社会

「手のひらに乗るくらい」で生まれた双子 大手術を乗り越え小学校を卒業 支え合った「宝物の6年間」

重い障がいを抱えながら小学校を卒業した永山幸奈さん(右から3人目)と幸果さん(同1人目)、筋ジストロフィーを患う父の盛彦さん(左端)、母の千賀子さん=20日、与那原町の与那原東小学校

 【与那原】生きていてくれてありがとう―。体が不自由で知的障がいのある双子の永山幸奈(ゆきな)さん、幸果(さちか)さん(12)=与那原町=が20日、与那原東小学校を卒業した。予定より3カ月早く生まれ、一時は命が危ぶまれた。父親の盛彦さん(49)自身も難病の筋ジストロフィーを抱え、家族や周囲の支えを受けて子育てに励んできた。まな娘2人の旅立ちに「中学生になるとは想像もできなかった。よく頑張ったね、と言いたい」と目を細めた。


「生後100日祝い」で初めて対面した双子の永山幸奈さん(左)と幸果さん。衣装は母親の千賀子さんの手作り(永山盛彦さん提供)

 幸奈さんと幸果さんは「手のひらに乗るくらい」(盛彦さん)の大きさで生まれた。県立南部医療センター・こども医療センターの新生児集中治療室に入り、医師からは「いつ何があってもおかしくない」と言われた。生後1カ月で幸果さんが壊死(えし)性腸炎を患い、大手術を受けた。母親の千賀子さん(46)は「あまりにかわいそう。もう治療をやめよう」と思わず口にした。

 幸奈さんが生後6カ月、幸果さんが生後10カ月で退院し、盛彦さんも「これが空気だよ」と言い聞かせて喜んだ。それもつかの間、2人に重い重複障がいがあることが分かった。「俺が障がいを持ってるのに、どうして子どもにまで…」。あまりの現実に盛彦さんは言葉を失い、千賀子さんは娘を抱き締めて泣いた。

 2歳から保育園に通わせ、ヘルパーも利用した。負担は幾分和らいだ。ただ幸奈さんは車いすを使い、自立歩行できる幸果さんも段差は越えられない。小学校はバリアフリーが整った与那原東小を選んだ。特別支援学級に在籍しながら、音楽や体育などはクラスメートと一緒に学んだ。学習用タブレット端末の導入など、行政や学校の支援がありがたかった。

 筋ジストロフィーは筋力が徐々に低下する病気で、盛彦さんは9年前から車いすを利用している。それでも小学校で絵本の読み聞かせを6年間続け、自宅では毎日、娘に手を添えて文字を教えてきた。布団に入って2人の誕生からこれまでを思い出すと、後から後から涙が込み上げてくる夜もある。「何気ない日常の中に成長を感じて、サプライズと感動があった」

 迎えた20日の卒業式。2人は紅白の花飾りが付いたスロープを上り、卒業証書を受け取った。真面目で頑張り屋の幸奈さんは「ケーキ屋さん」、ひょうきんでムードメーカーの幸果さんは「歌手」と、それぞれの夢を壇上で発表した。大きな拍手に包まれる中、両親はその様子を見守った。

 千賀子さんは「つらいことがあっても、2人の笑顔を見たら幸せだと感じる。『卒業おめでとう。ありがとう』と伝えたい」。盛彦さんは「小学校の6年間は私たちの宝物。優しくて強い、思いやりのある人に育ってほしい」と話した。幸奈さんと幸果さんは旧友と別れ、4月からは県立島尻特別支援学校に進学する。(真崎裕史)



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