宵闇特急乗車券   作:天塚夜那

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夢で合いましょう

 今日は最悪だ。

 久しぶりに全員集まるって日にバイクが壊れるなんて、本当に最悪だ。

 しかも、今日はリーダー直々にシメて欲しい奴がいるって話だったのに、遅れたとなればただじゃ済まされない。

 

 

 

 そんな事を考えながらも、死ぬ気で自転車を走らせる。

 深夜だったこともあり、信号も車線も気にせず走り続けた。

 そのおかげでどうにか集合時間には間に合ったが、すでに全員集まっているらしく、クラブの前には複数のバイクが止められている。

 自転車の自分がとんでもなく格好悪い。

 仲間への言い訳を考えながら地下への階段を降りる。

 二重扉の一枚目のドアノブを引いた時、奇妙な違和感を抱いた。

 違和感の正体、それは音。

 短い通路は耳に痛いほどの静寂に支配され、微かな鉄の臭いが奥へ続く扉の隙間から漂っている。

 臭いだけなら不自然さは無い。仲間達が既に始めていたというだけの事だ。

 だがそうなると、この静寂は説明がつかない。

 いかに防音用の大きな扉とはいえ、中の音が全く聞こえないというわけではない。声、物音、何か聞こえるはずだ。

 しかし、どれほど聞き耳を立てても鼓膜を震わせるものは何も無い。

 不思議に感じつつも二枚目の扉を押し開く。

 ひょっとしたら、シメるだけシメてどこかに移動したのかもしれない。

 古い扉は嫌な音を立てながら開いていく。

 真っ先に感じられるのは臭い。

 通路で嗅いだものとは比べものにならない程の濃厚で、膨大な鉄の――いや、血の臭いだ。

 そして、扉が完全に開き、数歩も進まない内に、目が慣れ、クラブ特有の若干薄暗い照明の下、部屋中に散乱した臭いの原因を発見する。

 だが、脳が目の前の事実を受け入れるのを拒否している。

 目の前に広がる光景は錯覚だ、偽物だと。

 血塗れの死体は演技だ。露わになった内臓は作り物。こぼれ落ちた脳漿はメイクに違いない。

 背後で扉が閉まる大きな音に身体を震わせる。握りしめた手のひらに爪が食い込んで痛い。身体の感覚はこれが夢でない事を伝えている。

 勇気を出して死体に近づいてみる。

 そして、必死に考えていた否定の言葉は容易く崩れ去った。

 引き裂かれた傷口から覗く肉、恐怖に歪んだ表情、瞳孔の開いた目。そのどれもが偽物には到底見えない。

 そんな光景がホール中に点在している。唯一マシなのは個室へ続く通路の周囲のみ。

 喉の奥から迫り上がってくる感覚に堪えきれず、赤い床に黄色が加わる。

 胃の中が空になっても、内臓を鷲掴みされたような痛みは消えない。

 パチャ。

 室内に微かな水音が響いた。

 音のした方向に目を向ければ、部屋の奥の壁にもたれかかった死体が一つ。

 いや、それは死体ではなかった。よくみれば呼吸に合わせて胸が上下している。生きた人間だ。

 死体や肉片を避けながら、おそらく唯一の生存者の下に駆け寄る。それでも何度か血溜まりに足を踏み入れてしまい、水音が鳴る。

 

「おっおい! な、何があった?」

 

 肩を揺すろうとして上げた手を止める。何故なら生存者の肩から胸にかけて斜めに大きな切り傷が開いていた。

 その上、頭からバケツで血を被ったように全身血塗れだ。

 だが、意識はしっかりしているようなので、案外傷は深くないのかもしれない。

 応急処置、次いで救急車という言葉がようやく頭に浮ぶ。

 そして、ポッケットに手を突っ込むが指先に触れる感触は無い。

 置き忘れた。

 その事に愕然とし、視界が暗くなるが、そんな場合ではないと自分を叱咤し、再び声を掛ける。

 

「ちょっ、きゅ、救急車呼んでくる!」

 

 そして立ち上がろうとした時、腕を引っ張られる。

 見ると生存者が痛みに顔を歪めながらもしっかり腕を掴んでいた。

 

「な、なんだよ? 早くしねぇと……」

 

 よく見ると血に染まった顔が何かを言おうと僅かに動いている。

 口元に耳を近づけると、途切れ途切れの言葉が聞こえてきた。

 

「た、頼む……外へ。奴が……赤い、悪夢が」

 

 何を言いたいのか要領を得ないが、外へ出たがっているという事だけは分かり、迷う。

 動かして良いのか、傷口が開いたりしないのか。

 だが、生存者は懇願し続ける。頼む、頼むと。

 そして、生存者の顔についた血が一部分だけ洗い流されていく様を見て考えは決まる。

 傷を負っていない方の腕を担ぎ、もう一方の脇の下に手を入れながら立たせる。テレビでやっていたのを真似ただけだが、なんとか立たせることは出来た。

 そして一歩を踏み出し――。

 止まる。

 再び静寂が支配した室内。二人分の息づかいしか聞こえない空間に一つの音が響く。

 コツン――コツン。

 それは堅い床をブーツが叩く音。小さいが、はっきりと聞こえてくる。

 発生源は前方、二人と扉の間に有る個室へと続く通路。まるで、新たな獲物を待ち構えるかのように暗闇が鎮座している場所。

 コツッ、コツッ、コツッ、コツッ、コツッ。

 足音がより早く、より大きくなっていく。

 ゆっくりと、だが確実に大きくなっていく足音に、身体が金縛りにあったように動かなくなる。

 他の生存者という可能性も有るが、この音の主は普通じゃない、という確信めいたものがあった。

 その時、担いでいた生存者が肩からずり落ちる。そしてそのまま、動けないこちらを尻目に、血溜まりだらけの床を這って行った。

 床に撒き散らされた物に塗れても、傷口が開いても止まる気配は無い。

 まるで、もっと恐ろしいものから逃れようとするように。

 だが、全ては無意味だった。何故ならこの場所全体が既に奴の狩場、否、遊び場なのだから。

 タッタッタッタッタッ、ゴリッ。

 音にすればそんな感じだろうか。目の前で繰り広げられた凄惨な、それでいて遊びのような光景を。

 闇の中から飛び出したのは、大きな消火斧を握った、影の塊のような人物。そして、その人物は一切の躊躇もなく、まるで子供が道端の小石を蹴飛ばすように、生存者の首を蹴り上げた。

