私が過去に体験した不思議な話です。
まだ私がおむつをしている頃の記憶。
古い木造の家の縁側に座って
自分の足の裏を歩き回る
1匹の小さな蟻をみている。
でも視点はずっと上の方にあり、
後ろに座る母と
玄関近くの流し台でおむつを洗っている父も見ている。
夏の明るい光
小さな蟻、父や母、その他すべてが私であり
とても満たされた静かな感じ。
その時、突然、何かが小さな私の身体に
収縮していくような感覚が起きて
次の瞬間、私の一部であったはずの小さな蟻が
異物となり、あまりの恐怖に泣き出した。
とても鮮明な記憶で
時々思い出す。
16~17才の頃、母にそのことを話してみた。
母は、それは本当にあったことだと言った。
父が最初で最後のおむつを洗ってくれると言った日なので覚えていたという。
今はワンネスと切り離されていることは幻なのだと思えているが
でもやっぱり、あの時の幸福感を常に感じていたいといつも願っている。
※ワンネスとは
全てはみんな、もとは一つの存在
そこから分離されて、各々が今、この時代を生きている
もとは同じなのだから、人と比べる必要はない。
ワンネスを体感できるようになると、人は愛の意識に包まれ、幸福感で充たされると言われています。
私が小3、妹が小1位の頃
二段ベットの上に私、下に妹が寝ていて
夜中に目が覚めてなんとなく眠れずにいた
その時
お腹にかけていたタオルケットがスルスルと下に引っ張られた。
落ちる寸前に端っこをつかんで引っ張り上げようとした。
ところが半分くらいひっぱりあげると
またスルっと少し引っ張られる。
力を入れて引っ張り上げようとすると
下の方でも誰かが引っ張る
てっきり妹がやっていると思い
「ふざけないでよ!」と言った。
妹が返事をしないので下をのぞくと
ぐっすり寝ている妹とゆれているタオルケットが見えて怖くて手を離した。
その後、頭でいろいろ考えて座り込んでいたが
あきらめて恐る恐るタオルケットをとりにはしごを下りた。
36歳くらいの時
夫とマンションに住んでいて、
会社から帰るとまず、私はマンションの前で降ろされ
夫は近くの駐車場へ車を置きに・・・
その日はドアのカギを開けようとすると
すでに鍵が開いている。
「泥棒だ!」
と、思い
静かにドアを開けて玄関に置いてある
夫のゴルフバッグからアイアンを1本抜いた。
中へそろそろと入っていくが
泥棒は既にいなかった。
部屋の中は部屋ごとひっくり返したような状況だった。
気が抜けて座り込んだ。
すると、とても不思議な感覚が体中に広がった。
それは
『もう何も守らなくても、何も心配しなくてもいいんだ』
というような
とても軽くて自由な感覚で
空気がキラキラと輝きだし
めちゃくちゃになった部屋の中の倒された引き出しさえも
とても美しく見える。
圧倒的な幸福感にただ浸り
座り込んでいた。
多分、ほんの5分足らずのこと…
でも、そこには永遠が感じられた。
その後は帰ってきた夫の騒々しい声と
警察の「アイアンで立ち向かおうとしないように!」
という注意などで現実へと引き戻されていく。
何日かの間は、その時の感覚を思い出そうとしていた。
でも、思考ではとうていたどり着けるものではなかった。
今ではすっかり良くなったけど、小さいときから時々拒食症になっていた。
その原因はある霊能者との出会いで原因が判明し完治したのだが、その話は後日・・・
30代の頃、最期の拒食症になったときのこと。
体重が30kg位になってしまったので入院することになった。
大部屋に入って二日目のこと。
隣のベッドに身体の大きな女性が運ばれてきた。
7~8人の親族らしき人たちの中に
上は黒のTシャツ、下は黒っぽいズボンをはいた美少年がいた。
誰とも話すことはなく、ベッドの女性の足元に静かに立っている。
20分位すると親族たちは医者に呼ばれて出て行ったが、
その青年だけは一人残ってずっと静かに女性をみつめている。
「優しい人なんだな」と思っていた。
その女性患者は薬で意識がおかしいのか、
私のことを誰かと勘違いしているようで
「ここにいたの。よかった。」
などと言うので
微笑み返すしかなかった。
その間も青年は一度も女性から目をそらさずに静かに立っている。
それにしても変だったのが、彼がはいている靴(?)靴下(?)
きんちゃく袋をはいて足首のところで紐を結んでいる感じのもの。
そして運ばれてきてから2時間もしないうちに
看護士さんたちが女性を別の部屋へ移した。
その時一緒に青年も出て行った。
看護士さんに聞いたのだが、
あの女性患者はずっと在宅介護であったそうだ。
そして運ばれたその夜になくなったということだった。
あの綺麗な青年は死神だったのではないかと思う。
イメージしていた死神とは全く違うが彼が
まとっていた静かな雰囲気と
誰一人も彼の存在に気づいていないような感じでそう思った。
死神というよりはキリスト教の天使アズラエルという方があっているが
翼もないし、へんてこな靴を履いていた。
でも、何よりも
彼女だけを静かにみつめてそばにいたあの様子を思い出すと
なんとなく安心する。
※大天使アズラエル
死の天使と言われている。
癒しの存在として〜
「神が助けるもの」を意味する名前の大天使。
肉体が滅びるときが来たことを人間に知らせ、魂を天界まで導いていく役目があるため、死の天使と呼ばれることもあります。
天界に帰ったばかりの魂を鎮め、惜しみない愛が注がれていることを教えるという役目も担っています。
すべての宗教における聖職者を助けるのも、アズラエルの役目です。
アズラエルの名を呼べば、亡くなってしまった愛する人々の魂が守られ、宗教儀式は大小にかかわらずうまくいかせることができます。
宗教的背景〜
イスラム教の死の天使。
アズラエルはすべての人間の名前が載ったリストを持っているが、誰がいつ死ぬかはわからない。
ある独りの人間に死期が訪れたとき、アラーは玉座のすぐ下にある木の葉を落とす。
この葉に死ぬべき人間の名前が書いてある。
アズラエルは名前を読み、四十日後に死者の肉体と魂を引き離す。
この話は最近のこと・・・
その日はなぜかとても疲れていて
夜、布団に入っても身体のだるさを感じていた。
それでもようやく眠りに入って
どの位たったのかわからないが
息が苦しくて目が覚めた。
すると首をしめている大きな手があった。
濃いグレーの普通の3倍くらいありそうなごっつい手が私の首を絞めている。
いつもなら金色の光で満たしたり
手をつかんでしまったりするとすぐに消えるのだが
その日はどちらも身体が動かずできなかった。
お経を唱えようとしても
不思議なほど頭がはっきりせずにイメージも難しい。
すると、自分の足の方の左側に
見たことのない仏様(?)か神様(?)が立っていた。
「神様・・・?」と思っていると
その神様らしき人が
片足をドン・・・と強く踏み鳴らした。
すると首元の手がパッと散ってしまった。
もうろうとしていたので
「どこのどちら様かわかりませんが〇×□※△…」
と、わけのわからない感謝の途中で眠ってしまった。
翌朝はすっかり元気だったが
夜中のことを思い出し不思議だった。
それから10日位して
霊視講座の時に受講生のHさんが言った。
「武藤先生の後ろにこんな神様が見えるんですけど・・・」
と、言いながらサラサラと姿を絵にしてくれた。
驚きで鳥肌が立った。
まさに、あの時の神様とそっくりだったのだ。
気になりながらも
誰にも話さず、そのままにしていたことを
Hさんが霊視してくれて絵にしてくれた。
