どっと疲れた。
 半ば逃げる形で喫茶室を出ると、ちょうどインターバルの時間だったらしい。ごった返す廊下を避けて人のいないところを探して歩く。
 特にどうとも思っていなかった元同級生は私が思っていたよりずっと怖い人だった。頭良すぎる人って話が飛躍するのかな……ていうか結局なんだったんだ、私の色々はバレてるのかそうでないのか。ああいや考えるのも疲れた、風にでも当たりたい……。ふらりと外階段に出ると、途端に人の影がなくなる。そうか、十分以内にトイレやら水分補給やらを済ませて席へ戻らなきゃならないんだから外になんか行かないのか。ちょうど建物の影になって日差しもきつくないし、このまま外にいようか……。こめかみをぐりぐり揉みながら、風通りのいい場所へ出る。足音を聞いたのだろう、そこにいた人が振り返って――

「…………」
「あ」

 うぅわ。
 と、声には出さずに済んだ。
 風になびく金髪と見開かれる眼。あまりにも見知った元同級生。試合観戦しなかった一因。

「黄瀬君」
「黒子っち、と桃井サン! なんで!?」

 そして背後には黒子くんがいたようだ、ダブルでうぅわぁ。
 頭に当てていた手でそのまま顔を隠しているものの、表情を取り繕えている自信がない。本当に、思ったより気力や体力を削られたようだ。これは非常によろしくない。
 友達とはぐれたのだという黒子くんは、そのまま黄瀬くんに近付いていった。彼が私を通り越して二、三歩進んだのを確認してから踵を返し、こちらを向いている黄瀬くんにだけ申し訳程度に手を振って反対方向へ歩き出す。貴重な休憩時間なんだろうし、選手の話は結局選手同士でしか通じない。ここでフェードアウトしても何ら問題はないだろう。

「桃井サン」
「……なに?」

 無視したかったけれど、聞こえる距離だ。風が強いのをいいことに、髪を押さえているふりをして手で顔を隠す。声の調子も気をつけなくちゃと思うのに、優しく柔らかくばかみたいな響きのある声が出ない。演技も、気力体力使うんだよなあ。赤司くん相手に使い切っちゃったのかなあ。黒子くんも不思議そうに振り返った、その様子を見ながら思う。

「ゃ、えっと、……なんか、ねーんスか」
「何かって?」

 角度をつけて目元を隠す。気を使っているつもりだけれど、それでもやっぱり喋り方が違うんだろう。黄瀬くんが戸惑ったような顔をしていた。半分だけ振り返る形だった黒子くんが、身体ごとこっちを向く。やめてくれよ、どうしてこういうときだけ気付くの。今までずっと、三年間ずっと上手くごまかしてきたのに、その間は一度も注意を払ったりしなかったくせに。なんで、うまくできてないときだけこっちを見るの。

「……負けない、とか、がんばれ、とか」
「っは」

 鼻から抜けるような笑いが出て、口元が歪む。
 何を求めているんだと思えば。何が言いたいんだと思えば。そんなもん友達レベルにいる人間に求めろよ、不安定で何か支えや起爆剤になる言葉が欲しいんだったら目の前にいる黒子くんに求めろよ。激励も反発も、するような間柄じゃあないだろう。黄瀬くんは本当に構われたがりの愛されたがりさんだなあ気持ち悪い。
 ……ああだめだ、こんなこと思っちゃだめだ、バレる。今の私は嘘が下手だ。なにか、なにか適当なことを言わないと。得意分野でしょ?

「……私ごときが応援するまでもないでしょ」

 適当にそれっぽいことを言おうとしたのに、音程のせいだろうか。私の言葉は、ひどく皮肉めいて響いた。

「……桃井さん?」
「ああごめんね、ちょっと驚いちゃった。黄瀬くんっていつも自信満々なのに、そういうの珍しいなと思って」

 やっと普段のばかみたいな明るく装った笑顔が出てくる。目と口を三日月にして顔全体の筋肉でつくる笑い顔に、黄瀬くんも止まっていた時間が動き出したようなぎこちなさで笑う。黒子くんはいつもと同じ無表情でじっとこっちを向いていた。ごまかせた、だろうか?

