リ・エスティーゼ王国、第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。
現国王、ランポッサ三世が最も可愛がる末娘だ。
たぐいまれなる美貌と、その英知。
何よりも民を想う心により「黄金」と称される女性として知られている。
御歳十六。
通常であれば結婚の話がすでにあっても、いやすでに結婚していてもおかしくはない年齢だ。
この歳であれば「婚約者」、あるいは嫁ぎ先の「家」くらいは決まっているのが普通だ。
それが、まるで無いというのも、父親であるランポッサ三世が彼女の幸せな結婚をささやかに望んでおり、話を進めないことが理由の一つでもあるが、一番の理由は彼女の「商品価値」が異常に高いせいだ。
「嫁がせる」という口約束なら何度でもあった。
それだけで交渉材料となったのだ。
王家の血を入れるという価値。
そして、年を追うごとに増す、輝くような美貌。
さらに、実質的な権限は無いものの、王に進言し取り入れられ、国に利益をもたらす政策を考えつく頭脳。
安易に「嫁がせる(売りに出す)」には惜しい娘(財産)だった。
政略結婚は第三王女(ラナー)に限った話ではない。
第一王女も第二王女も政略結婚だ。
だからこそ、最後(末娘)にして最大の商品を安売りできないという事情もあった。
◆◆◆
デミウルゴスは思案する。
ラナーの存在の異常さは、ガゼフに憑依させた悪魔からこちらの動きを感づいているような報告によって知っている。
問題は彼女の扱いだ。
デミウルゴスの行動の支障になるようならば、消してしまえばいい。
ガゼフに憑けた悪魔は戦闘系では無いが、攻撃魔法を習得していないわけではない。
それこそ、たかが第三位階の「火球(ファイヤーボール)」の一発どころか、第一位階の「魔法の矢(マジック・アロー)」ですらこの女(ラナー)は簡単に死ぬだろう。
夢魔の力には、身体や精神を汚染する能力もある。
病死でも自殺でも、手段はいくらでもあった。
それこそ、宮廷内に不和と不信をばらまくために、事故や事件を演出してもよいだろう。
しかしそれは浅慮であると、ラナーと対峙したデミウルゴスは自重したのだ。
◆◆◆
「ヤルダバオト」と名乗った悪魔の言葉に、ラナーは心が震えるほどの歓喜を覚えた。
なんとも納得のいく話だ。
自分が人間では無いのかもしれないという予想は。
この過ぎた美貌も、常軌を逸脱した頭脳も、人間以外の存在の手による物だと考えれば、自分が「あの」家族と同じ人間だと思うよりも、納得ができる話だった。
ラナーにとって新鮮であり有意義な話だった。
幼い頃の自分に教えたい気分だ。
その杞憂は無意味なのだと。
例えそれが事実ではなくとも、そういった事例があるというだけで、自分は自分の異質さを肯定できる。
◆
「私は『そう在れ』と生み出されました。あなたが『そう』であっても驚きませんし、気にもしません。私が気にしているのは、貴女が私と同じ主人を仰ぐのか。そうでない存在なら、敵対者なのか同盟者なのかの区別だけです」
ラナーが「ナザリックの所属」では無いことは、デミウルゴスにはわかっている。
同じナザリックの仲間であれば感じる気配を感じられないのだから。
それも同じ階層守護者とただのシモベでは雲泥の差があり、至高の御方々であれば、絶対的支配者の輝きを目視したと錯覚するほどに感じ取ることができるのだ。
しかし、ラナーが「ナザリックの所属で無いこと」と「ナザリックの敵対者であること」は一致しない。
初期から気にしている「傭兵」や「協力ギルド」といった存在もあるからだ。
ゆえに、明確に敵対しているとの確証が得られない現在、ラナーに対する態度は現状では手探りといったものにならざるを得ない。
◆◆◆
「私は私のささやかな願いが叶うなら、誰を主人と仰いでも問題ありません。今の私は『忠義を尽くす相手を捜している』状態ですので」
嘘では無い。
ラナーの世界は自分と愛しい犬(クライム)とで完結している。
二人の世界を完成させるためなら、ラナーはあらゆる手段を使いあらゆる存在を利用するつもりなのだから。
ラナーの最大の「嫁ぎ(売り込み)先候補」は、バハルス帝国の皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの側室だ。
だからこそ、王派閥にも貴族派閥にも嫁がず済むように、双方の対立を煽っているのだ。
どちらの派閥に降嫁しても角が立つように、双方の力関係を調節して。
そして、互いの派閥争いから国力を低下させた上で帝国に併呑されれば、バハルス帝国皇帝ジルクニフは「まだ若く」「国民に支持された」「利用価値のある」第三王女をそうそう殺害できない。