彼女は話している相手の後ろに神様が見えてくると言う。
その後、はぴねすNO.1仏像オタクの弘美さんに聞いてみたところ
大自在天ではないか・・・ということだった。
もう『何かにやられる』のは嫌だと思っていたのに
手を消すことが出来なかったことに少しショックを受けるとともに
神様にとても感謝した。
この経験で思ったのが
私たちにはたくさんの神様がついていてくれて
いつでも助けに来てくれるのだということ。
たとえ、私の方でその名前を知らなくても
やっぱりいつもちゃんと見守ってくれているのだと言うこと。
※大自在天~だいじざいてん
万物創造と破壊をつかさどる最高神。
仏教の中に組み入れられ仏法守護の神となる一方、仏教に敵対する外道の最高神ともされた。
仏教の神。
サンスクリット語のマヘーシュバラMahevara(大主宰神の意)。
摩醯首羅(まけいしゅら)と音写)の訳。
元来はヒンドゥー教の主要な神の一つで、ヒマラヤ山脈中のカイラーサ山に神妃パールバティーと住むシバ神の呼称である。
密教に取り入れられて十二天の一となり、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の外金剛部に属し、ありとあらゆる世界すなわち大千世界の主とされた。
崑崙山(こんろんざん)上の美しく飾られた宮殿に住み、60の天神に守護され、百千の天女に取り巻かれているという。
その像は三目八臂(はっぴ)で天冠を頂き、三叉(さ)の戟(げき)を手に持ち、白牛に乗っているのが普通である。
ヒンドゥー教の最高神の一神シバが仏教に取入れられたのちの名。
だいぶ前のこと
地下鉄北千住駅で電車を待っている時
お昼頃だったので人もあまりいなくて静かな感じだった。
右手の方から一人の男性が歩いてくる。
白っぽいスラックスに白いセーター
30歳位の人で、
見た感じ普通なのだが
だいぶ離れたところから
とても嫌な感じがしていた。
ザワザワとしたすごく嫌な感じで
彼の目をひかないように前を向いたまま
目玉だけを動かして彼を注視していた。
何かあれば、すぐに逃げられるようにと
なんとなく目が離せない。
私の5~6m右前方に一人の若い女性が立っていた。
前を向いていて顔はわからないが
サラサラな長いストレートヘアの女性でした。
彼がその女性の後ろを通るときに
彼の口から長い舌がニョロリと出てきて
その女性の髪を舐めた。
人間ではありえないほどの舌の長さと
顔も動かさず、目だけを彼女に向けて
ニヤリと笑ったような表情で髪を舐めた。
とても怖くて身体が凍りついたようになった。
その時、彼と目が合い、
彼は身をひるがえして
物凄い勢いで逃げて行った。
不思議だが、あんなに髪が揺れるほど舐められた女性本人は
全く気付く様子もなく立っていた。
後にこの話をある人に話したら
『トカゲ族』ではないかと言っていた。
ある人は『レプティリアン』ではないかと言っている。
それまで「トカゲ族」や「レプティリアン」なんて知らなかったのだが
この話をしたら結構知っている人がいて驚いた。
本当に気持ちの悪い体験だった。
18歳の時のこと
父が亡くなり、私はその日、父のお骨が置いてある部屋で寝た。
多分、叔母たちがきていたのか
よく覚えていないのだが
なぜか、私一人、父の祭壇のある部屋で寝たのだ。
夜、眠っていると
ザザー、ザザーっと
ザルの中で豆を転がすような音がなり目が覚めた。
「まさか、妖怪あずきあらい?」
なんて思いながら頭の上へ目をやると
ちゃんと閉めて寝たはずの押入れの戸が開いている。
物凄い恐怖と共に「どうして⁉」と思った瞬間
身体がいきなり押入れの中に引っ張られた。
物凄い力で引っ張られながらも
私は何とか助かろうと
押入れの枠に足を引っかけたりしながら抵抗した。
何か叫んだりしていたと思うのだが
その辺は覚えていない。
とにかく、必死で抵抗したが身体はどんどん引きずられ
「もうだめだ!」と思ったところで意識がなくなった。
朝、母が部屋に来て
押入れの前で丸まっている私に
「ちゃんと布団で寝なさい!」と怒った。
それで目が覚めた私は
すぐに押入れから離れたのだが
押入れはちゃんと閉まっていた。
でも、あれは夢ではなかったはずである。
私のかかとやひじのあたりに
痛みと薄いアザが残っていた。
それらが私の奮闘ぶりを物語っていたから…
30代初めの頃。
主人の父が亡くなり、仕事を手伝い出したばかりだった。
その日は天気の良い日で
仕事も暇だったので
一人でブラブラと散歩&買い物に出た。
歩いていると30m程先に一人のおじいさんが立っている。
明るい光の中で満面の笑みでこっちを見ている。
私の他に人はいなかったので
私に笑いかけているのだろうが
私は見覚えがないおじいさんである。
私は仕事を手伝い始めたばかりの頃なので
「私はあの人のこと全然知らないけど、
あんなに笑ってるのだから、
きっと向こうは私を知っているんだ。
仕事関係かもしれない。」
と思い
そこで私はおじいさんの前を通り過ぎる時に
「どうも、こんにちは」
と、愛想よく過ぎたのだが
3~4歩過ぎて
「それにしても変わった服を着ているなぁ」
と気づき、振り向くと消えていた。
怖くはなかった。
そのおじいさんは、ひざ丈位の女物の赤い着物を着て
縄のようなものをベルトのように結んでいた。
あれから何度、その時のことを思い出しても
懐かしいような、もう一度会いたいような
不思議な気持ちになる。
だから、あのおじいさんは神様だったような気がするのだ。
私は小さい頃から時々、突然拒食症になった。
時々と言っても始めは幼稚園の頃、
小学校時代に2度
高校時代に軽めのものが1度
最後は30代の頃に1度
いつも急に食べられなくなり、
果物など好きなものでも胃に収まらない。
だけど麦茶だけは飲めるのだ。
母も心配し、病院へ行ったりもしたが
全く原因もわからない。
医師はストレスとか、母と子の関係性とか
色々アドバイスをくれるが、どれも全くピンとこなかった。
30代の時は体重も30kg台になったので入院した。
これが一番ひどいものだったと思う。
30代も終わりの頃、
上野に出かけてた時
突然、座っていた霊能者に
「あんた、拒食症になるだろう」
と、声をかけられてビックリした。
その人が言うには、
私は前世、韓国人の呪術師で
悪霊払いの祈祷をする時に断食をしていたという。
その習慣が残っていて
今でも自分の近くに悪霊を感じると
身体が勝手に断食に入るらしい。
その人は
「まぁでも前世はただの前世だからな。」
と言った。
私は
「そうか、ただの前世の記憶か!」
と、思った。
それ以来、一度も拒食症にならなかった。
その人は最後に
「前世のばあさん、あんたの夢にも出てくるはずだ」
と、言っていた。
それで思い当たるのが
よく夢に出てくる一人のおばあさん。
腰巻一つだけで痩せていて
干からびた様な胸をブラブラさせている。
ひっつめた白髪の意地悪いおばあさんで
いつも私を怒ったりバカにする。
あまりにもよく出てくるし
とてもムカついていたので
そのおばあさんを見ると
夢の中でさえ
「また、このおばあさんかぁ~」
と、思うほどだった。
それが私の前世の姿と知って
だいぶ、がっかりした。
でも、それを知ったすぐ後に
不思議な体験をした。
また夢におばあさんが出てきた。
私は石垣のような所に座って
テレビのようなパソコンのようなものを見ていた。
すると、いつものように意地悪そうな顔で
おばあさんがゆっくりやってきて
私の後ろに立って言った。
「まだ、こんなものを見ているのか!
