《マントラ(真言)》

■マントラとは
マントラは「真言」と言われています。日本でいう「お経」です。マントラを唱えることで心身が浄化されていくと言われています。音の響きやバイブレーションそのものが、心や体に波及し心身に力を与え、心の静寂をもたらします。また皆で一緒に唱えることによっても一層効果が高まります。

■マントラを唱える意味
なぜ、マントラを唱えたりすることに強い力があるのでしょうか。神の名前やマントラは人が作ったものではなく、インドの古代の聖者達が修行を通して、瞑想により大宇宙から与えられた言葉なのです。
聖者達が得た深い世界と同じ体験を、後世の人々が得ることができるように、この世の苦しみから救われるようにと伝え残したものなのです。
人間は非常に複雑な要素を持った生き物です。決して単純な生き物ではありません。本当は、私たちは単なる肉体、血、骨だけではなく、内側に神秘的な“力”を持っているのです。ところが、なかなかそれに気がつくことができないのです。

■マントラとは、、何か?
マントラとはバイブレーション(振動)です。宇宙の物質は全てバイブレーションでできています。人間の心は粗雑なバイブレーションでできているといわれています。だから、いつも揺れ動いていて、汚れをどんどん溜めていくのです。
そこで、汚れを取り去ってくれる“洗剤”(マントラ)を入れて洗濯機でブルブルと洗い、そのバイブレーションできれいにしていくのです。心をこねる、神の名を常に唱え、動物的本能を取り除き、神を受け入れる用意をすることが大切なのです。
神は遠いところにおられる訳ではないのですが、私たちの心が不純なために、それを感じることができないのです。色欲、怒り、貪欲、嫉妬、かけ引き、嘘はみな“心のゴミ”です。このゴミを洗い清めるのが、マントラです。
火が燃えさかると熱気が出るように、熱心にマントラを唱えると、“鈍化”が起こります。あなたが意識する、しないに関わりなくマントラを唱えることで、あなたの心は鈍化されていきます。
繰り返し唱えることにより、発電機が電気を起こすように、強いパワーを得ることができます。あなたが信じるマントラでいいのです。唱えれば、唱えるほど、神のモーターが働き、そのパワーが、あなたの動物的欲望を消していきます。
毎日、マントラを15分唱え、祈ることを習慣づけることによって、あなたの外に向かう感覚器官の働きは静まり、あなたは至福と平安を体験することができます。自分は、この肉体だけではない、感覚だけではない、心だけではない、本来の自分と宇宙とのつながりに気がつきはじめるのです。


金剛界五佛
大日如来 だいにちにょらい おん あびらうんけん ばさら だどばん
阿閦如来 あしゅくにょらい おん あきしゅびや うん
宝生如来 ほうしょうにょらい おん あらたんのう さんばんば たらく
観自在王如来 かんじざいおう おん ろ けい じんば ら あらん じゃ きりく
不空成就如来 ふくうじょうじゅ おん あ ぼ きゃ しつ でい あく

   
胎蔵界五佛
大日如来 だいにちにょらい なう まく さ まんだ ぼだ なん あびら うん けん
宝幢如来 ほうどうにょらい なうまく さまんだ ぼだなん らん らく そわか
開敷華王如来 かいふけおう なうまく さまんだ ぼだなん ばん ばく そわか
無量寿如来 むりょうじゅ なうまく さまんだ ぼだなん さん さく そわか
天鼓雷音如来 てんくらいおん なうまく さまんだ ぼだなん かん かく そわか

十三仏真言・勤行仕様  
不動明王 ふどうみょうおう のうまく さんまんだ ばざら だん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらたかんまん
釈迦如来 しゃかにょらい のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
文殊菩薩 もんじゅぼさつ おん あらはしゃのう
普賢菩薩 ふげんぼさつ おん さんまや さとばん
地蔵菩薩 じぞうぼさつ おん かかかび さんまえい そわか
弥勒菩薩 みろくぼさつ おん まいたれいや そわか
薬師如来 やくしにょらい おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
観世音菩薩 かんぜおんぼさつ おん あろりきや そわか
勢至菩薩 せいしぼさつ おん さんざん ざんさく そわか
阿弥陀如来 あみだにょらい おん あみりた ていせい から うん
阿閦如来 あしゅくにょらい おん あきしゅびや うん
大日如来 だいにちにょらい おん あびらうんけん ばさら だどばん
虚空蔵菩薩 こくうぞうぼさつ のうぼう あきゃしゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか

