前世の記憶があると言ったな、あれはマジだ。
 私が自分の『無個性』を悲観していないのは、前世では『個性』という特殊能力自体が存在していなかったから、という部分が大きいと思う。つまりは慣れだ。これが個性というより画一化されたもので――たとえば指が六本あるのがデフォルトだとか――自分だけ違ったらそりゃあコンプレックスだったかもしれないが、隣の彼は洗脳できて背後の彼女は気分が読める。誰かは相手の三食前の食事内容がわかり、誰かは犬と言葉が通じる。持っているものがこれだけバラバラだと、持ってなくてもあまり気にならない。
 というのは、無個性ゆえの無知か、劣っているゆえの強がりだったりするんですかねえ。自分じゃよくわからないや。
 けれど他人にどう受け取られようが、私は私の『無個性』をわりと気に入っている。
 なんて話は、誰にもできないけれど。

「好きなヒーロー?」
「そう、誰? 俺はマイク先生!」
「お、ラジオ聞いてた系?」
「聞いてた系! マジ雄英来てよかったわー」
「私はやっぱオールマイトかなー」
「不動の人気だよなあオールマイト」

 わいわい盛り上がるクラスメイト達に、曖昧に笑んで気持ち一歩下がる……ものの経験則から知っている。このあと、『で、轟は?』と聞かれて私は慣れきった口調で『エンデヴァーかなー』とかほざくのだ。それが一番、当たり障りのない回答だから。薄っぺらい嘘だとしても。

「……心操くんは? ヒーロー志望ってことは目標としてるヒーローとかいるの?」
「色々好きだけど、轟は?」
「私はやっぱエンデヴァーかなー。じゃなくて心操くんの話だってば」
「……」
「……え、何」

 じっ、と見つめられて、必要もないのになんだかそわそわしてしまう。

「俺じゃなくても」
「うん?」
「俺じゃなくても、疑うと思う、それ」
「……え」
「……別に、好きなヒーローなんか居なくても誰も責めないんじゃねーの」
「…………」

 そんなに、嘘くさい声をしていただろうか。それとも何か、嘘だと感じさせる仕草があっただろうか。
 私を置いて皆に輪の中に入っていった心操くんの背中を見つめながら、好きなヒーロー、というもう聞き飽きたような話題について考えていた。
 どんな個性、というのと同じくらいにありふれて平和的な話題。好きなヒーロー。

(……『無し』、か)

 あっちも、こっちも。
 そう思って少し顔を伏せ、瞬きをした瞬間、瞼の裏に映る赤。赤い――炎ではなくて、マント。

(居ないわけじゃない)

 居ないわけじゃないんだ。ただ、それを口には出せないだけで。誰にも知ってもらえないだけで。
 一人ぼうっとしているうちに、授業開始のチャイムが鳴る。ほっとしたような気分で席に戻りながら、それでも一度思い描いた影はなかなか消えてはくれなかった。

 前世でも、ヒーローという職業はあった。というか、末席ながらそこに名を連ねていた。こことは少し扱いと意味合いが違うようだけれど、怪人――こちらで言う、ヴィラン――というものも存在した。もしかしてここは前世より後の時代なのかと思って歴史や新聞を漁り、世界ごと違うようだと察したのは小学生になる前のことだ。
 ここではヒーローは事務所に所属し、まるで芸能人のような扱いだが、私の知っていたヒーローは違った。ヒーロー協会に登録し、協会によってランク付けと管理をされた存在だった。兼業ヒーローも多かったように思う。モデルをやっていたり道場をやっていたりコンビニで働いていたり。自分もヒーローとして登録しつつ、うどん屋店員とスーパー店員を掛け持ちしていた。
 個性と呼ばれる特殊能力も無かった、……たぶん。超能力持ちや桁外れな怪力は存在したので自信がない。

 目を閉じる。瞼の裏に、翻る赤いマント。黄色いスーツは、ほとんど汚れることがなかった。

(先生)

 飽きるほど――呆れられるほど声に出した呼び名。強さに惚れ込んでほとんど無理に弟子入りして、そんな私達を迷惑そうにしつつも受け入れてくれた人。
 誰より強くて、不思議とどこか乾いていて、たまにとても孤独に見えて、圧倒的な高みに立っているせいだろうか、誰よりも平等で。全ての戦闘を一撃で終わらせる。……最強の、ヒーロー。

(……せんせい)

 意味もなくシャーペンの芯を出して、ぽとり、紙に落ちる様子を眺める。
 思い出を、美化しすぎているのだろうか。在ったかどうかも定かではない、ただの妄想かもしれない前世の記憶。そこでだってヒーローは決して清廉なだけの存在ではなかったし、正義だと言い切ることもできなかった。狡い人も酷い人も薄汚れた人も沢山いた、勿論自分を含めてだ。だけど先生、ヒーロー、サイタマ、ハゲマント。どんな絶望も一撃で貫く拳。
 先生。
 ジェノス。
 ぽたり、ノートにまた何か落ちる音がする。見ればそこにはシャーペンの芯ではなくて、水滴の落ちた跡があった。

 この世界で言う『ヒーロー』は、大層な名前の付いた、ただの職種だ。
 そう察してからは誰の情報も入れていない。そうやって視界を閉ざせば光さえ見えなくなると薄々感じながら、それでも改めて絶望なんかしたくなかった。ヒーローと呼ばれる存在を軽蔑なんかしたくなかった。知らないままの方がずっとずっとマシだと、信じて。
 だってここで言うヒーローとは、あの男が。この世界での父親が、ナンバーツーの座を持てる職業なのだ。

