「テツくんに、会ったんだってね」
その一言を聞いた瞬間、私の中で黒子くんの株が急暴落した。
「……あー、まあ、偶然、ね。何か言ってた?」
「ん、いや、頑張ってるみたいですって」
「ふーん」
何か隠してるな。とは思うものの、バイトしてますなんて言ったら何より先に追及されるはずだ。黒子くんはどうやら私のバイトだけは伏せて、何らかの情報を姉にもたらしたらしい。確かにバイトしてることは黙っててくれとは言ったけど、別に会ったことを報告なんてしなくたっていいだろうに。さつきが自分に惚れていることに気付かないほど鈍感だとは思わないが。本気にしてはいないのかもしれない、大ちゃんの存在もあるし。もしくは、黒子くんが絡んだときのさつきの面倒くささを知らないのか。私なら平気だとでも思っているのか。
どんどんやさぐれていく思考回路に疲れて、持ってきたまま開けていなかったアイスの袋を破る。こんな時間にそんなの食べたら太るよ。百パーセントの親切心で与えられる言葉には反応せず、それで? と困ったように苦笑して首を傾げてみせた。アイスの話ではなく黒子くんの話の続きだと察したのだろう、言いづらそうに視線を彷徨わせる。
ご親切にも頂いた忠告はシカトさせていただいて、冷たいソーダ味に噛み付いた。
夏の夜、お風呂上り、アイスバー。幸福の条件をここまで揃えながら、ベッドに座る姉がそれを味わうことを許さない。
「ねえ、名前――……やっぱり、バスケやろう?」
「…………」
「勿体ないよ! 名前はすごくいいマネージャーなのに、桐皇の皆にも信頼されてるのに! どんな事情があるのか、私には、わからないけどっ……」
あー。そっちで話したわけか。
もう一時中断して置いておきたい気分のアイスを無感動に口へ運ぶ。ここで退席はたぶん許されないし、放置したって溶けてしまうだけだ。がりがり、ざくざく、好きなはずのものに八つ当たりのような気分で接する。
「私はもう、バスケ部に入る気ないよ」
「どうして! 好きなんでしょう!?」
バスケを好きだったことなんて一度もない。口から飛び出しそうな反論が一瞬舌を浮かせ、けれどそれを抑えつけるのには慣れていた。
嫌いじゃないがトラウマにはなった。強制されて接すればさつきやキセキの連中ごと嫌いになりそうな場所にある。
「嫌いになりたくないからだよ」
どんなことだって強制されて好きでいられるはずがない、と言ったところで通じないんだろう、多分。さつきに強制のつもりは無いんだから。
「……テツくんのこと、好きなの?」
「……? どうしてバスケの話から黒子くんの話になるの」
「今日だって、テツくんに会ったこと言ってくれなかったし……教えてくれてもいいのに」
「だからそれは偶然で、」
「だってわざわざ誠凛の駅近くのマジバに行ったんでしょ? 会えたらなって思ったんじゃないの? それは偶然って言える?」
「――…………」
都内に駅がどれだけあって、駅近くのマジバが幾つあると思ってやがるんだ。さつきみたいな眼も、情報収集に対する能力や熱意も――ああもう面倒くさいストーカースキルでいいや、ストーカースキルもその素質も持っていない私が。なんでわざわざ、黒子くんのために。こんなくそうざい姉を派遣してくる空気読めない男になんか! 想いを寄せなきゃならない!!
「…………」
怒鳴り散らしたい気持ちを、棒だけになったアイスの残骸をぎゅっと噛み締めて耐える。
がんばれ私、耐えろ私。ここで怒鳴り散らしてさつきを泣かせでもしてみろ、駆けつけた両親に問答無用で責められる。怒ってみせたところで反省する女じゃないって今までの経験からわかってるでしょう。さつきを操縦するのに必要なのは、こっちの感情をぶつけることじゃあ絶対ないんだ。
「……今日、黒子くんと会ったのは本当に偶然だよ」
「……あこがれの、ひと、って、どうしてテツくんがそんなこと気にするのぉっ……?」
殊更やわらかな声で言ったけれど、さつきの大きな瞳から涙がぽろりと零れ落ちて抑え付けたはずの殺意が復活する。
やめろ落ち着け私ならできる私ならできる私ならできる。面倒ごとを回避せよ。どうにかさつきを言いくるめるんだ。嘘なんかひとっつも吐いてないけど! さつきの勘違いを正すには! 絡まった糸を解くには! 落ち着いて! 根気強くいかないと!
