スカーレット感想あらすじ

スカーレット144話あらすじ感想(3/21)終わるようで終わらない世界

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スカーレット144話
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    すっぽんを持参で大阪から来たおばちゃん

    そしてここで直子が来ております。

    なんやでかいダンボール持っとるな。今日もファッションがアレやな。

    ※コレやな

    そして武志が友達と大阪行ったと聞くと、「入れ違いやん!」と言うのでした。

    「来るなら来るいうてえや」

    喜美子がそういう。

    おい直子ぉ、連絡なしで来とったんか。武志たちは、服を見たり、映画を見たりしていると喜美子から聞かされ、直子はこうです。

    「なんや、他愛ないなぁ」

    それやで。他愛ないことが大事や。じゃあ直子は重大な要件かと思ったら、布袋さんが力をつくから持ってけと言った、すっぽん持参でした。

    おっ、すっぽんやな!

    NHK大阪でありながら、どて焼きもすっぽんも出てこないのは、残念やと思っとったとこですわ。直子は一人で、大阪新世界の空気を持ち込んでくるからすごいわ。もうこれは名誉大阪府民待ったなしやろ。

    ※すっぽんやな!

    そこへ真奈がやって来ます。

    喜美子が「武志おらんけどあがっときぃ」と言うと、直子が反応してます。

    「あ〜武志の? そういうアレなん?」

    でた。おばちゃんのそういうアレや。

    このあと、すっぽん鍋を皆さんで囲んでおります。川原姉妹、親友トリオ、真奈です。

    「結局何買うてきたん?」

    そう言われて、三人はお揃いの横縞シャツを見せます。選んだの学、決めたの武志、気に入ったのは大輔だってよ。

    「かわいい〜」

    真奈がそう言うと、直子がコレや。

    「真奈ちゃん、女のかわいいに男は甘やかされる」

    直子はそう言い、その辺に売ってたんちゃうとチェックを入れつつ、「大阪の匂いがせえへんな」とダメ出ししております。トリオは素直にシャツの匂いを嗅いでいますが、それでええとは思います。

    だって、直子の言う大阪の匂いって、きっと鮫島の着とったやたらと派手なああいうアレですよ。滋賀県民には濃すぎやろ。同じ関西でも、県民性の違いが出ております。

    この鍋を囲む人たちは、こうしていつもと変わらない一日を過ごすのでした。

    それにしても、桜庭ななみさんと松田るかさんは数歳差ではないですか。

    それなのに、かたや大阪のヒョウ柄おばちゃん、かたや滋賀県の可愛らしい女の子です。

    ヘアメイク、衣装、演技の力ってすごいな。NHK大阪は、受信料を景気良く関西おばちゃんの研究につぎ込んでいてすごいわ、嫌味やなく。

     

    直子おばちゃんは恋人作ったらええと思っとる

    直子はこのあと、武志にこう言います。

    「薬どんな味すんの?」

    「そんなん聞かれたの初めてや」

    「おいしいわけないわなあ。やってられんわ」

    戸惑う武志、ぶっきらぼうな直子。そういえば、大野忠信は膝の薬が苦いとこぼしていましたっけ。

    「言うなぁ」

    「直子は言うでぇ」

    武志は驚き、貴美子はそれを肯定します。

    そういえば直子は幼少期からそうでしたね。あんな小さな、乳歯が抜けた子役の頃からズケズケと言いました。そんなこと言われてもどうしようもない、喜美子が空襲で直子とはぐれたことも責めていましたっけ。喜美子はそんな妹を理解しきっています。

    そういう本質は変わっていない。みんな、鮫島の気持ちがわかったな! そういうことだぞ。

    「髪の毛抜けた?」

    「ちょっとな」

    「辛いことない? ないん?」

    「あるとしたら作品なかなできひんことやな」

    ここの直子のセリフは、書く方も、許す方も、演じる方も、勇気はいると思う。ただの無神経なおばちゃんにしか思えない。このあと、今日はええ気分転換になった、すっぽんもそうなったとフォローされて、気遣いがわかります。

    腫れ物に触れるような周囲の態度が、つらいこともある。そしてそれが正しいとされがちじゃないですか。

    障害があるとか。マイノリティであるとか。

    そういう人物をドラマからなかったことにして排除することを、NHKはじめテレビだって続けてきたわけです。そういうことでええんか? いかんでしょ。腫れ物扱い以外にも何かあるんじゃないですか。

    直子はそしてここで詰めて来ます。

    「彼女ええやん、真奈ちゃん! ちゃんとつきあいぃ!」

    八郎をどつきたい欲求はいつ子が、真奈とつきあえ欲求は直子が――視聴者の思いを叶えて来ました。

    「今度ドライブ連れてったる! 武志と真奈ちゃんが愛を語り合うためのドライブや。なってもええやん、なんでならへんの? おいしくもない薬飲む日で、恋愛したってええやん! 恋人作ったってええやん!」

    武志が戸惑って彼女とはそういう仲でないとかなんとか言っても、直子には勝てないのです。

    「もう寝るわ」

    「まだ話終わってない!」

    そんな直子に参ったのか、苦笑しつつ武志は寝ると告げて出ていくのでした。

    直子の圧力がすごいな!

