双子の弟に氷と炎が同時に顕現したその日、この身に個性と呼ばれる能力がひとつも存在しないことが判明した。
母は悲しみ、兄や姉は慰めてくれ、双子の弟は意味がまだよくわかっていないようで、父は無反応から徐々に荒れるようになった。兄弟たちの中から、末の弟にだけ……焦凍にだけ課されるトレーニングが熾烈を極めていったのは、あのタイミングで無個性が判明した自分にも責任の一端があるような気がしている。責任と落ち度はイコールではないという前提の上でだが。
焦凍に泣かせながら吐かせながら、止めに入る母親までを突き飛ばしながら強行されるそれを見ていられなくて止めに入ったことは一度二度ではなく――さすがに建物から放り出される程度で済んでいた――入り込んで焦凍や母を庇う、何度目かのそのとき、彼なりの我慢も限界に達したのだろう。部屋全体を震わせるような声で怒鳴られた。
「無個性の劣等種が!!!」
もともと悪かった母の顔色が紙のように白くなり、倒れ伏せていた焦凍がぴくりと震え。
私は、吹き出していた。
「ご自分の種じゃないですかあー!!!」
げらげらげらげら。劣等種って、そんな自虐しなくていいのよお父さん! げらげらげらげら。まあここでお母さんに責任転嫁してないだけ評価できるのかな! げらげらげらげら。ていうか娘相手に下ネタとか勘弁してくださいよお。げらげらげらげら。轟家下ネタ解禁イベントがこれとか歴史的過ぎる、ビデオ回しとけばよかったあ。げらげらげらげら。
轟家末娘、ゲラ判明の瞬間である。さすがに下品すぎた。反省はしている。言いながら更に面白くなってしまって笑い転げたのも反省点だ。
おそらく数秒の沈黙を挟んで強烈なビンタが繰り出され、まだ幼かった私は数日寝込むこととなった。以降は懲りてまともに口をきいていない。ちなみに劣等種という言葉は封印されたらしく落ちこぼれと呼ばれるようになった。
轟名前、ナンバーツーヒーローの末娘、無個性。人と変わっているところといえば、前世の記憶があるくらいです。たぶん経験から来る能天気が、悩みといえば悩みかもしれません。あ、あと荒んだ家庭環境。でもまあそんなご家庭どこにでもあるよね。義務教育終わったら放り出されるかなーとか心配してたけど、どうやら高校は出させてもらえるようなのでその間に身の振り方を考えなきゃなーと思います。ただまあ雄英指定(おそらく雄英以外じゃ金は出さんという話)っていうのが頭の痛い話です、受かったけど。めっちゃ勉強して受かったけど。入れたところで授業についていけるのか、一抹どころじゃない不安です。留年と退学も視野に入れなきゃならないかしら。バイトでもしようか考え中ですがそれこそ勉強に付いていけなくなりそうです。人生二回目、おそらくたぶん二回目に関わらず高校生の勉強についていけないってどういうことですかね! 多少チートくれたっていいんじゃないですかね!
「入学ガイダンス、ヒーロー科いなかったねぇ?」
「なんか特別授業的なのあるらしいぜ」
「初日から……? ハードすぎでは……?」
大変だなエリートも、と思うものの普通科の面々は『負けねえ』や『追い落としてやる』といった顔つきを隠さない人も多く、どいつもこいつも血の気が多いな? いいことだろうけど?
入学初日、ガイダンスを終え戻ってきた教室でわいわいと話し合う。これからおそらく三年間を共にする同級生たちの顔と名前と人となりを知る儀式は、しかしほとんどがヒーロー科の話題で満ちていた。
(ヒーロー科に落ちて普通科に進学する生徒も多いってマジだったんだなー……)
私みたいに最初から普通科志望ってのはむしろ少数派なんだろうか。この調子じゃ友達とかできないかもなあ、それは寂しい。せめて喋れる相手が欲しい。
周囲の熱意から微妙に浮いてしまい、溜息交じりで席に座る。ランダムに割り振られた座席の隣は、これまた奇妙に人から浮いている男の子だった。
何だろう、この子の浮き方、私と若干違うな。
「ヘイお隣さん、よろしく」
「ん、……ああ。よろしく」
「私は轟名前。君は?」
「心操人使」
「……」
「……」
「もうちょっと何か喋ってよ」
「なにをだよ」
早々に迷惑そうな顔をされた。憤慨。
「えー、自己紹介のテンプレって何だろ。ご趣味は?」
「自己紹介っつったらまずは個性じゃねえの」
「ご個性は? お個性かなどっちかっつーと」
「――」
一瞬、間が開く。私のふざけた台詞に腹を立てた、という様子ではない。自分でふった話題なのに、その唇が少しだけ震えるのを見た。
「洗脳」
「…………せんのう」
「そう」
せんのう。洗脳。マインドコントロール?
