東大大学院生、アカハラに耐えかねて大学院を辞める

こんにちは。私は東京大学の大学院生です。修士2年です。

指導教員からのアカハラパワハラおよび大学院の「象牙の塔」感に絶望して、

本日、3月31日付で大学院を辞めて就職することにしました。

今でも思い出すだけで気持ちが悪くなる数年間だったので、触れぬままサクッと明日から就職したかったのですが、指導教員のハラスメントを訴えたときの大学院長の対応に悲しくなってしまったので、苦しみをぶちまけようと思ってブログを書いています。

 以下は、

1.指導教員との日々

2.中退の決断

3.大学院への訴え

4.訴えに対する対応

5.まとめ

と続きます。個人・団体の特定につながらないよう抽象的な記述をしていますので、「そんなことで悩むの??」と思われる箇所があるかもしれませんが、かなり端折っているか具体的な言及を控えたためだと思います。

 

1.指導教員との日々

1-1.まず私についてですが…… 

東大で学部生活を送ったあと、研究テーマに思うところがあり専攻を変え、2018年4月に件の大学院に入りました。興味・関心に最も沿う研究室に配属され、院生としては理想の滑り出しをしたと言えます。

ところが、この研究室の主―指導教員が、悩みの種になるのです。

 

1-2.最初のきっかけ:研究計画を笑われる 

修士1年の一学期に、その時点の研究計画を発表した時でした。

 

「はは……こんな計画じゃ、全然ダメだけどね(笑)」

 

と指導教員が発表を笑いとばし、研究室全体もつられて笑いに包まれたのです。

研究計画についての建設的な助言はなく、ただ笑われて終わりました。

文字にすればこれでおしまいですが、私は

「至極真面目に発表したのになんで今笑われたの?研究を始めたての修士1年の計画が『全然ダメ』じゃなかったら指導教員いらなくない?」

と心に引っかかりを覚えました。

とはいえ、大学教員にもさまざまな人がいることは分かっていて、教員と院生との間には「師弟関係」があるため、この程度のことでいちいちダメージを負ってはいけない、もっと研究を頑張らないと……とこのときは考えていました。

 

1-3.頻発する指導教員からの電話

しょっぱなの研究計画を指導教員に笑われこそしましたが、他の先生に助言をいただくなどして学業面は順調でした。

しかし同時に、雑用を申し渡す指導教員からの電話に悩まされるようになりました。

指導教員と私は歳が離れているので、年代的に「電話」に対する認識が違う、ということはあり得ると思います。しかし、立場が圧倒的に上の人から頻繁に電話を鳴らされ、心理的負担がかかりました。思いつきで電話してくるので何の用件かも予想できないのです。

 

指導教員が「電話好き」なことは事前に先輩から聞いていましたが、

夜の11時だったり、メールや後日の口頭で済む軽微な内容だったり、私怨を含んだ「お説教」だったりと、想像以上に気力が削がれるものでした。

特に夜の11時、寝る準備をしていて着信が来たときは体が震えました。

 

1-4.飲み会に学生一人だけ呼ばれる

これが一番きつかったです。

研究室関係の「打ち合わせ」に呼ばれ、居酒屋に行きました。

代表者だけの「打ち合わせ」だったので学生が私一人なのは事前に知っていましたが、

指導教員、他の初対面の研究者と個室に押し込められるのは聞いていませんでした。

本題である打ち合わせはものの20分で終わり、そこからはただの飲み会になりました。

 

圧倒的に立場が上の男性数人と個室にいるのはあまり居心地が良くなく、時折私の研究計画をけなしては場を盛り上げる雰囲気が見てとれたので、

「打ち合わせ」という名の飲み会が始まってから3時間経ったころ、終電があると嘘をついてその場を出ました。

帰りの電車の中で「ピエロ」にされた悔しさがこみ上げてきて、震えが止まらなくなりました。

 

それまでのことも積もりに積もって、「もうこの研究室にはいたくない、あの指導教員の顔を見たくない」と強く思いました。

 

2.中退の決断

2-1.決断に至るまで

それから就活の時期になり、早い段階で就職先の目処が立ちました。ずっと憧れていた職業への就職が決まり、就職先に事情を説明したところ「大学院の修了いかんは問わない」と言われたため、本格的に「中退」の二文字が現実的になりました。

 

それでも人生の大きな選択なので拙速な判断は良くないと思い、両親や学部時代にお世話になった先生に相談しました。詳細は省きますが、方方から「その状態なら中退もやむなし」という返答をもらいました。

最後に、大学の「学生相談所」にも行きました。プロのカウンセラーさんが学生のさまざまな相談に乗ってくださる場所です。私は、上記のつらい日々を送っている間にも学生相談所にお世話になっています。

相談所でも「中退は問題なかろう」といった旨の回答をもらうと同時に、指導教員の言動を「ハラスメント」と感じるのならば、学内の「ハラスメント相談所」へ相談してはどうか、と言われました。

