「突然爆発的に患者が急増(オーバーシュート)すると、医療提供体制に過剰な負荷がかかり、それまで行われていた適切な医療が提供できなくなることが懸念されます」
政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」は3月19日、聞きなれない「オーバーシュート(爆発的な患者急増)」や「ロックダウン(都市機能の封鎖)」と言葉を何度も使いながら、「状況分析・提言」を公表して強い危機感を打ち出しました。
これまでと状況はどう変わったのか、そして、なぜ今、この提言を我々に向けて発信したのか。
専門家会議の構成員の一人で、国際的な新興感染症対策のスペシャリスト、川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さんにその狙いを解説していただきました。
※インタビューは3月23日夜に行われ、話した内容はその時点の情報に基づいています。
欧米の爆発的な流行に日本も影響を受けざるを得ない
ーー専門家会議が3月19日に出した「状況分析・提言」はかなり厳しい見通しが書かれています。急に危機感を強く打ち出す方針に転換した印象を受けます。
欧米での爆発的な流行と、それに対するリーダーたちの動き、死亡者の増加によって、今まで言ってきたこととニュアンスの違うことを言わざるを得なくなってきたと感じています。
ーー「オーバーシュート」とか、都市を封鎖したり、強制的な外出禁止の措置や生活必需品以外の店舗閉鎖などを行ったりする「ロックダウン」という聞きなれない言葉を使って、何だか日常とは違う大変なことが起きそうな提言です。
欧米の状況は、日本に実質上の影響を及ぼしますし、対策上も影響を受けざるを得なくなります。
実質上の問題としては、イタリア、スペイン、フランスの状況は僕にとってもショックでした。医療インフラも整っている先進国ですから、本来はもう少し対応できるだろうと考えていたのですが、そうではなかった。
イタリアは爆発的な流行が起きただけでなく、それに慌てふためいているような状態です。その状況で死者数があれだけ増え、まるで初期の武漢市のニュースを見ているようです。
他の国々も都市封鎖に近い、人の出入りを止めるような「ソーシャル・ディスタンス(社会的隔離)」という古典的な公衆衛生的対策を取っています。アメリカも、もう少し落ち着いて対応できるのかと思っていたら、右往左往しています。
WHO(世界保健機関)が「パンデミック(世界的な大流行)」を宣言したことを考えても、日本だけ落ち着いていていいですよ、とは言っていられない。
パンデミック宣言は、特にアジア・アフリカ諸国を意識してのことだと思います。医療のインフラが行き届かない地域に流行が広がれば、さらに大変なことになる。
新型コロナに限らず、インフルエンザや麻疹(はしか)が流行しても酷い結果になる地域です。それを警戒し世界に危機感を広げようとしているのだと思います。
追跡できない感染者が増えてはいないとみる理由
そうした世界の動きの中で日本の状況を見ると、北海道も大阪も、ポツポツとクラスター(感染集団)は出ているけれども、何とかそのあとの爆発的流行にはならずに持ちこたえている。
韓国、イタリアやスペインのような大流行もないが、いわば真綿で首を締められるようなくすぶり状態が続いています。何が功を奏しているのか明確な具体的理由はわからないのですが、全体を見ると抑えられている。
小さな集団発生を見つけて、そこからの感染拡大を潰していくという作戦は今のところ、うまく行っていると言えます。
クラスターから発生した人が、2次、3次感染を広げるということもなかった。全体の数を見ても新規の感染者発生数は落ちていますからね。
ーー追えていない感染事例があるのではないかという指摘もあります。
追えていない感染者が多数増えているなら、割合は低くとも原因不明の肺炎やそれによる死亡者も増えているはずです。
しかし、肺炎を一つの指標にしても、急に原因不明の肺炎が増えているという事実は今のところないようです。見つけられていない感染者がいることは十分あり得ると思いますが、ものすごく増えているわけではないと推測できます。
また、川崎市やいくつかの自治体では原因不明の肺炎も医師の判断によりPCR検査に出してもらっていますが、その中から新型コロナの陽性者は出ていない。
原因不明の肺炎にコロナが紛れているということは今のところ、あったとしても少数と思います。
ーー1人が他の人にうつす人数である「実効再生産数」は1前後に抑えられ、感染拡大のスピードは目下のところは抑えられていると提言で発表されていました。