「さつき……、私がさつきの好きな人を横取りするわけないじゃない。今までだってそんなことなかったでしょ?」
友達だって習い事だって好きな人だって好きなことだって欲しいものだって何だって。私はいつだって何よりも、さつきを優先してきたはずだ。環境にそう強制されてきたからではあるけれど、そんなこと関係ない。
「……でも、大ちゃんは」
「ん?」
「名前はまだ大ちゃんのこと、大ちゃんって呼んでるし」
「言いやすいし慣れてるし、私はさつきと違って他の女子にも相手にされてないからだよ。嫉妬とか嫌がらせとか少なかったから」
まあ無くはなかったけどな。そんなのは当時の帝光でマネージャーやってりゃ多少は仕方ないことだ、納得はしてないけど。
「考えたことも無かったけど、さつきが言うなら青峰くんって言うようにするよ。まあ正直、呼ぶ機会もそうそう無いけど」
「い、いい! 別にそれはいいの! ……名前だって幼馴染なのに、へんなこと言ってごめんね」
「ううん」
自分が呼ぶのは誤解されたくないから嫌だけど、他の女子がそう呼んでるのも嫌ってか。ていうかさつきはテツくんテツくん言ってる割に最優先は大ちゃんなんだよなー……そこが黒子くんの反応イマイチっぷりに繋がってるんじゃないかね、どうでもいいけど。大ちゃんとくっつこうが黒子くんとくっつこうがマジで心の底からどうでもいいけど。
「第一、黒子くんにはさつきがいるのに。私なんかになびくわけないじゃん?」
「……名前ってば」
ぷ、とさつきが笑う。私も安心したように笑みを深くして、見せる。
くすくす笑う可愛らしい顔に、もう涙の気配は無い。それには実際、安心しつつも――視線が冷えたものにならないよう、窓の外を眺めてごまかした。よく泣いてよく笑って素直で、外見ばかりではなくさつきはとても魅力的な女の子、なのだろう。私に対して以外は。
(……あーあ)
早く来いよ隕石。この際なんでもいいよ。私ごとで構わないよ、むしろ私一人ピンポイントで構わないから。世界を、終わらせてくれないか。このまま変えられないなら、もういっそ。
「ね、名前」
「なあに?」
「次の試合、一緒に行こう」
「…………」
私が十数年かけて作り上げた丈夫な笑顔に、限界が近い気がする。
「さつき、私は」
「マネージャーじゃなくっても! ベンチ入ったってバレないし、客席にいたっていいし!」
「……」
「大ちゃんもだけどね、テツくんも言ってたから! ……頑張るから、見ててほしい、って」
「さつき……」
それはどう考えても私に見て欲しいって話ではないのでは。と思ったけれど、バスケをやめた理由について結構しつこく質問されたことを思い出して口を閉ざす。
帝光一軍がギッスギスしてた時期とか大ちゃんが練習しなくなったとか、あのあたりの全中で黒子くんも消えていたはずだ。主義の違いだと赤司くん辺りに聞いた覚えがある。私は一軍にはそれほど関わりがなかったし、なんか揉めてんなーくらいにしか思ってなかったけれど、何か関係しているのだろうか。もしかして私がバスケをやめた(というか私の主観としてはそもそもやってもいないけど、それはともかく)理由としてそのへんを候補に挙げていたり? 責任を感じてるとか? いやそれはないか、何度も確認するけどそんなに親しくないし接点ない。
「きっと取り戻すから、って」
何を? バスケを? 奪われてたの? 誰に? 大ちゃん?
……ああいい、まあいい。ひとつの事柄に夢中になりすぎると大体の部外者からは電波に見える。そういうもんだ。
「さつき……」
「学校でも応援用バス出してくれるらしいし! キセキの皆にも、きっと会えるよ!」
あ、これ拒否できないやつや……。
肝心なところで話を聞かない姉にうんざりする心情を笑顔で覆い隠しながら、バイト調整しなくちゃなあと考えた。
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この部分が一番書きたかったかもしれない
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