「トシくんは亡くなって、財務局は救われた。それっておかしくありませんか?」財務省職員の妻が提訴した理由【森友スクープ全文公開#3】

「トシくんは亡くなって、財務局は救われた。それっておかしくありませんか?」財務省職員の妻が提訴した理由【森友スクープ全文公開#3】

財務局「遺書見せて」要求か

「トシくんは亡くなって、財務局は救われた。それっておかしくありませんか?」財務省職員の妻が提訴した理由【森友スクープ全文公開#3】

安倍首相 ©JMPA

「まさに生き地獄」――55歳の春を迎えることなく命を絶った財務省職員の苦悩【森友スクープ全文公開#2】 から続く

「週刊文春」2020年3月26日号 に掲載された大阪日日新聞記者・相澤冬樹氏による記事「森友自殺〈財務省〉職員遺書全文公開 『すべて佐川局長の指示です』」が大きな反響を呼んでいる。「週刊文春」編集部は完売により記事が読めない状況を鑑み、文春オンラインで全文公開する。真面目な公務員だった赤木俊夫さんに何が起きていたのか。森友問題の「真実」がここにある。

( #1 、 #2 より続く)

出典:「週刊文春」2020年3月26日号

◆ ◆ ◆

■「ぼくの契約相手は国民です」

 私が初めてご自宅に伺った時、昌子さんは俊夫さんの書斎を見せてくれた。今も生前のまま残されているその部屋には、本棚にハードカバーの書籍がびっしり並んでいる。哲学や思想などの本が多い。

 趣味も多彩だった。中でも書道は一生続けたいと考え、筆や墨などの高価な道具を多数買いそろえていた。棚にきちんと分類され整理されて並んでいる様は、几帳面な性格を表しているようだ。

 音楽や建築、落語にも造詣が深かった。仕事から帰宅すると、この書斎で本を読んだり落語を聞いたりコンサートのチケットをとったり。土日は部屋にこもって書道に集中した。

 建築家の安藤忠雄さんや、音楽家の坂本龍一さんのことがとりわけ大好きだった。1993年、まだ若い頃、近畿財務時報という部内誌に寄稿している。題は「坂本龍一探究序説」。その中に「逃避することのできない社会現象の不合理性や構造の矛盾」という言葉がある。今になってみると将来を暗示しているかのようだ。

 彼の人となりを昌子さんは懐かしそうに語る。

「趣味が幅広くって、自分のために投資を惜しまない人です。私にも、私が何かを買おうとすると『最高の物を買って』と言ってくれました」

「自分の考えがしっかりあって、自分の生きる道を筋道立てて前に進んでいく。いいかげんには生きていない人でした。誠実で優しくて、けんかはほとんどしたことがありません。相談したら何でも答えてくれる、包容力もある、何でも一生懸命でした」

 赤木俊夫さんは63年、岡山県の出身。高校卒業後、当時の国鉄に就職したが、87年の分割民営化で中国財務局に採用され、鳥取財務事務所に勤めた。その時、私がNHKから転職した大阪日日新聞の経営母体である鳥取の地元紙「日本海新聞」を愛読していたというから、意外なご縁がある。その後、立命館大学法学部(当時あった夜間コース)に進学するため近畿財務局京都財務事務所に移り、以後は関西各地で勤務した。口ぐせは「ぼくの契約相手は国民です」。まじめで明るい公務員だった。

■近畿財務局の上司が「遺書があるなら見せてほしい」

 しかし俊夫さんの死後、近畿財務局の振る舞いは昌子さんを大きく傷つけた。

 俊夫さんが亡くなった翌日、近畿財務局の上司にあたる楠管財部長が自宅を訪れ、「遺書があるなら見せてほしい」と昌子さんに求めたという。「私はものすごく怒りました。だって森友のことで死んだのは間違いないじゃないですか。はっきり断りました」

 昌子さんの目の前で「赤木を殺したのは朝日新聞や!」と叫んだ職員もいた。でも昌子さんは「殺したのは財務省でしょ」と冷ややかに見ていた。「財務局で働きませんか?」とも持ちかけられたという。昌子さんは「佐川さんの秘書にしてくれるならいいですよ。お茶に毒盛りますから」と答えた。痛烈な皮肉に相手は沈黙した。

■麻生太郎財務大臣をめぐる対応に唖然

 さらに納得がいかないのは、麻生太郎財務大臣をめぐる対応だ。俊夫さんが亡くなって3カ月がたった6月、俊夫さんと親しかった財務省職員Fさんから電話があった。「麻生大臣が墓参に来たいと言っているがどうか?」と聞いてきたのだ。昌子さんは「来て欲しい」と答えた。ところがFさんは、昌子さんに黙って昌子さんの兄に電話をかけ、「妹さんは大臣に来て欲しいと言っていますが、マスコミ対応が大変だから断りますよ」と一方的に告げたのだという。昌子さんは次の日、Fさんからそのことを告げられて唖然とした。

 しばらくして麻生大臣が国会で「遺族が来て欲しくないということだったので伺っていない」と答弁しているのを見た。翌年にも同じように答弁している。

 それからまもなく、近畿財務局の美並局長(当時)がお供の人たちと自宅を訪れた。その際、美並局長は「大臣の墓参を断ってくれてありがとう」と述べたという。昌子さんは「私、そんなこと言ってないのに」と憤った。

 翌年19年2月、財務省の岡本薫明事務次官が自宅に弔問に訪れた際は、同行していた近畿財務局の職員から「一番偉い人ですよ。わかってます?」と言われた。こうした積み重ねが、昌子さんの心を財務省から引き離していった。

