「ご一緒にポテトのセットはいかがでしょうかー?」
「……えっとじゃあ、ください。ウーロン茶で」
「かしこまりました! ありがとうございますー」

 語尾を伸ばして高くする独特の喋り方でファストフードのセットを売りまくり、数時間して心地よい程度の疲労感に満足の溜息をついたところ、なっちゃんに声をかけられた。あんた今日輝いてんね。感心しているというよりは呆れたような口調で言われたことがよくわからず、首を傾げる。

「なんかさー、いつにも増して楽しそう」
「そう?」
「うん。いいんだけどねーつまんなそうよりかは楽しそうなほうがさ。……なんかいい事あった?」
「えー……」

 いい事。いい事。あっただろうか。
 霧崎との予選で大ちゃんとさつきがいなくなって、これは間違いなく悪いことだ。今吉先輩が慰めてくれたのはまあいいにしても。圧勝したけどすごく疲れて、花宮さんに助けられて、桜井くんが迎えに来てくれて。このへんもまあ、別に良くも悪くもない。一日トータルしてプラマイゼロってところだろうか。
 で、インターハイ参加についてごく自然にマネージャーに組み込まれていたので笑顔でマジ勘弁ふざけろボケ、をオブラートに包みまくって伝えて、何故か今吉先輩がやんわり助けてくれて、応援がんばるねー(客席にも行かないけど気持ちの問題ー)とだけ伝えてなあなあになって。敢えて言うならそれが『いいこと』だろうか。輝いてるねって言われるほど? いや、不参加は嬉しいけど。やっと自分の意志を貫けた感じがあって超嬉しいけど。

「……多分いい事があったって言うより、単純にバイト楽しいんだと思う」
「うーん。あたしもバイト嫌いじゃないけど、あんたって変わってるよね」
「んー」

 まあ、ここが唯一自分の場所だなんて、解ってもらえないかもしれないなあ。
 なっちゃんに事情を話してみてもいいのかもしれないけれど、私は私の成長過程をあんまり大っぴらにしたくない。なぜって私がクズであることの理由と証明にしかならないからな! さつきと私の両者を知る人間はだいたい無条件でさつきの味方だし、私の言葉しか情報源がないとしても実の姉やアイドル的存在の同級生達に対して笑顔で接しつつ内心で滅べと思っている人間なんてどう転んでも印象が悪い。っていうかクズだ。私は自覚あるクズなのです。やっとできた友達をなくしたくないのです。友達に嘘はつきたくないので余分なことは言わないのです。

「学校が違うなっちゃんとも会えておしゃべりできるからねッ!」
「ハイハイ」
「あしらわれた」
「いらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませぇっ」

 ドアの開く音に反射的に振り返り、笑顔で客を迎え入れる。その声を聞いたキッチンからも一拍遅れた『いらっしゃいませ』が続き、夕暮れのマジバは活気づいていた。『輝いてる』と称されたひとりの店員に引き上げられて、他の店員もいつもより少しだけ笑顔で声を張って。
 彼が現れたのは、そんな最中のことだった。

「いらっしゃいませー、……っ名前! 名前ってば!」
「え、何…… あ、いらっしゃいませー!」

 ちょうどレジの下にしゃがみこんで小銭を包みから出していた名前は、脇をつつかれて顔を上げる。そこに見えた姿に、ああ、と納得して普段通り笑顔を作った。なんだか久しぶりに顔を合わせた気がする、とはいえただの店員と客には違いないのだが。前より背が伸びたかなあ、さすがに気のせいかも。それにしてもやっぱり大きい。でもなんか、たくましくなった気がする。にこにこ注文を待つ名前に彼はぎこちなく『……おう』、とだけ答えた。そっけなくも聞こえるが、彷徨っている視線が照れているようで面白い。弟がいたらこんな感じかなあ、ほわほわ癒されながら普段通り注文をバックへ通す。山盛りバーガーのトレイを持って去っていく背中を、やはり微笑ましく見つめていると隣から揶揄とはまた違う強さの肘打ちを喰らった。