そんなに面白いか!」
私はムカついているので
物凄く反抗的な態度で
おばあさんの方も見ずに
「結構、面白いですよ!」
と言った。
すると、おばあさんは口から
ドロドロのオレンジ色した
スライムのようなものを出して
私の頭の上に浴びせた。
そこで目が覚めた。
その朝、
洗面台の鏡を見ると
自分のまわりにオーラがはっきりと見えた。
それまではオーラは見えなかったのに
その朝から見えるようになる。
それ以来、おばあさんは夢に出てこなくなった。
十何年前のことである。
池袋のカフェで知人と待ち合わせをしていた。
2階にあるカフェで私の席から交差点が良く見降ろせた。
知人を待ちながら、ふと気づくと
横断歩道の真ん中に
人が一人入れるくらいの穴がある。
そこから何となく暗い、嫌なエネルギーが上がっている。
「何となく嫌な感じだ」
と思ってみていて気が付いた。
横断歩道を渡っているほとんどの人が
スッと上手に穴をよけていくのだ。
自然に、絶妙に、よけていく。
ほんの僅かの、その穴から上がるエネルギーと
同質のエネルギーを持った人達だけが
その穴のある所を歩いていく。
その時、私は気づいたのだが
全ての人が霊感を使って生きていて
霊感を使って穴に気づいて、よけて、
すぐに見えなかったこととして脳が処理している。
でも確かに、全ての人がそうやって生きている。
霊感があるとか
霊感がないとか
霊感が強いとか
霊感が弱いとか
そいういうことではなく
皆同等に使っている。
ただ面倒とか怖いとかで、
どうでもよいこと、なかったこととして
脳が瞬時に処理しているかいないかの違いだ。
その発見に驚きながら
私はずっとその穴のあたりをみてると
1人のとても明るいエネルギーを持った子供が
その穴をのぞきこみ、そしてピョンと飛び越えた。
あの子はちゃんと見えているのだと思って笑ってしまった。
昔は幽霊がとても怖かった。
変なものが見えたり
嫌な気配を感じたりするたびに
ビクついていた。
大人になって、子供の頃よりは
大丈夫にはなっていたが、やはり怖かった。
十何年か前のある晩
トイレに起きた時のこと
寝ぼけまなこでトイレに向かうと
トイレの前に真っ白な目をして
ボサボサの白髪を逆立てた
恐ろしい姿のおばあさんが立っていた。
私は心臓が止まるかと思うほどびっくりした。
でも、その時はあまりに驚いて
「怖い」よりも「怒り」の感情の方が強くなった。
頭に来て
「そんな怖い姿で出てこられたら何もできません!」
と、腹を立てながら言った。
すると、そのおばあさんは
小さくて可愛いおばあさんに変わってしまったのだ。
「どこに帰っていいのかわからない」
と言うおばあさんに
光のあるところを示すと
おばあさんは嬉しそうにすぐ上がっていった。
その経験で理解したのだが
私の方が怖い怖いと思っているから
怖い姿で現れるのだ。
世界に現れるものは
私によって変わるのだ。
それからは滅多に怖い姿のものは見なくなった。
人形町に小網神社という小さな神社がある。
とても力のある龍神様がいらして
たいていの霊障は『お守』ひとつで慎まる。
龍神様のエネルギーのあるところ
悪い氣はいられないのだと思う。
私はいつもお客様に『お守』を勧めてしまう。
それほど信頼できる力強い神様である。
ある時『龍神様にたまにはご挨拶に』と思い
行ってみた。
その日は偶然、『にいなめ祭』というお祭りをしていた。
道の角を曲がって、鳥居が目に入ると
神社の上で龍神様がまるで舞っているように見えた。
光を振りまきながら舞っている。
いつもはそんな姿を見ないので
とても嬉しかった。
お酒を配ってくれるので
あまり飲めないのだが
私もひとつ頂き、感謝の祈りを囁いた。
となりのおばあさんが私にお酒を差し出して
「私は飲めないので・・・」
と言う。
私は「ありがとうございます。」
と、受け取りもう一杯。
帰りの電車はきっと赤い顔だったと思う。
ほんの一瞬みせてくれたお姿を
私はいつも思い出し、力をもらう。
これは去年くらいの最近の話です。
私はある晩、夫に
「大丈夫?どうした?」
と、起こされた。
気づくと私はリビングの椅子に座っている。
2人の陽気なおじさんと話していたことが
はっきりと記憶に残っている。
とても面白いおじさん達の話をゲラゲラ笑いながら聞いていたのだ。
主人は眠っていたが、リビングから私の笑い声がするので目が覚めたらしい。
なんだか狐に騙されたような感じで驚いたが
その日はそれで終わる。
それから何日かして、
休みの日に一人で映画を観ようと出たのだが
その日の夕方4時過ぎ頃に
見知らぬ駅のベンチに座っている自分に突然気づいた。
私はほとんどパニックになりながら
初めて来た駅なので
駅員さんに帰り方を聞いた。
すると乗り換えまでして、ここまで来たことに
さらに驚いた。
とりあえず夫に電話をして
遅くなることを報告し、家に帰った。
帰ってから、その日のことを夫に話すと
「申し訳ない!」
と、夫が言うのだ。
私は中古の車などが苦手で
夫に中古は絶対にやめてくれと言っていたのだが
中古のタイヤを内緒で買ったらしい。
夫が言うには、
一応、塩をまいたのだが
あの真夜中のゲラゲラ事件があったので
内心動揺していたらしい。
私が気づいた駅名を言うと
まさに、そのすぐ近くの中古タイヤ屋で購入したらしい。
私は何かに乗っ取られたことにショックもあったが
あの2人の陽気なおじさんは
あの辺りで事故に遭い
そこまで連れて行ってほしかったのだろうと思い
仕方なかったと諦めることにした。
それからは何事もなく平和である。
私は全ての人が霊感を使って生きていると思う。
ただ、日常において面倒なことは脳が都合のいいように処理してくれる。
そうでなければ、あらゆる沢山の情報で身体が参ってしまう。
時折、それを理解することで
私も見えていたと報告してくれる人がいる。
私から、「誰もが霊感を使って生きている」話を聞いた後に、
見えたとか見えていたとか言うのだ…
ずっと生きている人だと思っていたが
実は違うことに気付いたと言う。
以前、知人から
休日出勤の度にいつも目にする
隣のビルの男性の話を聞いた。
オフィスから隣のビルの中が見えて
いつも同じ男性が同じパソコンの前に座っている。
今までは
「この人も休日出勤なんだ」
と、思っていた。
ある日、よく見てみると
その男性の手は異様に長いことに気付いた。
その瞬間、
この人は死んでいるんだと思ったそうです。
また、私の妹も昔、
出勤時に隣のホームに倒れて
助けを求めてあがいている人を見たそうです。
でも、沢山の人がいるのに
誰もその人に気付かない。
自分も急いでいたし、となりのホームだし
誰か気づくだろうとそのまま会社へ…
でも、言われてよく考えると
その人の身体は胸から下が
ホームに埋まっていたことを思い出したと言う。
どちらも聞いたときはゾッとしたが
この話からも