「もともと夫の勤め先だから悪くいうつもりはなかったんですけど、あんまりひどいじゃないですか」

■「トシくんは亡くなって、財務局は救われた。おかしくありませんか?」

 俊夫さんの話題になると、昌子さんは毎回「トシくんがかわいそう」と涙ぐむ。夫はなぜ亡くならなければならなかったのか? それを知りたくて昌子さんは、俊夫さんの同僚だった人たちから話を聞こうとした。しかしなかなか会ってくれない。俊夫さんが心から信頼していた上司の池田氏は2回、自宅に来てくれた。だがすべてを正直に話してくれたとは思えない。

 去年の暮れのある朝、昌子さんから電話がかかってきた。「ひどいんです」と。池田氏が「もう二度と会えない」と伝えてきたのだ。「ひどくありませんか? 話が聞きたいだけなのに。トシくんがかわいそうで………」。時折声を詰まらせながら訴えるその口調は、抑えようがない憤りの気持ちを表していた。数十分間の通話で私は「昌子さんの言うとおりです」と答えるしかなかった。

 親友だったFさんは「近財(近畿財務局)は赤木に救われた」と話したことがあるという。昌子さんは思う。

「それってどういうことですか? トシくんは亡くなって、財務局は救われた。それっておかしくありませんか?」

 むろん、おかしい。そのくせ池田氏をはじめ近畿財務局の人たちはみんな昌子さんの周辺から遠ざかっていく。「もうこれ以上関わりたくない」という気持ちが如実に表れている。

 昌子さんは、俊夫さんが「手記」で改ざんの責任者と指摘している佐川氏についても弔問に来て欲しいと願っている。トシくんの仏壇の前で謝罪し説明してほしいと。だから弁護士を通じて去年2回、佐川氏の自宅に手紙を送り、来訪を求めた。だが返事は来ない。財務省の関係者から人づてに、佐川氏が手紙を「しっかりと読ませて頂いた」と話していると聞いた。でも、読んでどう感じたかの話はない。

 こうして次第に昌子さんの中で「真相を知るには裁判しかない」という気持ちが芽生えていった。夫の死には佐川氏も相当の責任があるだろう。だから裁判を起こすとしたら佐川氏も訴えたい。そうすれば法廷で佐川氏に問い質すことができるかもしれない。

■弁護士と相談を重ね、佐川氏個人も被告に

 通常、この手の事件では「国家公務員の行為は国が責任を負う」という国家賠償法の規定に基づき、国だけを相手に裁判を起こす。だがこのケースは、到底通常の公務とは言えない違法な改ざん行為をさせた責任を問うのだ。公務と言えないなら個人の責任だろう。しかも佐川氏は当然、謝罪と説明を行うべきだが、遺族の求めに全く応じていない。これはまさに佐川氏個人の責任だ。昌子さんは弁護士と相談を重ね、佐川氏個人も被告に加えることにした。

■裁判の目的はお金ではなく真相究明

 昌子さんとしては、お金のためではなく真相究明のための裁判だから、賠償金額はいくらでもいいと考えていた。しかし弁護士によると、安い金額では国が「認諾」と言ってこちらの主張を丸呑みして認めてしまう。請求額を支払うことで裁判をすぐに終わらせ、それによって遺族側に原因追及をさせないことが狙いだ。

 そうさせないためには、丸呑みできない金額で訴えるしかない。佐川氏と国に対し、総額1億1000万円余の賠償を求めるつもりだ。

 裁判はあくまで佐川氏を法廷に呼び出し、謝罪を求め、真相を追究するのが目的だ。訴状の冒頭にも「本件訴訟の目的は、第一に、なぜ亡俊夫が本件自殺に追い込まれなければならなかったのか、その原因と経過を明らかにする点にある」と明記されている。だから勝訴して得られた賠償金は、何らかの形で世のため人のために役立てたいと考えている。特に、二度と公文書改ざんなどという不正が起きないようにするために。

■佐川氏の自宅を訪れると……

 3月15日、私は東京都内の佐川氏の自宅を訪れた。室内に灯りがついている。誰かがいることは間違いない。インターホンを押した。一度、二度。反応はない。三度目、私はインターホンの前に俊夫さんの手記を掲げて言った。「佐川さん、これは近畿財務局の亡くなった赤木さんが遺した手記です。これを読んで頂けませんか?」……それでも反応はない。家の中で聞いているのか、見ているのかもわからない。最後に私は「手紙を郵便受けに入れておきますので、お読みください」と言い残し、その場を立ち去った。これを昌子さんに伝えると、「私も何度もピンポンされる恐怖を味わったので少し気の毒です」と話した。夫を追い詰めた佐川氏にも同情を寄せる心優しい人なのだ。

 現在62歳の佐川氏。2年前に国税庁長官を辞任した後は再就職もせず、財務省OBの集まりなどにも顔を出していないという。

「全責任を負う」と言ったとされる美並氏にも取材を申し入れると、「決裁文書の改ざんについては、平成30年6月4日に調査報告書を公表している通りです。お亡くなりになられた職員については、誠に残念なことであり、深く哀悼の意を表したいと思います」と財務省の広報室を通じて回答があった。

 3月18日、昌子さんは大阪地裁に提訴する。被告となる国と佐川氏は、どのように応じるだろうか? さらに、責任があると名指しされた財務官僚たちは? 彼らを統率する責任がある安倍首相と麻生財務大臣は? そしてそもそもの発端となった森友学園の小学校の名誉校長だった首相夫人の安倍昭恵さんは? みな、赤木俊夫さんと昌子さんの訴えをどのように受けとめるだろうか?

自殺した財務省職員・赤木俊夫氏が遺した「手記」全文【森友スクープ全文公開#4】 へ続く

(相澤 冬樹/週刊文春 2020年3月26日号)

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