 前世の記憶を、愛している。自分の正気を疑いながらも、大事に想っている。悲しかったことも悔しかったこともあった、幸せなことも沢山。それらの思い出が、今の自分を支え――同時に苦しめてもいる。そう、解りながら、反芻することをやめられない。
 ハゲマントも、鬼サイボーグも、この世界には居ない。あの世界に、個性と呼ばれる特殊能力が無かったように、それはもう根本から違うものなのだ。けれど――だからこそ――自分の『無個性』に、しがみついている。

(先生、ジェノス……)

 この超人社会で取り残されたような『無個性』だけが、今はもう存在したかも不確かな、あの世界の記憶を繋ぎとめているようで。救いなのか絶望なのか、既に判断がつかない。だけどこれを失ってしまったら、私はきっと私ではいられなくなる。

(……ヒーロー、)

 助けてくれ。
 そう叫ぶこともできないで、女子高生の皮を被って、居場所もなく彷徨っている。


 全然集中できずに授業が終わり、小さくため息をつく。
 ひとときの休息にざわめいている教室内で、轟、と、もう慣れた声がした。

「なに、心操くん?」
「最後の問題よくわかんなかったんだけどさ、」
「ああ。えーとね……」

 ここの数字がこう動くから、とノートの数式を指で示しながら少し身体を寄せる。不自然でない程度に近い顔。心操くんは二人の間にある小さな空間に、ひっそりと落とすように『ごめん』と囁いた。

「さっきの。ごめん。別に、責めてるつもりじゃなかった」
「……」

 誰かの笑い声、誰かの話し声、誰かの愚痴。十五歳の子供達を詰め込んだ教室で、隙間を縫うように、この場所だけが静かだ。

「……なんか、心操くんには謝られてばっかりな気がするなぁ」
「、ごめ」
「謝ることじゃないよ。……私も……ごめん。上手く言えないことが多くて」

 心操くんが僅かに顔をあげて視線を寄越す。それに薄く笑いかけると、眼が少し揺れてから伏せられた。
 ほんとうに優しい子だなと、嬉しいような、胸が痛いような気がする。彼の発言は常識的かつ気遣いがあり、不用意にさえ相手を傷つけるようなものではない。相手が私だったことだけが問題で、彼が謝ることなんてなにひとつ無いのに。
 笑いかけてみせると、気まずそうに視線が落とされる。少しだけ時間をかけて、笑みが返ってくる。その仕草に、双子の弟のことを思い出す。そんな、どこか気弱そうな、優しげな仕草を、焦凍に見たことがあった。もう何年も前の話だ。

(……上手く言えないことが多すぎる。本当に)

 個性のこと、ヒーローのこと、家族のこと。前世の記憶のこと。隠していることもそうでないことも、この身には厄介な事情が多すぎる。自分で言うのもなんだけど、まだ高校一年生になったばかりの女の子だっていうのに。

「いつか」
「?」
「いつか、好きなヒーローができたら、話させてね」
「……おう」

 できるかなあ。できないだろうなあ。多分この約束は果たされることはないだろう。そもそも条件が揃わない。
 けれど心操くんが少しほっとした顔をしてくれたから、今はそれで充分だ。

 ほんとうは、先生の話をしたいけれど。弟弟子の話をしたいけれど。それは多分、かなわない我儘ってやつなんだろう。

(……本当にめちゃくちゃ反則レベルで強くて、だいたいの戦闘を一撃で終わらせちゃうヒーローが居るんだよ)

 いつも気が抜けたような顔をしていてそれでも勝てて、だからなのだろうか、気負うっていうことが全然なくて、いつも自然体で。時にそれが救いだったり絶望だったりしたのを見た。味方に対しても敵に対しても。かなしいほど圧倒的で、だけど人らしさを失わない、相手を認めることを失わない。あのひとの目に映りたくて、ヒーローを志したんだ。

(強くて冷たくて大人げなくて計算高くて顔が良くて恥ずかしげが無くて厳しくて、なんでか子供っぽくてムカついて、でも嫌いになれないヒーローも居るんだ)

 いつまでたってもどこか危うい印象の、だけど先生っていう芯だけはしっかりしていた弟弟子。たまに、本当にたまに、姉さんと呼ばれることがあった。それはからかうときだったり、彼なりに弱気の時だったり、私を甘やかす時だったりした。あの頃の私は家族というものに餓えていたから――それを言ったことはなかったけれど、察していたりしたんだろう。計算高くて、これは認めたくないんだけど、優しい子だから。
 好きなことを好きだと云えたらいいのに。好きな人の、好きなヒーローの話を、彼等と同じように翳りのない顔で言える環境ならよかったのに。
 先生や、ジェノスのことを、心操くんに――じゃ、なくたっていい。誰かに、話せればいいのに。

「……轟?」
「ん、ごめん、なんだっけ?」
「……昼飯。行こう」
「うん、行く行くー! 今日の日替わり何だろうなー」

 へらっと笑って、席を立つ。
 心操くんの視線から、なんとなく逃げるように顔を逸らしていたのは、意識したところではなかった。


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2019.07.11
2019.10.18(修正)