不透明感が強く残る決着だ。
あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」が、いったん中止に追い込まれた問題で、文化庁が、全額不交付とした補助金約7800万円を、一部減らしたうえで支給することを決めた。
裁判も辞さない構えを見せていた主催側の愛知県が、手続きの不備を認めて減額を申し出、文化庁が応じた格好だ。
紛争の収束を歓迎する声もあるが、文化を保護・育成すべき文化庁が使命を忘れ、それに真っ向から反する行動をとった事実は、厳然として残る。
「不自由展」は昨年8月に開幕したが、慰安婦に着想を得た少女像などの作品に抗議が殺到した。菅官房長官や当時の柴山昌彦文部科学相が助成の見直しを示唆し、文化庁が9月下旬、安全に運営できるか懸念があることを事前に報告しなかったとして、不交付を決めた。
しかしそのような報告義務は明示されていなかった。専門家による審査を経て決まった助成を、事務方だけで覆したうえに、検討の過程をたどれる議事録は残されていないという。
どこをとっても異常な決定だ。政府が展示内容そのものを問題にして、不当な介入をしたと判断せざるを得ない。
もし裁判になれば、そうした背景が明らかになって、国が敗訴するリスクもあった。これを避けたい意図と、国と争い続けることのデメリットを懸念した大村秀章愛知県知事の思いが一致し、あいまいな「手打ち」となったのではないか。
だが当事者間の合意に任せて済ませられる話ではない。
表現活動にひとたび「反日」などのレッテルが貼られると、激しい攻撃の刃が向けられる。そうした動きを本来制さなければならない政治家が、逆にあおる側にまわり、文化庁までもが加担する――。そんな現実を目の当たりにすれば、作品をつくる者だけでなく、発表の場を提供する側も萎縮し、民主主義の土台である表現の自由を窒息させてしまう。
「不自由展」後も、美術展や映画祭への公的機関の介入が続いた。広島県は、芸術祭の展示内容を外部委員会に事前に確認させることを決めた。やり方次第では憲法が禁じる検閲につながりかねない、危うい行いだ。
安倍政権の下で不祥事や疑惑が相次ぎ、追及に力を割かれた結果、不交付の問題は国会でしっかり議論されていない。繰り返し指摘してきたように、政策を進める根底には、政治や行政に対する信頼が不可欠だ。
経緯も、責任の所在もはっきりさせないまま幕引きとすることは、到底許されない。
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