米.なよ竹のかぐや姫
裳着の当日はようやく雨が上がって夏らしい晴れになった。いや、もう7月も半ばだから暦の上では秋だけど、まだまだ夏といってもいいような暑さが残る。
裳着というのは生まれて初めて
裳というのは女性の正装を構成する衣の1つで、前の開いたスカートのようなものだ。袿の上から腰のあたりで縛って、裾を後ろに伸ばして引き摺るように着る。その上から
裳着の際には他にも髪上げや化粧なども行い、初めて大人の女性としての正式な格好をするのだ。髪上げとは前に垂れる髪を結いあげて後ろに流すことを指すのだが、平安時代には次第に大人でも前髪を垂らすのが普通になったため、裳着の時だけの行事になった。
化粧は基本的には顔におしろいを塗って眉を描き、紅を唇と頬に差すのだが、おしろいには鉛や水銀をつかった有毒なものも使われていて、長い目で見ると肌荒れの原因になるどころか命まで縮めかねないので、穀物の粉をベースにした安全なおしろいを魔法で発色と定着性をよくして用意しておいた。もちろん、雪も普段から同じ物を使わせている。
それにしても、女性の身支度というのは本当に時間がかかるということが今日ほど骨身にしみたことはない。さすがに着物は着慣れているので正装といっても着ること自体はそれほど大変ではない。ただ、色違いの袿を何枚も重ねて裾にグラデーションを作るのがおしゃれなのだが、このグラデーションを作るのにここぞとばかりに女房たちが集まってきて、ああでもないこうでもないとやるのでいつまで経っても服が着れないのだ。
また、化粧も大概時間が掛かる。俺個人としては普段は厚化粧は嫌いだから雪にも薄化粧でいるように言っているのだが、今日ばかりは特別なのでしっかりおしろいを塗るのだけれど、白い粉を顔だけに塗ると顔だけが浮いて変になってしまうので、首の方まで肌が露出しているところは全部塗ってしまうのだ。これはもう純粋に作業なのだけれど、きちんと綺麗に塗るにはそれなりに手間がかかる。
(ふう。こんなの毎日やってたら廃人になりそう)
今日何度目かになるため息をついて助けを求めるように雪を見やると、雪は目をキラキラと輝かせてこっちを向いていた。
爺「ああ、竹姫、お前は本当に美しいね」
婆「ええ、本当に。これならどなたの前にお出ししても恥じることはありませんね」
爺と婆はさっきから感激しきりである。ここで俺が魅力全開にしたらこの部屋の全員が一瞬であの世行きなんだろうか。
そんな危険なことを考えていると、女房の1人がやってきて言った。
女房「
三室戸斎部秋田とは爺の本家の長で俺も一度会ったことがある。爺より30歳近く若いけれどしっかりしていて、俺の魅力にも比較的耐性がある人物だ。もっとも比較的という程度の耐性でしかないが。
秋田がわざわざ来たのはただのお祝いということではなく、俺の名付けのためだ。この時代、名前というのは成人した時に初めて正式なものが付けられるのであって、それまでの名前は仮の名前と考えられていた。そして、その名前を考える役目をこの秋田という人に託したのだ。
秋田「おお、竹姫、竹姫。しばらく見ないうちに随分大きくなったね」
俺「秋田さま。お久しぶりでございます」
秋田は俺の急激な成長ぶりに驚いた表情をしていたが、爺から話は聞いていたようで特に取り乱すことはなかった。まあ、3ヶ月で成人する子どもなんて普通は考えられないからな。
秋田「人の子の成長というのは速く感じるものだね。ついこの間までこんなに小さかったと思っていたのに」
本当についこの間までこんなに小さかったんだけどね。
爺「秋田さま、よく来て下さいました」
秋田「造さま、この度は四位昇進おめでとうございます」
爺「残念ながらまだ四位にはなっておりませんよ」
秋田「ははは、そういえばそれは来月の除目での話でしたな」
爺「ありがたいことです。ところで例の件は」
秋田「もちろん考えてきてますよ。紙と硯をいただけますか?」
女房が紙と硯を用意すると、秋田は筆をとってさらさらと紙に書き記した。
秋田「竹姫。あなたは今日から『なよ竹のかぐや姫』と名乗りなさい」
(はっ? かぐや姫?)
どうやら前回更新時に累計UU40000を超えていたようです。いつもご愛読ありがとうございます。
裳着の際の化粧については適当に流しましたが、眉を剃り、おしろいを厚く塗って唇と頬に紅を差し、眉墨で眉を描いてお歯黒を入れます。眉はいわゆるまろ眉という剃った眉の上にちょんと描くやつではなく、剃った眉の辺りに太くて長めの眉を描くのが一般的でした。ちなみに奈良時代まで遡ると眉の好みは細長くなるそうです。
真面目に平安時代の化粧を再現すると現代の美的感覚から外れすぎて何が美人なんだかよく分からなくなってしまうので、本文ではお歯黒は無視して、眉の形は現代と変わらないということにしました。
三室戸斎部秋田はかぐや姫の名付け親として登場しますが、彼を呼んだ爺との関係は物語にははっきり書かれていません。ただ、