常日頃、どれだけ都合よく
脳が処理してくれているかがわかる。
もう20数年も前のこと
夫と2人で奥日光に一泊旅行に行った。
秋が始まったばかりの頃だった。
私は旅行に行った先で
エネルギーの悪い場所へ行くと
ひどい頭痛などが出るのだが
そのホテルは特別体調の変化もなく
どこにでもある観光ホテル
という感じのところで安心した。
名所も観て回り、温泉にもつかり
体調も悪くならず布団に入った。
夜中、目と目の間が
異様に冷たくて痛くて目が覚めた。
冷たい風が眉間に吹き付けている。
「窓が開けっぱなしだったっけ?」
と、ぼんやり思いながら
目をうっすら開けると
白い着物の裾から出ている
小さな白くて可愛い足が目に入った。
どうやら、その足の主が私の顔に
冷たい息を吹きかけているようだった。
しっかりと目が覚めて
その足の主を見ようとすると
私の身体は金縛りになり
足の主は「ふふふ」と
可愛い声で笑いながらすくっと立つと
布団を回り込んで笑いながら
わざとすり足で駆け回っている。
本当に子供が嬉しそうに
私の後ろで駆けているようだった。
金縛りをとこうとお経を唱えているうちに
その子の気配もなくなってしまった。
今思い出すと
少し怖いのなんて我慢して
その子の姿をちゃんと見たかったと思ってしまう。
足だけしか見てないのに
なぜだか男の子だと言うことがはっきりとわかった。
私が18歳の時に父が亡くなり
その49日の朝に母が変なことを言った。
とても鮮明な夢を見て
その夢で父が母にこう言ったという。
「私は神の国に生まれ変わることになったので
あまりひんぱんに来られないが頑張るんだよ。」
どうことだろう?
と、首をかしげる母に私は言った。
「でも、そもそも神様は生まれ変わったりしないよね?
神様はずっと神様だもんね?」
そのことは、ずっと気になっていたのだが
その後は生きていくことで精いっぱいな日々が続き
十数年も経ってしまった。
30歳を過ぎた頃、
ある雑誌の中の小さな本の紹介記事を読んだ。
その小さな記事は、
ある若い女性タレントが
『私の大切な一冊』みたいな感じで
『ガイヤのささやき』という本を紹介していた。
なぜか私はその本がとても気になり
探したが見つからないので取り寄せて読んだ。
それは一人の写真家が自分の経験談のようなものを
まとめて本にしているものだった。
どの経験も興味深いものだったのだが
一番最後の話は私を強烈に引き付けた。
それは、チベット仏教のお祭りの翌朝
ダライラマ法王が一人で
村を守る御神木に祈りを捧げる儀式に
同行を許された時のエピソードだった。
御神木のところでカメラを構えて待つ作者に
ダマイラマ法王が言うのだ。
「そこではない。その神は役目を終えて新しい神がお生まれになった。」
残念ながら本は人に貸して戻ってきていないので
はっきりとはかけていないが、そんな言葉だった。
私はそれで初めて神の生まれ変わりに出会い
チベット仏教に興味を持つことになった。
それを通じて、
だんだんと覚醒を求めるようになっていく。
それまではスピリチュアルなことも
ほとんど関心もなく
日常の雑多なことに振り回されて
バタバタと生きていたのだが
そこから何かが始まったような気がする。
でも、そこから始まるための準備も
私自身が何も気づかないところで
始まっていたことも、
今ならわかる
なぜなら、その何年も前に
出会ったひとつの詩がとても気になり
私を惹きつけていた。
それはチベットの僧侶が書いたこんな詩だ。
常に生は夢のようなものだと認識し
愛着と嫌悪を減じてゆきなさい。
あまねくすべてのものを思いやりなさい。
慈しみ、あわれみなさい。
人があなたに何をしようとも
あなたがそれを夢と見れば
人のすることなど何でもない。
要はその夢の間中
肯定的な意思を持ち続けること
これが肝心な点
これが真の精神性だ。
by チャンドゥ・トゥルク・リポチェ
会社勤めの毎日の中で
ほとんどエゴだけで
それに自分の周囲の反応ばかりが
気になっていた頃に
この詩が私のどこかに引っ掛かった。
でも、その頃は
「そんなものかねぇ~?」
な、思いだけだったが
手帳に書き留め
時折、読み返していた。
でも、きっと長い時をかけて
詩のエッセンスは少しずつ
私の中にしみこんでいったのだと思う。
「リンポチェ」というのが、
チベット仏教で特別な僧侶に
与えられるものだということも
30歳を過ぎて知ったことだ。
私が今の仕事をするようになったキッカケは
もう20年近く前の話
知り合いの人がある宗教団体に入っていて
その人からある日電話がかかってきた。
「あなたのご主人のお母さんと弟さんが殺し合い、
どちらかが殺されると言うお告げが出た」
正直、頭にきたのと
頼みもしないのに、
関係ない私のお告げが出たと言ってくる
その人の性格に驚いた。
でも、一度聞いてしまうと
それが頭から離れなくなり
私は上野の例の霊能者に相談に行った。
私の拒食症の原因を教えてくれた人だ。
その人が言うには
夫の実家には確かに
恨みを持って憑いている霊がいるという。
そして
「武藤家を滅ぼすまで離れない」
と、言っていると言うのだ。
私はその時まで知らなかったのだが
夫の父の実家は代々ダム建設をしている
大金持ちの家だったという。
その家の夫の曾おじいさんにあたる人が
ろくでもない人で沢山の悪いことをしていたと言うのだ。
都合の悪いものや邪魔の物は人でもなんでもダムに沈めていたという。
それらの霊が代々の長男に憑いているというのだ。
夫の父も長男だが家を出て別の仕事をしているので
そのことを霊能者に話すと
「武藤家」を滅ぼすまでは出ていても関係ないと言う。
「だからあんたの旦那の家にいると具合が悪いだろう。
それに子供もできないだろう。」
私はダムのことも、大金持ちのことも
全く知らなかったので半信半疑だったが、
それを聞くと『確かになぁ~』と思った。
私の最後の拒食症はまさに夫の父が亡くなって
同居しようと引っ越したその夜から始まった。
でも、実際、それ以外はそこで霊体験らしいこともなかったので
そんなこととは思いもよらなかった。
でも、霊能者にお経をあげてもらった後に
言われたことが一番驚いた。
私の母方の先祖の霊が
武藤家を恨んでいる霊につかまって
浄仏できずにいるというのだ。
正直「???」だらけだった。
私の母は静岡生れで、
親戚のほとんどは静岡だ。
夫の田舎は秋田で
どこでどうつながるのか
全く理解できなかった。
夫の実家の霊は恨みが強く
沢山の霊を集めて力を強くしているという。
そこに私の母方の
ダムに沈められた女性3人の霊が
つかまっていて浄仏させてくれと
頼んでいるというのだ。
何が何だかわからず
しかも最初の相談内容から
大幅に話もそれていて
義母と義弟のことは
その時はもう頭の中になかった。
私は
「では、料金はちゃんとお支払いするので
