苗木誠、人生最悪の日④
「……話はわかった」
薄暗い会議室に老人の声が響いた。
希望ヶ峰学園評議委員会室――中央に木製の大きな円卓が置かれ、床一面には赤い絨毯が敷き詰められ、窓には分厚いカーテンが掛っている。
その部屋の中は、重苦しい空気で充満していた。
「それで……どうするつもりだ?」
その声に、別の老人が答える。
「フン、どうするも何もないだろう。再発行すればいいだけだ。別に受け取る相手が燃えてしまった訳ではないんだからな」
苛立ったような声だった。さっさとこの問題を片付けてしまいたい――そんな投げやりな気持ちがにじみ出ていた。
「いえ、そういう訳にはいきません」
だが、学園長はぴしゃりと返した。
評議委員会たちの視線が、一斉に彼に向けられる。
「残念ですが、彼女を《超高校級の幸運》として入学させる訳にはいきません」
評議委員会の一人は思わず眉をひそめた。
「……どういう意味だね?」
「そのままの意味です」
学園長は淡々とした口調で続ける。
「届くはずの入学通知が届かなかったのは紛れもない不運です。相手に非がある訳ではありません。ですが、その不運も含めての超高校級の幸運なのです。彼女が不運に見舞われたということは、その恩恵に与るはずの幸運の持ち主が、他にいるということです。それを無視する訳にはいきません」
「つまり……もう一度抽選すると言うことか?」
学園長は小さく頷くと、
「彼女が不運によって阻まれた以上はそうするべきです。他の才能の候補者であれば話は別ですが、ここで選ぶのは超高校級の幸運なのです。もう一度ここで抽選をし、そこで選ばれた者こそが、超高校級の幸運に相応しい」
「どうせ君のことだ……もう抽選は済ませてあると言うんだろう?」
その言葉に、学園長はフッと小さな笑みで返す。
「すでに新しい入学通知も送付済みです。早ければ今日にでも届くでしょう」
それには、さすがの評議委員会たちも驚きを隠せない。
「郵便物焼失の知らせがあったのは夕方だったな……その後すぐに再抽選して、入学通知も準備して、送付までしたと言うのかね?」
「こういうのは、日を跨ぐのは良くないですから」
サラリと言ってのけたが、その迅速すぎる対応は、さすが希望ヶ峰学園長と言うべき、常軌を逸していると言っても過言ではない行動力だった。
「まったく…仕事熱心な男だ」
その言葉には明らかに皮肉の色が含まれていたが、学園長は意にも介さず、無表情のままテーブルに置いてあった一枚のプリントを手に取ると、
「本日の郵便物紛失事件に伴いまして、我が希望ヶ峰学園は再度、厳正なる抽選の結果、全国の高校生の中から一人の生徒を《超高校級の幸運》として招き入れることに決定しました」
と、淡々とした口調で説明を続けた。
「その生徒の名は――」
そこで一呼吸置いた後――学園長はその生徒の名前を口にした。
「――苗木誠です」
◆
時刻は夜十時をとっくに回っていた。
みっちり、六時間近くは事情聴取を受けたことになる。
苗木はさすがにグッタリと疲れ果てていた。警察署に迎えに来てくれた母の小言に、反論する気すら起きなかった。
――本当に散々な一日だったな。
苗木の頭の中に浮かんでくるのはそんな愚痴ばかりだった。
「はぁ……」
そして警察署から出た途端、苗木はまたもや重いため息を吐き出した。
――あの音楽番組も……とっくに終わっちゃったな。
結局、かつての級友が出演すると楽しみにしていた音楽番組も見逃してしまった。
とは言え、まぁ、それはそんなに痛手ではないはずだ。
今や、その彼女は国民的アイドルグループの一員なのだ。今日見逃したとしても、テレビで見られる機会はこれからいくらでもあるはずだ。
それより、今はとにかく眠りたかった。
一刻も早く、家のベッドに寝っ転がって、今日という最悪の日を終わらせてしまいたい気分だった。
だが、明日になったらなったで面倒なことが一つ残っている。
――学校に行ったら、公園に放置してきたみんなに謝らないとな。
おそらく彼らは、ジャンケンで負けた苗木が、お金を持ち逃げしたと怒っているはずだ。きっと、その誤解を解くのも一苦労だろう。
その苦労を思うと――苗木はますます疲れ果ててしまうのであった。
そんな苗木の落ち込み具合を見て、さすがの母も同情したのか、帰りは2人でタクシーに乗ることになった。節約家の母にしては珍しい選択だ。
そして、警察署から自宅までの約三十分。
苗木は流れる夜景を見ながら、祈るような気持ちだった。
――頼むからもう何も起きないでくれよ。
散々、不運に見舞われ続けたのだから、苗木がそんな風に考えるのも無理はなかった。
お陰で、タクシーの車内ではずっと緊張しっ放しだった。これならむしろ、いつものように電車を利用した方がマシだったかもしれない。