ハラスメント相談所に行けば話が大きくなると直感で思ったため、まずは指導教員に中退を認めさせた上で相談に向かうことにしました。

いろいろな人の意見、自分の気持ちと今後の状況などを総合的に何度も考え、中退しようと決めました。

 ※辞める以外に指導教員を変えるという手もありましたが、この大学院にいる限り指導教員と顔を合わせる可能性があるため、それを考えるだけで気持ち悪くなってしまう私には無理だと思いました。

※大学院を変える手もありましたが、私は学者になることを考えてはいなかったので、もう一度他の大学院に入り直して修士号のために頑張るより、中退して次の春からずっとやりたかった職業に就く未来のほうが魅力的に思えました。要するに、とても疲れていました。

 

2-2.「ここで頑張れない人が他のどこで頑張れるの」

さて、中退を決心した私は、指導教員に事情を説明し、アポを取りました。

指導教員に「あなたに嫌気が指したので辞めます」、とは言えないので適当に理由をつけました。

 

私「事前に申し上げた通り、私は大学院を中退して4月から働こうと思います」

指導教員「……

 

まずは、自分がただただ残念に思っている、ということは強調しておかないといけない。

あなたがこの院で何も成し遂げていない、ということも。

これはあなたを心配して言うんだけど、ここで頑張れなかった人間が他のどこで頑張れるの?ここで頑張って論文を完成させることでしか得られないことがあるんじゃないの?あなたの研究心は途中でやめちゃえるようなものだったんだ?

 

退職希望者に対するブラック企業の応酬の例文かと思いました。

そりゃ残念でしょうね、雑用係が辞めるっていい出したんですもんね。

ここで論文を完成させて得られるものを得たかったですよ。

そうできなかったのは、誰のせいなんでしょうか。

 

と、1時間近くの「ご忠告」に耐え、最後は「まあ止めてもしょうがないんだろうから」と中退を認めてもらいました。

 

3.大学院に訴える

ただ中退するだけでは引き下がれないので、前述のハラスメント相談所にゆき、取りうるさまざまな選択肢の中から

大学院長に今までの経緯を話し、しかるべき処分を下してもらうよう要求する

ことにしました。

2-2の「ご忠告」のやり取りを録音していたので、録音データとともに要求の書類を提出しました。

 大学の先生は、基本的に大変多忙です。大学院長ならなおさらです。こんな「チクリ」、相手にもされないかと半分くらい思っていましたが、直接会って話を聞いてくださることになりました。

 

4.訴えに対する対応

4-1.「つらかったね」の一点張り

面談の場には、大学院長と私、そして付いてくるといって聞かない親が同席しました。この歳になって親に同席してもらうのは気が引けましたが、結論から言うと同席してもらってよかったと思います。

大学院長の反応が、「つらかったね、ごめんなさい。でも大学にはいろんな先生がいるから」の一点張りだったからです。

さまざまな大学で、

ハラスメントに困る学生の話を聞くふりをして、「でも色んな人がいるからさ……」ともみ消す手段が横行していると聞いたことがあります。

「あなたに快適な教育環境を提供できなかったことは大変申し訳なく思っている。

しかし、この先生も、また私も、あなたと同じような環境の中で院生時代を過ごし、耐えて今に至っている。この大学にはいろんな先生がいて……」

 

と、大学院長が指導教員を擁護する話がめぐり始めたところで、親が割って入りました。

 「この子は学部時代の先生など『いろんな方』と比べて、今の指導の先生が教育者としても人間としてもまずいと判断したからここに来ているんです。愚痴をいいに来たわけではありません、ちゃんと対応法を示してください」

そこでやっと大学院長は具体的な対処法を約束してくれました。

学生を丸め込もうとして、第三のファクタである親がそれを阻止する構図が見てとれました。情けないことではありますが、親がいてよかったです。私一人では言いくるめられただけだと思います。

 

大学が「対処する」と約束してくれて(このときの録音もきちんと控えています)、その結果待ちなので、対処法についてここで具体的に述べることは避けますが、

せめてきちんと私の要望を叶えてほしいと思います。

なんやかんや忙しそうなのであまり期待していませんが。

 

5.まとめ

ここまで読んでくださってありがとうございます。

この数年は、「人生で最も辛い日々」でした。

でも、大学院にいた日々、まがりなりにも院生として研究して得られたことがたくさんあるので無意味だったとは全く思っていませんし、世の中には腐った人・世界があると学べたので悪いことばかりではなかったと思っています。

私は明日にも働きはじめるので、「ただの学生」として苦しみを吐き出せる最後のチャンスにこれを投稿しました。しっかりと仕事を頑張りたいです。それこそ、「大学院で頑張れなかったけど次の場所ではしっかりと頑張れる」ように(怒)。