「……マインドコントロール?」
「そうだよ」
「え、なにそれレアじゃん! すごいじゃん! ちょっとやってみてよ!!」
SSRじゃん!! 思わず大声になった私に、一瞬ぽかんとした顔がさらに怪訝そうに傾げられる。
「や、……なに言ってんだよ」
「え、そんなレア個性聞いたら見たいでしょ普通。そうじゃなくても個性とか『やってやってー』ってなるじゃん」
「……精神系の個性持ちに『やってやってー』とか聞いたことねえよ……」
「いやーそれ絶対数が少ないからでしょ、母数がそもそも居ないっていう」
ちなみに数が多いのはやっぱり怪力系と自身の身体操作系だよね、めっちゃ聞く。中学の同級生にも髪が伸ばせるとか爪が伸ばせるとかいたわ。あと特定のものを食べると力が強くなるとかもいた。まあレアじゃないイコール弱いってわけじゃないけどレアな方が対策練られてないから有利ではあるよねいろんな面で。
思い出しつつぺらぺら喋っていると、二度か三度ほど首を傾げていた彼が口を開いた。『轟』。不思議と重量のある声だ。
「なに?」
「お前の個性も教えてくれよ」
「無いよ」
「―― え、」
「無いよ、個性。無個性なの」
一瞬、空白があった。
ふ、と浅い眠りが引いていくのとよく似た感触で、自我が戻ってくる。
目の前の世界が新しくなっているような心地がした。
「……心操くん、もしかして今、個性使った?」
喉の調子も、ちょっと違う。
「……あ、ああ。……ごめ」
「えーすごい! 今なんかふわっとした! 寝てたみたいな感じなんだけど、何分ぐらいかかってた? 体感だとマジ一瞬だったんだけど!」
「え、い、一分くらい」
「ほぼノーモーションで一分。いいねえ。長くしたりできる?」
「まあ、そこそこ……」
「応用力高そう~。いいねえ、スマートでカッコいいよ」
鍛えるとしたら長さか強さか、私は薄ぼんやり覚えているけれどもこれは人によって、というか心操くんの調整によって違うのか。研究の余地あり、面白い。一人はしゃいでべらべら喋っていると、ふと彼の背後で誰かが動いた。それをきっかけに、教室中にざわめきが戻ってくる。――あれ、もしかして、さっきまでなんかすごく静かだった? きょとんと顔を上げた私に、素早く差し込むような『ごめん』が飛んできた。
「ごめん。ごめん轟」
「え? なにが? 洗脳なら私がやってって言ったんだし大丈夫だよ?」
「俺、……俺、あの、お前の個性のこと、聞いて」
「? うん、少しだけど覚えてるよ?」
本気でぼんやりしてるけれども。個性を聞かれて、無いよ、と答えたことは、なんとなくの感触としてだけれどもわかる。そのあとまた何か質問されて答えたような気がするけれど、それ以降はうまく思い出せない。けどまあ流れ的に無個性の詳細とかそんな感じだろう。
「えっ」
「……?」
「……俺、みんなの、前で……無個性、って」
「うん?」
個性の話とか初対面の話題としては一般的だし、各々そういう話をしていたと思う。そもそも私だって心操くんに振った話題だ。それをどうしてこんな深刻そうに謝罪され、て、――あ。
「……ああ!」
無個性だからか!