 そして、その人物――殺人鬼はじっと死体を見下ろしたまま、全く動かなくなった。

 余韻に浸っている。

 理由は無い、殺人鬼は顔のほとんどを隠している。しかし、絶対の自信があった。

 そもそも、こいつは人じゃない。形が似ているだけ、人によく似ているだけの化け物だ。

 そう考えた時、底知れない恐怖に囚われた。

 これまでチンピラ同士の喧嘩なら何度かしてきた、だがこの化け物相手に何が出来る。命を弄ばれ、遊び終わればゴミのように捨てられるだけだ。

 怖い。

 悲鳴を上げないよう、噛み締めた手から顎をつたって暖かいものが流れる。少しでも身体を小さくしようと、抱きしめた身体に爪が食い込んで血が滲む。

 痛みや恐怖をより強い痛みで覆い隠そうとする。

 そして声に出さず唱える。

 今すぐ暗闇の中に帰ってくれ、と。祈るように、請い願う。

 だが、思いは届かなかった。

 グリンッと、殺人鬼がこちらに顔を向ける。顔を動かした際に僅かに開いたフードの隙間から双眸がこちらを見つめている。

 見開かれた瞳の中に浮ぶ感情の色は一つ。

 愉悦でも、驚きでも、悲哀でもない。

 それは、湖面のように澄み切った、純粋な殺意。

 双眸が糸のように細く歪む。

 顔が見えなくても分かる、笑っているのだ。楽しくて、嬉しくてたまらないと。

 殺人鬼が片足を上げる。

 その姿は、子供の頃のある風景に重なって見えた。

 夕暮れの公園。拾った空き缶を使った子供の遊び。

 

 はい、見―つけた。

 

 

 

 グチャリという音が何を踏みつけた音なのかは考えない。合図が鳴ったなら全力で走るだけだ。

 それでも、目の前の化け物に正面から突っ込む事は出来ず、ホールの壁沿いを走る。

 床には様々なものが撒き散らされていて足場はこの上なく悪い。

 だが、その中でも雄叫びを上げながら走る。そうしないと恐怖で脚が動かなくなりそうで。

 自分の人生で最高の速さで走る。暗闇の前を抜け、入ってきた扉へ。

 だが、忘れていた。ここでは、全てが無意味なのだと。

 視点が回転する。

 何かに躓いたのかと思い、立ち上がろうとする。しかし、立てない。

 全く脚に力が入らない。

 どうしたのかと思い、脚を見る。そして――悲鳴を上げる。

 無い、無い、無い。

 左脚の膝から先が、何処にもない。

 傍らで水音が鳴る。

 そこには楽しそうに斧を拾い上げる殺人鬼の姿。

 先程以上の悲鳴を上げながら、這い進む。

 床に落ちた血や様々なものがこびりつき、身体が重い。まるで、引き留めようとするかのように。

 脚から血が流れ出す度に意識が遠くなる。文字通り、命が削られていっているのだ。

 それでも、進み続ける。

 まだ死にたくない。やり残した事が山ほど有る、行ってない場所、見てないものも数え切れない程だ。

 こんな所で死にたくない。その一心で進み続ける。

 後ろで殺人鬼が素振りでもしているのか、空を切り裂く音や、肉を絶つ音が聞こえ、恐怖に身も心も締め付けられそうだ。

 それでも進む。歩いたら数十秒の距離を、何十倍もの時間をかけて進む。

 そして遂に、指先が堅い感触に触れた。

 扉だ。

 未だ素振りの音は依然近くから聞こえる。

 だが、ようやく届いた救いの道に、ここに来てから初めて喜びの表情を浮かべる。

 そのまま遊んでいてくれと願いながら取っ手を掴み、押す。

 ――が、開かない。扉は固く閉ざされたまま、どれほど体重をかけても開く気配はない。

 笑い声が響く。

 

「キヒヒヒヒ。ほんと君たちって馬鹿だねぇ」

 

 髪を掴まれ、無理矢理後ろを向かされる。

 そして、笑顔を貼り付けた殺人鬼が、顔を覗き込んできた。

 

「その扉は……内開きなんだよ?」

 

 掴んでいた手を離され、力なく首が垂れる。

 そうだ。全て無駄なんだ。この化け物の前ではどんな希望も絶望への道標でしかない。

 

「でも、安心して。僕が意識を失った時、君の夢を見る。夢の中で君が感じた痛みも、希望も、絶望も、苦しみも、悲しみも、全てを理解してあげられる」

 

 ゴウッと風切り音が鳴り、斧が振り上げられる。

 

「だから、さようなら。そして……」

 

 突如、視界が大きく横に流れる。

 より赤く染まった世界の中で、殺人鬼が何か言っている。

 だが――もう、何も聞こえない。




おや、気づいたら随分話し込んでしまったようですね。
この辺で一旦お話は終わりとさせて頂きます。
ご静聴ありがとうございました。

さて、線路はまだまだ続いていますがここで一時停車です。
途中下車される方はどうぞ。
再びご乗車頂くのが遠い先のことであるよう願っております。

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