日を改めて、きちんと浄仏させてあげてください。」
と、頼んだ。
すると…
「あんたがやらなきゃダメなんだ。」
と、言われた。
その女性3人の霊が私に
浄仏させて欲しいと言っていると言う。
私はとりあえず、真面目な顔で
「はぁ、そうですか・・・。」
と、返事をしていた。
心の中の本音は
「何を言っているんだろうこの人は・・・。」
と、思っていた。
何もわからない私に
どうしろと言うのか、
まったく理解できずにいた。
「あんたがやるしかないな。
私では浄仏しないらしいから・・・。」
と、言うので仕方なく
「やり方を教えてください」
と、言うと
「あんたのやり方でいいから。」
と、言う。
それで話は終わってしまった。
その後、決心もつかないまま
母にその話をすると
母が心当たりがあると言う。
多分、母の父方の人たちだと言うのだ。
母の両親は母が幼い頃に亡くなっているのだが、
聞いた話では、どうも父は東北の方から来た人だと言うのだ。
母の両親は結婚を反対されて
駆け落ちしたらしい・・・。
多分、母の父方だと思うと聞いて
私は「やっぱりやった方がいいのだろうか?」
と思った。
夫に確認すると
本当に東北でダムを作っていたらしい・・・
考えても、どうしていいのかわからずに
とりあえず、どこの家でも仏壇に置いてある
おりんと線香立てと新しい灰を買った。
そして、一番簡単そうな般若心経の経本を買い
次の朝から、お線香を立てて
般若心経を唱えることにした。
朝早く、まだ太陽も出てないうちに
一人真っ暗な部屋で
新しい線香立てに線香を立てた。
そして、おりんを鳴らし、読経を始めた。
すると不思議なことが起こった。
初めて使う線香立ての線香が
下の方からも燃えてきたのだ。
私は暗い部屋の中で
「ヒェ~、どうして?」
と、恐怖に震えながらも
ほんの少し残る理性が
「とにかく最後までやらなきゃ。」
と、頑張っていた。
線香が燃え尽きるまで読経すると
決めていたので、とにかく読経に集中し
後はなるべく考えないように頑張った。
後で、その話を霊能者にすると
「読経を始めてくれてありがとうと言っているのだ。」
と、言っていた。
とにかく眠くて目を開いていられない。
眠ってしまったほんの短い間にヴィジョンを見た。
観音菩薩か阿弥陀如来かわからないのだが
黄金に輝く仏様が現れて
その両隣に3人の女性が
やはり黄金の光に包まれて
上の方へ上がっていく。
どんどん上がって
光が消えた途端に目が覚めた。
私は
「浄仏させてくださりありがとうございました。」
と祈った。
きっと仏様が連れて行ってくれたのだと思う。
もう20年位前のこと
私の人生にとても大きな影響を与えた霊能者に出会った。
自分の人生で次々と
色々なことが起こったときで
どこに進んでいいのかもわからない頃に
ある人から
「上野に当たる霊能者がいるよ!」
と聞いた。
『霊感』という文字を掲げているから
すぐにわかるというので
ブラブラと行ってみた。
すぐにわかった。
とても痩せた背の高い年配の男性が
上野の階段のところに座っている。
見た目は霊能者の雰囲気バツグンなのだが
なんとなくインチキ臭い感じがするのだ。
なぜなら、スーツ姿でビーチパラソルの下に座り
「霊感」という文字は
うちわに書いてあるのだ。
しかもパラソルに貼ってある紙には
「黙って座ればピタリとあたる!!」
と書いてある。
だから第一印象としては
「この人、大丈夫かなぁ~?」
という感じだ。
でも、思い切って
霊視をお願いしようとそばへ行くと
私の顔を見るなり
「あんた、拒食になるだろう。」
と、言うのだ。
私は本当に小さい頃から
時々急に拒食になるので
内心、驚いた。
その人が言うには
私の前世が韓国人の呪術師で
強い霊感と向かう時は
断食をしていたと言う。
そのなごりが今世にも残り
強い霊体が近くにいると
勝手に身体が断食に入るらしい。
その時、彼が
「前世は、所詮、ただの前世だからな。」
と、言った。
私はそれを聞いて
「そうか、ただの前世なんだ。」
と、思った。
それからは一度も拒食症にならない。
その一度の鑑定で拒食症は消えてしまった。
注)拒食症の話はこちら
その鑑定の時
「1回6000円」
という紙が貼ってあるのを見て
私は
『1万円札と5千円札しかなかった気がするけど、
この人おつりの用意しているかなぁ?』
と、頭の中で考えてたら…
「5000円でいいよ。」
と、すぐに言った。
考えを読まれて本当に驚いた。
2回目に訪れたのは
知人から義母と義弟のお告げの話を聞かされ
相談に行ったとき
はじめての浄霊をすることになったときである。
注)はじめての浄霊の話はこちら
その時に、お経を唱えてもらった。
上野にある寛永寺を借りて唱えると言う。
とっても立派なお寺で
勝手に使っていいのかと思っていたら
お寺の人に
「どうも」
と、常連客のように挨拶している。
「長くなるから、あんたは座っていていい」
と言う。
意外と優しい人なんだと思った。
それから40分位、
どこの言葉かわからない言葉で唱え続ける。
聴いているととても落ち着いてくるお経であった。
どこかですごい修業をしていたような気がした。
気づくと、後ろにたくさんの寛永寺のお坊さんたちが
手を合わせていた。
この霊能者は一体何者だろう・・・
帰り道、
どうして階段に座って
霊視しているのかを聞いてみた。
すると
「今は自分の修行の時だ」
と言う。
ずっと、政治家や事業家など
お金持ち相手に霊視していたが
お金にまみれた生活に
嫌気がさしてきたと言う。
上野の階段で
暑い夏の日に脱水症状で
2度も救急車で運ばれたと言ってた。
救急車で運ばれた話の時は
少し得意げな感じで
面白い人であった。
護符を送ると住所を聞かれたのでおしえたら。
その後、律儀に毎年、年賀状をくれた。
修業の時が過ぎた後は
若い女性と再婚し
人生を楽しんでいるとの報告もしていただき
本当に不思議な人だった。
再婚の報告の年賀状の写真は
前とは全く人相も変わっていて
なんとなく、どこかを過ぎて辿りついた
喜びのようなものを感じた。
今はどうしているのかわかならい
あの頃、70歳前後だったと思うので
もう生きていないのかもしれない…
私を救ってくれた楽しい人
私の人生を変えた不思議な人
感謝しかない。
私が幼稚園くらいの頃のこと
父方の亡くなったおばあちゃんの法事が
我が家で行われた。
その頃の家は古い木造で
縁側があり、土の庭が広かった。
家の中に大きなローソクが一本立てられて
庭には数えきれないと思わせるほどの
小ぶりのローソクが立てられた。
何かの儀式をやるらしかった。
その時、まじない師のおばさんが
私を庭へ出して話してくれた。
「見てごらん。
庭のローソクはピタリと止まって
炎が動いていないのに
部屋の中のローソクは
あんなに動いている。
あんたのおばあさんが