ラナーに個人として使える戦闘力が、クライムしかいないというのも、ジルクニフが自分を殺しにくくする要素だ。
そして、ラナーが自分の領地からあがる収益を貯金しているのも、いずれ嫁ぐ時の持参金にするつもりがあるからだ。
ジルクニフが自分を側室として召し上げても、元敵国の姫に、そして何を企むかわからない自分相手に、潤沢な歳費を用意するとは思えない。
むしろ、質素倹約を心がけなければならないかもしれない。
それでも、側室に迎えた女の「個人資産」に手を出すようでは、皇帝の威信に傷がつく。
つかなくても、自分ならそういう風に世論を持っていける。
それがわかるだろうジルクニフは、自分の持ち物全般にあまり手を付けないだろう。
自分の有用性をアピールすると共に、自分を不気味に感じていることも了解済みだ。
そうなるように、仕組んでいたのだから。
自分を嫌っているジルクニフは、自分を側室に迎えても手は出さないだろう。
そう考えて、ずっと頑張ってきたのに、それを灰塵に帰す存在が目の前に現れたのだ。
計画を変更しなくてはならない。
とりあえず、目の前の存在の邪魔になることだけは避けなくてはならない。
「障害」と判断された瞬間に、自分は殺されるか操られるか。
自分に「頭脳」はあれど、「武力」も「魔法」も無い。
その手の一振りで、自分の細い首は胴体と永遠の別れを告げるだろう。
攻撃魔法の一つで、瞬時に消し炭になるだろう。
防御できるような魔法もアイテムも自分には無いのだから。
死ぬならまだいいのかもしれない。
精神操作の魔法を跳ね返すことも、ラナーには不可能だ。
操り人形にされ、あちこちの男への交渉材料にされる可能性だってある。
事実、兄の第一王子バルブロは、そういった話をあちこちに持ちかけているのだ。
そして、「美貌」も「頭脳」も不要と判断された時、クライムはどうなるのか。
ラナーが変わったことに不信感を抱かれないために、殺されてしまうのか。
それとも、ラナーが変わったことを隠すために、操り人形にされてしまうのか。
さらには、新しい手駒として悪魔に乗っ取られてしまうのか。
そうなったら、クライムが自分を見る、あの得難い視線はどうなってしまうのか。
失う。
それだけは耐えられない。
受け入れられない事態だ。
だからこそ――
「私のささやかな願いを叶えてくださるなら、私は喜んで貴方様の忠実な僕となることを誓います」
目の前にいる存在は、自分と同等の存在。
自分の考えも打算も、折り込みで理解してくれる。
ある意味、最も信用できる相手といえるだろう。
それにこの悪魔は自分と同等もそれ以上も知っている。
それだけでも、自分(ラナー)は経験で劣っているのだ。
ラナーは自分と同格も、それ以上の存在とも対峙したことがない。
これは未知の領域だ。
だからこそ、ここから始めなければならないのだ。
失敗はできない。
クライム(可愛い犬)との幸せな(鎖で繋ぐ)未来のために。
◆◆◆
「私は「ナザリック」を探しています」
「はい。私はその存在を探す一助となります」
「期待していますよ」
ナザリック地下大墳墓が存在すれば、不可視化を行える八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)などのモンスターを使えたのだろうが、今のデミウルゴスには手が足りなかった。
用意できたのは、下位の悪魔「影の悪魔(シャドー・デーモン)」だ。
他にも影や闇に潜むことが可能な僕もいるが、用意しやすさではこの「影の悪魔(シャドー・デーモン)」が筆頭だ。
つまりは、レベルが低いのだ。
三〇レベル程度の僕がどうしても多くなる。
この世界の人間や亜人を材料にした作成では、四〇レベルを越えることができず、憑依にしてもあまりにレベルが離れていては依代が「もたない」ためだ。
結果的に、多用できる僕はほとんどが低位の者となっている。
連絡用に別の悪魔を控えさせているが、これは特にラナーに言う必要は無い。
考えればわかることであり、自分と同等の頭脳の者に説明の必要を感じなかったためである。
それはラナーも理解している。
「ナザリック」が「何か」を説明しないのも、ラナーならその意味を理解できると知っているからだ。
「ナザリック」に繋がるなら、それが「人」でも「物」でも「場所」でも関係ないのだ。
予備知識が無ければ「ナザリック」を探すのに、情報に惑わされない。
そもそも「ナザリック」が何であれ、その名が使われているかもわからない。
であるなら、あの悪魔「ヤルダバオト」の気を引きそうなもの全てが対象と考えて、あらゆる事象を精査すべきだ。
