この世界には、数多くのおとぎ話が存在する。
誰もが憧れるような英雄譚であったり、身分違いの恋に燃える男女の話だったり。
勿論、悲劇だって数多ある。
中でも特に有名なのが『嘆きの死の王』の話だ。今からおよそ300年前に作られた物語であり、長い時の中で多少話の展開が変わったりもしたらしいが、大筋は変わってはいない。
それは、悲劇の中でも特に救いが無く、後味も悪い事で有名だった。
その物語は、とある広大な森林の一部を領地としている貴族の城が舞台である。その城に住む城主の息子モモンガは、強大な力を持つ
だが、その強大過ぎる力は人には扱いきれぬものだった。ある日、彼の魔力に当てられて、彼の母親が急死してしまう。それに絶望したモモンガは、己の力に危機感を感じ、父や使用人達全てを城から避難させた。そして、自分一人だけが残ると、遂にその力が暴走を始める。彼はその魔力に飲み込まれて、人間からアンデッドへと変貌してしまった。
しかし、余りにも強大な魔力を持っていた彼は、ただのアンデッドではなく、それよりも上位の存在――死の王と呼ばれるオーバーロードへと変わってしまう。彼の力は、全ての生ある者を死へと誘うものだった。彼は己の身を嘆き、城諸共この世界から姿を消してしまった。物語はそこで終わっている。
実はこの物語には、舞台となった場所があると噂されていた。
まず、この城があったとされる広大な森林について。それは、多くの知識人達の認識では、トブの大森林の事なのではないか? と言われていた。しかし、現在その森に城は存在しない。嘗てそこにあったという話も聞いた事が無かった。300年という時の流れは、人間から見ればかなり大昔の話だ。普通に考えて記録が消えてしまったとしても可笑しくは無いだろう。歴史書でもあればそれに真実が記されているのだろうが、そういった物は国が厳重に管理している。その為、一般の人間が読む事は出来ない。わざわざ「おとぎ話の真実を知る為に見せてくれ」と言っても見せてくれる筈が無かった。
だから、全てが憶測でしかないが、彼らの総意としては、300年前、悲劇の舞台となった城は確かに此処にあったのだろう、という事だ。
それ以外の人々は、この話はただのおとぎ話だと認識している。むしろそういった人間の方が多いだろう。
――だが、とある村では、その話は真実とされている。
その村の名はカルネ村。300年前、トーマス・カルネという人物が、初代村長を務めた村だった。
・
その日、エンリ・エモットはいつものような朝を迎えた。母の手伝いで森へ水汲みに行き、戻って来ると家族揃っての朝食を取る。その後、いつも通り家族と共に畑仕事へと出向く筈だった。
しかし、その日は違った。
何やら村の中央から、鐘の音が聞こえてくるのだ。
それは、村の中央にある広場に設置されている鐘の音だった。だが、通常それは正午を告げる為に使われる鐘であって、こんな朝早くに鳴らす物では無い。
「何で鐘の音が?」
妹のネムと顔を見合わせ、不思議そうにしていると、何故か両親は慌てたように家の扉を開けた。そこには、村長の姿があった。恐らく、急いでエモット家へ来たのだろう。息を荒げたまま、父に掴み掛かるような勢いで声を上げた。
「聞こえたか!? あの鐘がついに鳴ったんだ!」
明らかに興奮した状態の村長の姿を見て、エンリは目を白黒させてしまった。
どういう意味なんだろう?