行ったり来たりしているからだ。」
見ると、
夕方のうす闇の中に立つ
庭のローソクの炎は
どれもみな少しも動かず
ピタリと静かに燃えていた。
でも、縁側から見る
部屋の中のローソクは
ゆらゆらと激しく動いている。
するとまた
そのまじない師のおばあさんは
私の手を引いて
庭のローソクの前に
かがませると言うのだった。
「溶けて流れるロウをよ~く見てごらん。
どれもみな小判の形になっている。
これから、この家が繁栄する証だ。」
よく見ると、
本当にローソクから
溶けて垂れているロウが
みんな小判形に綺麗に揃っていて
しかも、横に何本も線まで入っている。
幼稚園の私でも
それが小判の形であるとわかった。
庭にたくさん並べられた
小判のロウを落としている
ローソクの炎の美しさが
とても心に残っている。
今でもはっきりと
思い出せるほどである。
法事の後、私は嬉しくて
母にそのまじない師の話をした。
すると母は
「嘘を言ってはダメよ!」
と、怒った。
そのまじない師は韓国語しか話せないから
話ができるわけがないと言って怒っていた。
でも、不思議と声まで思い出せるほど
鮮やかに記憶に残っている出来事だ。
そして、その後、
急速に父の会社は大きくなっていった。
私の主人の実家には
ずっと未成仏霊がいた。
もう何十年もの間
他の未成仏霊を巻き込みながら
どんどん大きくなる。
私には熊のような
毛皮のチョッキを着た
身体の大きな真っ黒な男性と
姿がはっきりしない
小さな影が見えた。
それがわかったのは
主人と結婚して
5年ほどたった頃である。
最初の頃は
主人の弟の引きこもりが判明したり
結婚後3年たった時に
主人の父が亡くなり
慣れない仕事を手伝っていたせいなのか
ずっと体調が悪い日が続いていたのだが
まさか、未成仏霊とまでは気づかなかった。
その大きな男の影も見えなかったし
主人の家に行くと体調が悪くなることくらいしか
起こらなかったので、そこまで考えなかった。
結婚当初はなんとなく
主人の実家へ行くのが嫌だと思っていたが
それは、ただ気を使う自分の性格のせいだと思っていた。
義父も少し酒癖は悪いが
誰とでもすぐに仲良くなる
明るい人だったし
義母も優しい人だった。
ただ、本当に何となくなのだが
物事が少しずつ暗転していくような
不安はいつもつきまとっていた。
結婚して3年が経った頃
義父が急死した。
前の日まで元気だったのが
急に心不全で亡くなった。
その夜は妙な夢を見た。
夢の中で私は
見たことのない部屋で
事務机の前に座っていた。
机のすぐ隣にはガラス戸の入り口があって
ガラス戸の向こう側の道に
義父が立っていた。
そして私にこう言うのだ。
「真美、頼むな!
眞実にしか頼めないから
頼むな!」
・・・と、
私は慌てて椅子から立ち上がり
外へ出て
「おとうさん!私に頼まれても無理ですよ!」
と言いながら
追おうとするのだが
もう姿は見えない。
夢の中の義父の必死な姿と
やけに明るい白昼夢のような感じが
とても印象に残り、はっきりと覚えていた。
それから初めて義父と主人がやっていた
会社の仕事場へ行って、とても驚いた。
夢の中で見た部屋そのままだった。
私は義父が何を頼んだのかわからないまま…
でも、仕事のことや義母のことだろう
と、位にしか思っていたのだが
今となっては全く違っていたことがわかる。
それからは大変な日々が続いた。
義父が夢に出たこともあり
私は変な責任感で動いていたと思う。
すぐに主人の実家で同居したり
慣れない仕事を手伝うことで
体調はいつもとても悪かった。
同居しだしたその夜から
拒食症のような症状が出て
少し良くなったり、また悪化したりして
体重はどんどん減っていく。
仕事の方は主人も頑張っていたので
なんとか順調に借金返済も進んでいた。
でも、義弟のことや
自分の体調や
義母との折り合いはどんどん悪化し
結局、一年ほどで同居は終わった。
今はよくわかる。
義弟への対応などを
私が口うるさく言ったりしていたことは
結局、義母にも
そして主人にも
重荷だったと思う。
変な責任感で空回りしていた私は
結局、いろんな風に何かを壊した。
私は自分本位に迷惑な偽善を押し付けて
相手を責めてばかりいたのだ。
同居をやめて
主人と二人でマンション暮らしが始まって
ほどなく、仕事関係の人から突然電話があった。
その人は私に
「あたなのおかあさんとおとうとさんは仲が悪いでしょう」
と、聞く。
私は最初、実の母と弟のことかと思い
「そんなにベタベタと仲良くはないが
仲は悪くはないですよ!」
なんて答えていたが
どうも話を聞いていると
義母と義弟のことらしいのだ。
私はどうしてそんなことを聞くのかと問うと
その人はびっくりするようなことを言う。
義母と義弟が殺し合い、
いずれどちらかがどちらかを殺すというのだ。
正直、内心とても腹が立った。
突然、電話をかけてきて
頼みもしない『お告げ』を聞かされて
しかも、そのお告げとやらは
とんでもなく不吉なことだ。
仕事関係の人でなかったら
怒鳴り返していたかもしれない。
でも、一度聞いてしまうと
まるで呪いのように
頭から離れなくなった。
そして、例の霊能者を訪ねることにしたのだ。
霊能者は義父の実家にある因縁を伝えてくれた。
義父の実家は昔から
土木関係の仕事をしていたのは知っていたが
霊能者が言うにはダムを建設していたそうだ。
大金持ちの家らしい。
義父は長男だが、その仕事は合わなくて
東京へ出てきたらしいのだが
義父のおじいさんに当たる人が
どうしようもない人で
色々な悪いことをしていたらしいのだ。
その時に、義父のおじいさんに騙されて
ダムに沈められた人が
恨みを持ってずっと憑いていると言うのだ。
その悪霊が
「武藤家を根絶やしにするまで祟ってやる!」
と、言っていると言う。
しかも、そのダムに私の母の祖先も沈められていると言うのだ。
信じがたい話で
最初は一体どうなっているのだろうと
考えるのも面倒な感じであった。
でも、霊能者が言うには私の母の祖先は
何とか浄仏したいと言い、
私にそれをやってくれと
頼んでいるらしい・・・
主人に話をすると
確かに小さい頃
おじさんたちがダイナマイトを使って
サカナを獲ったりしてくれたことや
田舎の家はとてもお金持ちだったということや
一度主人の父がダムの近くを
車で通っていた時に
とり憑かれたように
スピードを上げだしたことが
あったことなどを話してくれた。
母も母で、その話には思い当たると言うし
それで、何もわからないまま
私は浄霊を始めることにしたのだ。
仏様の力を借りて
母の祖先たちは浄仏できた。
でも、何度チャレンジしても
武藤家に憑いている
未成仏霊は全く駄目であった。
魔物化し、時には人の形もしていなくて
言葉も通じないようであった。
こんなことがもう20年以上続いていたのだが
この春に転機が訪れたのだ。
この春、
