『歴史への招待』6巻に収録されているのは下記の5本。
義経騎馬軍団
源平兵糧合戦
実証・壇の浦合戦
青丹よし奈良の都は
はるかなる長安
のちのち、新書サイズで時代順になったものが
出たけど。
『源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究』(川合 康 著・講談社学術文庫)では、「義経騎馬軍団」からの引用あり。
こちらもいずれ紹介します。もう大河ドラマとは関係なくなっちゃうけど(笑)。
「源平兵糧合戦」のゲスト。
樋口清之 国学院大学名誉教授 考古学
柳原敏雄 料理研究家
永山久夫 食文化史研究家
(永山氏は『独眼竜政宗』第19回アバンタイトルでも戦国時代の陣中食を紹介している)
平家は、その根拠地にあって筆舌をつくせぬ飢饉の横行にさいなまされ、銃後に大きな不安を抱えていた。(略)合戦の背景には、兵を動かす動力源である兵糧獲得の戦いが秘められ、食べ物が、体力差が雌雄を分けた一つの要因ともなっている。
治承4年夏の天気
雨天 晴天 天候記事なし
5月 16日 15日 -
6月 14日 16日 -
7月 0日 24日 7日
8月 4日 27日 -
※資料提供 荒川秀俊氏
(『玉葉』、『山槐記』、『吉記』より)
――このおびただしい数の源平両軍は、いったい戦いの間は何を食べていたのですか。
永山 基本的には、主食は米で、それに、塩分とタンパク質の補給用として、大豆味噌が欠かせません。米は、ふだんは黒米、つまり、玄米を食べます。しかし、玄米というのは、煮るのにたいへん時間がかかって困る。そこで、たいがいの兵法書には、陣中用には、精白した白米を用意すべしと書かれていますね。
――当時、さむらいたちは一日にどの位食べていたのですか、主食で。
永山 一日五合が決まりです。これを朝餉(あさげ)・夕餉(ゆうげ)の二回に分けて食べます。ただし、この分量はあくまでも平和時のことで、いったん出陣しますと、だいたい八合から一升になります。
当時の食べ物の再現、飢饉の状況、旱ばつの歴史、兵糧調達の状況、平安貴族の食事、平安貴族の寿命などなど内容盛りだくさん。
武士の戦時食(大豆・ウメボシ・サトイモのクキにみそを煮しめたものなど)(調製 永山久夫氏 食器一部提供 樋口清之氏)
白黒でわかりにくいけど
左 北條政子の食事を推測して作った鎌倉時代の食事(樋口清之氏提供)
右 紫式部の食事を推測して作った平安時代の食事(樋口清之氏提供)
昨年12月31日に放送された『NHKアーカイブス テレビ60年(2)鈴木健二さんと語る懐かしの名番組』では「吉良邸討入り」が取り上げられていた。
本と映像を見比べてみたが、さすがに本ではいわゆる講談調の鈴木節は再現されていなかった。
そして、この源平合戦を演じたのは日々食物を口にした私たちと同じ人間であったという事実である。