何やら外の様子も慌ただしい。村人達が家の外へ出て、広場へと急いで駆けて行く姿が見えた。
「お父さん、どういう事なの? 鐘ならいつも鳴ってるじゃない?」
そう問いかけると、父もまた興奮したように早口で答えてきた。
「エンリ。よく聞いてみるんだ。いつもの鐘の音と違うだろう?」
言われてみると、確かにいつもの鐘の音とは若干の違いがあった。いつもの鐘の音が、カァン、カァンという、軽い音だとすると、この音はもっと重みのある――ゴォォォン、ゴォォォン、という感じだ。
何故なのか分からず首を傾げると、村長が更に驚くべき事を口にする。
「この音はね、あの鐘自身が出しているんだ。今、あの鐘はひとりでに鳴っているんだよ」
「え!?」
思わず妹のネムも声を上げた。
あの鐘がひとりでに鳴っている。それはつまり――
「あ、あの!! それって……ッ」
エンリは両親や村長と同じように、興奮を隠しきれずに言葉を飲み込んだ。
村長が、力強く頷く。
「そう。君達ならより詳しく知っているだろう? 何せ、苗字は長い時の中で変わってしまったが、エモット家は彼の子孫なのだから」
父が、ようやくこの時が来たのだとばかりに、エンリの肩に手を置いた。
「モモンガ様が、遂にお目覚めになられたのだ」
中央の広場へエモット家が到着すると、そこには既に村中の住人達が集まっていた。その視線は、未だに鳴り続けている鐘へと注がれている。重苦しく鳴っているその鐘は、村長が言った通り、誰も鳴らしていないのに勝手に動き鳴り続けていた。
村長が一歩前へと進む。一斉に彼らの視線が、村長へと動かされた。
「……あの鐘の正式名称は『約束の鐘』だ」
約束の鐘。嘗て、エンリ達の先祖であるトーマス・カルネが、モモンガに頼み魔力を注いで貰った特別な鐘。
彼が、暴走する魔力をある程度まで抑え込み、結界を解いて外へと出た際、彼の体内に収まりきらなかった魔力に反応して鳴るよう設定されている鐘だ。
「約束の鐘が鳴り響いている。それはつまり、モモンガ様が遂にお目覚めになられたという事になる」
「おぉ……!」
人々の歓喜の声が、ざわりと空気を震わせた。
300年前、自身の魔力が暴走しアンデッドへと変貌してしまった悲劇の存在。
そんな彼が、長き眠りにつく最後まで共にいたのが、トーマス・カルネである。彼は、まだ出会ったばかりだったモモンガの優しさや器の大きさに感銘を受け、モモンガの事を最後まで見届けようと決めた存在だった。
本来、アンデッドとは生ある物を憎み、呪う存在。だが、ただのアンデッドよりも高位の存在――オーバーロード――へとその身を変えたモモンガは、最後まで共にいたトーマスに対し、感謝の言葉を述べたと言われている。アンデッドとしての特性がある筈なのに、トーマスに対し感謝していると告げたのだ。それがどれだけ大きな事か。
トーマスは彼と約束した通り、この話をカルネ村の住人達、そして彼の父親や使用人達に伝えた。彼が、まだ人間としての心も僅かに残しているとも。そんな彼だからこそ、きっと将来、この世界を大きく変えるであろうとトーマスは確信したのだ。
だからこそ、人々はこの話を他の人間達にも伝えた。あくまでも旅人から聞いた話だが、という設定で。大抵の人々はおとぎ話としてその話を受け取ったが、それでも良かった。何せ、真実は自分達が知っているから。そして、この世界にどのような形であれ、モモンガの存在が残る。もしかしたら遠い未来、世界を変えるかも知れない彼の存在が。それなら何も憂う事は無かった。
「――エンリ・エモット」
「は、はい!」
突然名を呼ばれたエンリは、緊張した面持ちで返事をする。
「使者として、私と共にモモンガ様の元へ向かうぞ。大人だけでは警戒される危険性がある。まだ若い娘である君が共にいれば、その警戒も解いてくれる筈だ。それに、君はトーマス様の子孫。それを告げれば、我らに友好的に接してくれるだろう。彼がトーマス様との約束を覚えていて下されば、きっとカルネ村へと訪れてくれるに違いない」
村長の言葉に、エンリは何度も頷いた。
正直、まだ戸惑いの方が大きい。
何せ、彼がお隠れになってから300年も経っている。トーマスとの約束を覚えているか分からない。
それでも、自分達はこの日を待ち続けた。何世代にも渡って。
ならば、自分は己の役目を果たすまでだ。トーマス・カルネの子孫として。
「村長。精一杯、自分の役目を果たさせて頂きます!」
こうして、村長とエンリの二人は、トブの大森林へと向かう事になったのだった。
・
どれ位経ったのだろう。
モモンガは、徐々に自分の意識が形を成していく事に気が付いた。
それと同時に、自分が放っていた荒れ狂う魔力が、殆ど収束へと向かっている事を理解する。
生ある者を全て死へと変える己の力は、余りにも強大過ぎた。その為、その力を抑え込むのに全神経を集中させようと(骸骨なので神経は無いのだが)モモンガは眠りに近い形でその意識を飛ばしていた。
その意識が浮上したという事は、すなわち、目覚めの時が訪れたという事。
「……」
ゆっくりと、眼窩の灯火を揺らめかせながら、モモンガはハッキリと意識を覚醒させた。
その瞬間、己を取り巻く魔力の流れが落ち着いたのを感じる。
「終わった、のか?」
久々に出した声は、思った以上に室内に木霊した。
「いや、まだ分からないな。取り合えず、城の外に出てみるか」
そう判断すると、モモンガは早速転移の魔法を発動させようとする。その時、今の自分が使えるスキルや魔法の数々を、直観的に理解出来た。
(やはり死霊系魔法に特化されているみたいだな。攻撃魔法も幾つか習得しているようだが、威力は低そうだ。それにしても――予想以上に膨大な魔法の数だな。もしかしてこの魔法の数は、オーバーロードという種族としての特性に、私自身の魔力の量が影響したのか?)
