ニュースレター 2019 3月
東洋医学の気とは何だろうⅡ
物質を基礎に置かない東洋医学は、分かりやすい言葉を持てません。ですから、何とか説明するために「たとえ」を使うんです。たとえによってイメージする。イメージが大切なんです。
「働き]を説明する時、我々は無意識にたとえを使っています。心当たりありませんか?
・・・水のように静かだ・・・火がついたように一生懸命だ・・・石のように動かない・・・若葉のようにスクスク育つ・・・土台がしっかりしているなどなど。
人体の働きはダイナミック・・・つまり動的です。動きをとらえるには、1点にこだわると理解できません。
過去・現在・未来にまたがる理解・・・。点ではなく線のように・・・。永遠に延長しつづける線のように・・・。
それはイメージによらなくてはなりません。たとえが必要なのです。「バットをビュッッッと振れ!」・・・長嶋茂雄さんは選手に、これを伝えたいのです。
イメージ・動き・働きを伝えたいのです。では、東洋医学は実際に、どんな「たとえ」を使っているのでしょうか。
たとえば、東洋医学には「水」という概念があります。水が人体に存在することは疑いありませんが、東洋医学ではそこに着眼しません。
「水のような働き」に着眼します。たとえば水は、流れていれば美しい。流れが悪くなると濁り、ネバつき泡立ってしまいます。
流れて美しい状態を「津液」といい、人体のエネルギーの一つと考えます。淀んで汚い状態を「痰濁」といい、人体にダメージを与えるものとします。
痰濁は水ですから、下に流れ落ちる性質があり、下半身に多く病変を引き起こします。東洋医学には「火」という概念もあります。
太陽のようなものですね。適度な太陽は、我々の生きる元気の源です。でも強すぎると良くありません。
強すぎる熱を「邪熱」といい、これは人体にダメージを与えます。火は上に昇る性質があり、上半身に多く病変を引き起こします。
ここで注意。
このたとえ、ナメてはいけません。臨床で合うからです。こういう考えのもとで治療を行うと治るのです。
かく言う僕もナメてました。
こういうことは、「やってみて、なるほど」なんです。この「たとえ」、多くの西洋医学のお医者さんは拒絶します。
気が遠くなるほどの膨大な、難しい横文字を理解されている先生方にとって、「火」とか「水」とか言われてもバカらしいし、何を言っているのか洞察する気力が湧かないのでしょう。
しかし、「働き」というものが、どれだけ理解しにくいものか、
また、病気を治すために「働き」というものを理解することがどれだけ大切か、ということが、お分かりになるなら、あれだけ優れた古代大陸文化、東洋医学の手法に、「何かある」と察しがつくと思います。
また、この「たとえ」、われわれ東洋医学を実践するものにおいても理解していない人がほとんどです。
もっと常識的に考えねば。
こんなもの嘘っぱちだ、と早まってはなりません。空想の世界で適当なことを言ってもいけません。率直にものを言わねば。
それができないというのは、意味がよく分かっていないのだと反省し、学び直さなければなりません。
こうした「たとえ」、すべてが正しいとは限りません。間違ったものも多くあります。
ここで確認。
正しい、とは臨床で使えると言うこと。普遍性があるということ。間違っている、とは臨床で使えないということ。普遍性がないということ。
では、間違ったものはどうなるか。生き残らない、つまり捨てられるのです。東洋医学には3000年の歴史があります。
その中で、使えるもののみが伝えられ、使えないものは勉強されなくなります。
自然淘汰の中で生き残った理論が、整理され、陰陽論という学問のなかで統一されたものが東洋医学です。「気の医学」、どうか誤解のありませんように・・・。
東洋医学の根幹をなす考え方に、天人合一思想というものがあります。古代中国の思想です。
天(自然)と人間は、別々のものではなく、深いつながりがある…いえいえ、それどころか、図形で言えば相似の関係です。
自然は大宇宙。人は小宇宙。…じっさい、そう思います。なぜそう思うか。自然現象、たとえば火・水・風・川・木・海・大地・空など、
引いては宇宙。こういったものが人体のなかに観ることができるからです。なぜそう感じるか。
そういう自然現象のメカニズムを人体に反映させて生理的あるいは病理的なメカニズムを描いてみる。
そして、描いた通りに治療をやってみる。見事に当たる!よく効くからです。
このメカニズムこそ「気」(≒機能)なんです。自然を知らねば、東洋医学は分かりません。
院 長