ともあれ、そんな苗木の心配をよそに、タクシーは無事に自宅まで到着した。
そこで苗木は、ようやくホッと胸を撫で下ろした。
そのホッとした気持ちのまま玄関の扉を開けた――その時だった。
「お、お兄ちゃん! 大変だよ、大変!」
突然、彼の妹が血相を変えて走ってきた。
「な、なんだよ…?」
と、苗木が思わず身構えると、
「あ、あのね。あ、あの、えと……お、おち、落ち着いて、聞いて欲しいんだけど……」
「まず、お前が落ち着けよ」
「そ、そうだね……」
妹は胸に手を当ててスーハーと深呼吸を繰り返した。けど、それでもまだ落ち着きを取り戻せないようで、次に、手の平に《人》という字を書いてゴクンと飲み込んでいた。それを三回ほど繰り返した末にようやく――
「こ、これだよ……これ見て……」
と、妹は震える右手を差し出した。その手には真っ白な封筒が握られている。
「これが……どうしたんだ?」
苗木はその封筒を受け取ると、まじまじと観察してみた。手にしてみると、かなりしっかりした紙質で、その中央には大きく《苗木誠様》と書かれてあった。
確かに、自分に宛てられた手紙のようだが――それがどうしたのだろうか。
すると、妹は急かすような口調で言った。
「う、裏だよ……裏を見て」
「……裏?」
言われるまま封筒をひっくり返したところで、
「えっ!?」
と、苗木は思わず驚きの声を上げた。
封筒の裏に書いてあったのは――希望ヶ峰学園事務局という文字だった。
「希望ヶ峰学園って……あの希望ヶ峰学園……?」
「そうっ! そうなんだよっ!」
妹は興奮したようにその場でピョンピョンと飛び跳ねながら、
「あのね、その中に書いてあったんだ。お兄ちゃんが《超高校級の幸運》に選ばれたんだって! お兄ちゃん、希望ヶ峰学園に入学できるんだよっ!」
――ボクが超高校級の幸運に?
苗木はすぐには、その言葉の意味を理解できなかった。
「……て言うか、お前、勝手に人の手紙見たのか?」
「そ、そんなのどうだって良いんだって!」
ズイっと、妹の顔が苗木の眼前に迫る。
「希望ヶ峰学園だよ! あの、卒業したら人生において成功したも同然って言われる希望ヶ峰学園だよ! お兄ちゃんはその学園の一員になれるんだよ!」
と、妹は鼻息荒く熱弁を振るっていた。それは比喩ではなく、本当に鼻息を感じるほどの勢いだった。
そんな妹の様子を見て、苗木はようやく事態を飲み込んできた。
「ボ、ボクが……希望ヶ峰学園に……?」
信じられないと思えるほどには事態を理解し始めた苗木は、震える手で封筒から手紙を取り出した。
その文面を見て――苗木は思わず息を飲んだ。
今回、我が校では平均的な学生の中から抽選によって一名を抽出いたしました。
その結果、当選したあなたを《超高校級の幸運》として、
我が校に招き入れることになりました。
「凄いじゃない、誠くん!」
後ろからその手紙を覗き込んでいた母が突然、苗木の両肩を掴んできた。
「すごーい、すごーい!」
と、妹はまるで自分のことのようにはしゃいでいる。
「ねぇ、お父さんは? もう帰ってるの?」
「うん、今お爺ちゃんとお婆ちゃんに電話してるよ!」
「そうね、早く教えてあげないと!」
と、妹と母は手を取り合って、キャアキャアと体全体で喜びを表現している。
その歓声を聞いている内に――ようやく苗木の顔にも笑みが浮かんできた。
「は、ははは……」
苗木は、自然とガッツポーズになっていた。
「や、やった……やったぞ……」
初めは囁くような声だったが――やがてそれは大きな声となっていった。
「……やったあ!」
そして、苗木は力いっぱいの大声で喜びを叫んだ。
苗木からしてみれば、今日一日散々見舞われた不運が、大きな幸運となって一気に返ってきたような感覚だった。
そう、それは紛れもない幸運のように思えた。
運からの贈り物のように思えた。
だが――
実際はそうではなかった。
彼が《超高校級の幸運》に選ばれたのは、紛れもない不運だった。
なぜなら、ここで苗木が《超高校級の幸運》にさえ選ばれていなければ、彼はあの奇妙なマスコットに会わずに済んだし、あんなコロシアイなんかにも参加せずに済んだのだ。
あの、絶望的な学園生活に巻き込まれずに済んだのだ。
だが、苗木は選ばれてしまった。
《超高校級の幸運》として選ばれてしまった。
その出来事こそが、苗木誠にとって《人生最悪の日》と称するに相応しい不運だった。
しかし、この時の苗木はまだそれに気付いていない。
嫌な予感すら抱けないまま、家族のみんなと一緒になって喜んでいた。
だが、それは当然だ。
なぜなら、これは――
何かが始まる前の、まだ何も始まっていない頃の話だからだ。
こうして、苗木誠の人生最悪の日は終わろうとしていた。
彼はその最悪な日を――
笑顔のまま終えようとしていた。
【苗木誠――超高校級の幸運】
【入学許可】