恐らくそうなのだろう。
だとしたら、まさに様々な魔法を操り死を運ぶ『死の王』と呼べるのかも知れない。
この力の使い所をきちんと考えなければ、あっという間に自分は全世界の敵となってしまうだろう。
「そういえば、昔読んだ本に世界の守り手の話があったな」
世界の守り手。それは、この世界最強と言われるドラゴンの事だ。世界を脅かす存在を排除する為、人知れずこの世界を監視・偵察しているらしい。そんな存在に目を付けられれば厄介だ。もしも出会ってしまったら、問答無用で戦闘に入りそうな気がする。
「確かアーグランド評議国だったか? そこにいるらしいが……調べるとしても慎重にやらねば」
一先ずその問題は後回しにする。今自分がすべき事は、現状の確認だ。
モモンガは意識を切り替えると、直ぐに転移の魔法を発動させ、城の外へと姿を消した。
城の外に出てみると、やはりそこも魔力の嵐はすっかりと収まっていた。
飛行魔法を使い、ぐるりと周囲を見渡してみたが、結界ギリギリまで溢れていた筈の魔力の嵐は、もう何処にも見当たらない。
どうやら、本当に魔力の暴走は収まったようだった。
「――結界を解いても大丈夫なのか?」
ゆっくりと地上に降りながら考える。正直、まだ不安は残っていた。自分では分からないが、もしかしたら致死レベルの魔力が滲み出ている可能性だってあるのだ。迂闊に結界を解くのは如何なものかと考える自分もいる。
だが、こうして確認している限り、特に問題は無いようにも見える。どちらにせよ、何かしらの行動を起こさなければ、モモンガは此処から先に進む事は出来ないのだ。
「うだうだしていても仕方がないな」
もし何かあったとしても、今の自分ならある程度対処出来る筈だ。流石に結界を解いた瞬間、目の前に例のドラゴンがいたなんて事は無いだろう。いや、無いと願いたい。
モモンガは意を決して空を見上げた。薄い膜のようなものが、城とその周辺一帯を包み込んでいる。長きに渡り、魔力を抑え込む壁として機能してくれた魔法。あれからどれ位の年月が経っているのかまだ不明だが、その間しっかりと役割を果たしてくれた。念の為、一番強力な結界魔法を選んでおいて正解だったと、安堵の息を漏らした。
「解除」
短く告げると、結界は薄い膜が破けるように、天辺から徐々に消えていく。そうして全てが消えるまで、それ程時間はかからなかった。
結界が消えたお陰で、周囲の様子がハッキリと見える。どうやら、このトブの大森林は、嘗てモモンガが眠りにつく直前に見た姿と、殆ど変わっていないようだった。
「国はどうなっているんだ? 此処は確か王国の辺境地だった筈だが」
それこそ、カルネ村はまだ存在しているのだろうか?
恐らく麓まで行けば、村の姿が見えるだろう。そこまで行ってみるか?
だが、今の自分はアンデッドの姿だ。仮面か何かで顔を隠した方が良い筈。城の中を探せば、もしかしたら何かそれらしい物があるかも知れない。
(いや、もしトーマスがしっかりと私の事を伝えていれば、私がアンデッドだという事は知っている筈だよな? だとしたら、別に素顔のままでも良いんじゃ……)
不安は大きい。しかし、ここはトーマスの事を信じたい。
モモンガは暫し悩んだが、結局彼に賭ける事にした。
「となると、やはり麓まで下りて行ってみるか」
そう判断し、いざ下りようとした時だった。
「……?」
何やら、人の気配を感じた。
その気配はどうやら二人。真っ直ぐこちらへと向かって来ている。
幾ら何でもタイミングが良過ぎじゃないか?
