「あー、のよ。えっと」
「……?」
人もまばらになってきた店内、今はすっかり顔馴染みになったお客さん――なっちゃん曰く、赤毛チーズさん、が言いにくそうにがりがりと後頭部を掻いている。
注文は既に請けたし背後では今も着々とチーズバーガーが出来上がっている。コーラの準備は終わっているので首を傾げつつ彼の言葉を待っていると、ほんのりと頬を染めた彼は意を決したように逸らしていた視線をこちらへ向けた。
「あ、の! 名前、教えてく……ださい」
「えっ」
「べ、つに! 変な意味じゃなくて、だな」
「あー……」
どうしたもんか。
名札があるから苗字はバレてしまっているが、わざわざ聞いてきたということはファーストネームの方だろう。どうしようかな、こういうのっていいのかな、バイトのマニュアルとしては……まあ個人の裁量に任せる、つまり勝手にしろってトコなんだろうけど。助けを求めて周囲に視線をやると、バイト仲間からニヤニヤした笑顔と親指を立てられて終わった。完全に面白がられている。
「……」
まあ、でも、嫌いじゃないし、この人がお客さんで来てくれるのちょっと楽しみだったし、今も真っ赤な顔で返答を待ってくれているし。勇気を出して、聞いてくれたんだろうし。名前くらい別にいいか。……黒子くんといた様子を見たのは、実際あの一度きりだし。
いつも通りのチーズバーガーをバックから受け取り、コーラと一緒に載せて振り返る。彼のただでさえ大きな背筋がぴんと伸びて直立不動の姿勢になった。それがなんだか大型犬のようで、少し笑う。トレーを掲げるように持ち上げると、慌てた様子で手を出した。端と端で持ち合うのと同時、視線が合う。
「いつもありがとうございます。――桃井」
「答えることないですよ」
「がっ!?」
ずいぶん高い位置に会ったはずの頭が、がくん、と落ちる。
どうやら背後から膝を折られたらしい。バランスを崩して一瞬宙に浮いたトレーを慌てて持ち直すと同時、てめぇ黒子! と尖った声が響いた。
「何ナンパしてるんですか、怖がらせるんじゃありません」
「え、いや、」
「っな、名前聞いてただけだっつーの!」
「威圧感丸出しでしたよ。女性にはもっと優しくするべきです。……すみません、バニラシェイクひとつください」
「は、はい……」
っていうか黒子くんだ。黒子くん、だよね。まさかこんな珍しい色の人を見間違えるはずがない。
戸惑いながらもバニラシェイクを注ごうと振り返れば、ニヤニヤと見守っていたはずのバイト仲間たちが一層キラキラした瞳をこちらに向けていた。『修羅場? 修羅場キタコレなの?』という心の声が聞こえてくる。キテないわ修羅場じゃないわ修羅場であってたまるか。『どっちが本命?』テレパシーやめい。
「お待たせいたしました、バニラシェイクおひとつで百円になります」
「はい。……お久しぶりです、桃井さん」
硬貨をひとつ掌に落とされた、はずがその手をしっかり掴まれる。
……お釣りを渡すときに両手使って上下挟むようにする人はいるけどさぁ……確かにいるけどさぁ、そういうキャラだっけ黒子くん……。戸惑いを隠しもせずに顔を上げると、小柄な印象はあるもののやはり私よりは高い位置にある目にじっと見つめられた。この目が好きなのだと、そういえばさつきが言っていたっけ。
「何時に終わりますか」
「え、……っと……」
「大丈夫です、火神くん……さっきの彼は、同席させませんから」
別にそんなこと言ってませんけど。と言っていいのか、わからない。そもそも彼が本気で言っているのかもよくわからない。
たまたま会った、じゃあお茶しよう、なんて流れになるほど彼とは親しくなかったはずだ。さつきならともかく。
「あの」
「あ、この子もう上がりなんで! 行っていーよ名前!」
「ちょ、なっちゃんっ」
「ただしお話は店内でねっ!」
ぱちんとウインクしつつ言うなっちゃんは、一応気を使ってくれたのか、面白がっているだけなのか。……半々かなあ。さすがに二人っきりで店の外に送り出すには遅い時間だ。
私が返事をするより先に頷いた黒子くんが、お待ちしてます、とだけ言ってレシートも受け取らずにいつものボックス席へ歩いていく。少し遅れて赤毛チーズさん……火神くん、というらしい彼の声が聞こえて、無意識のうちに小さく溜息をついた。
「……名前? 平気?」
「うーん……うん……」
「……ゴメン、あんたあの、赤毛チーズさんのこと結構好きそうに見えたからつい口出しちゃったんだけど。乗り気じゃなかったら、裏から帰る? あたし伝えとくよ?」
「いや、大丈夫。ありがとねなっちゃん。……あと、赤毛さんはともかく次に来た水色の人は同級生だから、変な期待しないでくださいねっ!」