「いった! なんなのなっちゃん、どうしたの」
「なんでもっと会話しないの!」
「えー」
「もっとこう……さぁ! 普段の客との雑談力を! どうして発揮しなかったの!」
「ええー。だって別に友達とかではないし……」
「メルアドのひとつふたつ交換してきなさいよ!」
「ハードル高いよそれ」

 敢えて言うなら名前を聞かれて答えただけの関係だ。いつもありがとう、こちらこそ。それだけの短い会話しか交わしていない。名前からすれば彼の参加した試合を見はしたが――圧倒的、一方的にボコられる形で終わった試合を、見てましたなんて言うのも気が引ける。

「あんたあの赤毛チーズさんのこと好きだったんじゃないの?」
「好きだよ。なんかカッコいいのにカワイイよね。マジ癒し」
「……いやそういうベタなボケじゃなくってさぁ。恋愛的意味で」
「名前と顔しか知らないのに好きとかなくない?」
「あああ損した! 期待して損した!! 恋に必要なのは正論とか常識じゃないのよ!!?」

 それは確かに。
 っていうか私と赤毛チーズ、じゃなかった火神さんのことは結構マジで期待されてたんだなあ。見てて楽しいしなんとなく癒される、お店に来てくれると嬉しい。名前を聞かれたら答えたいと思う。これは間違いなく好意だけれど、恋かと言われると……言われると…………

「……うーん……」
「名前、顔ヤバい。超しかめっ面。女子高生のしていい顔じゃない」
「そこまで? 今ちょっと真剣に色恋云々を考えてたんだけど、そこまで?」
「もうちょっと幸せそうな顔しなさいよ」
「恋愛でそこまで幸せな思い出とかないもん……」

 色恋沙汰、でまず思い浮かぶのはテツくんテツくんカッコいい優しいギャップがたまらない大好き! と部屋中ゴロゴロするさつきの姿(他人や友達なら微笑ましいが家族としてはその頻度とやかましさに引くかうざいと感じるしかない)で、次に連想されるのは中学時代に泣きながらつかみかかってきた名前も知らない女の子だ。似たようなことは何度もあったが、彼女を強く覚えているのはその場で灰崎くんに助けてもらえたこと、数日後その二人がカップルになっていたことがあまりにも印象強くて。泣いてマネージャーに文句言わなきゃならないほど黄瀬くんを好きだったはずなのに、灰崎くんに腕を絡ませる彼女はとても幸せそうに見えた。恋心の不条理と女子の逞しさ、そして何より灰崎くんの手管に恐れにも似た感心を抱いた覚えがある。
 そんなようなことをぺろっと話すと、なっちゃんは至極呆れた顔で『……で、自分の経験談は?』と促した。

「……非常に申し上げにくいんですけど、私彼氏とかいたことなくて……」
「好きな人くらいいたっしょ! てーか憧れの人いたんでしょ! 部活に!」
「あ、そういえば」
「えええ」

 恋と呼ぶには遠すぎたけれど、遠くに姿を見られるだけでなんだか嬉しくて安心できた。
 淡く優しくあたたかい記憶は、それよりずっと頻度も濃度も高かった日々の憎悪に埋もれてしまっていたけれど。確かに、あった。

「また忘れちゃってたなぁ」
「……こう、甘酸っぱい記憶が埋もれるほど、あんたのいた部活ってハードだったの……?」
「んー、まあ一応マネリ……マネージャーリーダーやってたし、実質三年は私だけみたいなとこあったし、全国優勝した部活だし、普通より忙しかったんじゃないかな」

 思い出したくもないけどな。
 ……ああでも、その『思い出したくもない』気持ちが、日々の憎悪と一緒に淡い憧れまで埋めてしまっていたのだろうか。それはちょっと、良い事じゃないなあ。でも記憶って基本的には芋づる式だからなー……いいことを思い出す代わりに悪いことも思い出すのと、両方思い出さないのと、どっちがいいんだろう。どうしても悪いことのほうが多かったしなぁ。