なにが「ナザリック」へ通じているかわからないのだから。
わかるくらいなら、あの悪魔はとっくに見つけているだろう。
結局は「わからないものを探す」のだ。
つまらない先入観など、あっても邪魔なだけだ。
ヤルダバオトでも探すことが困難なもの。
つまり自分が受け持つのは、ヤルダバオトが手を出しにくい場所なのだ。
いや、自分(ラナー)が手を出せない場所は、ヤルダバオトが探すだろう。
あるいは自分以外を使って。
自分は自分の範囲を探せばよい。
そして新しい手駒がいる。
今までのように、隠れた「依頼」では効率が悪い。
最優先で動かせるように、ヤルダバオトに「献上」してしまった方が都合が良いかもしれない。
「ラキュースに会わなくちゃね」
少し計画を前倒しするべきだろう。
◆
先ほどまでの会話を思い出して、ラナーは自然と口角が上がるのを自覚した。
これほど自然に笑えるとは、自分は随分と高揚しているようだ。
あの「ヤルダバオト」という悪魔との会話はとても有意義なものだった。
これほど充実した会話は、生まれて初めてと言っても過言ではないだろう。
別に自分が本当に人間ではないと信じたわけでも、その事実がある必要などもない。
自分と同等の存在がいるということ。
それが知れたことが重要なのだ。
自分以外との会話が苦痛だった。
自分の異質さが理解されないこと。
周りの愚鈍さが理解できないこと。
自分と比肩できる存在の確認は、自分を位置づけるためには必要なものだ。
それがようやく現れたのだ。
自分の範囲に。
そしてこれはチャンスでもある。
自分のような、頭脳と美貌ではなく、頭脳と「力」を持っているのだ。
◆
あの「ヤルダバオト」という存在。
圧倒的な強者であることを疑う余地はない。
だが、注意しなければならないことが多いのも確かだ。
おそらく、あの姿は偽りのものだろう。
幻術か変装か、あるいは影武者か。
とにかく、自分という絶対に裏切らないという確証の無い相手に本来の姿を晒しはしないだろう。
名前とて本当の名か怪しいものだ。
そして「帰ることを前提とした協力」とこちらに先に告げている。
つまり、あの「ヤルダバオト」という存在は、いずれいなくなる可能性が高いのだ。
この世界に残るだろう自分が、泥船(リ・エスティーゼ王国)に置き去りにされるのでは協力の意味がない。
なんとしても、その時までにあの強大な力を自分の地盤を固めるために利用しなくてはならない。
「ナザリック」を見つけるには、自分(傀儡)に一定の権勢が必要と判断させることができれば、問題なく相手の力を利用することができるだろう。
「お父様には病気になっていただいた方がいいかしら」
父がいなくなっては王位継承問題が激化するだろう。
父がバルブロを廃嫡できない優しい親(無能な王)であることはわかりきっている。
それでも、生かしておく方が面倒が少ない。
「バルブロお兄様も病気がいいかしら。いえ、何か問題を起こして蟄居の方が都合がいいかしら」
貴族からも民衆からも距離を置かれるような醜聞の方がいい。
バルブロが生きていた方が、ザナックもそうそう大きな顔はできない。
なにしろあのガゼフ・ストロノーフでさえも、漠然とはいえ次の王になるのは長男であるバルブロだと考えていたのだから。
たいした才能がないと知っているガゼフでさえ、そう考えているのだ。
王家のことをよく知りもしない「その他大勢」が、「第一王子」という肩書きだけでバルブロを「王位継承権一位(次の王)」と考えてしまうのは無理のない話だろう。
ザナックはそれなりに頭が回る存在だが、バルブロやその義父ボウロロープ侯に睨まれないために猫(ばか)を被っている。
第二王子(スペア)という立場も、後ろ盾になる貴族に恵まれない状況だ。
最近ではレエブン侯が協力者となったようだが、劣勢を覆すほどではない。
つまりよほどのことがない限り、バルブロが王になるという通説を覆すことは、ザナックには難しいと言える。
「ザナックお兄様が私に協力を求めるなら、バルブロお兄様に傾いた天秤をひっくり返すための一手を知るためになるでしょうね」
事態を表面化するのがいいか、事態を作り上げる方がいいか。
「その方が恩を売れるかしら。レエブン侯に解決できるような事態では意味が無いわね」
今まではできなかった手段も使えるだろう。
選択肢が増えることは嬉しいが、悩ましくもある。
「待っていてね、クライム。貴方との最上の未来を作り出してみせるわ」
それでも、これはとても楽しいことだ。
今なら、あの大嫌いなメイドにも、心からの笑顔で接することができそうな気がしてくる。
「彼女にはどんな未来を用意しましょう」
殺すより、もっと悲惨で過酷で凄惨な未来を与えることもできるだろう。