後半はバックヤードにいるバイト仲間含めて言う。目をキラキラさせていた暇人達は、んだよーつまんねえー愛憎劇はじまんないってよー! という掛け声とともに解散した。愛憎劇って、何を期待していたんだ。
「先に着替えておいでよ。アップルパイ用意しとくからさ。あとコーヒーも」
「……おごり?」
「もちろん!」
「じゃ、許す」
ふふっと笑い合って、確かにシフト終わりの時間でもあったので軽く声をかけて更衣室に引っ込む。
黒子くんの用事が何であろうと、何もなくても、とりあえず口止めしなければならない。さつきや大ちゃんには話していないバイトなのだから。そうでなくとも――……黒子くんが関わっている時のさつきは、普段に輪をかけて面倒くさい。
(……)
私は、ほんっとうに、クズだな。
そう思って、けれど音にすることはできなくて。マジバの制服から高校の制服へと着替えた。
「――あ」
「お、おう……」
ばったり。
レジにいるなっちゃんからアップルパイとコーヒーを受け取り、例のボックス席へ行こうと振り返った矢先。ぶつかりかけた人に、つい声を出す。
どうやら一歩先に帰るらしい。それにしてもこの短時間で三十個のバーガーを平らげたのか。たくさん食べそうな体つきはしているけれど。
「すみません、先程は手間取りまして」
「あ、いや……俺も、その、悪い。黒子の同級生なんだってな」
「はい。中学の。あ、あとですね、黒子くんは私を庇ってくれたんだとは思うんですけど、私、火神さん怖くないです」
「、え」
「申し遅れました、桃井名前と申します。いつもご来店ありがとうございます」
トレーを携えたまま、ぺこりと頭を下げる。レジの真ん前で行っているやり取りは邪魔だろうけれど今は他のお客さんもいないので許して欲しい。なんだか、このタイミングを逃したら、誤解を解く暇がなさそうな気がするし。
「あ、っと」
「はい」
「……火神大我。俺も、いつもありがとな」
――照れたような、笑顔が可愛い。
何故か私の頭をわしゃっと撫でてから、またな、と意外なほど優しい声で言って、彼は店を出て行った。ありがとうございましたぁ! 背中に投げられるなっちゃんの声が弾んでいる。
「んふふー。んふふふふふ」
「……なぁに、なっちゃん」
「春だね!」
「もう夏だよ……もー」
言いながら。確かに胸をときめかせる温かさに、同じように笑ってしまう。
「桃井さん」
……そのまま浮かれて帰ってしまえれば、よかったのだけれど。
「……黒子くん。ごめん、待たせちゃったね」
「いえ。お持ちします」
「え、い、いいよ、これくらい」
「させてください。ボクが急にお願いしたことですから」
「……」
ちらり、なっちゃんに視線を向けると、黒子くんが背を向けたタイミングで小さく肩をすくめられた。ひらひら小さく振られる手が、『後で話してよ。相談乗るからさ』と副音声で言っている。
「桃井さん?」
「……うん、お邪魔します」
四人掛けのボックス席、彼の向かいに腰掛けて。つい逃避がちに窓の外へ視線をやってしまうのは、多少仕方のないことだと思いたい。
「……黒子くん、誠凛だっけ。本当に、久しぶりだね」
「はい、桃井さんは桐皇ですよね」
「うん、大ちゃんとさつきと一緒。勉強がなかなか厳しくてさあ、違うとこ行けばよかったなーって後悔中」
冗談っぽく本音を漏らすも、黒子くんは相変わらず真顔のままバニラシェイクのストローに口をつけている。
ところで何か話してくれないかな。話題ふってくれないかな。誘ったの君でしょう! という気持ちが口から出ないうちに、アップルパイに噛み付く。揚げたてを作ってくれたのか、サクサクして美味しい。
「……桃井さんは」
「んっ?」
「桃井さんは……バスケ部に、入るんだと思ってました」
「…………」
やっぱそっちの話か。
シナモンの香り漂う甘くとろりとした林檎ジャムが唐突に渋味を帯びる。大量生産のファストフード店、どちらかというと子供向けメニューにそんなことがあるはずはないのに。
「……黒子くんは、バスケ続けてるんだよね。もしかして、さっき一緒にいた人は部活仲間とか?」
「事情って、伺ってもいいですか」
話をすり替えようとしたのにスルーされた。
なんというスルー能力の高さだろう、スルーっていうか今のはいっそ無視って言わないか。すごく明確にぶった切られなかったか私。
「すみません」
「……ええっと?」
「何日か前、お友達と話していたのを聞いてしまって」
ああ。
なっちゃんとしていた会話――事情あってバスケ部に所属していた、話。初めて火神さんの接客をしたあの日。あのときの嫌な感じは、嫌な予感は、外れていなかったらしい。溜息を、コーヒーの湯気を吹いて誤魔化した。
「バスケ部を、辞めた事情って何ですか」
……うん?
