[3-36] 大いなる償い
「何これ……」
異界を抜け出したその時、『世界に受け容れられている』という奇妙な感覚がルネにはあった。
邪気によって穢され尽くした、広大なドーム状の洞の中。
エルフたちの死体と、放っておけばもうじき死体になるであろう者たちが累々と転がっている。
壁や天井はパイプラインみたいに太い木の根が絡まり合って出来ていたが、それらは元はどんな色だったかも分からないくらいに黒く染まっていた。
ルネはなんとなく深呼吸して、辺りに満ちた邪気を感じる。
「無条件で居心地が良い……『わたし今まで真空の中で生きてたの?』みたいな……いや、生きてないけど。
辺りに邪気が漂ってるせいかな」
「とも限らないかな。邪気の過多の問題じゃあなくて、地脈までしっかり穢されてるから居心地良いんでしょ。
北東の魔王領なんかもこんな空気よ。ちゃんと邪神側の領域になってるから」
「これをミアランゼが……」
ルネの傍らでエヴェリスは骨壺のような重厚な器を抱えていた。
この中にミアランゼが収められている。何をどうやったかよく分からないが、崩れゆく彼女をエヴェリスは器の中に吸い込んで収めた。
「ねえ、それ……元に戻せるの……?」
「んー。そーね、言葉を濁すのもなんだからぶっちゃけると、消滅寸前で冷凍保存しただけって感じ。どうやって元に戻すかはまだ考えてないの。
無茶するよ、いきなり
ミアランゼは奇跡を起こした。
ルネを攻撃するため出来た綻びから異界を抜け出し、エルフたちに打撃を与えてルネが逃げ出す道を作った。
その時にミアランゼは
その力によってゲーゼンフォール大森林の中心部は邪気で汚染され、代償としてミアランゼは消滅しかけた……
「ま……なんとかなるとは思うよ。何しろ私が付いてる」
「任せるわ」
ルネは静かに、自分の気持ちを持て余す。
あの一瞬。戦略的重要性を抜きにして、ルネはただミアランゼを失いがたく思った気がする。
だけど、そんな情を抱えることは危険なのだとも思っていた。つまらぬ情は刃を鈍らせる。
助けるのは当然……命懸けの忠義を見せた臣下に、主としてルネは報いなければならない。
それだけの話なのだと、ルネは自分に言い訳をした。
「……で、あれが元凶なのね」
ルネは転がっているエルフのうち一人を深紅の剣で指した。
簡素な貫頭衣の巫女装束に、金と玉石の装飾品を身につけた女エルフ。邪気を焼き付けられて肌は爛れ、虫の息だ。
代替わりしたばかりの巫女長。クルスサリナという名前だったはずだ。巫女長は宗教的指導者であり、部族最高の術師として儀式を主導する事もある。
「殺すの?」
「うん」
エヴェリスの端的な問いに、ルネは端的に答えた。
くだらない悪夢を見せてくれた報いは受けさせなければならない。
「……お待ち…………ください……」
赤刃を握りしめ、つかつかと向かって行くルネを呼び止める者があった。
地面に近いところから声がした。
ボディラインが出る革鎧を着たエルフの女戦士が息も絶え絶えに、どうにかこうにか身を起こしていた。
邪気が焼き付いた顔をざんばら髪が隠す。
「おやま、こんだけやられて声出すほどの根性があるとはね」
「どうかクルスを……彼女を殺さないで…………
……彼女を……
命を磨り減らすように震えた声での懇願。
それをルネは鼻で笑って見下ろした。
「立場が分かっているの? 裏切り、刃向かって、負けたあなたたちはもう交渉できる立場ではないのよ。まして慈悲など望めるとは思わないことね」
「あれは……彼女の意志でやったことでは……無いはずです…………
父祖の意志が彼女を……動かしていただけで……」
「や、その辺は把握してんのよ一応。でもさあ、みんなそれ止めないで従っちゃったわけでしょ?」
エヴェリスは肩をすくめて軽く言う。
嘲笑ってすらいない。ただ、処理するべき仕事として彼女は対応していた。
エルフの女戦士はぐっと言葉に詰まる。
言い訳はしなかった。ただ、
「私が差し出せるものなら……何でも、差し上げます。
命でも……身体でも……魂でも…………!」
「な、ならぬ……!!」
決死の願いに割って入るのは、なんだか偉そうな鎧を身につけている老エルフだ。
教導師……要するに副族長という立場らしい男、ジバルマグザである。
芋虫のようにのたうって、彼は這いずろうとしていた。
「ごほっ、がはっ……ならぬぞ、リエラミレス…………
我らは人族……踏み越えてはならぬ一線が、げほっ、げほーっ!!」
「エヴェリス、あれうるさいから
「あれでも副族長だからなあ。ご不快とは存じますが、まだなんか使うかも知れないんでもうちょっと待って」
溜息一つ。エヴェリスはジバルマグザを無視して、リエラミレスの前にかがみ込んだ。
「エルフの戦士さん。君の覚悟はよく分かったよ。魔女さんちょっと感動しちゃったわ。
そんな君を見込んで大事な話をしたい。
この森と、仲間たち皆を守りたいでしょう?」
詐欺師のセールストークみたいに優しい口調でエヴェリスは語りかける。
「彼女を
「姫様がお嫌でなければ」
「……そうね。いいんじゃないかしら」
成り行き任せという気もするが、
ルネは半死半生の巫女長をチラリと流し見る。酷い目に遭わせてやらなければ気が済まないところだが、別に殺害でなくてもいい。
人質として有用なら生かしておいても構わないだろうとルネは判断した。
エヴェリスは肩越しに親指でクルスサリナを指し示す。
「向こうで倒れてる彼女だけどさ。別にここで私らが見逃してあげたって遠からず死にそうじゃない?
邪気に汚染された森で人族は暮らせないし、あんだけ邪気に冒されたら衰弱死も近いし、帝国軍も攻めてくる。
君だってそうよ」
「それ……は……」
リエラミレスは二の句が継げない様子だった。
森がまともに機能しない状況になり、部族の首脳陣が邪気に侵されて倒れた。状況は致命的だ。
ここで今、一人の命を長らえたとしてもさして意味は無い。
「でもね、その問題をまるっと解決する手段があるんだわ」
エヴェリスの口が三日月の形に深く裂けた。
「堕ちてしまえばいい。
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