スピリチュアルな仕事をしている
人々は、よく話していたのだが
とても大きなエネルギーの動きがあり
私もそれに影響を受けて
体調を崩してしまう。
熱や酷いめまいなどで
立ち上がれないことがあり
そんな不安定な状態が
3週間ほど続いた。
その後、急に今までになく
力が湧いてきて
『浄霊しよう!』と思い立った。
この20年くらいは
私の精神は時々とても不安定になり
主人も大分そのせいで
辛かったと思うが
自分でもどうしようもなく
わけがわからなかった。
それが5月に入り
浄霊できるという妙な確信が生まれたのだ。
般若心経を唱え、
霊視で見る
未成仏霊に光をしみ込ませようとする。
すると、
今まで全く受け付けなかった光が
ほんの少し表面にまとわりつきだしたのだ。
すると私にも不思議なことが起こった。
すぐ近くに置いてある
電話機のライトが点滅を繰り返す。
受信した時に点滅するライトが
受信もないのに
ただ数回点滅したのだ。
何かが起こっていることがわかった。
すると、私の口から自然に言葉が出た。
「武藤家の祖先が行った
酷い仕打ちを心から謝罪します。
どうぞ、お許しください。
私たち夫婦にも子供はありません。
私とあなたは本当はひとつのものです。
幻である『思い』を捨て去り
どうか新しい道へ
踏み出せますように。」
それは未成仏霊に向かって言っているのか
自分に向かって言っているのか
よくわからない感じだった。
その日は未成仏霊の表面に
光が少し浸透したと言う感じだった。
その時にそのとなりに
小さな石ころのようなものが見えて
そこにも光が僅かにしみ込んでいた。
浄霊は7日間続いた。
7日目の朝
日に日に少しずつしみ込んでいく光が
とうとう芯まで辿り着き、
最後ははじけて消えていった。
隣にあった石のようなものも
金色に輝く石になり
弾けて消えた。
何となく、その石は
義父だったような気がしていたので
主人にそのことを話すと
義父は生きている頃
「人間は死んだら石ころ同然だ!」
と、言っていたと言う。
今になって義父が私に頼んでいたことは
これだったのではと気づいた。
禅タロットの遠藤弘美さんが
陰陽五行で今は地球全体が
『土』から『水』の時代へ移っていて
色々なことが表面化したり
浄化されたりと、魂が進化しているという。
その言葉の通り
何か自分の力の及ばないところで
動いていった感じだ。
自分の見ている世界は
自分自身の投影だ。
私は心のどこかで
上手くいかないことや
自分の弱さを人のせいに
してきた気がする。
主人のせい…
義母のせい…
義弟のせい…
その他〇〇のせい…
どこかでそんな自分に気づいていても
どうしても不安になったり
上手くいかないと
そんな風に心の片隅で
人のせいにしながら
安心しようとしていた。
そんな自分をとても嫌だと感じたりしながらも
弱い自分がそうせずにはいられなかった。
はぴねすで艶さんや弘美さん、ここさん、
紅萌さん、その他色々な人たちと交流しているうちに、
私の中でそんな弱い自分を嫌がるのではなく、
受け止められるようになっていった。
今でも時々、主人相手に
何とか自分を主張しようとする自分に
気づくことがあるが
そんな時でも、今はどこかで
そういう自分をその時だけ
許してあげられるようになっていった。
そうなって初めて
未成仏霊と自分が
同じように感じることができて
心から素直に未成仏霊に
語りかけることが出来たのだと思う。
浄仏してくれたので
もう義母と義弟は殺しあうことはないはずである。
何となく、自分の中で
ひとつ大きな山を越えた気がする。
母がステントを入れる短い入院の時のこと
病院に私が行くと母が
「ゆうべ、ガブリエルが来た」
と、言うのだ。
私はびっくりした。
母はいつも阿弥陀如来様に手を合わせている人で
多分、ガブリエルなど知らないと思っていたので驚いた。
確かに私の幼稚園はキリスト教系だったのだが
今まで一度も母から『ガブリエル』とかキリストの話は聞いたこともない。
私が「どうしてガブリエルだとわかったの?」と聞くと
夜中に目が覚めると
ベッドの脇に金髪の男の人が立っていたので
「あなたは誰ですか?」
と、聞いたら
「私はガブリエルです。」
と、言ったと言う。
そして
「あながた死ぬときは私が迎えに来ます。」
と、言ったそうだ。
私は「へぇ~」なんて曖昧な答えを返していると
「だからその時は歩かなくてすむように
ゆりかごのようなもので迎えに来てくれと頼んでおいた」
・・・と、母は言ったそうです。
笑ってしまった。
大天使だと言うことを知っているのだろうかと思った(笑)
※大天使ガブリエル
聖書においてガブリエルは
「神のことばを伝える天使」
世界の名画に数多く登場する大天使
有名なのは「受胎告知」
フラ・アンジェリコやレオナルド・ダ・ヴィンチ、エル・グレコなどの傑作
*10代半ばの初々しい聖母マリアに、「あなたは神様の子どもを身ごもります」と伝える美しい青年の姿として、大天使ガブリエルが描かれているそうです。
ガブリエル(Gabriel)の名前の意味は、「神は我が力」
神様からのお告げである「夢」を解説する役割
神様からのメッセージは夢の中で示されることが多いのですが、夢の意味が分からないこともよくあります。
大天使ガブリエルは、そんな人の前に現れて夢の意味を解説してくれる役割があります。
★3つの伝説
・夢解き
・受胎告知
・アダムとイブに「希望」の贈り物
★私たちに与えてくれる気づきや希望のパワー
・スピリチュアルな気づき(夢・深層心理・第6感)
・私利私欲を超えた純粋な愛と真理を信じる
・困難の中でも希望を持ち続ける
・本当のことを早く正確に伝える
・妊娠中や不妊治療中の人を励ます
もう7年前位に亡くなった母
元気だと思っていたのに
癌が見つかったときはもう末期で
お医者様のすすめや、母の希望もあり
治療などは行わず
できるだけ楽に過ごすという方法がとられることに決まった。
妹に
「ヒーリングをしてあげてよ。」
と、言われた。
私は元気を装って
「うん!わかった!!」
などと返事をしたものの
心の中はパニック状態で
もうどうしてよいのかもわからなかった。
「ヒーリングなんてとてもできないよ。」
と、心の中で言っていた。
母はお姫様気質の人で
世間知らずでわがままで子供っぽくて
いつも気にかけてあげないとダメな人だった。
私は長女で、きっと心配だったのだと思うが
それこそ「あれはダメ」「これはダメ」と
禁止ばかりで育てられたように感じていた。
でも、父が亡くなった後、
世間知らずの母が私たち姉妹を
必死に育ててくれたこともとても分かっていた。
だから、私にとっての母は
『口うるさくて一緒にいるのはとても苦しいけれど
世界で一番愛している人』
だった。
そんな大切な母がもう少しでいなくなると考えただけでも
何も手につかなくなり、考えることもできなかった。
