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 東京電力福島第一原発の構内は表面上、事故の後片付けが一段落したように見える。

 だが、3基の原子炉で溶け落ちた燃料デブリは、ほぼ手つかずのままだ。放射性物質に汚染された水は止まらず、浄化処理後の貯水タンクは1千基を超えた。9年たってもなお、廃炉の行く末は見通せない。

 ひとたび原発が事故を起こせば、癒やし難い「傷」を負う。それが現実である。

 ■安全軽視は許されぬ

 福島の事故を教訓に、日本は原発に頼らない社会をめざすべきだ。朝日新聞はこれまで、社説でそう訴えてきた。

 世論調査でも、原発の再稼働には否定的な声が強い。国民の間に不安があるからこそ、事業者や政府は震災後、原発を再び動かすにあたって安全優先を徹底すると誓ったはずだ。

 しかし、「傷」の痛みが風化しつつあるのでは、と心配になるできごとが相次いでいる。

 たとえば先月、敦賀原発2号機の新規制基準にもとづく審査で、事業者の日本原子力発電がボーリング調査の生データを黙って書き換えていたことが発覚した。原子力規制委員会の更田豊志委員長が「科学の常識に照らしておかしい」と、あきれかえるほど異例の事態だ。

 原電は原発専業で、保有する4基のうち2基の廃炉を決めており、敦賀2号機を運転できないと経営が苦しい。再稼働を認めてもらうため、都合よくデータを書き換えたのでは――。そう疑われても仕方がない。

 再稼働した原発を止めたくない、という電力業界の姿勢があらわになったこともある。

 関西、四国、九州の電力3社は昨年4月、テロ対策工事の完成期限を延ばすよう規制委に求めた。工事が間に合わず、運転停止を命じられる事態を避けたかったのだ。これを規制委は却下し、先週、まず九電の川内原発1号機が止まった。

 ■段階的にゼロめざせ

 事故前にあった54基の原発のうち、再稼働は9基にとどまる。発電量の約3割を占めていた原発比率も、いまは数%にすぎない。火力発電で代替し続けると、燃料費がかさんで経営が圧迫される。電力業界が再稼働や運転継続を望む背景には、そんな台所事情がある。

 だが、電力会社が自らの利益のために、安全を二の次にするのは言語道断だ。事故を起こせば、社会や人々の暮らしに深い「傷」を負わせてしまう。そのことを忘れてはならない。

 気がかりなことは、ほかにもある。運転期間のルールを見直し、より長く原発を使い続けようという考え方である。

 法律上、原発の運転は原則40年間で、規制委が認めた場合に1回だけ20年を限度に延長できる。経団連は昨年4月の政策提言の中で、この「最長60年」をさらに延ばすことを検討するよう政府に求めた。

 古い原発を閉めて不測の事故を未然に防ぐ、というのが「40年ルール」の趣旨だ。あくまで例外だったはずの20年延長が、これまでに4基で認められている。運転期間をさらに延ばすのは、安全性より経済性を優先するもので容認しがたい。

 原発は地球温暖化対策に役立つ、という声もある。

 気候危機を回避するには、二酸化炭素の排出量が多い火力発電を減らさねばならない。太陽光や風力などの再生可能エネルギーだけではまだ穴埋めできない現時点では、原発を全否定することは難しいだろう。

 しかし、安全性を担保するルールを変えてまで、長く原発を使うことは認められない。古くなったものから退かせ、段階的にゼロをめざす。事故の不安をなくすには、それしかない。

 ■世界の潮流を見すえ

 原発ゼロ時代に電力を確保しつつ温室効果ガス排出を抑えるには、原発が残っている間に再エネを育てる必要がある。「天候まかせで不安定だ」などと、再エネの短所を口実に立ち止まっている時間はない。

 再エネは重大な事故のリスクがなく、処分に困る放射性廃棄物とも無縁だ。発電コストも海外では最も安くなってきた。こうした長所が短所を補ってあまりあるからこそ、多くの国々で急速に広がっている。

 残念ながら日本は、再エネ拡大の世界的な潮流に乗り遅れている。最大の原因は、原発に固執する政府の姿勢だ。

 現行の第5次エネルギー基本計画は「再エネを主力電源化する」という目標を掲げる一方、2030年度の電源構成で原発も再エネとほぼ同じ比率の基幹電源と位置づけている。

 安倍政権は「原発ゼロは無責任だ」として再稼働を進めているほか、使用済み燃料からプルトニウムを取り出して再び原発で燃やす核燃料サイクル政策の破綻(はたん)も認めていない。

 官民がもたれあって原子力政策を維持し続けるようでは、再エネ拡大の可能性が抑え込まれてしまう。政府は「原子力と決別して新たな道を進む」という強い決意を示すべきだ。

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