「い、いいよいいよ心操くん! 気にしてないっていうか隠してないし私!」
「えっ……」
「あんまり深刻に言うから何かと思ったよー。大丈夫だよ本当に」
下げられていた頭と不自然に角度のついた上半身を起こさせる。そうして見た表情が本当に申し訳なさそうで戸惑っていて、笑ってしまう。何だこの子、優しいな。
なんかちょっと、フブキさんとかタツマキさんを思い出す。ぶっきらぼうで愛想が無くて美人で傲慢で、自分の優しさをわざわざ棘で隠しているような人達。たぶん、この男の子もよく似た繊細さを持ち合わせているんだろう。
「そんな悪いことしたみたいな顔しなくても」
「……でも、俺、」
「そもそも私が始めた話題なんだからさあ。ふふ、でも、いいひとだね心操くん」
自分がされたのと同じ質問をしただけなのに、その答えが無個性だったからってこんなに気にしてしまうなんて。それですぐに謝罪が出てくるのだから、素直で優しい人なのだろう。隣の席でラッキーだ。
「気を使ってくれてありがとうね。大丈夫、無個性が私の個性的なところだから」
この自己紹介、けっこう昔から使ってるけどウケたことはあんまりない。心操くんも、ぎこちなく笑みを作っただけだった。
「……悪い、ありがとう」
首を振りながら、むしろ私が苦笑してしまう。
ささやくように紡がれた言葉が、未だ彼の中に罪悪感が存在することを示している。……マジで気にしなくていいんだけどな、とは、これ以上言ってもあまり効果がなさそうだ。
(本気で気にしてないんだけどな)
しかしそれを繰り返したところで無駄なのはわかっている。
四歳や五歳の頃から自己紹介の機会があるたび、無個性、と答えてきた。
得られる反応は三者三様で、そこに見え隠れする優越や同情や無意識の見下しやある種の羨望なんやかや、色々諸々あるものの、考えるだけ損な部分が多い。――もちろん最初から無関心でいられたわけではないが、それはまあ置いておいて――直接的に差し出されるものが最終的には全てで、心操くんは私に謝罪を示してくれている。その事実だけで充分、彼は信頼に値する人だ。
(って言っても意味なさそうっていうかむしろ罪悪感に拍車をかけさせてしまう気がするわ、黙っとこ)
こんな感じで人となりが垣間見えるだけで、無個性ってのも無駄じゃない。
心操くんに続き何人か友人もできて、高校生活の滑り出しはなかなかいい具合にスタートした。……学校生活は、だ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
食卓に降りる静寂は、いつまで経っても重苦しい。
入学初日の様子を気にかけたのか、もしくは単なる偶然か。ともかく今日は帰宅の早かった父が夕食の席についており、久々に家族四人揃っての食事となった。嬉しくない。
(友達開始ついでに誰か誘ってマックでも食ってくりゃよかったな)
父、姉、末の双子である私と焦凍。普段ならば話題を提供して焦凍にも喋らせることのできる姉が、完全に口を閉ざしている。おそらく家族内で一番社交的な姉がこの様子では状況改善は望めない、さっさと食べて席を外そう。と思うものの、普段ぺろっといける量の白米がやたら重い。舌が麻痺しているのか、おかずの味がしない。きっと同じことを考えて、行動が逆ベクトルに行ったのだろう焦凍が、かっかっと軽い音を立てて胃の中に食事を詰め込み席を立った。ごちそうさま。有無を言わせない終了の合図。
「焦凍」
「……」
そしてこのタイミングで話しかける我が父。
どう考えても避けられてるのわかるだろ……メンタル強すぎかよ……。ナンバーワンヒーローではないかもしれないがナンバーワンメンタルではあるかもしれない、炎上にも慣れてますしね炎司なだけに! 我ながらくだらねえ! 私のゲラよ、今は引っ込んでいてくれ……あっ顔を出す空気でもないですかそうですか……。
喧嘩に発展しませんように、これまでの人生で数回あったがそのたび家具がダメになった。買い直す金は父出費なのでともかく手間が惜しい。この食器も気に入ってるんですよ安物だけど。
「初日はどうだった」
「……」
「オールマイトが着任したと聞いたが、お前はあれを」
「……しつけえな」
「焦凍」
それ以上は何も言わず出ていった焦凍に、父も何も言わず、ただ溜息がひとつ零された。食器と箸の触れ合う音が少し続き、数分もしないうちに席を立つ。焦凍を追った――わけではないだろう。父もいなくなった食卓で、姉がそっと息をついた。安堵しているのか、憂鬱に思っているのか、はかりかねる表情だ。
「……お疲れ、お姉ちゃん。片付けは私がやるよ」
「名前」
とても食べる気になれないのだろう、箸の止まってしまっている姉に微笑みかけてそう言って、我ながら図太い神経でおかずを口に運ぶ。もしや私はゲラというより神経がザイルなだけだろうか。ほらあの、登山用ロープの。
しかし味のする食事すばらしい……高野豆腐おいしい……。姉は少し戸惑った様子を見せたものの、ありがとう、と小さく呟いて風呂場へと向かった。こちらこそいつもありがとうございます、お疲れ様です。手を振ることで返事にして、冷えた味噌汁を啜る。
(一人でする食事が一番うまいな、今のところ)
かつてそうでない時代もあったが、前世の話だ。今世ではどうだろう、ずっとこのまま行くんだろうか。……今世でだって、和やかな団欒を囲んだ経験が無いわけでもないけれど。どうしてだろう、あの頃の記憶は、前世よりもさらに遠い。