思わず警戒心を抱いてしまったが、ふとトーマスとの会話を思い出した。
――モモンガが再び目覚めた時、その魔力に反応して鳴る『約束の鐘』……
もしかして、その鐘が鳴ったのか?
ならば今、こうしてここに向かって来ているのも分かる。
通常、この森にはあまり人間は入って来ない。入って来たとしても、麓付近に群生している薬草の採取に訪れる程度だ。
こんな奥にまで来る事は殆ど無い。
「だとしたら、やはりカルネ村の人間かもな」
先ずはあれからどれ位の年月が経っているのかを知る必要がある。それに、周辺国家の情報。人間や亜人種、異形種達の分布も知っていた方が良いだろう。
『モモンガという人間』だった時、その知恵を人々に教えたいと願っていた。その遺言は叶えてやるつもりである。ただし、それは人間に限定はしない。求められれば、他の種族にも教えるつもりだった。せっかくオーバーロードという種族になったんだ。その知恵を人間にだけ授けるのは勿体無いだろう?
(それに、他の種族にだけ伝わる特殊なスキルや魔法があるかも知れないしな)
それらを知るのもなかなか面白そうだと、モモンガは考えていた。
そんな事を思っている間にも、人の気配はどんどん近付いてくる。
暫くその場で待っていると、やがて遠くから二人の人影が見えてきた。
一人は、40代半ば程の男。もう一人は、若い村娘のようだった。
二人はモモンガの姿を見ると、一度ピタッと歩みを止めた。歓喜に打ち震えるかの如く、口を手で覆いプルプルと震えている。そして、二人で頷き合うと、モモンガ目掛けて勢い良く駆け寄ってきた。
「モ、モモンガ様!! モモンガ様で宜しいんですよね!?」
興奮した様子を隠しもせずに、男は縋るようにモモンガを見上げた。その隣では、同じように自分を必死に見つめる娘の姿。
どうやら、トーマスを信じて正解だったようだ。
「――如何にも。私がモモンガだ。長きに渡る眠りから、先程ようやく目覚めてな。そこで、幾つか聞きたい事があるんだが」
「はい! 私共で良ければ何でもお答え致します! あ、ですがその前に、私は現カルネ村の村長です。こちらはエンリ・エモット。長い時の中で苗字が変わってしまいましたが、彼女はトーマス・カルネ様の子孫に当たる者です」
男――村長がそう言って娘の肩に手を置いた。
モモンガは、彼の言葉に僅かに驚いて彼女を見下ろす。
「子孫? トーマスのか?」
「はい。エンリ・エモットと申します。村には両親と、妹もいます。家族を代表して私が参りました」
ペコリと頭を下げる彼女を見て、モモンガは村長に尋ねた。
「村長。私が眠りについてから、どれ位の年月が経ったんだ?」
「おおよそ300年程です」
300年。トーマスが予想していた通りだ。
それ程の時が経つ中、彼の子孫が生きている。その事実が嬉しかった。
「そうか……300年か。その間、トーマスの血筋は途絶えなかったのだな。それは大変喜ばしい事だ。彼には世話になったからな。その恩を、お前たちに返そうと思う」
「そ、そんな! 恩だなんて!」
慌てて首を横に振るエンリに対し、モモンガは気にするなとばかりに軽く手を振るった。
「まぁ、こんな所で立ち話も何だ。早速だが、村まで案内してくれないか?」
嬉しそうに頷くエンリの姿は、嘗てのトーマスを思い起こさせるものが確かにあった。
・
道すがら、モモンガは幾つかの質問を彼らに投げかけた。それで分かった事は、やはり国の分布図は昔と然程変わっていないという事。
それと、モモンガが長き眠りについた後の父の話も教えて貰った。
父は、母に復活魔法を施せる人物を探す為、この地からは遠い都市、エ・レエブルに居を構えたらしい。それでも、領地はここトブの大森林周辺のままだったので、時折様子を見にやって来ていたそうだ。それに、カルネ村に寄贈した数々のマジックアイテムの調子を確認する必要もあった事も、理由の一つだった。
当時のカルネ村は、両親が発明したマジックアイテムを日常の中で活用する事で、辺境地にしてはそこそこの生活水準だったと記憶している。
それらを活用しつつ、暫くは平穏な日々が続いていたらしい。だがある時、父が病にかかり床に臥せってしまった。
(どう考えても心労だろうな……)