「まーでも一応覚えてるんでしょ? そのときと比べてさぁ、赤毛チーズさんは! どうなの!」
「うわぁなっちゃん粘り強い。そこ続いてたのね」
「当たり前でしょ主題よ! 本題よ!」
「マジでか。……んー」

 そこにいてくれるだけで嬉しくて、なんだか安心して。その声で名前を呼んでもらえると、すごくすごく幸せで。
 ――あの日、あの時。あの目に自分が映った、それだけで、すべてが報われたような気がした。

「……当たらずといえども遠からず……って感じ……?」

 字面だけ見れば似ていないこともない、というかとても似ているけれど、強さが違いすぎる。しかし思い返すとアレって恋なのだろうか。憧れ、と言っただけあってそっちのほうが近い気がする。
 なあんだつまんない、みたいな反応がくるかと思いきや、なっちゃんはからっと笑って『なんだ、じゃあ脈ありだ』と言った。

「そう? なの?」
「まーあんたの話だから確実とは言えないけどねー。あたしはそう思う」
「なんで?」
「だって少なくとも好意で、憧れの人に対したのと近いモンはあるんでしょ? これから恋になりそうじゃん」
「そっか」

 そうなのか。そういうものか。
 私よりよっぽどそういう話に詳しくて経験もありそうななっちゃんが言うからだろうか、不思議な説得力がある。今は恋じゃない、だけど恋に育つかもしれない。そのための種はある。

「落ちるばっかが恋じゃないもん」
「……お? お? 実感こもってますなあ? おう?」
「名前がオッサンになった!」
「散々人をからかったんだからなっちゃんも言うべき! さあさあ!」
「ええー、あ、あたしは別に、」
「今日のシフト終わりに女子会したい人ー! 一緒になっちゃん問い詰めようぜー!」
「はあーい!」
「はいはーい!」
「ちょっと名前! あとどさくさまぎれに混ざんな男子ィ!」

 小声を心がけつつもふざけあって笑いながら、思う。
 恋。……恋か。中学時代のあれが恋だったのかそうでないのかはさて置いて、自分がまともに恋をする日など来るのだろうか。半分以上は諦めたような気持ちで名前は考えた。親しい男子といえばまず、幼馴染の青峰がいて、今は辛うじてクラスメイトの桜井がいる。他にも多少喋る程度の男子は、そりゃあ居る。し、過去にも居た。けれどどうだろう、あの頃も今も、そういった意図があると思わしき男子は皆双子の姉を目当てに『将を射んと欲すればまず馬を射よ』の精神であり、幼少期からそういった扱いに慣れすぎていた名前は彼らに対しては白々とした目しか向けることができなかった。幼馴染の青峰は違うといっても、恋愛対象かというとお互いに大きく『ノー』だろう。桜井のことは嫌いではないけれど彼の前では(というよりも学校関係の知人には全員だが)多少なりともキャラ作りをしている感が否めず、おそらく高校を卒業すれば途絶える程度の間柄だ。
 恋人に嘘はつきたくないし、妹キャラ作りもしたくない。そう考えるとどうしても『さつきを知らない相手』ということになる。
 ――なるほど、確かに条件としてはベストなのか。条件で恋愛ってのも変な話な気はするけど、多少は仕方がないだろう。
 そう思ってちらりと例のボックス席に視線を向けると、今日はレジに向く形で座っていた火神とばっちり視線が合う。反射でマジバスマイルゼロ円を浮かべれば、一瞬の硬直の後に軽い会釈で顔を背けられてしまった。

「あら滑っちゃった」
「ん、何?」
「ううん」

 落ちるばかりが恋じゃない。
 そうかもしれないと呟いて、手持ち無沙汰に子供向けセットの玩具チェックをする。済ました顔をしているくせに行動が凶悪なクマのキャラクターを見て、かつて憧れた人をまた思い出して小さく笑った。


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2014.06.24