「……試合、楽しいといいね」

 これから試合の選手に負けてしまえと言わないで済む程度の体力は残っていたようだ。にっこり笑って、今度こそ立ち去る。これ以上の会話をする余裕はなかった。試合かー頑張れー程度は言えなくもないけれど、あの場面で心にもない台詞を言えばそれこそ厭味のようになったと予想がつく。とはいえ大ちゃんに勝ってほしいわけではない。黄瀬くんに勝ってほしいわけでもない。気分的には両方負けてしまえ色んな意味で。
 ていうか試合を見てもいない人間に何か言うことねーのかってのが無茶振りだよねえー、あ、でも見てないなんて知らないか、ていうか普通は見てると思うかこの状況……。

「…………はあー……」

 つかれた。
 しばらく歩いて、少し前までの人混みが嘘みたいに誰もいなくなった廊下で壁に寄りかかる。わあわあと歓声が遠くに聞こえ、溜息をついた。
 ……完璧に、失敗した。取り繕えてなかった、どころじゃない、ボロが出た。痛み出したこめかみを押さえて舌打ちをひとつする。なんでだろう、私は高校生になったのに。あのころよりずっとストレスフリーな日々を送っているのに。友達もできて、楽しいことがあって、自分の場所もそれなりに作れていて。なのにどうして、あのころより嘘が下手になっているんだろう。毎日毎日、四六時中へらへら笑顔を浮かべて嘘ばっかり口にしてキャラ作りして、そういう日々を、今は送らないでいられるのに。どうして今、あのころより疲れているんだろう。

(……あー……気持ち悪い……)

 みぞおちの上が疼くような痛みを訴える。
 黄瀬くんにも黒子くんにも悪いことしたなぁ、たまたま居合わせただけだっていうのに。空気を悪くしてしまった。嫌いじゃないはずなのに、どうしてこんなにむかつくんだろう。どうしてこんなに、苛立ちに蓋をできなくなっているんだろう。気持ち悪い。彼らのことも、その程度もごまかせない自分自身も。
 コンクリートの壁が冷たくて気持ちよくて、そこに頭を押し付けるようにしてもたれかかったままでいる。試合が終わる前に戻らないと。元通りにならなくちゃ。そう思うのに、足が一歩も動こうとしない。

(あつい……)

 蒸し暑さに、意図のわからない元同級生達に、苛立ちが募って消えない。なんで今更になって、離れられた今になって、関わってくるのか。全然うまく受け流せなかった、――ああでももしかして、もう、いいのだろうか。きれいな態度を取らなくても。だってもう学校も違うし無関係だし、さつきに何か言われたとしてもさつきと大ちゃんにだけ今まで通りにしてれば文句は引っ込んでいくはずだ。
 もういいかな。いいかなぁ。不機嫌を顔に出しても。気に入らないことは気に入らないって言っても。下らない質問をどうでもいいって切り捨てても、馬鹿にしてくる連中にまともに取り合わなくても、いい、かなあ。一生ディナーを共にすることのない人に何を言われても気にする必要はない、って言葉を何かで読んだ。いい、の、かな。赤司くんに私の性格がバレているのだとしたらもう、それこそ取り繕う必要なんて。

「あれー、さっちんの妹じゃーん」
「――……」

 たぶん一番か二番くらいに聞きたくなかった声を、無視して歩き出したい。けれど身体は重いまま、顔を上げる気力もなく、眼だけで見上げた。
 二メートル越えの長身、間延びした声。がしゅ、とお菓子の袋が潰される独特の音がした。

