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【社会】

宮城まり子さん死去 「やさしいことはつよいのよ」

終業式で宮城まり子さんの車いすを押す「ねむの木学園」の子どもたち=2018年3月、静岡県掛川市で

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 宮城まり子さん(みやぎ・まりこ=「ねむの木学園」園長、歌手、本名本目真理子=ほんめ・まりこ)21日、悪性リンパ腫のため死去、93歳。東京都出身。27日に関係者のみで学園葬を営む。

 戦後、劇場などで本格的に歌い始め、55年、靴磨きをして生きる戦災孤児を歌った「ガード下の靴みがき」がヒットした。市川崑監督の映画「黒い十人の女」などに出演し、60年代後半からは舞台で活躍した。

 68年に私財を投じて静岡県浜岡町(現御前崎市)に肢体の不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」を設立(後に同県掛川市に移転)し、園長に就任。自ら監督を務め、学園の様子を記録した映画「ねむの木の詩」(74年)は多くの共感を集めた。

 作家の故・吉行淳之介さんは私生活で長年のパートナーだった。

     ◇

<評伝> 宮城まり子さんがよく書く言葉がある。

 やさしくね やさしくね やさしいことは つよいのよ

 「やさしくね」は薄い墨で、「やさしいことはつよいのよ」は濃い墨で。自身の人生をよく表している。

 芸能界デビューは一九四九年。多才な人だった。歌手としては「ガード下の靴みがき」などのヒット曲があり、舞台や映画、テレビにもよく出た。雑誌婦人公論で「社会見学」という連載を担当し、社会問題の現場を取材した。

 東京新聞で「この道」(二〇〇八年四月から七月まで)の連載をお願いしたとき、昔話をたくさん聞いた。

 おしゃべりは、ユーモアを交えて上手だった。どこまでが本当で、どこからが冗談なのか分からないのが、取材者泣かせだった。

 肢体の不自由な子どもたちのための養護施設「ねむの木学園」は中部電力浜岡原子力発電所に近かった。「事故が起きたら、子どもたちを安全に避難させられない」と、九七年に静岡県掛川市の現在地に移転した。東日本大震災前のことだ。

 「この道」の終了後も時々、電話が入った。「元気ぃ」と明るい声で。福祉行政への愚痴以外は、たわいない話が多かった。パートナーだった作家、吉行淳之介さんの話題になると「いい男だったのよ」と声が華やいだ。

 学園の中を一緒に歩いていると、すれ違う子どもたちに声をかけながら、熱がないか、服が汚れていないかと、様子を見ていた。そんなやさしさと、学園を半世紀にわたって運営する強さを兼ね備えていた。

 二十二日午後、学園から宮城さん死去の連絡をもらった。「報道機関への公表は、こどもたちの精神状態への影響を考慮し、葬儀完了後行う」ということだった。その約束を守れなかったことを申し訳なく思う。

 学園はこの時期、ユキヤナギやレンギョウの花が満開になる。二十七日の学園葬は、愛した子どもたちと好きだった花が送ってくれるはずだ。ご冥福をお祈りしたい。 (井上能行)

 

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