近畿財務局の上司が「遺書があるなら見せてほしい」
しかし俊夫さんの死後、近畿財務局の振る舞いは昌子さんを大きく傷つけた。
俊夫さんが亡くなった翌日、近畿財務局の上司にあたる楠管財部長が自宅を訪れ、「遺書があるなら見せてほしい」と昌子さんに求めたという。「私はものすごく怒りました。だって森友のことで死んだのは間違いないじゃないですか。はっきり断りました」
昌子さんの目の前で「赤木を殺したのは朝日新聞や!」と叫んだ職員もいた。でも昌子さんは「殺したのは財務省でしょ」と冷ややかに見ていた。「財務局で働きませんか?」とも持ちかけられたという。昌子さんは「佐川さんの秘書にしてくれるならいいですよ。お茶に毒盛りますから」と答えた。痛烈な皮肉に相手は沈黙した。
麻生太郎財務大臣をめぐる対応に唖然
さらに納得がいかないのは、麻生太郎財務大臣をめぐる対応だ。俊夫さんが亡くなって3カ月がたった6月、俊夫さんと親しかった財務省職員Fさんから電話があった。「麻生大臣が墓参に来たいと言っているがどうか?」と聞いてきたのだ。昌子さんは「来て欲しい」と答えた。ところがFさんは、昌子さんに黙って昌子さんの兄に電話をかけ、「妹さんは大臣に来て欲しいと言っていますが、マスコミ対応が大変だから断りますよ」と一方的に告げたのだという。昌子さんは次の日、Fさんからそのことを告げられて唖然とした。
しばらくして麻生大臣が国会で「遺族が来て欲しくないということだったので伺っていない」と答弁しているのを見た。翌年にも同じように答弁している。
それからまもなく、近畿財務局の美並局長(当時)がお供の人たちと自宅を訪れた。その際、美並局長は「大臣の墓参を断ってくれてありがとう」と述べたという。昌子さんは「私、そんなこと言ってないのに」と憤った。
翌年19年2月、財務省の岡本薫明事務次官が自宅に弔問に訪れた際は、同行していた近畿財務局の職員から「一番偉い人ですよ。わかってます?」と言われた。こうした積み重ねが、昌子さんの心を財務省から引き離していった。
「もともと夫の勤め先だから悪くいうつもりはなかったんですけど、あんまりひどいじゃないですか」