幸いにして、感染の拡大はこのデータからは示されていません。全国あちこちで確かに患者が発生していますが、数百人単位で感染者が発生する、いわゆる「オーバーシュート(爆発的な患者急増)」には目下のところなっていない。
クラスター対策で濃厚接触者を追跡し、丁寧に丁寧に感染拡大の芽を潰しているのが日本です。
ただ、今もパラパラと小規模なクラスターが生まれている。欧米ではたぶんそれ以前の小さな芽の発生に気づかずに、一気にオーバーシュートに進んだのではないかと思うので、それを教訓に身構え、備えておく必要はあると思います。
ただし、感染者の8割は軽く済む病気なので、この人たちにあまり不安を持たせたくもない。
一方でリラックスしすぎてもほしくもないので、一定の緊張感を持って、日常の行動を変えてもらいたい。また医療体制については、重症者を見逃さない、適切な医療に結びつけるという意味で体制を整備しておくことが必要です。ここにも多くの方々の協力が必要である、ということで今回の提言を出しています。
今回、改めて提言で「3本柱の基本戦略」を維持し、強化しなければいけないと書いているのはそういう意味です。
- クラスター(患者集団)の早期発見・早期対応
- 患者の早期診断・重症者への集中治療の充実と医療提供体制の確保
- 市民の行動変容
医療機関の役割分担を提言したわけ
ーー提言では、医療機関の役割分担も打ち出しています。無症状や軽症の人は自宅で様子をみて、重症な人はしっかりと感染症指定医療機関で診る。その他の人は一般の医療機関や診療所でも診ることを求めています。
何が発症する「黄色信号」なのかは明らかになっています。息苦しさやだるさ、熱などの症状が受診すべきかどうかの見極めどころなので、それに気づき、一定の経過がある人は速やかに医療機関に行けるようにしておきたい。
症状はごく軽いか、あるいはないのだけれど、心配でしょうがないという人が診療に殺到すると医療機関は詰まってしまいます。または、入院して治りかけはすっかり元気なのに、PCR検査が陽性だという理由だけで重症患者用のベッドを占めることがないようにしないといけない。
そういう医療体制の機能分担は、爆発的な感染が起きていない今のうちに準備しておかなければいけません。医療関係者もふんどしを締めなければいけないところです。
ーー本来、重症患者を引き受ける指定医療機関が軽症者まで診る状態は早く改善されなければならないと以前から指摘されています。まだその機能分担は進んでいないのですね。
川崎もそうですが、自治体によっては、新型インフルエンザをモデルにすでに体制ができているところがあります。体制作りはしていますが、重症までいかない患者を引き受けてもらいたい一般病院や診療所で診る医師会の先生たちが、受け入れ自体を躊躇されているところもまだあります。
「診察をした患者が1人陽性だったら、2週間も診療所や病院を閉めなくてはいけないのか」「医療機関の感染対策に必要な防護具が足りない」などの理由で、受けられないとも言われています。
防護具については自治体が備蓄を放出したり、国も生産量を増やしたりなど動き出していますが、まだ十分ではありません。
確かに医療者を感染から守る防護具がなければ、武器なしで戦えというのと同じです。国や自治体の支援が必要です。
一般医療機関や診療所で診てもらう時に、感染者と接した全ての医療者を濃厚接触者として扱うと、出勤停止や閉鎖となり、医療機関が稼働できなくなります。
ある程度の防護ができていた人は、健康の注意は必要ですが、それだけで濃厚接触者として扱うことはしない、というような柔軟な対応も必要であると思います。
ーー無症状や軽症者は自宅でとなると、家庭内感染も心配されます。
狭い家で暮らしている家族だと感染者と部屋を分けるのは難しいでしょう。重症化の恐れがある、高齢者や持病のある人も感染者から離せなくなります。
その場合は家族が別のところに行くか、陽性者が別の施設に行くというのも一つの方法です。そのような場合の陽性者の行き先は、行政が紹介しなければいけないでしょうね。
ーー行政が紹介するというのは、韓国のように無症状者や軽症者を観察する施設を作った方がいいということですか?
あるいは、ホテルなどどこかに受け入れを委託するなどの方法があるでしょう。
ーーもちろんその費用は公費でもつわけですね。
ホテル代を自分で出してとなったら、費用を負担できない人もいるでしょう。公衆衛生上の必要な措置ですから、入院と同じく国が費用負担する仕組みを考えなくてはならないでしょう。
検査はどうするべきか?