「考えることがたくさんありすぎて、楽しくて楽しくて困ってしまうわ」
◆◆◆
クライムと呼ばれる少年のレベルは高くない。
どう贔屓目にみても、一〇レベルの前半だろう。
もっともこれは、この国において「弱者」という話ではない。
デミウルゴスが「小鬼(ゴブリン)将軍の角笛」で呼び出したゴブリンのレベルは十二から九。
十二レベルあれば、王国で精強と呼ばれる騎士を三人相手に戦えるのだ。
圧勝や完勝できるとは言わないが。
リザードマンの村で見つけた「勇者」と讃えられる、ザリュース・シャシャのレベルも二十ほど。
それ以外のリザードマンは、悉くそれ以下のレベルしか有してはいなかったのだ。
それを考えれば、劣等種である人間がレベルを一〇以上に上げたというのは、なかなかのものであろう。
あくまで努力の上限であり、才能ある天才に遠く及ばないことは間違いが無い。
デミウルゴスからすれば、まったく価値が無い存在だ。
それでも、ラナーに対して有効な存在であることも、また間違いのない話だ。
なにより――
「なにがあろうと主人を第一に考え、絶対に裏切らないという、その忠誠心だけは買いましょう」
デミウルゴスも忠義を尽くすことを第一と考えている。
たとえ、ナザリック地下大墳墓に永く訪れることがなくとも。
侵入者も絶えて久しく、ただ己の守護階層で無為に過ごす時間が続こうと。
まるで居ない者のごとく、その存在を無視されようとも。
デミウルゴスが至高の御方々へ捧げる忠誠心に変わりはない。
だからこそ、忠誠の先をころころと変え、それを恥じもしない存在を軽蔑する。
それでも、己の主人(至高の御方々)に対して忠誠を誓うのなら話は別だ。
何故なら、それこそが「正しい」からだ。
至高の御方々こそ、万人万物が頭を垂れかしづくべき絶対の支配者なのだ。
他の存在に忠誠を誓うという過ちに気付き、それを正したのなら、その行為を褒めてやるべきだ。
全ての者の頭上に君臨すべき「絶対の主人」は、至高の御方々以外に存在しないのだから。
だが、この場に彼の方々が存在しない以上、誤った主人に忠誠を誓ってしまうのは仕方の無いことだろう。
下等な存在に、見たこともない至高の御方々の偉大さを理解しろと言う方が酷なのだから。
それ故に、デミウルゴスは下等な生き物たちに合わせて、この世界を至高の御方々に捧げるべく行動しなければならない。
真実の支配者を知らぬ愚か者に合わせるのは苦痛だが、生まれながらにその威光に触れていた自分とは可哀想なほどに境遇が異なるのだ。
その惨めな境遇を責めるのは、あまりにも哀れだ。
真の支配者を知らぬ者には、なにを言っても無駄なのだ。
だから、その誤った忠誠を利用することに対して、デミウルゴスには何の呵責もない。
彼の方々がこの地に降臨されその威光を示せば、全ての生き物は頭を垂れるだろう。
それは彼の方々だからこそ、当然にして当たり前のことだ。
ただの被造物(NPC)である自分(デミウルゴス)に、それだけの威光が無い以上、自分におもねることが無いのは仕方の無いことだ。
だからこそ、真の支配者を迎え入れた際、全ての者の忠誠を「正しい主人」に捧げさせるために、自分は世界をあるべき姿へと変えるべきなのだ。
そして自分(デミウルゴス)も、正しい場所(ナザリック地下大墳墓)へ帰るのだ。
そのための努力を厭うなど、ありえないことだ。
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◆ラナーの考察
デミウルゴスの「生み出された」という表現を、品種改良のように「優れた能力を持った種族を作っている」と考えています。
この世界で例えるなら、「神人を効率よく生み出す環境がある」というような。
さすがに、テレビもゲームも知らないラナーが、絵に描いたら本物になったとまでは思いつかないのではと思いました。
召喚も、「異世界からその住人を呼び出して使役する」と考えられているようなので。
◆デミウルゴスの至高の御方々賛歌
デミウルゴスに至高の御方を語らせたら長くなりました。
一〇巻のメイドのフィースも、エ・ランテルの住民に対して憤っています。
なので、御方々を讃えつつ他を貶しています。
◆僕
影の悪魔がよく使われています。
他にも闇に潜める僕はいる設定です。
独自設定ですが、九巻に出てきた三〇レベル台であろうゴブリン暗殺隊も影から姿を現しています。
なので、三〇レベル台の僕でも、そういった能力を持っている存在はそれなりにいるのではないかと考えました。
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