○ 古昔雙城子と日本との関係
 雙城子のニコリスクにあって在留各民族の崇拝の的となり日本人は一般にこれを義経公の碑と称する古武将の碑は今は大亀の形の台石のみ在留邦人の所謂義経 公園内に残り、其の上に建てられた石碑は数年前露國人がハバロフスクの博物館に運び去ったのである。同地在留邦入医士の言に拠ると磨滅せる碑面には幽かに 笹龍膽と義の文字を読まれると云ふ。著者は其の事実を確めんと欲し浦潮斯徳に赴き旅行免状を得てハバロフスクに赴こうとしたが、當時ハバロフスクは過激派 に占領せられて居り我が官憲の注意にて行く事を許されなかったため後日の調査に便する為め古碑を建てた台石の上部中央に穿たれた穴の寸法を測るに我が曲尺 にて幅一尺長サ二尺四寸深サ八寸あり、而して此の寸法に毫厘の伸縮もないとすれば建造当時或は曲尺を使用したものであろう。台石なる亀の背の直径七尺一寸 背の中央の横幅五尺二寸首の太さ五尺五寸首の長サ二尺五寸胴の高サ三尺一寸あり。石は硬質にしてその磨滅せる古さから推考しても優に六七百年の星霜を経た ものであろうと思われ、其時代に斯かる巨石を丸彫りにして其の上に巨碑を建てたる人々の敬虔の念とこれを建てられた武将の徳望は盖し尋常一様のものでな かった事は何人にも想像される所である。