ーーWHOのテドロス事務局長の「検査、検査、検査」という呼びかけはインパクトが強く、日本でももっと検査を増やすべきだという声は強いです。必要な人が検査を受けられるようにキャパを増やすことは当然として、無症状者や軽症者にも検査を広げた方がいいということではないようですね。
あれはまさに途上国など、検査が行き届いていないところで検査がちゃんとできるようにしてほしいというメッセージだと僕は思います。
例えば、今、発症者が確認されていない国はたくさんありますが、本当にそこに発症者がいないのかは検査をしていないからわからない。
日本や欧米に向けて、「無症状者や軽症者も全てやれ」と言っているわけではない。あの提言に書き加えられていた「WHOは症状の出ている人にだけ検査を勧める」という注釈は、そういうことだと思います。
検査は的確な時期に、的確な方法で検体を取り、疑いがある人が対象であるべきです。症状はないけれど陰性を確認したい人もいることは理解できますが、検査の資源には限りがあるため、優先順位をつけなければいけません。
やはり検査は発症者や入院患者が最優先であるべきだと思います。
ーー中国で、検査で陽性だった無症状者を感染者の統計にいれていなかったことが批判されています。
そこは実態がわからず、なんともコメントのしようがないところですが、元々、どこまでを対象に検査しているかで、感染者の母数は変わります。検査を限りなく広げれば、感染者が増えて致死率も下がるし、重症化率も下がります。そもそも無症状者は検査しない国がほとんどではないかと思います。
ーー検査を広げた方がいいという人の主張は、「無症状者や軽症者も人に感染させる。だからそういう人も感染を把握しないと、その人たちが外を出回って感染を広げてしまう」ということです。
その考えを突き詰めると、全ての人々を検査の対象にしなければいけません。しかもいつ陽性になるかもわからないので、心配であれば連日、検査を繰り返さなければなりません。
それは検査の受け入れ能力からも無理ですし、費用も膨大になる。迅速に検査を受けるべき重症患者にしわ寄せが行きます。検査の精度から考えても、偽陰性、偽陽性もあるので、解釈や行動に誤解と混乱が生じる可能性がある。
ただし、検査法がごく簡便に、低費用でできるようになれば「目安」として使えるようになることもあっていいのではないかと思います。
研究者としては、ある集団を全員一斉に検査して、そのうち何名がこうだ、そのうち接触のあった人はこうだと調べることに強い関心はあります。しかし、今はそれをやるだけの時間と資源がありません。
人口の8割が感染し、人工呼吸器も不足する最悪のシナリオを出したわけ
ーー提言の中で、10万人都市で一人の人が感染させる「再生産数」が、現在の1以下からドイツ並みに2.5になったと仮定すると、流行 50日目には1日の新規感染者数が5414人にのぼり、最終的に人口の約8割が感染するという推定値まで出されました。呼吸や全身管理が必要な重症患者が急増し、人工呼吸器が足りなくなるとも予測されています。
あれは最悪のシナリオなんです。あの想定を計算した北海道大学の西浦博先生や東北大学の押谷仁先生は、「最悪を想定して備える」という考え方です。
ただあの数字が一人歩きしてはなりません。これを現実にしたらだめなので、そうならないように備えようというメッセージにしたい。
せっかく日本は今、くすぶり状態が続いているわけですから、粘っている間に準備はできる。その間に、とりわけ医療体制の準備はしなくてはいけません。
僕が聞いてもハラハラする数字です。でも臨床的な感覚から言うと、8割がかかる病気はあまりない。提言にも書かれていますが、症状が現れない不顕性感染も含めての数字なんです。
フランスやドイツ、アメリカはすでにパニックになっているわけですから、もし日本で同じことが起きた時にパニックにならないように準備しておかなければいけない。しかし、場合によっては欧米がとったような封鎖や社会的な隔離も必要になるかもしれません。
大規模イベント、意見が割れたのはなぜ?
