2004.12.01
この先が見えない「義経の系図」
 いよいよ足立正巳氏から送ってきた系図の断簡も最後になってしまいました。この系図が持ち込まれたのが足立正巳氏であったの か、或いは春日町牛河内の足立哲治氏であったのかはわかりません。いずれにしても、義経の子孫、彦孫に当たる女性が足立家に嫁いだという記録に満足し、そ れ以上の詮索はしなかったのでしょう。その女性が義経の子孫であるということを疑いもしなかったのです。

 そして、その義経の系図は3年後の平成12年12月23日、思いもかけない所から全編が発見されることになります。
 その系図は和紙に書かれていて全編20数メートルに及び、清和天皇(858)から始まって、昭和3年(1928)までの1070年間の詳細な記録です。

その内容に触れる前に、その三年間に私がさまよっていた探求作業の一部を番外編として取り上げてみたいと思います。
 私は、義経のところに書かれた、義経が成吉思汗になったという一言だけですでにこの系図に対して疑問を抱き、まるで不可能としか云いようのない無謀な野 心を燃やして、その真偽を確かめようと動き始めました。そのトップバッターとして私のヤリ玉にあがったのが小谷部全一郎の『成吉思汗は源義経也』だったの です。