世界トップクラスのダート競走
ドバイワールドカップ(G1。ダート2000メートル)は、毎年3月末に5つのG1を含む8つのサラブレッドによる重賞(ほかにアラブのG1が1つ)を行う「ドバイワールドカップデー」のメインレース。ダートにおける世界最高峰のひとつで、その総賞金1200万アメリカドル(約13億800万円。1アメリカドル=約109円で換算)は2020年に創設されたサウジアラビアのサウジカップ(総賞金2000万アメリカドル)に次ぐ世界第2位。同じくドバイワールドカップ開催で行われるドバイシーマクラシックとドバイターフ(ともにG1)の倍額となっている。
ドバイワールドカップが創設されたのは1996年のこと。世界最高のレースをドバイで開催することを目指したドバイのモハメド殿下(現ドバイ首長)の発案によるものだった。記念すべき第1回のレースは当時の世界最高賞金となる総賞金400万アメリカドルをかけて、ナドアルシバ競馬場のダート2000メートルを舞台に争われ、前年のブリーダーズカップクラシック(G1)を制してアメリカ年度代表馬に選ばれたばかりのシガーが、アメリカでの調教中に挫傷するアクシデントを乗り越えて見事に優勝。このスターホースの勝利が、当時競馬開催国としては世界であまり知られていなかったドバイでスタートしたドバイワールドカップの成功を決定づけた。
続く第2回のレースを前年のジャパンカップ(GⅠ)の勝ち馬であるシングスピールが優勝すると、その翌年(1998年)にはリステッドから一足飛びにG1に昇格。2000年には、デビュー前に調教の動きを見たモハメド殿下が「ミレニアム(2000年)のドバイワールドカップを勝つのはこの馬」と宣言して、ヤゼールから改名したドバイミレニアムがコースレコードを塗り替えて6馬身差で圧勝した。
その後、2010年にはナドアルシバ競馬場(廃場)から現在のメイダン競馬場へと開催場が移り、同時にダートからオールウェザーに変更となったが、2015年からは再びダートに回帰。2017年にはアメリカのアロゲートが快勝し、アメリカの歴代賞金王の座に就いた。
日本調教馬は第1回からライブリマウントが参戦(6着)。第2回ではホクトベガがレース中に転倒して亡くなるという悲しい出来事もあったが、それ以降もほぼ毎年のように出走。オールウェザーでの開催だった2011年にはヴィクトワールピサとトランセンドがワンツーフィニッシュを決めたほか、ダート時代の2001年にはトゥザヴィクトリーが逃げて2着に健闘している。
文:秋山 響(TPC)
2011年 優勝馬ヴィクトワールピサ
1996年 優勝馬シガー