○ 建国の歴史に伴ふ国性
 抑も國というものが各々その建國の歴史に伴う性格を有していることは、なを個人の性格に於けるが如きものである、かくして國性の緊張したる時に於て国運 は最も旺盛となることは古今その揆を一にする。彼のアメリカの建国は和蘭の商賈と英国の清教徒に由ってその基を開かれ、英国の建国は北欧の海兇と羅馬の教 徒によって成り、日本は皇教を遵奉し尚武俗を成せる武人に拠って建國せらる。此故に今に至るも米国は依然商業と宣教に、英國は羅馬教の型を色濃く残す国教 と海軍に、日本は皇室中心主義と陸軍に各々其の特色を発揮して國を保つ所以である。然れば仮令列強國の協商を以てするも建国以来旁縛として其の國に存する 國性なるものは亡国に至らない限ち滅失し得らるべきものではない。彼のユダヤ民族の如きはその国が全く滅亡してから千八百五十餘年に及ぶといへども固有の ユダヤ教に拠って依然その民族性を維持し生存を保ちつゝあるのを看れば、縦ひ國亡ぶるも民族の全滅しない限りは國性國魂の滅ぶるものではないことは瞭然と している。世の人多く想ひをここにに致さず、三千年来連綿として世傅代承して来れる萬古不磨の尚武的精神を存する故を以て日本を軍国主義の國なりと非難す るは誠に皮相の見誣妄の言といえる。國性の発露として日本が軍事に卓絶するのは恰も米國は商業に、英國は海事に卓越するに等しきものにして、趣味性格の向 ふところ自ら其の堂奥に進みたるものと謂ふべきのみ。我が国性は尚武にありと雖も然も濫りに乱を好み兵を漬すの故にあらず、武の裡には仁愛情義誠信を含 み、敬神の念を伴ひ、愛国忠孝の本義に随ふものがある。而して武はまた一面に於て其の國の強健を意味するものなることなを健康の人位に於けるが如きものあ り。虚弱であるよりも強健を尚ぶは人情の常とするところ、而も強健なるが故に弱者を虐げで危険なりと言ふものがあらば未だ我が国性の眞髄を解せざるものな り。外国人が深く日本の精神的方面を審究することなく、殆ど宗教の壘を摩せんとする我が尚武の國粋を以て野蟹人が暴力を振ふものゝ如くに妄想するは謬見の 甚しきものとす。之を例へば戦国時代に源義家が敵将安部貞任を迫駆け暫く返せ物言はんとて、彼が衣川の館に縁み「衣のたては綻びにけり」と和歌の下の句を 以てせるに、貞任後を振向き「年を経し絲の乱れの苦しさに」と即座に上の句を以て酬ひたる優に艶しき振舞に、義家つがえていた箭を差外して引返し萬卒にも 代へ難い敵将貞任を落延びさせたが如き。或は群雄割拠時代に、謙信塩を敵国に送りし美談のように、乃ち武田上杉北條の三氏は互に相攻伐したが、武田信玄の 國は海に濱せず塩を東海に仰いだところ、北條氏康は密かにその塩の路を閉づ、甲斐の國人は大変困った、謙信之を聞き書を信玄に寄せて白く、聞く氏康等公を 困むるに塩を以てすと、不勇不義なり、我と公と争うてはいる、しかし争ふところは弓箭にありて米塩にあらず、請ふ今より以後塩を我が国に取れ、量の多寡は 唯だ貴命に委すと、乃ち年来の仇敵に塩を給した如きは皆是れ我が国性美の發露であって、何れの國の歴史にまた此のような美談があろうか。