黒子くんに視線を向けると、相変わらず何を考えているのかわからない、まっすぐな目に見据えられる。あ、勘違いしていらっしゃる。直感的に思いつつ、なっちゃんとの会話を思い返した。
――なんでやってたの? やめたんでしょ?
――事情があって。
そんな感じの会話をしたはずだ。
……私となっちゃんは『マネージャーをしていた事情』と捉え、黒子くんは『マネージャーをやめた事情』と捉えた、と。
まあそこはどっちがどうでもいい、いずれにせよ別にバスケ好きじゃなかったし中学時代も嫌々やってましたとか現役プレイヤーに対しては言いづらい。我ながら気遣い細やかな空気の読めるいい女である。って誰も言ってくれないから自分で褒めておく。私マジ偉い。
ん、で。
……異様な目力で見つめてくる、双子の姉の想い人をどうしたものか。ていうか私がマネージャーやってようとやってなかろうとどうでもいいじゃん、黒子くん三軍時代にちょっと接点あったけど一軍になってからはむしろ減ったしレギュラーで遊ぶ時も私まざってなかったし全然仲良くないじゃん……
「うーん……」
どうでもええやろ放っとけや……とは流石に言えないので、少しばかり苦笑してみせる。
「黙秘、とかダメかなあ」
「……桃井さん」
「誰も悪くないよ。誰のせいでもない。ただ私の問題。それを言葉にするのは難しいし、正直、あんまり人に話したいことでもないの」
オブラート十枚くらいにはなっただろうか。にこり、意識して笑いながら首を傾げると、まっすぐ前を向いていた水色の瞳が少しばかり暗く伏せられる。個人的に黒子くんのことは決して嫌いではない、そもそも好き嫌いを判断するほど接点がないけれど、彼の人格に関わらず彼は面倒ごとに直結しているのだ。彼が、さつきに惚れられたその時点で。
「……それに、……憧れの、」
「ん?」
「……いえ」
言うか言わないか躊躇うような素振りを見せ、結局は言わないことにしたらしい。私もわざわざ突っ込んで聞くほど興味も無いのでそっかと微笑んでおく。本当にねえ嫌いじゃないんだけど……好きでもないんだけど……黒子くんと関わるとさつきが煩くって嫌なんだよねえ。
あ、そうだ、さつきといえば。
「黒子くんに、お願いがあるんだけど」
「……、はい」
「私がここでバイトしてること、さつきや大ちゃんには……っていうか共通の知人誰にも、かな。言わないでほしいの」
「……隠す理由と、ここでバイトしている理由を、教えていただけるなら」
だから別にどうでもいいだろうがあ。
ひきつる頬を隠して、いかにも考えてますといった調子で口元に両手を当てる。
「……欲しいものが、あるんだ」
考えた割に平凡な返答になったけれど、嘘ではないのでまあいいだろう。
欲しいものがある。――自由な時間、ひとりでいられる場所、自分だけの仲間や友達、さつきにも大ちゃんにも関わらずにいられるところ。私を私として、受け入れてくれる、ところ。
「隠す理由は、成績悪いのにバイトって怒られるから。ね、お願いね、黒子くん」
「……はい」
「ありがと! バニラシェイク、クーポン券でよかったら受け取って!」
わざと明るく笑って、声を高くして、普通の女の子みたいに。内側の汚いものに気付かれないように。既に腐り始めている悪意が嗅ぎ付けられてしまわないように。――嘘をつきたくなくて、演技をもうやめてしまいたくて、ここにいるっていうのに。
切ない気持ちになりながら、賄賂です、なんて言って笑う。返される苦笑を、嬉しいですと言わんばかりに笑みを深める。
(あーあ)
どいつもこいつも馬鹿でクズで。一番クズなのは、私だ。
そろそろ世界滅びないかなあ。期待を込めて窓の外に視線をやっても、隕石が落ちてくる気配は無い。
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誰かと恋愛展開には…なるはずです…多分!
誰かと恋愛展開には…なるはずです…多分!