    でも、直子は相手を見ているからだとは思います。誰がいてもそうするわけでもない。真奈と武志の間に、何か火花のようなものを感じたから押してくるのでしょう。

    これって大事なことではあるんですよね。

    例えば、かつては何かがあったとはいえ、照子と信作だとか、昨日出て来た圭介と喜美子とか。彼らを押すのはなんか違うわけです。前者は状況的にありえへんとはいえ、喜美子に再婚を勧めている様子はない。直子は直子なりに、そんなことをすれば余計なお世話で、最悪姉妹間で血の雨が降りかねないとわかっているのでしょう。

    喜美子は珍しいヒロインなんですよ。恋愛体質じゃない。八郎と燃えて終わりでええやん。そういうタイプです。ドラマ鑑賞が恋愛主体ですと読み違いが生じかねない、そういう難しさはありますね。

     

    ねらい通りに出せる色、出た色

    穴窯が終わりました。喜美子はその壺を見せます。武志は、その作品を見て驚いています。

    「こういう色出るんや……」

    「ねらい通りや」

    「ねらってこういう色が……」

    喜美子はねらって出してると断言します。

    自然釉であっても、十年以上やってるとわかってくる。炎の流れが想像できるようになってくる。どこに置いたら、どういうふうに灰がかぶって、どういう色に焼き上がるか。

    「景色を想像していくんや」

    喜美子がまるで炎の女神のようなことを言い出しました。自然釉ってそういうものかと驚く方も多いことでしょう。

    ここでじっとカメラが映す壺そのものも、驚きを持って見ている武志の目も、そこに説得力を持たせます。

    穴窯で焼き上げた最初の作品は、素晴らしいけれどもどこかアンバランスなところはありました。

    それも魅力的でしたが、熟練の冴えが見えてきます。

    本作の喜美子は、徹底して天才として描かれている。作品そのものは、神山清子さんから借りているとはいえ、それをどう表現するのか、そこは難しいはずです。

    『なつぞら』のイッキュウさんのビジョンをアニメ化するのと、どちらが難易度が高いのでしょうか。

    それに、天才描写としても地に足がついている一方、派手さがないので伝わりにくいかもしれない。

    イッキュウさんも「カラスがデモをするような」と言うものだから、周囲が困惑していました。

    彼らは自分の中で独自の理論を組み立て、なんか作品を出してくる。

    「そう(ここに壺を置けば、高温の炎がこう来て)なれば、そう(灰が重なって溶けてほんで思った通りのあの色に)なるやろ」

    その(  )内を説明せんかい! そう言いたくなるのです。それゆえ、本作は難しくなる。

    「あ……」

    ここで武志は、母の言葉から何かを思いついたようです。

    ろうそくをお湯につけて、筆を取る。そうして一心不乱に釉薬を重ねる。

    電気釜を開ける朝。
    朝日がカーテンと昭和らしい型板ガラスを通して差し込んでいます。

    高まる音楽の中で、武志は二枚の皿を取り出します。

    すぐに皿が見えず、皿に反射した朝日が武志の顔に当たり、そこにあったのは水が生きている大皿でした。

    そんな武志の姿を、喜美子はじっと見ています。

     

    彼らは消えない

    いよいよ来週で終わります。
    まだ終わることが信じられないような、そんな気持ちすらあります。

    次週予告でも、喜美子も武志も、懐かしい人たちも笑っている。生き生きとしている。病床の場面はない。幸せを語っている。

    滋賀の自然の美しさ、皆の笑顔の素晴らしさがそこにはあります。

    どう亡くなったか、死ぬ間際の姿よりも。どう生きていたか、元気だったころのことを記憶していて欲しい。そんなふうに語る何かを思いだしました。

    誰だって終わる日がくる。それまでどう生きるか。それこそが大事ではありませんか。

    さて、何かと重なることが、ちょっと怖いほどと言われている本作。またしても、話題となっているあるWeb漫画最終回と重なるような現象もあるようでして。

    どんなに流行しようと、自分が好きでなければどうでもええし。流行に乗っかることでセンスをアピールするつもりもさらさらないので。まぁ、なんかどうでもええのですが。

    ただアレと武志は、近い将来命が終わる、有限の存在としての消費はされていると思えました。

    生きていて欲しいと言いながらも、死ぬことを前提として感動を味わいたい。そういう欲求はあるんやろな。

    本作は、消えていくことよりも、残していくことを強調していて、そこが挑戦だとは思えました。

    どう生きるか。そこです。

    無神経なような直子も、そこをわかっているとは思いました。

    武志は、別れが相手を傷つけたらあかんから、前に進めないけれども。

    直子は、別れようが何だろうが、よい思い出になるから進めと押す。

    どう去るかではなくて、どう生きるか。そういう思いを感じます。

    これは終始一貫していたところではあります。

    幼い照子は、兄の恋する姿を胸にしまった。

    幼い妹の死を見て、圭介は医者になると決めた。

    ジョーが命を縮めてしまった家に、喜美子たちは暮らしている。

    悠太郎に至っては、三毛猫の思い出をヒットソング『さいなら』に昇華させた。

    失うことを味わってきた人々が、そのことを忘れずに進んでいくこと。

    そういう、終わるようで終わらない世界を本作は描いていると思いました。

    武志の魂は、水になって大皿に宿りました。誰かの心に波紋を残してゆく彼は、消えてしまうわけではありません。

    彼がどうなるのか、どうならないのか。

    そこを前提として過剰にハンカチを握りしめて号泣待機するよりも、彼らがどう生きていくのか見ていきたいと思います。

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    文:武者震之助
    絵:小久ヒロ

    【参考】
    スカーレット/公式サイト

     

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