日本がハングルを学校で教えたに、日本人は反省していないと韓国メディア
反省のない日本人の姿-韓国メデイア
2010年08月20日12時20分 / 提供:サーチナ
http://news.livedoor.com/article/detail/4957197/
拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏は18日、産経新聞のオンライン版で
「日本がハングルを学校で教えた」と題する寄稿で、
「朝鮮総督府は小学校段階からハングルを教える教科書を用意し、
日本が建てた5200校の小学校で教えた。
日本は朝鮮人から言葉を奪うどころか、朝鮮人が母国語の読み書きが
できるように文字を整備した」と述べた。
この記事が、韓国内で波紋を広げている。
韓国のメディアは、「日本の大学教授が妄言」と題して、この記事の内容を取り上げ、
藤岡教授の文章は反省がない日本人の姿を代弁していると報じている。
また、菅直人首相が日韓併合100年を迎え、10日に発表した談話についても藤岡教授は
「わが国の先人の苦闘の歴史を冒涜(ぼうとく)するものである」
と批判したと伝えている。
また、同メディアでは、日本のネットユーザーたちが
「インターネットにこんな記事が出てくることは、本当に感謝している」
「正論が充実し、素晴らしいことである」
「歴史認識が不足している菅直人政権に事実を言ってくれるだろう」
「これこそが取り扱われてない真実」と反応したと伝えている。
一方、韓国のポータルサイト「Ruliweb.com」の掲示板上でもこの話題が取り上げられており
韓国のネットユーザーからは
「百済時代は朝鮮が日本に文化を教えた」
「日本人は韓国語の母音すら発音できないはず」
「それなりに新鮮な解釈」といった声が見られた。(編集担当:李信恵・山口幸治)
韓国ネチズンの皆さぁぁぁぁ~ん、これは何でしょう?
現存する最古の国語辞典発見
http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan1/bunka/080619-4.html
韓国速報 08/6/19
現存する最古の国語辞典が発見された。
国立中央博物館は釜山のイ・ソンドン氏から「普通学校朝鮮語辞典」の寄贈を受け、
検討した結果、
国内で現存する最古の国語辞典であることを確認したと18日明らかにした。
今回寄贈された国語辞典は、京城師範学校の沈宜麟(シム・ウィリン)が編纂したもので、
1925年10月、以文堂から発刊された初版本だ。
今まで知られた最も古い資料は1930年4月に発刊された沈宜麟「普通学校朝鮮語辞典」第3版で、
2004年に確認されたことがある。
今回発見された資料はそれより5年前に発刊された初版本という点で意義が大きい。
初版本と第3版を比較検討した結果、1930年度発行の第3版は初版本を基本としながら、
漢字付録だけを貼付したものと発表された。
「普通学校朝鮮語辞典」初版本はこれまで寄贈者李氏の故郷安東の一族の霊廟に保管されていた。
平壌崇仁商業学校と安東師範学校教授を歴任した祖先の蔵書の一つとして保管されてきた。
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日本統治下の学校における朝鮮語教育用に日本の出版社「以文堂」より出版された辞典。
「普通学校朝鮮語辞典」の初版発行は、大正14年12月20日と書かれていますね。
普通学校
朝鮮語辞典
附漢字字典
京城師範学校訓導
沈宜麟編纂
株式会社京城以文堂発行
大正十四年十月二十日初版発行
昭和三年二月二十日再販発行
昭和五年四月六日印刷
昭和五年四月十日三版発行
定価七十銭
学割六銭
株式会社以文堂京城代表者
著作兼発行人 安 涛 ?(壽?)
印刷人 谷岡貞治
印刷所 谷岡印刷部
京城府本町四丁目一三一
発行所 株式会社以文堂
韓国では、この1925年に発行された朝鮮語辞典が、現存する最古の国語辞典なのだが・・・
国立国会図書館所蔵本を近代デジタルライブラリーで「朝鮮語辞典」を検索すると
http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php
タイトル : 朝鮮語辞典
タイトルよみ : チョウセンゴ ジテン
責任表示 : 朝鮮総督府編
出版事項 : 〔京城〕:朝鮮総督府,大正9
形態 : 983p;26cm
NDC分類 : 829.1
著者標目 : 朝鮮総督府
著者標目よみ : チョウセン ソウトクフ
全国書誌番号 : 43014507
請求記号 : YD5-H-331-156
西暦年 : 1920年
【本文をみる】をクリックすると、中身まで見ることができるのに・・・
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946112
『「朝鮮語辞典」:朝鮮総督府編(大正九年〔1920〕3月30日発行)の初版』を!
