「最後は下郎がしっぽを切られる」
私は安倍のルーツを探るべく、祖父の岸信介と大叔父の佐藤栄作兄弟の故郷、山口県・田布施を訪ね、実家跡や出身小学校の跡などを歩き回ったことがある。現在ではこの宰相兄弟の子ども時代を思わせるものは自然の景観を除いてはほとんど存在しない。
同じように、安倍の子ども時代どのような教育が施されたか、強い印象に残るようなものはないようだ。
ただ、安倍の血脈をたどると、岸、佐藤兄弟をはじめ、父親には元外相の安倍晋太郎を持ち、あまり知られていないが、遠縁には戦前の外相、松岡洋右がいるというように、大変な「政治一家」であることがよくわかる。
「政治一家」の血脈を背後に持ち、現在のこの国の行政トップである安倍。その安倍が従えるこの国最強の官僚組織、財務省本省のエリート局長の指示は、近畿財務局の1官僚にとってまぎれもなく絶対的なものに見えたことだろう。
それでも赤木俊夫氏は公僕としての良心の及ぶ限り抵抗した。
「ぼくの契約相手は国民です」(『週刊文春』)
この言葉が口癖の赤木氏にとって、本来公表すべき国有地の売却価格を伏せ、実は近隣価格の10分の1ほどの破格の安値で売っていたという森友学園の事実は我慢のならないものだっただろう。
森友学園前理事長の籠池泰典はこの土地に設立する小学校について、当初「安倍晋三記念小学校」と命名することにしていた。
この命名については安倍側から反対されて断念したが、安倍の妻、昭恵には名誉校長になってもらい、2014年4月25日に、この土地をバックに籠池夫妻が昭恵を挟んで記念写真を撮った。

大阪府豊中市の小学校予定地で撮影されたという安倍昭恵氏(中央)と森友学園の籠池泰典・前理事長夫妻の写真。特例承認の決裁文書の記述通り、右下に2014年4月25日の日付がある=菅野完氏提供
財務省近畿財務局が森友学園に破格の値段で国有地払い下げに動き始めたのは、この写真を近畿財務局の担当者に見せたことと、翌2015年の秋に昭恵付の政府職員が財務省に問い合わせたことが大きな契機になった(朝日新聞取材班『権力の「背信」――「森友・加計学園問題」スクープの現場』朝日新聞出版)。
その後の経過をたどれば、2017年2月9日に朝日新聞がこの問題を報道。
追及の動きを強めた野党の質問に対して、同17日に安倍が「私や妻が関係していれば、私は総理も国会議員も辞める」と答弁。
これを受けて同24日、当時の財務省理財局長、佐川宣寿が「(与党議員などの)不当な働きかけは一切なかった」と答えた。
その2日後の日曜日、26日の午後3時半だった。赤木氏夫妻と妻の母親が訪れていた自宅近くの梅林公園で、俊夫氏の携帯電話が鳴った。直属上司からの改竄作業指示だった。
この日以降、赤木氏にとっては煉獄の日々が続いた。「手記」を読む限り、公僕の使命感に徹していた赤木氏は、佐川理財局長を頂点とする改竄作業指示に可能な限り抗った。
しかし、抗いの果てには自身の使命感を枉げて改竄作業をしなければならない日々があった。
かつて組織ジャーナリストの一人だった私には、赤木氏の苦悩と諦めの心理が理解できるような気がする。
自身の使命感が巨大な組織の壁に正面衝突して、自身の小さな力では何一つ身動きできないことを知った時、組織人は巨大な力にねじ伏せられ、その力が静かに去っていくまで自分を殺して待っていなければならない。
しかも、赤木氏の場合、これに加えて検察庁の圧力もあった。