1
新型コロナウイルス感染の「検査数増=医療崩壊」論に潜むふたつの…
『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。
前回に引き続き、公開中の『弥生、三月-君を愛した30年-』で監督・脚本を務める遊川和彦氏が登場!
* * *
――大人になってからすごいと思った作品は?
遊川 いっぱいありますけど、坂元裕二くんのドラマはやっぱりすごいなあって思いますよ。
――遊川さんの口から坂元さんの名前が出たことに興奮しています......。
遊川 『それでも、生きてゆく』(フジテレビ、11年)で、大竹しのぶの子供を殺した風間俊介が、彼女の元を訪れるシーンがあるんです。彼が娘を殺した少年Aだと気づいた瞬間の顔、どうやって怒りをぶつけようか迷う芝居、それに対する風間俊介のセリフ......。「おいおい、いいもん作ってんじゃねえか」って鳥肌が立ちましたよね。
――あれは驚きましたし、新しい表現だなと思いました。
遊川 新しいという意味では、ラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』(04年)には驚きましたよね。あれはもう変じゃないですか(笑)。壁のないセットで撮影しているのに「ここに犬小屋があります」ってチョークで書いてある。
見ていて「頭おかしいんじゃないか」って思うけど、すごく面白い。酷評する人も多いけど、やり切ることに対して尊敬するし、考えつかないことをやる人を見るとうらやましくなります。
――うらやましいんですね。
遊川 先にやられたと思うのが一番いやなんです。『弥生、三月-君を愛した30年-』も、「3月だけで30年(というアイデアで)やった人はいないだろう」と思っていますよ。
ハリウッドの大作とかは別にいいんですよ、予算的に作れないから(笑)。でも、人間を深く掘り下げることなら勝てるかもしれない。
――今作では監督をされていますが、脚本家との違いはありますか?
遊川 脚本家のほうが現場で遠慮なく物を言える、というのはありますね。監督だとものすごくコンプライアンスに気を使うんです(笑)。スタッフへの声のかけ方はもちろんのこと、役者にも「波瑠(はる)ちゃん、こういう言い方もあるんじゃないかな?」なんて言ったり。
そういうところまで気を回している自分に対して悲しい気持ちになったりもしましたけど、でも現場を止めるわけにはいかないから。
それに、これまでの日本映画は監督が甘やかされているという個人的な思いがありまして。監督さえ面白ければいいみたいな映画は一番つまらないから、「僕が誰よりも苦しんで、みんなが面白いと思うものを作ろうとしているよ」というのを態度で示そうと。しんどいですけど、でもうるさい脚本家が来ることはないからよかったです(笑)。
――(笑)。観客にはどういうふうに見てほしいですか?
遊川 最近見た映画に「人生は累積価値だ」という趣旨の言葉があって、いたく感動したんです。『弥生、三月』もまさにそれを描いていて、弥生(波瑠)は「誰に対しても真っすぐでいよう」、サンタ(成田凌[りょう])は「いつも人を和ませて幸せにしていこう」ということを積み重ねてきた。
その積み重ねって実はすごく尊いということに気づいてほしいですね。それが少しでも世の中をよくしていくことにつながればうれしい。この映画にはそんな願いが込められています。
●遊川和彦(ゆかわ・かずひこ)
脚本家・映画監督。1955年生まれ、広島県出身。脚本家として『女王の教室』『家政婦のミタ』『純と愛』『過保護のカホコ』など、ヒット作を数多く手がける
■『弥生、三月 -君を愛した30年-』全国東宝系にてロードショー公開中!
角田陽一郎×遊川和彦(脚本家・映画監督)「『家政婦のミタ』脚本家は『ゴジラ』で孤独を学んだ」
『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。
今回は、3月20日(金・祝)全国公開予定の『弥生、三月 -君を愛した30年-』で監督・脚本を務める遊川和彦氏が登場!
* * *
──子供の頃に見て印象に残っている作品は?
遊川 『ミクロの決死圏』(1966年)ですね。初めて映画に引き込まれた記憶があります。
──医療チームがミクロ化して体内に入り、手術する作品ですね。
遊川 子供だから深く考えたりはしないですけど、今思うと想像力のすごさを感じていたのかなって。あとやっぱり『ゴジラ』(54年)ですね。孤独さと愛みたいなものを感じましたね。
まあ、数少ない父親との思い出という面もあるんですけど。親父と一緒に映画を見たのなんて、たぶん一生でそのときくらいで、うれしい気持ちだったのを覚えています。
──この仕事に就くきっかけとなった作品はありますか?
遊川 それははっきりしていて、『ロッキー』(76年)と『スターウォーズ』(77年)なんです。でも、作品名を言うのが恥ずかしくて......(笑)。
──恥ずかしいんですか?
遊川 映像学校とかに講師で行くと、フェリーニとかヒッチコックとか言いたいじゃないですか(笑)。でも、なんか合わせるのも悔しいし、王道な映画が好きなんだからしょうがない。
特に『ロッキー』は「映画ってなんて面白いんだ」「俺もスタローンみたいに主演・脚本・監督全部やりたい」って思いましたね。当時はまだ役者志望だったんですよ。
──役者志望だったんですね!
遊川 最初は映画に出たいという気持ちが強くて、文学座とか無名塾の試験を受けていたんです。で、仲代達矢さんの前でエチュードをやるわけなんですけど、やればやるほど、「大きな声を出したりして、みんな恥ずかしいと思わないのかな」って思って、「自分は役者に向いてない。撮る側に回ろう」と。
「元気が出るものを作りたい」という気持ちは若い頃から変わってないんです。やっぱりね、結局みんな孤独ですから。
──ドラマ『女王の教室』(05年)も、『家政婦のミタ』(11年)もそうですが、遊川さんは孤独なキャラクターを描かれるイメージがあります。
遊川 人間が生きていて一番闘うのは孤独ですし、そういう意味でいうなら、孤独を描くのがドラマかもしれない。僕はそう思います。
──『ゴジラ』とかまさにそうですもんね。今回の『弥生、三月 ─君を愛した30年―』について伺います。最初の構想のきっかけは?
遊川 映画『恋妻家宮本』(16年)で初めて監督を務めたんですが、この作品は原作があったので次はオリジナルをやりたいと思っていたんです。
でも、やるなら今までにないものがいいし、ジャンルはラブストーリーで、長い期間の男と女の物語で......と考えていって、「同じ月をずっと描く」というアイデアに行き着きました。
それで何月がいいかを考えたときに3月がドラマチックだな、3月なら弥生という名前にしよう......と構想していきました。
──この作品は昭和から令和まで描いていますが、現実の出来事と照らし合わせていくのが印象的でした。
遊川 年表的なものを作ったり、シーンごとに存在するもの、存在しないものをチェックしたりしましたね。例えば携帯電話はいつ頃出てくるとか。そこは大変でしたね。
★後編は3月25日(水)配信予定です。
●遊川和彦(ゆかわ・かずひこ)
脚本家・映画監督。1955年生まれ、広島県出身。脚本家として『女王の教室』『家政婦のミタ』『純と愛』『過保護のカホコ』など、ヒット作を数多く手掛ける
■『弥生、三月 -君を愛した30年-』
2020年3月20日(金・祝)より、全国東宝系にてロードショー