韓国の「最古の国語辞典」が、京城師範学校訓導・・・つまり教員養成学校の指導書とは!
★平成20年度・日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究B)
「学習書を通して見る近代日本における朝鮮語教育史の多元的・実証的研究」という
熊本学園教授の矢野謙一氏と研究分担した、広島大学講師の山田寛人氏の論文は興味深い。
『朝鮮文朝鮮語講義録』発行の背景
――朝鮮語学習に対する需要の変遷――
http://www.u-shimane.ac.jp/36near/41kenkyu/file/17-11_yamada.pdf
「日本支配下の植民地朝鮮では、1924年9月から数年間にわたって『朝鮮文朝鮮語講義録』
という、日本人向けの朝鮮語学習のための通信講座が発行されていた。
本稿は、この『朝鮮文朝鮮語講義録』発行の背景を検討するものである。
この講座は、毎月一回発行され一年間で一つの講義が終了するという形式で、
会費は月額70銭、年額7円だった1。食パン1斤16銭、国鉄入場券5~10銭、巡査の
初任給45円、教員の初任給40~55円という時代である。
これだけの投資をしてでも朝鮮語を学ぼうとする日本人が相当数存在していたということ
になる。逆に発行した側からいえば、ある程度のもうけが見込めたということでもある。」
植民地朝鮮における朝鮮語奨励政策―朝鮮語を学んだ日本人 (2004/06) 山田 寛人 商品詳細を見る |
日韓併合により、在朝鮮の日本人官吏に対しては、採用試験、昇進試験、採用後の講習など、
さまざまな形で制度的に朝鮮語の学習が課せられるようになった。
官吏だけでなく、慈恵病院の看護師・助産婦の養成学校でも、師範学校でも朝鮮語は必須科目。
鉄道局・通信局・臨時土地調査の雇員や金融業界の職員も、採用試験、昇進試験、採用後の
講習など、官吏達とはレベルの差こそあれ、朝鮮語の取得が必要だった。
朝鮮総督府や地方などで、日本人に朝鮮語を指導していた朝鮮人講師は、山田寛人氏の調査で
62名のうち、経歴(年齢、学歴、朝鮮人教師として働く前後の職歴など)がある程度把握
できたのは33名だそうだ。今後も調査を進めていくという・・・
植民地支配下の朝鮮において支配者側の日本人が被支配者側の言語である朝鮮語を学んでいた
ことの意味を、日本のサヨク学者や韓国の学者は
「朝鮮語学習奨励は一部の特殊な目的のために行なわれた」
「一部植民地官吏による支配のための朝鮮語学習」 というように、
植民地支配を円滑に進めるためのものだったという評価しかしない。
果たして、それだけだろうか?
ボクらの京城師範附属第二国民学校 ある知日家の回想 (朝日選書) (2008/08/08) 金 昌國 商品詳細を見る |
【レビュー】
公正に記述されている珍しい書籍である Date:2009-09-18
おすすめ度: ★★★★★
日本統治時代に官立の国民学校に通っていた朝鮮人の回顧録である。
この時代(昭和14年以降)は国民学校(小学校)は第一と第二に分けられていたが、
第一は日本人の、第二は朝鮮人の児童のものだった。
ただし、第一でも朝鮮人を拒絶していたわけではなく通学可能だった。ただ、第一の
入学試験は日本語でなされたため日本語に堪能でないと入学は難しかった。
第二の入学試験は朝鮮語・日本語でなされていたため朝鮮人も十分に入学できた。
第二に通っていた日本人もいた。この辺のところはこの書籍でも正確に記述されている。
先生は日本人と朝鮮人の混合だった。
この書籍でも明らかにされているが、先生の多くは厳しく指導し、朝鮮人だからといって
差別があったわけではない。
ところが、1945年8月15日以後は、一変して授業は朝鮮語でなされ、先生もすべて
朝鮮人に代わり、当時、6年生だった著者もとまどいを隠せなかったことが記されている。
本当にお気の毒だったと思う。
それでも、著者を含めて日本人の先生を慕う気持ちは強く、日本にまで出かけていって再会
を果たしている。こういう話はよく聞く話だが、日本人の先生は誠心誠意朝鮮人児童に教育
したということだろう。
日本が「皇民化」教育を施したと口を極めて非難する者がいるが、それは事実だとしても
それは時代の波というべきものであって仕方がなかったと思える。
それを超えた朝鮮人児童と日本人教師の心のつながりが何よりもその虚構を暴きだしている。
蛇足で申し訳ないが、母も南朝鮮の田舎で生まれ、昭和初期に日本人の通う「尋常小学校」
に通っていた。日本人は朝鮮語ができなかったというものがいるが、これは京城などの都会
のことであって
(1944年当時、京城の人口-82万5000人、日本人-15万9000人(19.27%)
田舎では日本人は少なく朝鮮語ができなければ意思も通じないため朝鮮語は必須だったという。
だいたいから1944年当時だって日本人は朝鮮全土で3%くらいしかいなかったのであり、
昭和の初期ではもっと少なかったのである。
そして朝鮮人で日本語を話せた者は20%にも満たなかったというから、田舎では朝鮮語が
できなければ生活もままならなかったのである。
もちろん母も朝鮮語ができる。祖母は堪能だった。そうでなければ朝鮮人が使いこなせる
はずがない。
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拓殖大学教授の呉善花氏の著作の中でも、併合時代に机を並べた韓日の同級生が当時を懐かしみ
定期的に同窓会を開いていたケースが紹介されている。
老年期に差し掛かった彼らが、日本人の恩師を招いて集まる姿を、サヨク学者はどのように
説明するのだろうか?