ーー大規模イベントを中止するかどうかについては専門家会議でも意見が分かれたということでした。「最悪のシナリオ」を出して危機感を打ち出すならば、「イベントはすべて止めてください」というのが自然のような気もします。
感染拡大を想定し、それに対処するには二つの方法があります。
北海道をはうまく抑え込めたのだから、他の地域でも「大規模イベントはすべて止めてください」「しばらく家を出ないでください」と言えば、今の状況をもっと抑え込めるし、もっと粘れるかもしれないというのが一つの考え方です。それもそうだと思います。
一方、僕は情緒的なところもあって、せっかくうまく行った時に「良かったね」とみんなで喜ばないと、気持ちが長く保たないのではないかと思ってしまう。
今、すでにみんなが疲れている時に、さらに厳しくすると、さらに疲弊感、無力感が出てしまうのではないかと思うのです。
手を抜いてはいけないけれども、どちらにしても後で我慢しなければならない時がくるかもしれないのであれば、今、気をつけながらお花見や公園での散歩などに行ってもいいじゃないかというのが僕の考え方です。
僕は小児科医として患者を診ていた時期が長かったのですが、回復が難しくてもなるべくなら生活制限をかけたくなかった。できそうなことをやらせたかった。患者は病気だけを生きているのではなく、その人の人生を生きているからです。病気や医学以外にも大事な価値観があり、それは尊重したいという思いです
大規模イベントについては、提言ではそれなりに縛りをかけています。
ただ、「イベント」という言葉で全て縛りをかけてしまうと、注意をすれば制限しなくてもいいと僕らが思うものにまで制限がかかってしまう。
ところが、条件を設けて「ここまでならいいですよ」と言うと、僕らが止めてもらいたいなと思うものまでやっていいように見えてしまう。そんな難しさがあります。
いろんな地方から人が集まって、3要素(密閉、密集、密接な交流)に当てはまるものは、やはり目下のところは止めてほしい。
しかし、どうしても集まらないければできない、意義があるというイベントについては、距離を離して、事後に参加者を追跡できるようにするなどの条件を示し、できないなら止めてくださいと言っています。かなりきつい条件です。
提言の意味は国民にきちんと伝わっているか?
ーーただ、あの提言が出た直後の週末に、さいたまスーパーアリーナで、格闘技「K-1」の大規模なイベントが開かれました。しかも、空間除菌や水を飲むという誤った感染予防策を主催者が参加者に伝えていました。
水を飲んでも意味がないですよね。先日、タイのキックボクシングの会場で流行が起きました。しかも、感染者が出たのがわかっていながら、イベントを続けて感染が拡大したそうです。
それと比べ、あえてK-1主催者側の立場にたてば、マスクを来場者に配り、来場者に連絡先を書いてもらい、入り口にアルコール消毒剤を置き、なるべく声を出さないように注意したーー。感染予防のための対策を重ねているのです。
でも実態を考えると、観客が密集し、静かに見ているはずがないですね。格闘技自体、観客が興奮するためにやっているわけですから。少なくとも埼玉県は危惧し、知事が止めてくれと依頼したわけですから聞き入れてほしかった。
でも、また主催者側の肩を持つならば、あれを中止にしたら会社が潰れてしまうかもしれない。彼らもギリギリの決断をしたのではないかと思うのです。
患者が出ないのを祈るばかりですが、万が一、こうしたイベントが今後また開かれたとしても、少なくとも体調が悪い人は絶対に行かないでほしい。
ーーあのイベントも、自粛を依頼したなら補償は提示したのかと尋ねられた知事は補償しないと答えています。
本当は補償の問題を中止要請と一緒にやらないと難しいでしょうね。主催者には、辞めるインセンティブ(動機付け)が全くないわけですから。彼らは公衆衛生上の理由で人を守ろうとしても得になりません。褒められるわけでもない。
ーー政府が検討中と報じられたのは、旅行や外食について助成するという案です。感染拡大する可能性のある旅行や外食自体よりも、客が減ってダメージを受ける事業者の方に助成すべきではという声が出ています。
ここから先は医学の問題ではないですが、少なくともそちらは税金や貸付金などで救済策を考えるべきでしょう。それは政治でやっていただきたい話です。やはり幾ばくでも止める動機付けがないと、生活がかかっている事業者は動けない。
オリンピックはどうすべきか?
