「戦後最大の考古学的発見」と称される貴重な遺産をめぐり、13年にもわたる解体と修理を迫られた。保存への取り組みを当初は文化庁と一部の関係者だけが担い、情報公開に後ろ向きだったことが「人災」を招いた苦い教訓を忘れず、歴史の宝を未来へと継承していきたい。
奈良県明日香村にある特別史跡、高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)の壁画の修理が終わった。カビの発生で絵が薄れ、石室を解体して墳丘から壁画を取り出すという異例の手法を採って、村内の修理施設で07年から作業が続いていた。
女子群像など極彩色の壁画は1972年、村が主体となった発掘調査で見つかった。古代の先人が眼前によみがえったかのような色鮮やかさに人々は魅了され、考古学ブームを巻き起こした。
発見後間もなく、文化庁が管理を担当。壁画は74年、国宝に指定された。同庁は現地での現状保存を原則にすると決め、温度や湿度を調節するため石室と連結させた施設を設け、作業に乗り出した。
しかし、カビ対策の不足や度重なる人の出入り、監視体制の不備が逆に壁画の損傷を広げた。作業は文化庁と限られた関係者で進められ、作業員が不注意から壁画を傷つけたことも公表されなかった。その間、発掘に携わった地元の人々らは蚊帳の外に置かれ続けた。
大幅な劣化が発覚したのは04年。文化庁の監修で刊行された壁画写真集が裏付けとなった。長官が「大きな損傷あるいは退色もなく保存」と自賛したことが、当時の文化行政の唯我独尊ぶりを物語る。激しい批判がわき起こったのも当然だろう。
壁画は修理中、定期的に地元住民らに公開され、研究者にも見学の機会が設けられた。文化庁は今後、修理施設での保存管理と定期的な公開を続ける方針で、並行して新たな保存・公開施設の建設を目指す。地元の人々や多様な専門家らと共同で進めなければならない。
高松塚から遅れること10年余り、同じ明日香村で発見されたキトラ古墳壁画のケースが先例になる。キトラでは高松塚での反省を踏まえ、壁画を石室からはぎとって保存処理。4年前には古墳そばに施設を新設し、保存・公開している。ともに飛鳥時代の壁画であり、いにしえからの中国大陸や朝鮮半島との交流を今に伝える遺産だけに、展示内容などで連携が不可欠だ。
1300年もの間、保たれていたのに、国が管理し始めてからの30年余で大きく傷つけてしまった。高松塚でのこの失敗を肝に銘じ、歴史遺産の保存と公開について模索を続けたい。
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