどきりとした。誰に見られたわけでもないのに意味もなくページをめくる。
 私。さつき。キセキ。バスケ。その他もろもろ。
 くるん、一回転だけさせたペンをてのひらに収めて、真面目に黒板を書き写す。少しは授業に集中しよう。


「座ってもいいですか」

 おい疑問符どこいった。
 返事をする前に滑り込むようにして向かいに座った黒子くんに、数時間前したはずの決意――次に会ったらもう少し素直に、もう少し優しくしてみる、が早速ぐらついた。親しくはないはずだけれど結構ぐいぐい接してくる人だ、もしかして覚えていないだけで親しかったんだっけ? と思ってしまう。ちなみにそんなはずはないので、たぶん誰に対してもこんな感じなのだろうと思うことにしておく。

「久しぶり、黒子くん。インターハイちょっと前以来かな」
「はい、お久しぶりです」

 バイトを続けているにも関わらず彼と顔を合わせることはなかった。……まぁマジバなんて沢山あるし、私のシフトもランダムなので不思議ではない。黒子くんを影が薄いとは思わないけれど、気配を隠されると私はすぐにわからなくなるし。気持ちが入ってない証拠ですわー。仕事終わりに用意したあったかいコーンスープをすすりながら、真向かいに座る男の子の顔を眺めた。肌寒い季節になってもバニラシェイク一択のようだ。

「……あの、桃井さん、聞きたいことが」
「相席いいか?」
「え、あ、はい。どうぞ」

 ぬっと現れた火神さんが少し緊張して言うのを見て、不思議に思いながら頷く。相席も何も、黒子くんがいる時点で二対一だ。でむしろ私が相席してもらってる状態なような……。と思っていたら黒子くんの存在に気付いていなかったらしい、座ってから驚いたように声を上げていた。お店の迷惑です。ぶすっとして言う黒子くんは、もしかしたらちょっとだけ怒っているのではないだろうか。影の薄さを利用はしてても友達やチームメイト相手とかだとまた別問題なのだろうか。大ちゃんが気付かなかったときにはそれほど気にしてなかった印象だけどなあ。コーンスープをふーふーやりながら成り行きを見守っていると、言い合いに一区切りをつけたらしい、窮屈そうに席を詰めた黒子くんが、それで、と私に視線を戻した。

「ん、何?」
「……ここのところ、というか。少し前に紫原くんと会いましたか?」
「えっ」
「インターハイ直後のストバスで偶然会ったんですが、少し――気にしていた、ようだったので」
「……紫原くんが? 私を? 何か言ってたの?」
「具体的なことは何も。最近どうしているかとか、その程度です」
「んー……」

 正直、意外だ。あれだけ言ったのだし手も払ったし、彼のことだから会った知人全員相手に愚痴り放題かと思っていた。
 ……私が思っているほど子供じゃない、か。やっぱりよく知らなかった相手を一方的に決め付けていたことに対し、罪悪感が少し。話を聞いているだけだった火神さんが、紫原ってタツヤと一緒にいたあいつか、と黒子くんに確認を始めた。どうやら火神さんもそのストバスの場に居たらしい。

「何か、あったっていうか」
「はい」
「……少し、喧嘩した? 感じ?」
「ぶはっ」

 これ言って怒られたらヤだなあ、キセキって変なところで仲間意識強かったしなと思いつつもごまかせないだろうと素直に言ったら、何故か火神さんのほうに笑われた。え。

「喧嘩ってお前、あのデカいのと?」
「い、いや手は出してないので! ……ちょっとしか!」
「そっちの心配してねえ! しかも出したのかよ!」

 何が面白かったのか、けらけら笑っている火神さんの顔が初めて見るものでつい凝視してしまう。黒子くんがさっき気付かれなかったときと同じ顔で、火神くんうるさいです、とテーブルの下でドスンと音をさせた。たぶん足を踏んだんだろう、またぎゃあぎゃあ言い出した二人を尻目に手をつけていなかったバーガーをかじる。仲いいな、そして黒子くんは案外雑というかコミュニケーションが激しいようだ。やっぱり知らない部分ばっかりだな。
 ……やっぱり、先入観で避けていたのは反省しよう。

(ていうか、笑っちゃえることなんだなー……)

 火神さんは今も黒子くんと言い合っているけれど、黒子くんは失礼ですとか迷惑ですとか言ってくれているけれど。
 でも、そうか、言ってみれば中学の同級生とちょっと言い争いになったってだけの話だ。二メートル越えスポーツ男子と平均身長の帰宅部女子。ちなみに手を出した(といっても振り払った程度だけど)のは女子のほう。……うん、笑い話かもしれない。
 でも、笑ってくれる人はいなかった。私が誰にも話さなかったっていうのとは、たぶん別の問題で。
 うーん……。

「……でも、桃井さんがなんだか平気そうで、よかったです」
「え」

 唐突に声をかけられて、顔を上げる。
 言葉に違わないくらい穏やかな表情をした黒子くんがいて、驚きすぎてドキッとした。彼にこんな顔を向けられたのは初めてだと思う。それとも、これまでにもあったのだろうか。私が気付かなかっただけで? ……気付こうとしなかっただけで?

「最近、あまり元気が無いように見えたので」
「え、会ってたっけ最近」
「マジバにはよく来ます」

 つまり私が黒子くんの来店を知らなかっただけか。火神さんが小声で、オマエ俺には別のマジバに連行しといて、と呟いた。つんと視線を逸らして聞こえなかったふりをしている黒子くんは演技が下手だ。

「……心配してくれてたの?」

 仲良くないのに? 今も中学時代もそれほど接点なかったのに? 私、さつきじゃないのに? さつき、ここに来てないのに?
 そのあたりは口に出さなかったけれど、黒子くんは意外そうに目を丸めて、それからふっと微笑んだ。あたりまえです。やわらかい声で言う。

「当たり前です。桃井さんは元マネージャーで、……仲間でしたから」
「…………」

 私が気付かなかっただけで。
 私が気付こうとしなかっただけで。
 私は、きちんと。

「オマエさらっとそーゆーこと言うよな」
「本音です」
「……なんだか今日は黒子くんの新しい一面をたくさん見てる気がするよ」
「人間素直が一番です」

 その言い草には少し笑ってしまったけれど、そのとおりかもしれない、と呟くと火神さんが不思議そうに私を見ていた。火神さんも、ありがとうございます。笑ってくれて少し気分が軽くなったお礼をすると、ますます不思議そうに首を傾げられてしまう。それが可愛くて笑う。黒子くんが横槍を入れて、テンポのいい掛け合いが目の前で展開される。
 黒子くんのことは未だによく解らないけれど、キセキについてだってほとんど解らないけれども。先入観で、一方的に避けていたことは、やっぱり少し反省しよう。そう思った。


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2014.07.07