ただ、その日、一日、
母のところへ行き、ただ終わっていく。
それで精一杯。
何をしていたのかも思い出せない一週間だった。
そんなある日の夜
眠れない日が続いていた中で
ウトウトと眠りに入ると
誰かが私の横に座っている。
みると私にエネルギーワークや霊視のやり方を教えてくれた
スピリチュアルスクールの先生だった。
とても怖い先生で、私は質問すらロクにできないほどであった。
私は驚いて彼女をみると
彼女はその当時の怖い顔のままで
「一体、あなたは私から何を学んだのだ!!」
と、言って消えた。
不思議なことだが
それで私は落ち着きを取り戻し
母にセルヒーリングをやれるようになった。
その夜、先生がバラバラになった私の中の何かを
ひとつにまとめてくれたような感じだった。
セルヒーリングを始めるようになると
ヒーリング中にほんの数分間だが
母は眠りに入り
様々なビジョンをみるようになった。
その中で忘れられないものがいくつかある。
ひとつは、きっと母の
インナーチャイルドの解放だと思われるものだ。
母は小さい頃に両親を亡くし
親戚に預けられたり
思春期の頃はもう働きながら
たった一人で生活していたと思う。
兄弟もいたのだが
子供らしい経験はあまりなく
必死に生きたと思う。
胆管が狭くなっているので
ステントを通す処置のため
短い入院をした時のことだ。
処置室に入る前に
病院のベッドでセルヒーリング中に見たビジョン。
「明かりが灯る広い白い道を歩いている。
道の両側は砂浜のような
でも、木立もある。
歩いていると道の両側から
ピョンピョンとウサギのように可愛らしい
幼稚園児たちがたくさん飛び出してきた。
色とりどりの体操の帽子を被っていて
みんな本当に嬉しそうに笑っている。」
そんなビジョンの話をしてくれた後
母は処置室へ入って行った。
2時間程して処置が終わり
病室へ運ばれてきた母は
私の顔を見るなり
子供のように泣き出した。
看護士さんたちもいるのに
そんなものは目にも入らぬように
延々と泣いている。
私は
「疲れちゃった?」
などと言いながら母の手をさすっていた。
次の日に病院へ行くと
母が話してくれた。
昨日、子供みたいに泣いた日の夜中に
ふと目が覚めたと言う。
そして、とても満たされた
幸福な気持ちに包まれたと言うのだ。
その中で
「あんな風に泣いたのはいつ以来だろう?」
と、考えてみたら
一度もなかったことに気付いたと言う。
深い安心の中で
「なんだかすごくスッキリした」
と思ったらしい。
きっと、母の中にいた
沢山の子供たちが
外へ飛び出していったのだ。
セルヒーリング中に母が見たビジョンで
私にも大きな気づきを与えてもらえたものがある。
それはこんなビジョンだ。
『白い美しい壁を誰かがフォークのようなもので
ギーギーと傷つけている。
母はたまらず「そんなことしないで!!」と
その手を掴んだ。
すると、それは自分自身の手だった。』
このビジョンの話をしてくれた時
母が言った。
「私は今まで色々な人たちが
私を傷つけたと思っていたけれど
本当は私を傷つけていたのは
私自身だったんだね。」
私はとても驚いて
なんだか感動してしまった。
母は深いところで大きな気づきを得たことがわかった。
きっと内なる神に触れたのだと思った。
人は誰からも傷つけられることはない。
もし、傷ついてのならば
それは間違いなく
自分が自分を傷つけたのだ。
その反対に自分を幸せにできるのも
自分だけである。
なんだかとても嬉しい気持ちになった。
その日の夕方のこと。
電気もつけない部屋に
夕暮れの美しい色が入り込んでいる。
静かな光と影が混在する部屋の中で
私は母のベッドの脇に座り込み
ボーっとしていた。
するととても不思議な感覚が私を包んだ。
もう何十年も昔のことや
子供の頃の思い出などが
ついさっきのことのように
思い出されるのである。
私は思わず母に言った。
「なんだか、すごく昔のことが
さっきのことのように感じられる。」
・・・と。
すると
「私も同じ。本当についさっきのことのようだ。」
と、母も言う。
人生はほんの一瞬だと言うことを
母と一緒に全身全霊で感じられた。
私たちは何だか面白おかしくなった。
父が亡くなってから
「誰にも馬鹿にされないように!」
とか
「しっかりしなきゃ!!」
とか
力ばかりはいっていた。
私が母に
「なんであんなに必死になってたんだろうねぇ」
と、笑いながら言うと
「本当だね!」
と母も笑った。
一瞬であり
そして永遠でもある
宝物のような時だった。
セルヒーリング中にみたビジョンで母が一番嬉しかっただろうと思うものがある。
その話をしてくれた時の
母の顔がとても幸せそうにみえたのだ。
それはこんなビジョンだ。
「自分はいつものようにベッドに寝ている。
すると手のひらにのるほどの
小さい天使が2人やってくる。
羽をパタパタさせながら
本当に小さいスプーンで
母の口へ何かを運び食べさせてくれた。
その話をしながら
「何を食べさせてくれたのか
わからないけれど
すごく可愛い天使で
本当にすごく小さいスプーンだった。」
と、嬉しそうにしていた。
目を閉じて
まるでビジョンの名残を
見ているように微笑んでいた。
その数日後に母は旅立った。
母が亡くなって通夜や告別式が終わりはじめて自宅へ戻った夜のこと。
眠ろうと布団の中でウトウトしていると
私の頭の方からキラキラと光る黄金の霧のようなものが流れてきた。
みていると、その霧の中に母がいる。
私が小さい子供の頃の若い美しい母の姿だ。
私は思わず
「元気なの?」
と、きいた。
すると母は
「元気だよ。ありがとうね。」
と言って消えた。
亡くなってもいなくなってしまったわけではないとわかり嬉しかった。
そういえば、亡くなる1か月くらい前にこんなことがあった。
掃除機をかけている私をベッドで横になりながらジッとみていた母が言った。
「○○(妹)は四角く掃除するけどあんたはまあるく掃除するんだよね!!」
要は妹は隅から隅まできれいに掃除するが私は雑に掃除をすると言っているのだ。
病気だから怒ることもできないので
「はいはい!雑な娘で申し訳ございません」
と、心の中で言いながら掃除していた。
母は何でもきっちりと丁寧にやる人で私はみごとに大雑把。
その日、母に聞いてみた。
「どこかの人生でまた一緒になるときはどんな関係がいい?」
正反対の私だから母はきっと『先生と生徒』とか『男友達』とか言うのだろうと予想していたが違った。
「姉妹がいいね。お互いの心の中が何でもわかり合えている中のいい姉妹がいいね。」
「うん。そうだね!それがいいね。」
・・・と、私。
またきっとどこかで一緒の人生を送ることができる。
人生なんてほんの一瞬だし、別れなんてないも等しい。
真実はいつでも一緒にいるのだ。
死は終わりでも別れでもない。
次に会うのを楽しみしていればいいと思う。