母を復活させる為に、様々な神官や魔法詠唱者を頼ったらしい。だが、もしも復活魔法を施したとしても、肉体が耐え切れずに灰と化す可能性が高いと告げられ、父は悩み抜いた結果、母を復活させる事を断念したそうだ。
そんな折に彼は病にかかった。彼は、特にこれといった治療もせず静かに亡くなったと伝えられている。きっと、母の元に早く逝きたかったのだろう。恐らく、息子である自分も一緒にいると思ったのかも知れないが、残念ながらモモンガはそこにはいない。自分は『死』そのものとして、この世界に新たに生まれ変わってしまった。
(すまないな、父さん。私――いや、俺は、こっちの世界で色々したい事があるんだ。見守ってくれとは言わない。恐らく俺は、父さん達の信条に反する行為を沢山するかも知れないからな。何せ俺は、オーバーロードだからさ)
だからその変わり、あの世で母さんと幸せに過ごしてくれ。それが『人間としてのモモンガ』の最後の願いだった。
――話を戻そう。
父が亡くなり、カルネ村の住民達は大いに悲しんだ。だからこそ、カルネ村は授かったマジックアイテムを大切に使っていた。子から孫へと受け継ぐ形で。だが、残念ながらそれらは既に失われてしまったそうだ。
それは、200年前に起きた帝国との戦争が理由に挙げられる。
モモンガが人間として生きていた当時、帝国との本格的な戦争はまだしていなかったのだが、何となくキナ臭い空気は漂っていた。そしてついに200年前、帝国が戦争を仕掛けてきたそうだ。
その際、資金源として、村にあったマジックアイテムは根こそぎ王国が徴収してしまった。『約束の鐘』が奪われなかったのは、見た目がただの鐘にしか見えなかったからだろう。
帝国との大きな戦争は、その200年前に一度起きたきりだったようだ。しかし、全国土を巻き込む大規模な戦争だった為、一気に王国の国力は低下してしまった。それ以降、その影響で新たなマジックアイテムを購入出来るような余裕も無く、カルネ村は徐々に生活水準が低下していったらしい。
そして200年の時を経て、ここ数年、再び帝国が戦争を仕掛けてくるようになった。それも、わざわざ収穫の時期を狙って。このままだと、王国は破滅へと向かうだろう。
それでも王国は、何も対処していないようだった。それこそ、魔法を戦争で使うという考えも無いらしい。
(無能の集まりだな)
ただの村娘であるエンリでさえ「
村長やエンリの話を聞いていると、彼らは魔法への理解もきちんとあるし、魔法を軽視する王国の考え方を嫌悪しているようだ。二人は村を代表して何度も王都へ赴き、辺境地であるカルネ村の苦しい現状を何度も訴えたそうだ。村長がそういう行動を取るのは理解出来たが、何故エンリも? と問えば、彼女なりに村を良くしたいと考えていたからだと力強く返された。その熱意をそのまま王に伝えたそうだが、その都度有耶無耶にされてしまったらしい。それでも諦めきれずに、定期的にこの訴えは続いているそうだ。このままでは国が滅ぶと、二人共分かっているのだろう。
「フム……」
「どうかされましたか?」
顎に手をやり考え込んだモモンガを見て、村長が首を傾げる。
それに対し「気にするな」と軽く手を振りながら、モモンガは自分の考えを纏める事にした。
とりあえず、カルネ村の住人達の考え、そして自身に対する対応を見てから、今考えている案を計画に移すことにしよう。彼らを試すようで悪いが、まだこの二人からしか話を聞いていない。もしかしたら、エンリ達がそう思っていないだけで、モモンガへの不信感を持っている者もいるかも知れないからだ。どれだけ小さい染みでも、それは大きく広がる可能性がある。何事も慎重に事を進めなければ。
そして、何も問題が無いのであれば、モモンガは計画を実行に移そうと心に決めた。
今、自分がしようとしている事は、王国に真っ向から勝負を挑むようなものになる。しかし、それでも構わないとモモンガは思った。
正直、人間に興味が無いのは事実である。だが、そんな人間達の中でも、温情を与えても良い価値のある者達はいる筈だ。トーマスがまさにそうだった。だからこそ、彼への恩を返すべきだろう。