当時それなりに優しかったであろう父と穏やかな母、二人の兄と一人の姉。少し甘えただった焦凍。二度目の人生も悪くないなと思いながら、双子だっていうのにお姉さんぶっていた自分。
(……はぁ)
過去のことを思い出すと、連鎖してそれからのことも考えてしまう。
焦凍の個性に目の色を変え、他に構わなくなった父。徐々に神経症のようになっていった母。荒んだ眼をするようになっていった兄達。がんじがらめになっていく姉。焦凍。
(子供にとって家がアウェイって人生ハードモードだよなー)
前世の記憶持ちでよかった、そうでなかったら病んでいるところだ。もしかして私って強くてニューゲームってやつでは? と一瞬思ったけど別に強くないし内容も違うわ。ソフトが違うわ。この世界観で無個性とか、チートどころか縛りプレイだし。
実にどうでもいい事ばかり考えながら、順調に夕食を消費して席を立つ。最終的におかずもごはんも完食したのが我ながら図太い、もっと言うと若干だけど物足りない。アイスでも食べようかな。せめてヨーグルトにしておくべきか、……あったっけ? 四人分の食器を片付けていると、ふと背後に気配がした。
「……」
「……」
目が合ったが何も言われないので、少し迷ったがそのまま片付けを続行する。
姉より先にお風呂に入っていたのか、まだ濡れた髪がその肩に雫を落としていた。ためらうように、揺れる瞳。薄い唇が少しだけ開いて、結局何も言わずに背を向ける。私も、声をかけることはしない。
「…………」
もう何年もまともに口をきいていない双子の背中を見送り、アイスの代わりに冷たい麦茶を飲むことにした。
氷と炎を持って生まれた男の子、そして何一つ持たずに生まれた女の子。複数個性持ちと、無個性の双子。
その状況から想像できそうなトラブルは一通り経験してきた。両親や兄達や姉、家の外でも勿論そこそこに色々あった。私ばかりではなく焦凍だって色々あった事だろう。ただお互いにエンデヴァーの子供という肩書があったので、表立って何か言われたり苛められたりはしてこなかっただけだ。焦凍の場合は本人の性質や近寄り難さもあっただろうが、まあそれはいい。
お互いはどうだったかというと、喧嘩はした覚えがない。喧嘩にすら、ならなかった。
からんと麦茶の中で氷が鳴る。溶けてなめらかになっていく表面をふと眺め、飲みきって流しに捨てた。
それなりに仲のいいきょうだいだったと思う。
お姉ちゃんぶる私に、焦凍は素直にお姉ちゃんぶらせてくれた。とはいえこちらは前世の記憶を持ち越していて、彼は少し甘えたなところがあったからお互いに丁度良かったのだろう。個性が発現する前までの話だ。引きずられていく焦凍と庇えない自分。焦凍と父の傍から離れない母。放り出されてふと振り返ると、兄達がこちらを見つめていた。
その、眼。
……誰もが子供だった。事実、この家の子供達は全員あまりに幼かった。
誰か一人が――焦凍や、私が――悪いわけじゃない、と思えるくらいの判断力は備わっていたことだろう。けれど、だからってすべてを受け入れられるものじゃないし許せるわけでもない。かわいそうだから、なんて理由で飲み込めるような状況でもなかった。本当に一晩にして、一瞬にして、彼らは父親を失ったのだ。母親を、奪われたのだ。末の弟に。無個性の片割れを持つ子供に。
無個性の妹を、苛めたい訳じゃなかった。責任がないことなんて解りきっていた。けれど、優しくできる相手でもなかった。そんなところだろう。兄も姉も、あまり私に接しなくなった。私も、そこに踏み込むことなどできなかった。
冷たい言葉も、無視も、形を変えた寛容だ。おそらく自覚はなかっただろうけれど。触れれば爆発してしまう。傷つけてしまう。自分から相手を、相手から自分を、守るための拒絶を――この家で、幼子ではない私だけが知っていた。
結果、ろくな言葉も交わさないまま兄二人は既に家を出て、姉は母の欠けた家庭を補うような形で留まっている。高校生になったばかりの私と焦凍はこれからどうなるかまだ不明だけれど、順当に行けば焦凍は残り私は高校卒業と同時に家を出るのだろう。多分、それが一番平和だ。この家にとって。
(……あと三年か)
あと三年で、家を出る。
やっぱりどうにか身のふりを考えなくては。成績どうのこうの言ってないでバイトを探すべきだろうか、でも学生生活も二度とないものだろうしなあ。グラスを洗い、部屋まで戻る。大きい家とはいえ大人と呼んでいいサイズの人間が四人いるとは思えない静けさにいろいろ思うところはあるものの、まあこんなご家庭いくらでもあるよね、と何度目かわからないことを思った。
だいぶ昔、こういう状況に相応しい歌を聴いたことがある。歌手の名前も、前世だったか今世だったかも思い出せないけれど。
「……」
とりあえず、思い浮かんだ歌があった瞬間、口ずさんでみてもいいような空間で生きたいよなあ。
必要もないのになんとなく足音を忍ばせながら、お風呂に入ることにした。
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2019.07.11
2019.10.18(修正)
2019.07.11
2019.10.18(修正)