濵田暁彦医師 コラム No.27
2014/05/20(与謝野町くすぐるカード会発行「くすぐる vol.162」2014年6月号を改訂)

「人工呼吸」の話 その2-病気に対する人工呼吸(*注7)

前回は事故の時など救急救命のための人工呼吸を説明しましたが、呼吸が十分に出来なくなる「呼吸不全」になる病気は様々あります。

 肺が悪くなる病気としてはいずれも徐々に進行する誤嚥性肺炎や喘息、肺がん、たばこの吸いすぎなどで起こるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などがありますが、その他にも心臓の働きが悪くなる「心不全」や、肝臓の働きが悪くなる「肝硬変」、腎臓の働きが悪くなる「腎不全」など主要な臓器の障害が末期的になると肺に十分に血液が流れず、胸に水が貯まる「胸水」が現れ呼吸不全になって行きます。

 また少し変わったところではSAS=睡眠時無呼吸症候群と言って、寝ている間だけ間欠的に無呼吸になり十分な睡眠がとれない病気もありますが、これにはCPAP(シーパップ)という人工呼吸のマスクを寝ている間だけ装着する治療で対処できます。事故や急性肺炎の様に急に病気が起こり、治療により回復の見込みがある場合には酸素を吸ったり人工呼吸を行う治療で急場をしのぐことができますが、がんの末期や慢性疾患の末期と言った不治の病の場合に気管内挿管による人工呼吸の治療を行うことは最近ではあまり行われなくなりました。それは回復の見込みの無い不治の病が末期的になってから気管内挿管による人工呼吸を行うことは、患者さんの苦痛が大きく死にゆく患者さんの尊厳が損なわれると考えられる様になったからです。

 これは以前にお話しした胃ろうの話にもよく似た倫理的な問題です。気管内挿管による人工呼吸というのは、とても意識のある状態でできるものではありません。気管に太い管を入れられるという行為は非常な苦痛を伴うため、意識のある患者さんでは睡眠薬や鎮痛薬、筋弛緩剤などを使って手術の時の全身麻酔と同じ様に全く意識をなくすようにしなければ苦しがられます。当然のことながら麻酔で眠らせれば意志の疎通はできなくなります。また人工呼吸器に伴う感染性肺炎や気道の損傷、出血という合併症も避けられません。しかし一旦始めた人工呼吸を中止することは現在の日本の法律でははっきりとした決まりがなくかなり難しいのが現状です。

 2011年日本老年学会から「胃ろうや人工呼吸器などの治療により、患者の尊厳を損なったり苦痛を増大させたりする可能性がある時には、治療の差し控えや治療の撤退も考慮する必要がある」という声明が発表されましたが、最近では以前とは違いがんや慢性病の末期などの終末期医療においては、モルヒネなどを使って呼吸を楽にする緩和治療や酸素の吸入を行うものの、気管内挿管による人工呼吸は行わないことが一般的になりつつあるのです。(*注8)

*注7)
 この文章で人工呼吸と言っているのは全て「気管内挿管による人工呼吸」を指しています。この文章を書いた後に私の務める病院でも、CPAPの様なマスク型の「非侵襲的陽圧換気療法=NPPV(Non Invasive Positive Pressure Ventilation)」が導入されたために、慢性的な病気の末期呼吸不全の患者さんにも挿管をせずに意識を保ったままでの人工呼吸が可能となり治療の選択肢が広がりました。
 しかしNPPVもかなり苦痛を伴う方法であり不知の病に対してはあくまでも延命治療の位置づけなので延命治療をどう考えるかというまた新たな医療倫理の問題に行き当たることになるのです。 

*注8)
 2012年に「終(つい)の信託」という周防正行監督の映画(原作は朔立木(さく たつき)『命の終わりを決めるとき』2005年光文社刊)が公開されましたが、これは1998年に実際にあった主治医による人工呼吸器抜去:川崎共同病院事件が元となっています。
 役所広司さん演じる末期喘息患者さんが草刈民代さん演じる呼吸器内科の主治医に「チューブに繋がれる様な延命治療はしないで欲しい」と意向を伝えていましたが、家族には心情を考えてその意向は伝えられていませんでした。患者は遂に呼吸不全に陥り意識不明で救急搬送され緊急に気管内挿管をされ人工呼吸器に繋がれるのですが、数週間の治療の後回復不可能と判断した主治医は本人の意向を踏まえて家族の前で人工呼吸器を外し患者さんは亡くなりました。しかし3年後に家族が訴えを起こし刑事事件として元主治医は大沢たかおさん演じる検察官に逮捕されるのです。
 生命倫理と医師のモラル、患者と家族と医療者との3者のコミュニケーションや医師の守秘義務の問題、そして法律の壁と言った社会問題をふんだんに盛り込んだ内容の濃い映画だと思います。
 現在では、末期患者さんが辛い治療を受けない権利が広く受け入れられる様になり、この様な痛ましい事件が起こる事は少なくなったと思いますが、「尊厳死法案」は2012年に超党派の国会議員連盟が提案して以降もまだ立法化には至っていないのが2018年現在の現状です。

執筆
濵田 暁彦

1974年京都府宮津市生まれ。1993年宮津高校卒業。1年間浪人生活を京都駿台予備校で送り翌年京都大学医学部入学。2000年京都大学医学部卒業後、京都大学医学部附属病院内科研修を1年行う。2001年京都桂病院内科に研修医として赴任。2002年京都桂病院消化器内科医員となり、2007年同副医長。2010年故郷である丹後中央病院消化器内科部長として赴任。現在丹後中央病院消化器内科主任部長兼内視鏡室室長、他に京都大学医学部臨床講師(2015年?)、宮津武田病院非常勤を務める。モットーは「楽な胃カメラ」「痛くない大腸カメラ」。早期癌の診断治療(拡大内視鏡・食道胃大腸ESD)、胆膵管内視鏡ERCP、超音波内視鏡EUS、EUS-FNA等が専門。機能性胃腸症:FDや過敏性腸症候群:IBS、便秘などで苦しむ患者さんの治療や、様々な不定愁訴に対しても西洋医学(総合内科)と漢方医学を融合させた医療を実践中。また老衰や認知症に伴う肺炎などの終末期患者さんの看取りや、各種がんの終末期緩和ケア&看取りをこれまで多くの患者さんに行い、安らかな最期を迎えられるようチーム医療で取り組んでいる。

所属学会・認定専門医
日本内科学会総合内科専門医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会指導医・専門医、日本膵臓学会、日本胆道学会、日本臨床細胞学会、日本食道学会、日本肝臓学会、日本ヘリコバクター学会認定医、日本腹部救急医学会、日本時間生物学会、日本臨床腸内微生物学会、日本東洋医学会