彼の子孫であるエンリは、しっかりとした常識もあり、そして現状を打破しようと藻掻く姿勢も見せている。そういう者こそ、モモンガは自らの庇護下に置くべきだと考えた。きっと彼女は、周囲に良い影響を与える。彼女を中心に知識を与え、自分の庇護下で村を繁栄させる事こそ、トーマスへの恩返しになるだろう。
そんな事を考えている間に、モモンガ一行はカルネ村へと到着した。
村の中央の広場に、大勢の村人達が集まっている。
モモンガらの姿を確認すると、住人達は喜びの声を上げた。
「モモンガ様……本当にモモンガ様なんですね!?」
「あぁ、遂にお目覚めになられた! トーマス様との約束を、果たして下さった!」
口々に彼らは感謝の言葉を述べてくる。その顔に、アンデッドへの恐怖心は感じられない。
ぐるりと人々の顔を見渡した。どの顔も、モモンガへの感謝の気持ちと、出会えた喜びで彩られている。
驚くべき事に、村に来る前に考えた『モモンガへの不信感を持つ者』は、誰一人としていなかった。
だが、まだ警戒を緩めてはいけない。今からする質問で、モモンガはこの村を今後どうするか決めるつもりだった。
ゆっくりと彼らの前に立ち、漆黒のローブをはためかせる。そして、眼窩の灯火を一際大きく輝かせた。それだけで、村人達はモモンガの意を察し、しんと静まり返る。それを満足げに見渡しながら、モモンガは彼らに問いかけた。
「――先ずはこの300年、私の目覚めを待っていてくれた事を嬉しく思う。だがお前達に尋ねたい。何故そこまで私に対し感謝の言葉を述べるのだ? 感謝ならば、代表して村長やトーマスの子孫であるエンリから既に受け取っている。必要以上にそうする必要性は全く無いのだぞ? 私はあくまでも、300年前に生きていた人間と約束をしただけだ。今を生きるお前達には、それこそおとぎ話の世界だろう。聞いたぞ? 私の話は、今ではおとぎ話として世界に知れ渡っているとな。ならば、お前達だっておとぎ話のままにしておく事が出来た筈だ。300年も昔の約束等、守る必要も無かった。その選択肢もこの長い時の中であった筈。なのに何故そうしなかった?」
モモンガの問いに、村人達は誰ともなく顔を見合わせた。そして、その中の一人が、そっと手を上げた。
「失礼ながら、私が答えても宜しいでしょうか?」
「構わんぞ」
気立ての良さそうな若い男だ。彼は深く頭を下げてから、真っ直ぐにモモンガを見つめた。
「モモンガ様。我らの先祖はトーマス様より、アンデッドの特性を代々伝え聞いております。貴方はアンデッドですがオーバーロードと呼ばれる存在。正しく死の王。生者を憎む代わりに、生者に無関心になったらしいと。そんな中、貴方様はトーマス様に対して、深い信頼を置いて下さった。それは貴方にとって些細な事でも、種族として考えると有り得ない事だったのですよ」
彼の言葉に、村人達も力強く頷く。
「貴方はきっと、貴方だからこそ、人間としての心を完全には失わなかったんだと思います。だから我々カルネ村の人間は、貴方の事を未来に伝えようと今まで語り継いできたのです。再び貴方が目覚めた時、アンデッドである貴方を受け入れられる場所で在れるようにと」
「……」
モモンガは、その言葉を深く噛み締めると、安堵の息を漏らした。
(合格だな)
彼の言葉はどこまでも真っ直ぐだった。そして、それに同調する村人達の姿も。
この村は、トーマスの意志が根付いている。
確かにアンデッドである自分は、もしもカルネ村が受け入れてくれなかったら、正体を隠して各地を巡るつもりだった。 だがもう、その心配は必要無い。
むしろ、堂々と姿を晒し力を見せつける事で、この村を守る事が出来れば、それに越した事は無かった。
この村はそれだけの価値があると、今、確かに証明されたのだから。
「お前達の気持ち、しっかりと私には伝わった。そこでだ。そんなお前達に一つ提案がある」
「提案、ですか?」
モモンガは、村長とエンリの方へ視線を向けた。
「――実は、国を作ろうと考えているんだが……」
この作品におけるカルネ村は、原作のナザリック的立ち位置です。あと、モモンガ様は死の王としての特性から、自然と支配者たる言動・行動が取れるという設定にしています。それに対するストレス等は無い模様。