「なにしてんの、なんかお菓子持ってない? てかさっちんはー?」

 一本十円のお菓子、普段は結構好きなその匂いが、現状では気持ち悪さに拍車をかける。思わず顔を背けようとすると、私の倍くらい太い指に顎を掴まれ無理矢理に上を向かされた。お菓子の粉だろう、ざり、とした感触が不快で眉間が寄る。

「……何その顔、生意気」

 見上げさせられている顔が歪む。彼の機嫌が急降下したのが手に取るようにわかった。

「……変わんねーなぁ」

 全っ然、成長してねえのな。心からの言葉が口から零れた。呆れの色は声にも目にもはっきり出ていたことだろう。これも、もういいのかな。どうでもいいのか。
 ぱちり、瞬いた目が意外そうに開かれる。どうした、反論するわけないとでも思ってたか。思ってたんだろうな。私はいつも、笑ってやり過ごしてきたから。紫原くん、そんなこと言わないで。これあげる。そんなところで寝てると風邪ひくよ。はい水分。マネージャーとして至極当然そうな意見を、彼はいつも不愉快そうに顔をしかめて切り捨てた。うるせーし。カンケーねぇじゃんブス。桃ちんの妹ー? そんな理由だけでここにいんの。赤ちんマジで? こいついートコあんの? ねえなんかお菓子ねーの。一軍のマネージャーじゃねぇんだからレギュラーに近付くなし。黄瀬ちんの次は崎ちんなわけ? 何を根拠にそんなに嫌われたんだか知らないが、たぶんたいした理由は無いんだろう。子供っていうのはそんなものだ。優秀なプレイヤーだかどうだか、私は知らない。関係ない。バスケとかどうでもいい。ただ立場上、苦笑してやり過ごすほうが楽で、あとは単純に取っ組み合いになったら勝てないだろうなっていう恐怖が遠慮に繋がっただけだ。女相手だからって手加減するようにも思えない。

「離して。痛い」
「……俺に命令すんな」
「うるせえよ」

 今度こそ不機嫌がそのまま声に出た。顔にも出た。
 ぶん、と首を振って手を振り払い、顎のあたりを拭う。うえぇザラザラする気持ち悪い。軽い舌打ちをひとつしてその場を去ろうとすれば、思わず声の出る強さで腕をねじりあげられた。

「いッ……!」
「……な、に」
「は?」
「なに、そんな、怒ってん……の? ば、ッカじゃねーの」
「……手、痛いんだけど。離して」
「うるせーし」
「うるっせえのはテメェだろうが」

 子供みたいな言い争いをして、いっそ引き千切る勢いで振り回す。ぶん、と風を切る音を立てた腕は、幸いどこにもぶつからなかった。さっきと同じお菓子の粉が付いている気がして軽く払う。

「つーかお菓子でベッタベタの手で人やら物やらに触んじゃねぇよ躾がなってねぇな。あと名前も覚えてなくて用件もねーなら話しかけてくんな。不愉快」
「……ぇ、」
「なに殴る? さっきみたいにねじる? ヒネリ潰すってか? 自分が悪いことしておいて怒った相手には『バカみたい』ってか? いい歳こいて幼児性こじらせてんじゃねえよガタイばっかでかいガキが幼稚園からやり直せ主に道徳とマナーを。まぁいいよ殴るなら殴れば、速攻で病院行って診断書取って出るとこ出るから。あんたが試合に出られなくなっても知ったことじゃないし。……あーよかったねぇ私を殴れば大嫌いな練習出ないで済むかもよ永遠に!」
「桃ちん、」
「さつきはベンチ。試合中だからね。押しかければ? 得意っしょ、相手の都合考えないの」

 もう一度、今度は肩に向かって伸びてきた手を虫でも追い払うように叩き落して、今度こそ背を向ける。特に急いでもいない足取りだったにもかかわらず、紫原がそれを追うことはなかった。


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2014.06.29