漆拾捌.東尋坊
俺「雪は貴族になるんですか?」
爺「何か問題でもありますか?」
俺「あるわけございませんっ。素晴らしいお話ですわっ!!」
爺「まだ内々の話ですから、あまり大きな声ではしゃぐのは控えなさい。それに、万が一にも予定が変わるかも知れないのですから」
俺「申し訳ございませんでした、お爺さま」
俺は満面の笑みを浮かべてそう言った。内心では、うっかり魅力をダダ漏れにして爺と婆を昇天させてしまいそうなのを必死にこらえていた。
女性が直接位階を受けるという例もなくはないが、通常は女性はその後見人の身分がその女性の身分として扱われる。だから、雪の父が従五位下になるということは、雪自身も従五位下として扱われるということなのだ。そして一般的には五位以上を貴族と呼ぶことになっている。
だから、もし除目が予定通りに進めば、雪は俺の家の使用人の中で唯一の貴族になるのだ。これまでも俺の専属女房ということで一目置かれていたが、今後は身分の上でも他の使用人たちとは一線を画すことになる。貴族にしか許されない服に袖を通すこともできるようになるのだ。
(これで雪とペアルックができるようになるよ)
もう雪とはお風呂だって一緒に入った身(正確には未遂だが…)なんだから、ペアルックくらい許されてほしい、というか、許されるに決まっている、というか、許されなくてもやりたい、というか、俺が正義だ。そうだ、俺が正義だっ!
心の中では、東尋坊の崖の上で荒れ狂う日本海を前にしながら右手を拳にして高らかに突き上げて叫ぶイメージだが、ところで平安時代にも東尋坊は自殺で有名だったのだろうか?
爺「では、ご飯を頂きましょうか。…、竹姫? 竹姫?」
俺「…、は、はい」
爺「どうしましたか? 何か考え事をしていたようですが」
やばい、やばい。冬の東尋坊のことを考えてたなんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
俺「お爺さま。1つお願いがあります」
爺「なんですか、改まって? また屋敷のリフォームですか?」
俺「いえ、今回はリフォームをする必要はないと思いますが…、あの、雪を私の屋敷に住まわせてもよろしいでしょうか?」
爺「そんなことですか。ええ、構いません。あの屋敷はあなたのものですし、雪はあなたの女房ですから、竹姫の思う通りにやってもいいんですよ」
俺「ありがとうございますっ!」
(やった。これで雪と同じ屋根の下で暮らせる)
俺は首尾よく願いが叶えられたことにニヘラと思わず笑みをこぼした。
爺「竹姫は本当に雪のことが好きなのですね」
俺「えっ、そっ、そんなことは」
爺「ははは。隠さなくてもいいんですよ。顔に出ていますから。しかし竹姫、女性の容姿は永遠ではありませんし、私の命も永遠ではないのです。ですから、いつかは覚悟を決めなければいけませんよ」
そうやって意味深なことを伝えて、爺はご飯を食べ始めた。それを合図に婆もご飯を食べ始めたが、俺は箸を手にとったもののまだしばらく考え事をしていた。
(俺って雪との距離が近すぎるのかな)
この時代の一般的な主人と女房の距離感というのがよくわかっていないが、いつも主従関係として適度な距離を取ろうとしている雪に対して、その距離感を俺が強引に壊して接近するのがいつものパターンになっている。しかし、それはよくないことなのだろうか?
この世界で生きていくためには、俺も貴族の男と結婚しなければいけないと爺は言う。でも、心が男の俺は男と結婚するなんて死んでも考えられない。それにこの時代の貴族は一夫多妻なのだから、結婚したからって愛想をつかされたら終わりなんじゃないのだろうか。いくら魅力的でも男が苦手な女と添い遂げたいと思う男なんているんだろうか?
雪への思いといまだ見ぬ結婚相手の男への思いに悩まされながら食べた今夜の夕食はほとんど何の味もしなかった。