ーーもう一つ気になるのが東京オリンピック・パラリンピックです。今日、国会で安倍首相が延期もあり得ると答弁しました。オリパラこそ、不特定多数が全国、全世界から集まってきて、密集して声援を送り、また全国・全世界に散っていく大規模イベントです。
危惧しているのは、日本はくすぶり状態を続けてせっかく「良い子」になっている状態なのに、バラバラと外から来て感染者が出てくると、欧米と同じ条件になってしまうことです。もう一度、一からやり直しになります。
ただし、今、海外から感染が持ち込まれれば手がつけられない状態になるかもしれないですが、数ヶ月後には効果のある薬が出てくるかもしれないし、診断も早くつくようになるかもしれない。
今の時点で夏の状況を全て予測することはできません。
ーーそれに日本がやると言っても、もし欧米で感染がさらに広がり世界が選手を派遣できないとしたら、そもそも大会が成り立ちませんね。カナダは予定通りやるとしたら選手団を派遣しないと声明を出しました。
専門家会議はオリンピックのために対策を考えているわけではなく、感染症をなんとかしようと考えています。それを受けてオリンピックをどうするかを考えるのはJOCやIOCです。私たちがオリンピック開催の是非をうんぬんする立場にありません。
国民と作る「どこまでなら我慢できるか」という合意
ーー西浦先生が、4月いっぱいまでどこまでの制限なら我慢できますか?というアンケート(「新型コロナウイルスの流行拡大と日本での生活に関する緊急調査」3月25日午後11時まで)をネットを使って始めていらっしゃいます。リスクコミュニケーションは一方通行だと難しいので、国民の声にも耳を傾け始めたのだなと思いました。
人々がどこまで受け入れてくれるかを知りたいのです。「これは我慢しなくちゃ仕方ないよね」と思うのか、「それを我慢するより、日常の生活の維持が大切」と思うのか。
ーー記者会見の時は、西浦先生はどこまでの制限なら許容できるのか「みなさんと話し合いたい」「みなさんで合意するプロセスを作っていきたい」ということを繰り返しおっしゃっていました。
我々が良いことだと思ってお願いしたことが、反発を生んで実行されないならば意味がないし、少し緩くていいかとこちらが思っている時に、「本当はもっと厳しくしてほしい」という意見が多いならばそれを取り入れなくてはいけない。そういうアンケートを今までやっていませんでした。
ーー差別や偏見についてもメッセージを入れましたね。今、感染者を診る病院や医療従事者に対する差別や風評被害があるそうです。
この感染症は危ないというメッセージが強過ぎると、自分がそうならないようにするために遠ざける人も出るでしょうし、風評被害も出るでしょう。
しかし、そうなると、患者を診ないことが医療機関にとっても一番安全なことになります。医療機能の分担をしないといけないのに、そんな差別をしていたら、みんな新型コロナの診療に協力しようとしなくなるでしょう。
もともと感染症は、差別が起きやすい病気です。でもその差別の暴力は、自分に返ってくる可能性を考えてほしいです。
感染に気をつけつつ、日常生活や心を守る工夫を
ーー今回、地域の感染状況ごとに、対策を強化したり、緩めたり柔軟な対応を取っていく必要性が打ち出されています。学校での対応も、日常生活での対応も、感染拡大しやすい3要素「密閉」「密集」「密接」には気をつけながら、自分の地域の感染状況に合わせて対応を考えていくことが必要なわけですね。
地域の感染状況に応じて、バランスをとりながら必要な対応を行っていく必要があります。みんな全てを我慢しようと言っているわけではありません。
僕は連休に、見学ではなくて、本当に家内と名所だけれども比較的空いているところにお花見に出かけたんですよ。みんな結構、楽しそうに過ごしていました。公園に子どもを連れて行ってたり、お弁当を広げていたりしました。
お花見に出かける姿を批判する人もいますが、自粛疲れで世の中が暗い雰囲気になっている時に、ああいう風景はむしろホッとします。あまりギュッと制限をかけ過ぎて、そういうささやかな楽しみまで奪うのは良くないことです。
広いオープンエアなら大丈夫ですし、知らない人とは少し距離を保ちつつ、家族で楽しむことまで制限する必要はないだろうと思います。
感染対策に気をつけつつ、人間らしい日常生活を守るために何ができるか、工夫して心の健康も守っていただきたいと思います。
【岡部信彦(おかべ・のぶひこ)】川崎市健康安全研究所所長
1971年、東京慈恵会医科大学卒業。同大小児科助手などを経て、1978〜80年、米国テネシー州バンダービルト大学小児科感染症研究室研究員。帰国後、国立小児病院感染科、神奈川県衛生看護専門学校付属病院小児科部長として勤務後、1991〜95年にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課長を務める。1995年、慈恵医大小児科助教授、97年に国立感染症研究所感染症情報センター室長、2000年、同研究所感染症情報センター長を経て、2012年、現職(当時は川崎市衛生研究所長)。
WHOでは、予防接種の安全性に関する国際諮問委員会(GACVS)委員、西太平洋地域事務局ポリオ根絶認定委員会議長などを務める。日本ワクチン学会理事長(平成29年12月まで)、日本ウイルス学会理事、アジア小児感染症学会常任委員など。
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