   
六観音    
聖観音 しょうかんのん おん あろりきゃ そわか
十一面観音 じゅういちめんかんのん おん まか きゃろにきゃ そわか
千手観音 せんじゅかんのん おん ばざら たらま きりく そわか
如意輪観音 にょいりんかんのん おん はんどましんだまに じんばら うん
おん ばらだはんどめい うん
馬頭観音 ばとうかんのん おん あみりとどはんば うん はっ た そわか
不空羂索観音 ふくうけんさくかんのん おん はんどまだら あぼきゃじゃやに そろ そろ そわか
おん あぼきゃ びじゃや うん はった
准胝観音 じゅんていかんのん おん しゃれい それい そんでぃ そわか

   
五大明王    
不動明王 ふどうみょうおう のうまく さんまんだ ばざら だん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたら た かんまん
降三世明王 ごうざんぜみょうおう  おん そんば にそんば うん ばざら うん はった
軍茶利明王 ぐんだりみょうおう おん あみりてい うん はった
大威徳明王 だいいとくみょうおう おん しゅちり きゃらろは うん けん そわか
金剛夜叉明王 こんごうやしゃみょうおう おん ばざらやきしゃ うん

その他明王    
愛染明王 あいぜんみょうおう おん まからぎゃ ばぞろうしゅにしゃ ばざらさとば じゃくうん ばん こく
孔雀明王 くじゃくみょうおう おん まゆらきらんでい そわか
大元帥明王 だいげんすいみょうおう のうぼう たりつ たぼりつ はらぼりつ しゃきんめい しゃきんめい たら さんだん おえんび そわか

   
十二天    
伊舎那天 いしゃなてん なうまく さまんだぼだなん いしゃなや そわか
帝釈天 たいしゃくてん なうまく さまんだばだなん いんだらや そわか
火天 かてん なうまく さまんだぼだなん あぎゃのうぇえい そわか
閻魔天 えんまてん なうまく さまんだぼだなん えんまや そわか
羅刹天 らせつてん なうまく さまんだぼだなん ぢりてぇい そわか
水天 すいてん なうまく さまんだぼだなん ばろだや そわか
風天 ふうてん なうまく さまんだぼだなん ばやべい そわか
毘沙門天 びしゃもんてん なうまく さまんだぼだなん べいしらまんだや そわか
梵天 ぼんてん なうまく さまんだぼだなん ぶらかんまねい そわか
地天 ぢてん なうまく さまんだぼだなん びりちびえい そわか
日天 にってん なうまく さまんだぼだなん あにちゃや そわか
月天 がってん なうまく さまんだぼだなん せんだらや そわか

   
その他諸天    
吉祥天 きっしょうてん おん まかしりえい そわか
弁財天 べんざいてん おん そらそばていえい そわか
摩利支天 まりしてん おん まりしえい そわか
聖天 しょうてん おん きりく ぎゃく うん そわか
拏吉尼天 だきにてん なうまく さまんだぼだなん きりか そわか
大黒天 だいこくてん なうまく さまんだぼだなん まかからや そわか
増長天 ぞうちょうてん なうまく さまんだぼだなん びろだきゃやきしゃ ぢは たえい そわか
持国天 じこくてん おん ちりたらしたら らら はらはたなう そわか
広目天 こうもくてん おん びろはたしゃ ながぢはたえい そわか
乾闥婆天 けんだつばてん おん びしゅだ さばら ばけいに そわか
韋駄天 いだてん おん ばざら けんだ そわか
緊那羅天 きんならてん おん かさなん びかさなん そわか
倶摩羅天 くまらてん おん ばざら けんたや そわか




光明真言
となえたてまつる光明真言は 大日普門の萬徳を二十三字に摂めたり おのれを空しうして 一心にとなえたてまつれば みほとけの光明に照らされて 三妄の霧おのずからはれ 浄心の玉明らかにして 真如の月まどかならん
光明真言 こうみょうしんごん おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん













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