サムスン電子は、1998年、長野冬季オリンピックから、無線通信機器のカテゴリーで、ワールドワイド公式パートナーとなり、革新的なモバイル技術を提供することで、オリンピックをサポートしてきました。
また、限界や壁を乗り越える時にこそ、価値のある変化が始まるというBrandの信念に基づいて、常にオリンピックマーケティングの新たな可能性にチャレンジしてきました。
2020年東京オリンピックにおいても、皆さんと共に新たなチャレンジに取り組んでいきます。
サムスンは今回の五輪テーマを"スマート五輪"として、オリンピック会場では誰でも気軽に使える便利なモバイル環境を構築しました。当社は"Galaxy Note8 Olympic Edition"を国際オリンピック委員会(IOC)に提供。オリンピック参加選手が、感動の瞬間を共有できるようにという思いを込めました。開幕前に行われた聖火リレーでは、選ばれた1,500人が全世界に希望と情熱を広めました。 また、平昌冬季オリンピック·パラリンピック組織委員会(POCOG)と協力し、競技記録、選手情報、メダル順位、五輪関連アップデートなど競技関連ニュースをリアルタイムで確認できる"2018平昌公式アプリ"を公開し、全世界128万人のオリンピックファンがダウンロードしました。
デザイン、機能、イノベーションを組み合わせるのはサムスン電子の得意分野で、Galaxy S7 Edgeが何よりの証拠です。最先端技術を組み合わせたGalaxy S7 Edgeは、ディスプレイの両端がカーブしたデュアルエッジスクリーンで息をのむような美しい外装に包まれています。リオ大会への出場選手全員に対し、Galaxy S7 edge Olympic Games Editionが提供され、大会中はこの革新的なスマートフォンを手にした選手たちの姿が至るところで見られました。本大会では初めて大会専用のスマートフォンを特別にデザインしました。外装もインターフェースもオリンピックをテーマにしたデザインで、五輪マークの5色があしらわれています。Olympic Games Editionの成功を受けて、日本のほか韓国、アメリカ、中国、ドイツ、ブラジルでも本端末を限定販売しました。
人々はますますスマートフォン上で写真や動画を編集したり見たりするようになり、スクリーンの大きさを求めるようになりました。Galaxy Noteが最初に発売されたとき、人々は大画面に懐疑的でしたが、数年後には誰もが大きなスマートフォンを欲しがるようになりました。当時サムスン電子は大型スマートフォンを製造する数少ないメーカーの一つでした。まさにマルチメディア端末と言えるGalaxy Note3は、転送速度の速いUSB 3.0を初めて採用し、13メガピクセルのカメラを搭載、1秒あたり30フレームの4Kビデオ録画が可能で、ワイヤレス機能としてWi-FiとBluetoothも内蔵されていました。またソチ冬季大会は、初めて選手全員に当社のスマートフォンを提供した大会でもありました。フリップカバーには選手の自国の国旗が付いており、開会式では皆が楽しげにスマートフォンを振っていました。
Galaxy S3は、ロンドン大会に関わる有名人たちに頻繁に使われました。開会式に登場した俳優のローワン・アトキンソンがサムスン電子のスマートフォンを使って写真を撮りシェアしたことは、当社の認知度をさらに高める予想外のプロダクト・プレイスメントとなりました。360度マーケティングの取り組みと合わせて、Galaxy S3はサムスン電子が普通のモバイル端末メーカーから、技術のみならず、販売シェアにおいてもマーケットリーダーになったことを明確に印象付けました。ユーザーの満足度が向上するにつれ、このAndroid端末は競合を抑え、複数のIT専門雑誌から最高の機種として認められました。
この時期には、スマートフォン革命が着実に進行しており、サムスン電子も成功に向けて歩んでいました。バンクーバー大会ではGalaxyシリーズの前身であるOmnia IIをオリンピックファミリーに提供しました。Omnia IIはWindows Mobile OS、3インチAMOLEDディスプレイ、Wi-Fi、Bluetooth、GPSを搭載し、さらに5メガピクセルのオートフォーカスカメラは800×600の解像度で1,600万色の表示を可能にしました。さらに、顔認知、ジオタグ、クラウドへのアップロードにも対応していました。
オリンピック開催に向けて中国が全力を尽くしたことが印象的だった本大会では、サムスン電子はスマートフォンの初期バージョンを提供し、大会の運営をサポートしました。革新的なプッシュ・ツー・トーク(PTT)機能の追加はオリンピックファミリーのみならず、一般の消費者にとっても画期的なことでした。携帯電話が1対1のデバイスから1対複数のデバイスへと変わったことにより、特にオリンピックの主催側のコミュニケーションやイベントの調整においてグループで会話しやすくなり、その結果、より優れたオリンピック体験をすべての人々に提供できるようになりました。
技術の進化は続き、D600には2インチスクリーン、ステレオスピーカー、MP3プレーヤーが搭載され、マルチメディア機能が飛躍的に向上しました。サムスン電子は2006年トリノ冬季大会の公式携帯電話として、WOWソフトウェアをプリインストールし、高性能なグラフィックと動画機能を備えたD600を大会関係者に提供しました。アテネ大会のプロトタイプ版に続くWOWプラットフォームの導入は、その後のハードウェアとソフトウェアの両面におけるイノベーション拡大の基盤となりました。
サムスン電子は、2004年アテネオリンピック競技のために、様々な携帯電話を提供しました。SGH-i530は、現在のスマートフォンの元である、大画面のタッチスクリーンインターフェースと、進化したグラフィックのPalm OSを採用しました。サムスンワイヤレスオリンピックワークス(WOW)サービスの初期バージョンがプレインストールされており、オリンピック競技の管理に必要なリアルタイムのイベント情報を組織委員会に提供しました。
ソルトレークシティ2002オリンピックでは初めて、印象的な着信音を採用したオリンピック限定モデル「Olympic Games Edition」を製造しました。これを皮切りに、「Olympic Games Edition」は「持っていると自慢できるデバイス」へと成長していきます。本大会の限定モデルはSCH-T300で、ディスプレイはSGH-600の2倍以上の128×128ピクセルでした。インターネット接続を実現した携帯電話の最初の機種で、ウェブブラウザと専用のインターネットボタンを搭載したモデルでした。
その後20年にわたり、サムスン電子は自社の無線通信カテゴリーにおける技術と製造力を急速に成長させました。2000年までにSGH-600の販売台数は100万台に上り、その後200万台を輸出しました。SGH-600は、緑色のディスプレイに黒い文字を4行表示し、電話番号は最大100件登録可能という、当時の他社製品と同様の基本機能を備えていました。そこに音声録音やカレンダーなどの特徴的な機能を加えたことによって、サムスン電子は頭角を現し始めました。
10年後、サムスン電子は無線通信機器カテゴリーでワールドワイドオリンピックパートナーになりました。サムスンは、オリンピックの主催側や関係者にN206モデルを提供しました。
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