浜田真理子と小泉今日子のマイ・ラスト・ソングが、本日の夜10時からNHK総合でテレビ・ヴァージョンとして放送になります。http://www.tapthepop.net/extra/75571 @TAPthePOP
久世光彦特集~テレビ版『マイ・ラスト・ソング 人生の最後に聴きたい歌は』
昭和の人気シリーズとなった連続ドラマ『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』、カルトとして有名になった『悪魔のようなあいつ』、幻の音楽番組『セブンスターショー』など、後世に語られる作品を数多く残した演出家の久世光彦が急逝したのは2006年の春だった。
ぼくにとっての久世さんは作詞家、小説家、エッセイストとして活躍した才人であり、歌にまつわる名エッセイ『マイ・ラスト・ソング』を書き続けていたのに、不意にこの世からいなくなった文筆家でもある。
そして2017年に小林亜星氏にインタビューしたことをきっかけに、『寺内貫太郎一家』のDVDを買い揃えて全作品に目を通して観たことで、今さらながらに怖い演出家だということ認識させられたのが昨年の春だった。
CM音楽の作曲家として有名だった亜星さんが、俳優の経験などまったくない素人だったにもかかわらず、久世ドラマに主演することになったのは、110キロを越える巨漢であったからだという。
もちろん、知人だった久世さんに強引に口説かれてのことであった。
そして下町に住む石屋一家「寺内石材店」の主(あるじ)の役で、平均視聴率30%を超える国民的ヒットを記録した。
自分の父のことをイメージして書いた向田邦子の脚本と、常識では考えもつかないキャスティングの勝利だった。
このときにもうひとり、やはり重要なキャストとしてドラマ初出演を果たしたのが、アイドルとして脚光を浴びていた19歳の西城秀樹である。
そしてこの親子三代の不思議な結びつきをさり気なく表現していたのは、久世ドラマの常連で芸達者な女優として知られた樹木希林(当時は悠木千帆)だった。
それにしても、この3人が演じた家族の物語を最初から順に見直してみたいと思ったのは、いったいどうしてだったのか?
おそらく少し前の3月中旬にNHKでテレビ版『マイ・ラスト・ソング』を収録するために数時間、樹木さんと同じ空間で過ごしていたときに出てきた、秀樹さんの話題が記憶の片隅にに残っていたのだと思う。
樹木さんと秀樹さんが出会ったのも、やはり『寺内貫太郎一家』でのことだった。
本当は31歳と19歳だったのに、「祖母と孫」という関係を自然に演じたのは、まさに樹木さんの演技力によるものだ。
それを引き出したのが久世さんの演出力で、現場では役者に泣き言をいわせぬ厳しさがあったということは、希林さんから教えていただいた。
ちゃぶ台を囲んで家族で食事するシーンになると、樹木さんが口からわざとご飯粒を飛ばし、秀樹さんが「汚ねえなァ、ばあちゃん」と文句を言う。
その場面はお決まりになっていったのだが、いわゆる家族的とはいえない微妙な関係性があって、そこから不思議なリアリティが醸し出されていたと思う。
また昭和の頑固オヤジ役を演じる亜星さんが、なにかをきっかけに怒り始めて、そのもやもやした気持ちを家族にぶつけるシーンも恒例になっていた。
とくに父と息子が容赦なく体ごとぶつかり合ったので、障子や襖が飛ばされたり、建具が壊れることなんかが日常茶飯事だった。
そのために茶の間から庭まで投げ飛ばされた秀樹さんが、右腕を複雑骨折して1か月休みをとったこともある。
亜星さんが当時のことについて、こんなふうに語っている。
「寺内貫太郎一家に出演した時もすごく緊張しました。あの番組は生放送が3回もあったのです。生放送が心臓によくありません。
頑固親父で、暴れまくる役だったから、喧嘩してぶん殴って家中の家具を全部壊しちゃってから、お前たちがどうだこうだと、5分間の長いセリフをペラペラ喋ったことがありました」
生放送ではなかったが、ある収録のときは部屋の中身を全部壊してしまうことになったので、もう撮り直しが効かないと追い詰められてしまった。
失敗してまたゼロからのやり直しになると、スタッフやキャストのみんなに申し訳ないと思ったら、緊張で足が震えたのだ。
そのような緊張感を素人役者に強いることで、人間の本質をドラマの中から引き出して描いたのが、出演者に慕われながらも怖れられていた久世さんだった。
ちなみに当時の秀樹さんはデビューから3年目を迎えて、いよいよ人気が沸騰してきたという状態にあった。
亜星さんがこう語る。
「当時から大変なスターでしたからね。とても忙しくて、セリフも現場に来てパッと覚えて、すぐ本番やって。そしてまた次の現場へという繰り返しだから、大変だったでしょうね」
いつも分刻みのスケジュールで、毎日20時間以上も仕事をしていたとい う逸話もある。
しかし愚痴もこぼさずに頑張っている姿を見ながら一緒に芝居をしていると、チームとして気持ちが通じ合っていったという。
“名物シーン”となった本気の取っ組み合いについても、亜星さんはこんなふうに述懐していた。
「本気でけんかしないと、演出家の久世光彦が『そんなんじゃ駄目だ』って怒るんですよ。終われば仲いいんですが、殴り合ってるとお互い自然と頭にきますから、迫真の演技になりました」
ぼくは2017年の8月に亜星さんとお目にかかって、歌というものに対する考え方などを伺ったことがあった。
そこで以前から気になっていたことをたずねた。
それはドラマが終わってずいぶん時間が経ってしまった1999年から2000年にかけて、フジテレビ系アニメ『∀(ターンエー)ガンダム』で、秀樹さんがオープニング主題歌を唄うことになったのは、どうしてだったかという疑問だった。
すると亜星さんから簡潔に、こんな答えが返ってきて驚かされた。
「日本ではナンバーワンを争うような音楽性の高い歌手だったね。当時はアイドル的な人気が先行して、歌手としての実力が正当に評価されなくて、ほんとうにもったいなかったと思う」
その言葉にぼくは強く共感した。
おそらくこの瞬間から、西城秀樹という人物を、あらためてすぐれた歌手として意識することになったのだろう。
亜星さんは自分が手がけるCMソングには、真の実力があるシンガーしか使わなかった。
それだけ厳しい目で歌手を見ていた亜星さんの言葉に、ぼくは目覚めさせられた思いになったのである。
1996年に出版された著書「亜星流!」(朝日ソノラマ)の中で、「実力派シンガー」というタイトルで亜星さんはこんな文章を書いていた。
それでも僕はこれからも力のある曲を書いて、実力派シンガーにうたってもらいたいと思っています。
亜星さんはまさに、有言実行の人でもあったのである。
著者プロフィール:佐藤剛
1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)
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