ところが、韓国では呉善花氏を貶める活動しかしない。
例えば、韓国のMBCテレビの捏造や偏向が凄まじい番組「PD手帳」が、2006年8月15日の放送で
彼女の講義を盗撮した上、彼女を推薦した教授のインタビューで「彼女を”業績”で評価した」
という部分の”業績”が韓国語の字幕では「行跡」となっていたそうだ。
彼女を、学歴偽造・日本語の能力が足りないと批難しながら、同音異語の"業績"と"行跡"の区別
ができない、ハングルのみの教育の問題点を露呈させている。
韓国の歴史学者が「漢字+ハングル」混じりの朝鮮語教育は、日帝の最終目標が
『我々の言語を奪う』ことであり、その準備段階だったなどと論文を発表しているが・・・
日帝の残骸だからと「漢字混じりのハングル」を捨て去り、ハングルだけで文章を書く
弊害に、韓国の大学教授が気付かないとは滑稽だわ。
だから、一昨日のハンギョレ新聞の、ハーバード大学マイケル・サンデル教授の話題の著作
『これからの「正義」の話をしよう』の書評記事で
「正義」を「定義」と間違って表記してしまうのだよ!
大卒のTV局の製作者や新聞記者が「業績→行跡」「正義→定義」と、全く意味の違う表記
でも気が付かないというのは、如何なものでしょう。
【植民地統治の検証 2】でも読みなさい。
http://mirror.jijisama.org/syokuminti2.htm
藤岡教授の言う「日本が建てた5200校の小学校で教えた。」は
「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 1989年 原書房
総督府は朝鮮人の教育にはかなり力を入れ、朝鮮に近代学校制度を創設普及させたということが
できよう。ことに初等教育では着実に努力をつみ重ね、「三面(村)一校」「一面一校」という
ように順次目標をあげながら、寒村僻地にいたるまでくまなく普通学校(小学校)を設立した。
統治開始後32年たった1942年には、朝鮮人推定学齢児童数の56%が就学するまでになった。
日本内地が同じ水準に達したのは、明治政府が発足して25年後のことである。
これらの数字は、日本政府が朝鮮における初等数育に対し、本国におけると同様の、もしくは
それに近い努力を傾注してきたことを示すものといえよう。
1943年には、朝鮮統治多年の懸案であった初等教育の義務制が1946年から実施されることが決定した。
総督府は戦時下の資材不足をおかして、学校、学級の一大拡充に乗り出し、1945年4月からは
中等以上の学校に進学しないもののために、内地同様、青年学校も新設したのである。
拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏の「日本がハングルを学校で教えた」という発言を
反省していないと怒りながら、今まで「言語を奪われた」と日本を批難してきたのであるから
日本のハングル教育に対する「事実とは違う証拠」でも提示して批難するかと思えば・・・
「百済時代は朝鮮が日本に文化を教えた」
「日本人は韓国語の母音すら発音できないはず」
といった、頓珍漢な意味の無い反撃しかできない韓国ネチズン諸君。
あなた達も、韓国の全国教師組合員のサヨク教師による偏向教育の被害者だから仕方が無いが
少しは、自分の脳味噌で判断してごらん。
日本のサヨク学者も、自分のイデオロギーで歴史を判断せずに、
少しは、我々保守派をギャフンと言わせるような客観的な【証拠】を出しなさいよ!
DUCE